今、大学生になって思うこと
              R.Tさん
 
 私は、親子寺子屋に小学校三年生から六年生の約三年間通い続けました。
 当時は、日本の神様のお話や日本の歴史上の人物である聖徳太子などについて、「すごい人」という印象のみでした。難しかったものの、小中学校での勉学を他の人よりも先に予習をしているような感覚でした。
 今になって、親子寺子屋に通っていて役立っていることは、和歌だと思っています。毎回和歌を詠みました。当時は五・七・五・七・七という言葉の数の制限になんとかうまく感想を当てはめていく、というので精一杯でした。その中で五と七に当てはめるために言葉をうまく言い換えるというのが、今での社会に通用する言い方であり、役立っていると思います。例えば、何かが「上手くできるようになった」という感想を「上達した」というようにです。
 毎回、寺子屋では最近の出来事などを話す時間がありました。通い始めた頃は、時事報道などには全く関心がなく、「難しい話をしているな」と思っていました。その後、ニュースに関心を持ち、先生方の話していることがうなずけるほどに理解できるようになりました。二十歳となった今ではニュースを見て情報を得るだけではなく、その出来事に関して自分としての意見を持って物事を捉え、別の場合であったらこのようになっていたのではないかというような考え方をするようになりました。
 小学六年生の親子寺子屋に通う最後の一年では、「聖徳太子」の紙芝居を聞くだけではなく、実際に自分で絵を描いて作り上げていくことで話の内容を深く理解し、聖徳太子がどのような偉人であったかを学ぶ機会がありました。それは一生に一度であるような体験であり、学ぶにあたって最も理解できた経験でした。
 親子寺子屋での話題や体験は、学校や普段の生活では絶対と言っていいほど経験できるものではありませんでした。例えば、「天皇陛下のお誕生日」に実際に皇居参賀に行ったり、その年のお米やお野菜に感謝をする「新嘗祭」に行ったりと、ここでしか体験できないことが数々ありました。陛下の新たなお歳を万歳と喜んだり、野菜へ感謝をしたり、実際に自分の目で見たことで、今の私は、国の祝いの行事や祝日、物事に関心を持って普段の生活を送るようになりました。
 そのような行事に参加する親子寺子屋は、神様がいる神聖な場所での礼儀作法も学ぶことができました。神社には必ずある、鳥居や参道での行動です。周囲の人はその礼儀作法を知らないため、漫然と歩いていますが、鳥居の前では一礼、参道の真ん中は神様が通る道であるため両端を通るという礼儀作法です。わざわざそのことを検索したりして学ぶ人は数少ないと思います。この私も当時知った時は、他の友達に教えたりして、相手の興味をもしかすると湧かせたかもしれません。それらの知識は知っていて絶対に無駄となるものではありません。二十歳になった今でも、親子寺子屋ではありますが、小学生だけではなく、幅広い年代にこのような素晴らしい教室だと伝えたいと思います。同時に、現在親子寺子屋は、人数が少なくなってきてしまっているので、ぜひ多くの小学生に日本の文化を学ぶと同時に神社での礼儀作法なども知ってほしいと思います。
最後に、親子寺子屋は子供だけではなく、親である大人も一緒に学べる場であり、時間がある人に限ってはしまうものの、教室に通って絶対に損をすることはないと思います。子供は、小学生の頃から神話や文化である和歌や書道などに興味を持つことができます。大人は、これからの行動に活かしていける知識や教えを得ることができる場所です。教室であるため自分一人が知識を着々とつけていく場所ではなく、小学生は学校とはまた違った少人数という環境で協力したり、遊んだりしながら共に学べます。大人は教えを聞いて自分の感情や思ったことを共有して、より成長ができる場所だと思います。
 私は、ここに通ったことで、人として成長でき、今に多くの知識を活かしていけている部分があると思っています。

寺子屋での思い出、そして現在の取り組み
          学生 A.Iさん
 
 私の寺子屋に通っていた五年間は「学び」にあふれていました。
 寺子屋に通い始めたのは小四の頃でした。父の勧めで通い始めて、最初は普通の学校と同じように勉強するところなのかなと思っていましたが、学校では学ぶことのできない歴史や伝統を学ぶ事ができ、昔ながらの伝統遊びも取り入れ楽しみながら沢山のことを寺子屋で学ぶ事ができました。
 その中でも寺子屋の思い出として心に残っていることがいくつかあります。まず一つ目は、百人一首です。お正月などに寺子屋のみんなと先生方とやった百人一首がとても楽しく、ワクワクしながら札を叩いたのを今でも覚えています。百人一首は普通のかるたとは違い、短歌を覚えていないと早く取ることが難しいルールになっていました。当時は、百人一首のルールをよく知らず普通のかるたと同じものだと思っていた私は、上の句を読んだだけで札を瞬時に取っている様子を見てとても驚きました。負けず嫌いだった私は、「みんなより先に札を取りたい」という気持ちも芽生え、まずは上の句と下の句を暗記するというところから始めました。毎日コツコツ、一首ずつ覚えていくうちにどんどん実力がつき、次に百人一首をした時は、上の句を読んだ時にはもう下の句がなんとなくわかるようになっていて、素早く取り札を取ることができました。何か一つ目標を決めて毎日コツコツ努力をして、結果がでた時の喜びを知ることができた良い経験になったと思っています。二つ目は、紙芝居です。寺子屋では、毎回神話の紙芝居を読んでいました。最初は先生方がお読みになられていましたが、私が寺子屋に入って何年か経ち慣れ始めたころに、私に「今日は絢那さんが読んでみなさい」と言われたとき初めてのことに動揺しましたが、なにか重要な役割をもらえたようで、とても嬉しかったです。三つ目は新嘗祭など祝日に寺子屋のみんなで明治神宮に参拝に行ったことです。十一月二十三日の新嘗祭当日は毎年とても寒く、いつもポケットに手を入れていたら、お父さんに「ポケットに手を入れてはいけないぞ」と怒られていたのを今も思い出します。
 このように寺子屋での思い出は沢山ありますが、その中でも楽しかったこと、嬉しかったこと悔しかったこと、全部含めてとても良い経験ができ、学校では学ぶことがなかったような、日本の歴史や文化を目や耳で聞くだけでなく、実際に神社などに行って参拝をしたり、その場所のきれいな空気を吸いながら和歌を書くなど、今まで経験したことのないような貴重な経験ができました。先生方や寺子屋の皆さんにも沢山お世話になり、いち日本人として沢山のことを学ばせていただいたことに感謝致します。
 私は、今言語聴覚士専門学校に通っています。まず言語聴覚士とは、話す、聞く、食べるなど、リハビリテーションを行う専門職です。そこでは、人の言語、聴覚、飲み込み(嚥下)機能について学び、発達を促す、あるいは障がい者を支援するリハビリテーションの知識と技術を勉強します。私が言語聴覚士になりたいと思ったきっかけは、小さい頃から私は看護師になるのが夢でした。その中で医療にかかわる仕事を調べていた時に言語聴覚士を知りました。私は高校の時ソフトテニス部のキャプテンを務めていたため、人とのコミュニケーションをとることが得意だったこともあり、大好きな話すことを活かせて、患者さんに生きる喜びを取り戻す手助けができるやりがいのある職業というところに魅力を感じ、興味を持ったことがきっかけでした。高齢化が進んでいる中まだまだ人数が足りていないという状況で、私が言語聴覚士になって今リハビリを待っている人達にリハビリをし、もう一度、食べる喜びや話す喜びなどを知ってもらいたいと思っているので、これからもっと沢山の知識を身に付け、まずは国家試験合格を目標に日々努力をしていきたいと思います。昔から、人の役に立つ仕事がしたかったので、きっかけがどうであろうと、自分が選んだ職業に誇りをもって、これからも沢山の事に挑戦していきたいです。
 寺子屋で学んだ、何事にも努力を惜しまない精神で、これからもお世話になった人への感謝も忘れずに頑張っていきたいと思います。

「君が代」を歌う2歳児

現在2歳2ヶ月の息子は、乗り物が大好きで元気な普通の男の子です。 
0歳8ヶ月のころからご縁があって、子育て寺子屋に母子で通っております。
「でんしゃのった」「バスいた」そんな片言を話すようになった2歳間近の夏のある日のことです。
彼がどうやら歌を歌っています。
「ち~み~が~よよは~♪」
何だろうとよく聞くとそれは国歌「君が代」の旋律でした。
私たち夫婦は家で君が代を歌ったことはほとんどありません。テレビもないので、テレビ中継で観るということもないのです。 
さてはて、どこで覚えたのだろうか?
一瞬考えて、はっとしました。 
何と彼は、この一年間、月に2度、寺子屋で皆が歌っていた君が代を、30回弱聞いただけで歌えるほどまで覚えていたのです。
一丁前に、大きく口を開け、朗々と歌っています。
これを知った主人は、面白半分、お風呂の時間に一緒に歌い、お風呂からは二人の楽しそうな声が聞こえてきます。特訓?の成果でどんどん上達した息子は、夏の間ずっと、気が向くと口ずさんでいました。


2歳間近 吾子得意気に 朗々と

  千代に八千代に 君が代歌う

赤ちゃんの時代から、寺子屋に通っていてよかったと思った出来事でした。
小さいから分からないだろう、と大人は考えがちです。けれど、小さいからこそ、日本の心を魂で感じる体験が、子どもの将来に生きてくるのではないでしょうか。
赤ちゃんでも、国家斉唱、教育勅語朗読、季節のお歌の合唱を目を大きく見開いて、じっと聞き耳を立てて聞いているのです。
さて、君が代ブームが少し落ち着いた彼が今夢中になっているお歌は、「おお牧場は緑」です。
寝る前に必ず歌ってほしいとせがみます。
「おお牧場はみどり 草の海 風が吹く
おお牧場はみどり よく茂った ものだ ホイ♪」
牧場のみどりの様に、すくすく育ってほしいと願う日々です。

黎明教育者連盟の子育て寺子屋に通っていなければ、もっと不安でいっぱいの子育てだったでしょう。
いつも未熟な私を正しい道にお導きくださる諸先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも寺子屋で学びながら、母として、妻として、ひとりの人間として、成長できる自分であり続けたいと思います。

 寺子屋に通って
 
 
黎明親子寺子屋に通うようになり、親子での時間の過ごし方が変わりました。朝の勉強の後に順番に朗読。「雨にも負けず」も論語も、子供たちはあっという間に暗唱できるようになりました。私も一緒に暗唱して、あらためて言葉の美しさを実感することができました。
 
子供たちの精神面での成長も素晴らしいものがありました。
 
瑞樹はこの一年間で、以前は嫌がって挑戦さえしなかった水泳と自転車、逆上がりを習得しました。さらに囲碁と卓球を新たに習い始め、朗読とともに百ます計算にも毎日取り組むなど、意欲的な子供に成長しました。
 
 澪はもともと新しいことに興味は示すものの、厭きっぽいところがありましたが、兄にならって毎日こつこつと朗読や平仮名の練習をするようになりました。囲碁教室に自分から希望して通い始め、昨日(三月二十四日)は初めて大会にも出場しました。家庭での読書や工作でも、自分が興味を持ったものにとことん取り組む集中力が見られるようになりました。
 
家庭では、子供たちに聞かれて歴史やご先祖様の話をすることが増えました。話すうちに私自身も、亡き祖父母が生前教えてくれたことを思いだし、これから子供たちに何を伝えていくべきかという指針が定まってきたように思います。
 
子供たちに教えながら学ぶ、子育ての大切さと面白さを知ることのできた一年間でした。先生方のご指導に心から感謝いたします。
 

アゲハチョウの観察 
 
 
 
春のある日の昼下がり、玄関先の金柑にアゲハチョウが卵を産む場面に遭遇しました。それは米粒にも満たない小さな卵で、産み付ける瞬間を見なければきっと気が付かなかったことだろうと思います。
 
幼稚園から帰った4歳の息子に教えると、初めてみるチョウの卵をしげしげと見つめながら…
 
「なんでおかあさんはたまごあっためないんだろうね?」
 
「そうだねぇ。きっとおひさまがあっためてくれるから大丈夫なんだよ。」
 
子供の問いに感心しながら、せっかくなので枝ごと虫かごに入れて観察することにしました。
 
「もううまれたかな?」
 
毎日虫かごを覗いてはこれから何が起こるのか興味津々の息子。ほどなくして、これまた小さな赤ちゃん幼虫が産まれました。
 
「うまれた!小さいね~」
 
「よかったね。名前何にする?」
 
「うーん…毛虫だから…けむちゃん!」
 
けむちゃんは金柑の葉をモリモリ食べ、ぐんぐん大きくなりました。肉眼で形が確認できるくらいの大きさになると…
 
「おかあさん。この子、毛虫じゃないよ。だって毛が生えてないもん。」
 
「本当だ。毛虫というよりは、芋虫だね。」
 
「じゃあいもちゃんに名前かえる。」
 
いもちゃんは何度か脱皮を繰り返し、それまでの黒い幼虫から緑の立派な幼虫へと成長しました。
 
「いもちゃんいつちょうちょになるの?」
 
「もうすぐかな。大きくなったね。」
 
「はじめはこーんなにちっちゃかったもんねぇ。」
 
「そうだね。でもあなたもこーんなにちっちゃかったんだよ。知ってた?」
 
「そうなの!?ほんとのほんとに!?」
 
「ほんとだよ。いっぱい食べて大きくなったね。」
 
その後、幼虫は図鑑で見た通りにさなぎになり、2週間ほどを経て羽化しました。その生まれたばかりのアゲハチョウの美しかったこと…。
 
「おかあさん、いもちゃんがあげちゃんになった。」
 
「なったね。すごいね、きれいだね。」
 
「もう飛んでいっちゃう?」
 
「うん、でも女の子だったら卵生みに帰ってくるかもね。」
 
「やったー。ぜったい女の子!」
 
羽を乾かし終えたら飛び立てるよう、元の金柑の木に移してやると、数時間後にはいなくなっていました。私はまるで我が子を巣立たせたかのような気持になり、感激もひとしお。幼いわが子もきっと、命の不思議と尊さを肌で感じてくれたことと思います。
 
そして夏のある日の午後…。
 
「おかあさん!あげちゃんがきてる!」
 
「本当?卵生みに来たんじゃない?見ててごらん。」
 
ひらひらふわふわと舞うチョウを静かに見守っていると…
 
「生んだ!!」
 
あのアゲハチョウかどうかは分かりません。
 
けれど命は繋がって行くんだということを教えに来てくれたような気がします。よく見るとほかにもたくさん産み付けられており、今我が家では7匹のいもちゃんを飼っています。家族全員で飽きもせず毎日観察し、日に日に大きくなる姿を感動と共に楽しんでいます。

平成27年度 
― 寺子屋青葉へ通う一年を振り返って ―
 
 
 
 
 
本塾寺子屋青葉に通わせていただいている二人の娘のうち、長女が今年度で卒業する事と相なりました。小学三年生の入学時と比べ、随分と身体も大きくなりました。いつの間にか母親の身長を超え、子の成長は早いものだとつくづく実感する次第であります。この数年来、坪田塾長をはじめ、他の先生方には日頃格別なご指導を賜り大変お世話になりました。こころより御礼を申し上げます。
 
 
 
寺子屋青葉で学んだ事を振り返りますと、通常授業では論語素読、教育勅語暗唱ならびに古事記神話紙芝居、書道に工作、和歌創作と多岐に亘る授業が展開される他、季節に応じて野外での青空教室や、新嘗祭には明治神宮、正月には皇居への一般参賀等々、現代における文部科学省主導の公教育ではけっして学び得ないものばかりを身をもって経験させていただきました。これらすべての知見・実経験は、きっと子供達の心根に滲み込み、血肉となって、おおいに今後の人生に役立っていくものと確信しております。
 
 
 
さて、現代における公教育と寺子屋青葉での教育、なぜこれ程教える内容に差異が生まれるのでしょうか。そもそも教育の目的とは何でしょうか。
 
 
 
子供には自由に、極力負荷を与えず、何事も子供の目線で今何を欲しているかを大人達が逸早く察知し提供する事。将来市場競争で打ち勝ち、世界と渡り合える国際人となるためのグローバル人材育成のために幼少期からの英語教育の導入を図り、また在日外国人への配慮を忘れず、同じ人間として、同じ日本列島に住む「地球人」として、平等かつ差別なき人権教育の強化に努める事、である。
 
 
 
果たして正解でしょうか。一見、美辞麗句によって正しいように見えてきます。自由・平等・博愛を主眼に置いた戦後教育の精神が詰まった内容です。しかし、この文言から考察するに、教育とは国境のない「国際化」を目指した民間サービスの一種のように見えてきます。同時に、日本人は過去の過ちを償い、反省し、これからは未来にこそ目を向けるべきだ、西欧諸国、特に米国のいう事に全ての答えがある。我ら日本人は彼らに比して劣っているから時代に乗り遅れないよう米国から一挙手一投足指導してもらわなければならない、といった雰囲気をどうしても伝わり感じてしまうのです。
 
 
 
本当に日本人は欧米人より劣っているのでしょうか。日本はアジアにおいても無数の偉人を輩出してきました。江戸末期で識字率が八割を超えており、それ自体、驚くべき数値であるといえます。当時の日本人は文字を読み、書いて表現をし、一人ひとり思考を巡らし生活していました。よく議論を交わし、誰かの模倣ではなく、各人の考えを持ち合わせていました。福澤諭吉の言を拝借すれば、すなわち「一身独立」が貫かれ、多くの日本人はそのような姿勢で思考様式を捉えていたように考えられます。
 
 
 
最初の問いに戻りますと、教育の目的は、「自立」させる事、自立させるために援助する事であると考えられます。英語を学び世界に「我が国日本」を発信すべく国際人となる事自体に異論はありません。但し、「世界を知る日本人」ならばいざ知らず、「無国籍的なニッポン人」の公教育による大量生産となれば、現状での教育自体にいささか懐疑的にならざるを得ません。
 
 
 
教育の目的とは、つまり「自立」させる事を目標に置く事を念頭に、けっして子供に「自由」ばかりを提供するものでも子供の欲求を満たす事でもないのです。自由には責任が伴い、権利には義務が生じます。片面の良いところばかりを見せつけ、ある種、人参をぶら下げたようなしつけや指導ではなく、子供には両面をしっかり伝え、全うさせる事ではじめて社会性が身につき、真の「自立」への第一歩が踏み出せるのです。
 
 
 
かの吉田松陰の松下村塾では、松陰自身、明確に教育の目的を掲げております。君主と臣下の守るべき道を遵守する事(君臣の義)、人並み外れた優秀な人材の育成(奇傑非常な人)、日本と外国との違いを明確にする事(華夷の弁)とあります。これら目的が日本人の精神性を涵養し、かつ「自立」こそが教育の根幹にあった事が示されています。現代の公教育は果たして、何人を育て、そして我が国をどのような国家にしようとしているのでしょうか。私達一人ひとりが真剣に考え取り組んでいかねばならない問題であると思います。
 
 
 
最後に、拙い未熟な持論を述べさせていただきましたが、この度大恩ある先生方への万謝の意を込め、本文に代えさせていただきたく存じます。来年度も引き続き次女がお世話になります。変わらず、ご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。

平成27年度 感想文
 
 
一年かんてらこやにかよって
 
 
 
 わたしはきょういくちょくごをおぼえることができました。
 
 かくれんぼするかえるかなのろうどくがたのしかったです。
 
 ほかにはこうさくとうたがたのしかったです。
 
ことしはおねえちゃんをぬかせるようにがんばります。

平成27年度 感想文
 
一年間寺子屋で学んで
 
                   六年 池田絢那
 
 私はこの一年間寺子屋で学んで、学校では習わない事をたくさん知りました。たとえば歴史、学校ではそんなにくわしくはおしえてくれないし、まちがった事をいっている事もあるから、寺子屋で正しい事を教えてもらって良かったです。
 
 あと歴史を知る事で日本の事を多く知ったのでよかったです。
 
 ほかにも「かみしばい」「工作」「歌」など勉強になり楽しかったです。
 
私は今年で寺子屋を卒業しますが、中学校でもここで勉強した事をいかしてがんばっていきたいと思いました。

平成27年度 感想文
 
 
ろけっとのはなしすごかった。ぱそこんでみたうちゅうすごかった。
 
ひゃくにんしゅたいかいたのしかった。
 

平成27年度 感想文
 
 
てらこやに一ねんかんかよいました。おともだちもいます。じんじゃにいったり、うたをうたったりしたのがたのしかったです。
 
いろいろなことをいっぱいしました。
 
これからはえがおでやさしいいちねんせいになります。

平成27年度 感想文
 
 
わたしがれいめいで一ばんこころにのこったことは、百人首をやったことです。
 
わたしはきょねんとことしこどもの中で、一ばんだったので、こんどは大人にもかちたいです。
 
来年はもっととれるようにがんばりたいです。
 
 寺子屋に通った一年、とても楽しかったです。

平成27年度 感想文
 
 
娘と電車に乗って通いました。思ったより余裕があったり、遅刻しそうになって走ったり、雨にも負けず風にも負けず頑張りました。
 
 娘は君が代を歌えるようになり、「八紘一宇」の言葉を覚えました。日本の良さを感じて育っていることが嬉しいです。
 
 先生方には普段生活しているだけでは気付かない沢山の事を教えて頂きありがとうございました。

一年間、ありがとうございました。
 
今年は紘希も参加させていただき、一諸に学ぶことができて良かったです。
 
 ロボットの話もとても興味深く、大変勉強になりました。
 
 今年は野菜作りのイベントと重なり、お休みが多かったのですが、来年はお休みなく参加したいです。

一年前、乳幼児寺子屋に通い始めた時、私はまだ神奈川に引っ越してきたばかりで、友人もおらず、子育てに漠然とした孤独とプレッシャーを感じていました。また遠くに住む友人や親せきで子育てをしているお母さんは皆仕事をしながら、子供を育て、私のように完全に家庭に入っている知人は一人もおりませんでした。たまに主人の実家に帰ると「保育園へ入れろ、働け」と言われ肩身の狭い思いをしていました。自分の子は自分で育て、出来る限りの愛情を注ぎたいという思いはなかなか伝わりませんでした。
 
しかし、乳幼児寺子屋へ入り、はじめて自分の思いが肯定されました。先生から「礼子ちゃんはお母さんの愛情をいっぱい受けているわね」と声を掛けていただけたときにはやはり自分は正しかったと、思わず涙ぐんでしまいました。
 
寺子屋で出会えたお母様方は国や家庭の事を考え、素晴らしい方々だと尊敬いたしました。自分もそうありたいと思いました。寺子屋の勉強内容は今までなじみのなかった古事記でしたり、和歌でしたり、難しく感じるときもありましたが、日本人の教養としてしっかり身につけていきたいと思いました。坪田先生は常々「旦那様を大切にしなさい」とおっしゃっていましたが、最初はちっとも出来ていませんでした。正直なところ主人には申し訳ないのですが、疎ましく思っていた時期もありましたが、少しずつ見方を変えて今では先生のおっしゃっていることに少しは近づけたかなと思っています。まだまだ努力が必要だと思います。
 
娘は先生方やまこちゃんが大好きで仕方ないようです。毎回とても幸せそうな笑顔を見せてくれます。一年前は駅までベビーカーに乗っていたのが今では駅までの距離を歩けるようになりました。
 
ドレスに目覚めたり、家のお掃除やお洗濯を手伝ってくれるようにもなりました。今年はどんな成長を見せてくれるのか楽しみです。私も母として妻としてまた一人の人間として、沢山の成長が出来るように学んでゆきたいと思います。
 
一年間皆様には大変お世話になりました。どうぞまた一年間宜しくお願い致します。

いつも素晴らしいご講話で学ばせていただきありがとうございます。
 
 長男が六ヶ月のときにご縁あって以来、飽き性であれこれてを出しては長続きしないという性格でありましたので、もう四年も経つことに驚いています。
 
家庭におきましては、いつも三歩進んで二歩下がる、といった状態で、時々四歩も五歩も下がりそうになるのを、この寺子屋に通うことで踏み留まっていると感じています。
 
 私事になりますが、夫がこの二月から研修で海外へ行っております。元々別の人が行く予定だったものが、事情により行けなくなったとのことで、急遽夫に話が回ってきました。本来ならば、もっと若い世代が行くべきところを少しでも多くを得て來るであろう人材をという会社の方針により、主人に白羽の矢が立ったものだそうです。今年度は難関の国家資格も取得し、会社での研究の成果も評価も他の人を圧倒し、私は世界一の夫を持ったと幸せに思っています。
 
そんな夫はいつも何かあるたびに「家族のお蔭だよ」「子供達をちゃんと育ててくれてありがとう」と私に言います。私は寺子屋で何年も学んでも、未だ充分に伝えられていないというのに、反省と同時にやはり夫を尊敬せずにはいられません。
 
子育てについても、至らない面が多く、余計な口を出したり干渉してしまったりで、縷々反省することが多くあります。ですが四年も通っていれば、やはり先生方が何度も口になさることは心に残っていくもので、口を出したいところをぐっと飲み込んでみる、そして坪田先生ならどうなさるかな・・・・加納先生なら何とおっしゃるかな・・・・そう一度考えを巡らせる余裕がほんの少しだけ持てるようになってきました。
 
私は十代の頃から、この世のすべてを知りたいと思っていました。それは今でも変わりませんが、“すべてに神が宿っている。あなたも私も神の子である”という真理を知る事で、自分の人生が大きく前進したと確信しています。子育てでも、人間関係でも国や世界の事であっても、それが土俵であり根幹であると信じます。ですから、子供のことで迷ったり、例え夫婦げんかしたとしても、それは枝葉の最先端の全く取るに足らない問題で、良い土壌に良い根をはらせ、良い言葉の雨を降らせば必ず大きな実がなるのだと思っています。
 
正しい道筋を照らし続けてくださる先生方に感謝すると共にこれから先は実践実践また実践で身を修めていきたいと思っておりますので、これからもご指導よろしくお願い致します。

一年を振り返って

 
今年度は、紘希が幼稚園に通い始め、私一人の参加でしたが、まこと君やれい子ちゃんのエネルギーあふれる姿に、いつも元気をもらっていました。
 
また、先生方の講話では、家庭や子育てにおける知恵や日本のすばらしさを学び、日本人として生まれた自分に誇りを持ち、知恵を生かして幸せな家庭生活を送ることができたことを感謝しています。そして、そんな私を通して、周りの友人たちや、弟のお嫁さんもだんだん教えに興味を持ち始めるようにになりました。来年度は、その方々の中から仲間が増えたらいいなと思っています。
 
一年間ありがとうございました。

寺子屋青葉に参加して
 
 一月の書道で「祝日」と書きました。一画書いて失敗したと思ったけれど「大丈夫、これを生かして最後まで書きましょう」と言われ、思いっきり書きました。先生から「あきらめずに、最後まで書いて、すごい字が書けたね」ほめてくれました。とても嬉しかったです。
三月の学校の音楽の授業で「君が代」を歌うテストがありました。ぼくは、寺子屋で毎回歌っているので、すぐに合格できました。
六年生の卒業式では、大きな声で歌いたいと思います。
これからも寺子屋でいろいろな勉強頑張ります。

寺子屋青葉で学んだ事
 
私は寺子屋に通って色々なことをおしえてもらいました。たとえば、神話紙芝居です。紙芝居では、神様の名前などたくさんおぼえることができました。ほかにも書道もやりました。書道は筆の持ち方書き方を先生におしえてもらいました。先生に教えてもらってうまく書けるようになりました。私は特に毎回寺子屋でやっているすわり方で、最初はきれいにすわれなかったけどしだいにきれいにすわれるようになりました。せいざも長くできるようになりました。
 私もしょうらいは、おしえてもらったことをおしえてあげる人になりたいとなと思いました。

修了式にあたり
 
 今年度は、学校の行事などが重なり、寺子屋には半分の回数くらいしか参加することが出来ませんでした。休む会が多くなると行くのを嫌がることもありましたが、こうして二度目の終了式を迎えることが出来、親子共にホッとしています。
寺子屋では、正隆は特に書道が好きなようです。最初は正座をして書くことに慣れていなくて、筆の運びがうまくできませんでした。が坪田先生が「正隆君ならできる。絶対にできる」と言い続けて下さり、少しずつ好きになっていきました。
又先日学校の音楽の授業で卒業式に歌う「君が代」のテストがありました。毎回寺子屋で歌っている正隆は自信を持って歌うことができ、早々に合格することができ、とても喜んでいました。
寺子屋では、学校では学ぶことのできない、日本の神話やご皇室の事を学ぶことができ、正隆には難しいことも多いようですが、必ずや心に残っていることと思います。これから歩む正隆の人生に大きな力になることと信じています。四月から正隆は六年生になります。後一年ですが、この寺子屋で親子共に精一杯学びを深めていきたいと思います。これからもご指導をどうぞよろしくお願いします。

「寺子屋青葉」で学んだ一年間について 
 
「寺子屋青葉」教室にて、この一年間多くの事を学ばせていただきました。坪田塾長並びに他の先生方には、わが国伝統に則し培われた礼儀作法や教えをご教授いただき、今後ますます必要とされるであろう、現代日本人として生きるための実学を親子共々学び得られたように感じております。
 今年度から長女に加え、次女も本教室でお世話になりました。一年間を振り返るとその成長に驚かされる場面が日常で垣間見えます。目上の人、友人への挨拶や学習に対しての意欲、物事を遂行する自主性等、少しずつではありますが、その変化は親として顕著に確認することができました。姉妹共によく遊び、よく学び、次女ができないところがあればそれを補うかのように自然と長女が次女に寄り添いサポートする、そのような自己より弱い者を支え労り、人へ気遣うことのできる他者配慮性、すなわち、日本人の本質ともいえる徳性が身に付き始めたように感じ取ることができるようになりました。これも偏に先生方のご指導の賜物であり、感謝の念に堪えません。誠に有り難うございました。
 現在の教育現場では、国旗国歌への尊崇の念の欠如が著しく、教科書からは「皇室」「祖国」「愛国」「孝行」等々の語句は消し去られ、代わりに「人権」「平和」「自由」「権利」が台頭しています。児童に対し元来の祝祭日の意味や由来を教えることもなく、説明しない、説明できない、説明すべきかの意識すら抱くことのできない教員達で埋め尽くされています。
漢字は学年毎に配当表で厳密に区分けされています。つまり、大人が子供の理解する力、学ぶ力に制限を設けているのです。例えば本教室で行われている教育勅語等の音読は小学校では実質指導として扱うことは不可能というのが現状です。江戸時代、寺子屋教育の基本は、百字の文章を百回読むことでした。難解な漢字もこの学習方法によって当時日本の識字率は七割から八割に達していました。同時代の欧州先進諸国の識字率はわずか二割から三割と極めて低率であることに比べれば、この事実からわが国の教育基盤は寺子屋が底辺から担い支えていたことの証左であると考えられます。子供達は意味が解らずとも、先ずは難解な漢字に音読・素読により触れ、気負わず学ぶ基本姿勢の土台づくりの涵養こそが最も重要であると考えます。
さらに、現在は英語科目履修の低学年化が進み、英語を話すことができれば国際人だ、グローバル人材になれるといった浅はかな風潮が社会的に蔓延しています。英語ビジネス産業も活況を帯び、幼少期に英語を習わなければ国際社会に乗り遅れるといったイメージづけに浸されています。母国語習得のための根幹である国語は授業時間を大幅に削減され、英語が重んじられる傾向が明白です。国際人をつくる、グローバル人材の創出を善と謳う文部科学省、教育委員会に問いたいのは、真の国際人とは、自国の何を知り、いかに伝えるべきかを心得え内包しているか、であると考えます。自国の歴史・文化・伝統を知ってこそ、他国の人々から尊敬され、他国の良さが見えてきます。決して自国音痴な上辺だけの英語さえ話すことができれば、それで「国際人」という訳ではないのです。
将来を担う日本の子供達の教育をそのような思考・法基盤で大人達が「教育」という美名の下に実践されています。この現状の危機感をいち早く感知し、先ずは国家百年の計たる「教育」から早急に着手していく必要があると考えます。そのためにも本教室で行われている寺子屋教育のカリキュラムや指導法に倣い、現代の教育現場に活用する術を真剣に考える時が来たのではないでしょうか。
 「寺子屋青葉」教室の先生方へこの一年間の謝意を本文に代えさせていただき、次年度も引き続きご指導の程、何卒宜しくお願いいたします。

「乳幼児寺子屋」に通って」
 
乳幼児寺子屋に通って二年になります。
十月に二男が生まれ、子供が一人増えると苦労は倍以上なのだなあとしみじみ思いながら日々生活しています。 子供の成長には目を見張るものがありますが、私が一番驚いているのは、自分自身が日に日に変わっているということです。
 夫にただ一言、「はい」ということがなぜこんなに難しいんだろう。最初の頃はつい不平不満が口をついて出てしまい、あぁまた「はい」と言えなかった。と後悔する事ばかりでした。それが今では、意見は言うことはあるものの、最終的には「はい、あなたの言う通りです。」と素直に従うことが出来るようになり、むしろそれが楽しくさえ思えてきました。
 私は人生に於いてよく間違えるし、大事なものを落として無くすことも多いし、あの時ああしていればなあと後悔も多かったのですが、よく考えてみれば、夫と知り合って十年来、夫が間違ったことを言ったためしがないのです。
この先も、夫婦の事、子供の事で選択しなければならない場面がたくさんあると思いますがよく考えもせず、感情論で反発したりすることはもう二度とないだろうと思います。
 寺子屋に行くたびに、夫には「はい」夫には「はい」と坪田先生は口を酸っぱくしておっしゃいました。本当にただそれだけのことで、こんなに円満に行くんだと実感し驚きと喜びの日々を送っています。
 子供の事で思い悩んだこともありました。
 成長期なのだとは分かっていても、私の言うことをすべて頑なに拒否する長男にイライラしたり、強い口調で叱ってしまったり、突き放すようなことを言ってしまったこともありました。その度に落ち込んで、次の寺子屋で先生に相談しよう、と思って行くと、朝の会や講話の中で先生がまるで推し量ったように、子供への接し方を指南して下さるのです。今まさに私が悩んでいたことを。
 「自我が芽生えてきているのね、お母さんが大好きなのね」と言われ、いつもはっとさせられます。母親の私が見失いそうになっているものをちゃんと見つけて私の目の前に戻してくださる。そして私は又、あぁこの子たちは神の子だった、何にも心配することはないんだと思い直すのです。
 素晴らしい日本の心を持った子供を育てるためには、親がその模範にならなければなりません。
 日本人の保守化が取り沙汰される昨今ですが、そもそも保守とは旧来の風習や伝統を守って正しい状態を維持していくことです。そして日本人のあるべき姿、西洋文化に惑わされない本質を唯一学べる場所がこの寺子屋なのです。私はこの寺子屋に通えることを誇りに思います。これからも一生懸命に学び、少しでも多くのことを子供たちに、伝えていけるよう努力したいと思っていますので、これからもご指導のほど、よろしくお願いいたします。

「親子寺子屋に通って」
 
塾長先生はじめ先生方、今年度もお世話になりまして誠にありがとうございます。
 昨年は出雲大社・伊勢神宮ともに遷宮の年でしたので、寺子屋でも遷宮にまつわる多くの勉強をさせていただきました。学びを深める内に徐々に遷宮への思いが強まり、お陰さまで念願叶い十月伊勢神宮、十二月には出雲大社へと参拝してまいりました。伊勢神宮では大変有難いことに秋篠宮殿下にもお目にかかることができました。出雲大社は初参拝でしたが、神話の世界そのものが目の前に広がっており大変感激いたしました。
 このように参拝することができましたのも黎明親子寺子屋での学びがあってこそだと思っております。先生方、本当にありがとうございました。
 四月からは息子も小学校へ入学いたします。教育のあり方を考えさせられる機会も増えることと思います。
 引き続き寺子屋にて、日本の伝統・文化・歴史を学ばせていただき、日本人としての自覚をより一層強めて、子育てに又社会に関わっていきたいと思っております。
 先生方、来年度も何卒宜しくお願い致します。

「親子寺子屋に通って」
 
 この親子教室に通わせて頂いて早三年目となりました。最初は四歳で入学した娘も六歳となり、教えていただいた内容も少しずつ理解を示すようになりました。来年度小学校に入学しますが少しの不安もなく明るい気持ちで迎えられることができるのは今までの先生たちのご指導のおかげだと感謝しております。日々生活をしていて少々内気なところがある娘ですが、幼稚園や習い事では積極的に手を挙げて発言するなど親が驚く行動が多々あり、「さて、これはどういうことか?」と考えた時にふと毎回親の授業で朗読する『児童教育に関する神示』を思い出しました。「子供を尊敬して〜」という部分。この教室の先生方はいつも子供を子供扱いせず『尊敬』してくださっているからこそ、子供も安心して勉強できているのだなと改めて感じました。私自身はつい忘れがちなので反省しつつ、また新たな生活に臨みたいと思います。三年間本当にありがとうございました。

「親子寺子屋に通って」
               
 四年前、坪田先生から親子教室の事をうかがい、「子供も親も学べる」ということで、興味を持ち参加しました。最初は古事記朗誦もできず、目で文章を追うこともできませんでした。また塾長先生のお話も何となく聞いているだけでしたが、回を重ねるごとに、ここでは本来日本人が知っておくべきこと、やるべきことを教えてくださっていることに気付きました。そのことがわかってからは子供より私の方が通うのに夢中だった様な気がします。
 毎回必ず作る和歌。最初は、和歌を作るために景色を見たりしていましたが、今では景色を眺めると和歌を考えるようになりました。また皆でうたう季節のうたはどれも私が小さい頃から歌っていたなつかしいもので、昔のように高い音は出なくなってしまいましたが、楽しくうたうことができました。加納先生の紙芝居も、子供にわかりやすく、親の私も子供にかえった気持ちで聞き入りました。季節の行事ではその由来を知り、親子教室に通っていなければ知らずに過ごしてしまっていたことがたくさんありました。毎回、毎回本当に学びの多い楽しい時間でした。そしてあっという間に四年という月日がたってしまいました。
 三月十五日、子供の卒業式がありました。卒業証書を受け取る時、名前を呼ばれ誰よりも
大きな声で返事をした姿を見て、四年間親子教室に通った成果だなと思いました。親である私は四年間で何か成長できたことはあるのかと考えると、自信はありません。
 まだまだこれからも学びたいことがたくさんあります。今日で卒業となりますが、今後も機会があれば皆さんと一緒にお勉強させていただきたいです。
 先生方には本当にありがとうございました。先生方のご健康と黎明親子寺子屋のますますのご発展をお祈りし、私の感想文と致します。

かみしばいがたのしかったです。ぼくはたたかいがすきなので、やまたのおろちがおもしろかったです。
 ようちえんのそつえんしきでは、せんせいにおじぎがじょうずといわれました。きみがよもうたいました。  
 しようがくせいになったらたくさんおべんきょうしたいです。たしざんとりかがたのしみです。日本というかんじがかけるようになりました。

このきょうしつでいちばんたのしかったことは、しょうわきねんこうえんにいってみんなとバーベキューをしたことです。あといつもりょうくんとあそべてたのしかったです。
 いちばんたのしかったじゅぎょうは、しばたせんせいの三種の神器のおはなしです。

「四年間の親子教室(寺子屋)を通じて」           
 
 最初の教室は六本木から始まって二年間遠くへ勉強しにいくのが楽しみでした。メンバーは三人しかいなくて静かだと思っていたけれど、元気な二人がいて楽しかったです。
 地区センターにいくようになってメンバーが増えて、歴史のことに興味がわきました。学校では、友達とよく話をして仲よくなり、歴史の授業が楽しくよくわかるようになりました。
 今日で親子寺子屋は卒業ですが、今まで楽しく学べてよかったです。四年間ありがとうございました。

黎明親子寺子屋には昨年9月より入学させていただきました。
昨年幼稚園に入園した息子も慣れ始めたこともあり、何か日本の伝統文化が学べるお教室に通わせたいと思い、インターネットでこちらのお教室を知りまして、少し遠いのですが思い切って通うことにしました。
 まだ半年余りではありますが親子でたくさんの学びがありました。
息子は特に天照大御神の御神勅が暗唱できるようになったことが嬉しいようで、今は教育勅語なども練習しています。
私は普段学びたくてもなかなか機会のない古事記のお勉強が難しいながらも日本のことを知るよい時間になっております。
 2時間の間にお作法や伝統文化等盛りだくさんの内容で感謝しております。
息子は勿論のこと、むしろ親のほうが学ぶことが多く毎回楽しみながら通わせていただいております。
来年度もどうぞよろしくお願いいたします。

今年もいろいろなことを学びました。校長先生が朝礼で話してくださる季節や行事に日本のすばらしさを感じ、私なりに二十四節の本を読んだりしました。又和歌を作るためにと思い、自分のまわりの様々な事(花、緑、空、人、物などなど)を一生懸命見ることで、今までと違った感じ方ができるようになりました。月に二回の親子教室に通うのがとても楽しかったです。
まだまだ学び足りないことがたくさんあるので、これからもよろしくお願いいたします。
 先生方一年間ありがとうございました。

ぼくは親子教室に2年間来ていて、今年一番心にのこった事はにいなめさいでした。去年より舞が長く感じてつかれました。そのあとはみんなであそび楽しかったです。
今日で親子教室の一年分が終わりだけど、四月からまた親子教室で、今年よりももっと学習してがんばります。
 

友達と遊べて楽しかった。
聖徳太子の絵がうまくかけなかった。
いなばの白うさぎの紙芝居がおもしろかあたけど、少し怖かった。サメに皮をむかれたところが・・・
来年はもっと上手に紙芝居の絵を書きたい。和歌をもっと字をおぼえて自分で書きたい。

親子教室にお世話になって早二年になります。去年よりもさらに日本のことを学べてうれしく思います。
 いつも講話を聴いて目の覚める思いがするのですが、特に古事記の講座は去年よりもより素直に自分の中に入っていく思いがしました。最初は文章が難解なこともあり難しい、取っつき難い、という印象が拭えず説明を聞いて納得はするのですが、自分にどこかなじまない気がしてなりませんでした。しかしこの一年の古事記講話を受けて、いつも子供に読み聞かせをしているお話が現実に今生きている私たちに如実に関わっていることを感じるようになると、とても素直に古事記を学ぶのが楽しくなりました。いつもわかりやすく教えて下さる校長先生に感謝をすると共に講師の皆様の暖かいご支援、ご指導に深く感謝いたします。ありがとうございました。

一年を振り返って
 天照大神の御神勅が言えるようになりました。いっぱいべんきょうしてがんばりました。

乳幼児教室を終えて
 
 
私自身、日本の伝統文化の素晴らしさに気付いたのは社会人になってからでした。
子供を授かってから、どう伝えていけば良いのか悩み、そしてお教室に参加しながら、私自身もいろいろと学ばせていただきました。
二人の子育てにおわれて、さらに長時間の電車の中で通い、正直なところなかなか大変でした。しかし、お教室に着いてからの子の様子(神の子標語など)を見ていると、その姿にとても嬉しい気持ちになりました。
私は、実は和歌を詠むことがとても苦手です。しかし、先生のお話を拝聴させていただいて、少しずつ“大変”から“好き”に変わってきているような感じがいたします。なかなか子供と離れる時間がないので、数十分でも落ち着いて和歌を詠むというのは貴重な時間でした。
 
また、【児童教育に関する神示】の「多くの母親は子供のことを余りに取越苦労するために・・・」という部分がとても印象に残りました。私はあまり子供に対して心配などしないほうですが、それでもふと不安がよぎるときに、この言葉を思い出して「子供を信じよう!」と意識して明るい気持ちで子供に接することが出来るようになりました。
 
これからもまた、寺子屋のお教室で、よろしくお願いいたします。

一年を振り返って
 
私はインターネットでこの乳幼児教室を知り、子供に小さい頃から君が代や日本の文化に触れ、大きくなってもそれを「当たり前」として生きてほしいと思い入学しました。
 ところが実際に勉強してみると、親の私の方が知らないことばかりで、無知な自分に驚くと同時に、義務教育とは一体何だったのかと、日本の学校教育に呆れる思いでした。
 私は子供を授かる前まで、いわゆる「自分探し」をずっとしていました。生まれてくる時代や国を間違えた、とか、何でこの世の中はこんなに生き辛いんだろうと、二十代後半まで本気で思っていました。
 そういう地に足の付かない感じというのは、真に国家観や宗教観の欠如に由来するのだということを、講話を聴いたり古事記の勉強をする内に気付かされました。それは空気の様に「当然あるが、なくてはならないもの」だということです。そしてそれを確信するにつれ、日本人を日本人でなくするどころか、人間であることの本質さえ奪おうとする学校教育、それに携わる教育者たちの罪深さに憤りを覚えると同時に、この乳幼児愛国教室の重要さ、素晴らしさを思い、ここに通うようになったのも神様のお導きであろうと深く感謝しています。
 私は学歴がなく、これといった特技も持たず、劣等感を打ち消すために虚勢ばかり張っていました。ごまかしごまかしで何とか生きてきたものの、「若さと元気で」というノリが通用しない歳になり、
通信大学でも行くか、資格でも取るか、どうしようと思い悩んでいた時に一(はじめ)を授かり、ここに通うようになりました。
 神の子標語で「私は神の子、あなたも神の子」とあり、はっと、目の覚める思いでした。「私は神の子、使命を持って生まれてきました」さて、私の使命とは?何だろうと一生懸命考えて、後にも先にも、先生の仰る通り、夫に仕える事しかないのだと思い至りました。そして日本のお役にたてる立派な子供を産み育てることだと。其の為に私は生まれてきたのだと。
 気の強い性格で夫と張り合ってばかりいたので、今更恥ずかしいやらバツが悪いやらで、なかなか「はい」と言えず大変ですが、先ずは何でも「ありがとう」から、そして良いところだけ見て気に障ったことはすぐ忘れるように心掛け、最近はめっきり言い合いも減ってきたように思います。
 この教室に通っていなければ、未だに悶々と世を憂いていたかも知れません。ご皇室に敬意も払わず古事記の意味も知ることもなく、せっかくこの素晴らしい日本に、しかも女性として生まれたにも関わらず、日本女性の何たるかも知らずに虚しく一生を終えたかもしれません。そんなことを考えると本当にぞっとします。そんなに残念なことはありません。
ですから、この教室で皆さんに出会えたこと、先生方に真理を教えて頂けることが本当に有難く、感謝の気持ちで一杯です。
はじめ(一歳)は最近「教育勅語」読もうかと言うと、ニッコリ笑って「観の教育」を持って来てくれます。先生の仰る通り、我が子は神の子天才です。
まだ触れ始めたばかりの未熟者ですが、これからも一生懸命真理を勉強し、日本人として恥ずかしくない妻、母になりたいと心から思います。これからもどうぞご教示よろしくお願いいたします。

寺子屋青葉で学んだ事
 
 寺子屋青葉は習字、工作を教えてもらいました。習字はさいしょはぜんぜん上手には書くことはできませんでしたが、先生におしえてもらい、すごく上手に書けるようになりました。
工作はわたしが大すきなきょうかなので、すごく楽しかったです。
 そのほかにも先生の話で、じんむ天皇のお話や天照大神の話がとてもよく分かりました
 わたしはしょうらい、かんごふになりたいです。でももっともっとたくさんべんきょうをして先生みたいになりたいです。
 先生これからもよろしくお願いします。

寺子屋青葉で学んだ事
 
 
 ぼくは小学校2年の2月から、寺子屋青葉に行くようになりました。
そこで、和歌や書道の勉強をしました。最初はなかなかうまく作れなかった和歌も最近は早く作れるようになりました。
 寺子屋の始まりの時歌う「君が代」は最初は歌えなかったけれど、大きな声で歌えるようになりました。
 これからも寺子屋で、いろいろな勉強をしていきたいと思います。

寺子屋青葉で学んだ事
 
 寺子屋青葉に通い始めたのは主人の一言がきっかけでした。
「小学生の長女に昔の教育や伝統文化を学ばせたい」その言葉をきっかけに昨年7月から親子で通い始めたのです。
 国歌斉唱、教育勅語、和歌に百人一首と本来ならすでに学校や親から学ばなければいけない歴史や伝統文化を長女と共に、私も一緒に学ぶことが出来ました。
 年明けの百人一首大会では、子供以上に真剣にかるたを取ってしまうほど夢中になりました。
 娘が教育勅語をすべて暗記できた時には家族全員で喜びました。この集中して暗記ができたことに長女が自信を持ち、今後いろいろなことに挑戦してほしいと私は思います。
 美しい日本で美しく、女性らしい大人になってもらいたいと母から子供たちに夢を託します。

「寺子屋青葉」で子と共に学んで
 
 昨夏から寺子屋青葉教室では長女がお世話になりました。この一年間、日本の伝統文化について多くのことを学ばせて頂きました。坪田塾長ならびに他の先生方にはご指導いただき心より感謝いたしております。有難うございました。
 本教室では、国家君が代を斉唱することから始まり、書道に和歌、童謡、神話紙芝居等さまざまなカリキュラムが実施されます。また、学外では新嘗祭の折には明治神宮祭事の参加、さらに天皇誕生日には皇居参賀へ赴きます。教室の内外を問わず、親と子がこのような体験を共有し、日本の大切な伝統文化に触れながら、涵養することができました。
 加えて、「教育勅語」「天照大御神」の御神勅の暗誦することが求められるなど、当初、わが娘にできるのかどうか心配でしたが、その懸念もすぐに払拭することとなりました。まず毎日毎日音読を繰り返し行い、徐々に書を見ずとも唱えるところが増えていきました。最後には娘が「お父さん、全部言うことができたよ」と嬉しそうな笑顔で知らせてくれました。子どもの記憶力・吸収力というものは大人の想像を大きく超えて、素晴らしい力が備えられているのだと改めて実感させられました。
 そもそもなぜ寺子屋へ行かせたいと考えたのかをお伝えしなければなりません。現在における学校教育で、国家君が代ひとつ歌えない子供がたくさん存在します。自国の誇る国家が歌えぬ、あるいは歌わせない、歌える環境を与えない「教育」が果たしてまともな「教育」と呼べるのか、そのような疑念と憂慮が本教室の門戸をたたく最初の動機となりました。日教組が悪い、文科省が悪い、確かにそのように思います。しかし、たとえ誰かの責任として擦り付けたとしても自分の子への第一義的責任は私たち、親であると考えます。寺子屋ではその大切な教育を与えてくれました。正しい歴史を認識する事、自国に誇りを持つこと、日本人として矜持を持つ生き方、
我が国において本当に守るべきものは何かを知る、それをこの寺子屋で学ぶことができたように思います。
 子育てはこれからも続きます。偏向した自虐史観教育から自らが脱し、本当の「日本」を顧みる教育こそ今求められていると考えます。のびのびと君が代を歌うわが娘の傍で、大きな期待と夢を抱きながら、先生方、次年度も変わらぬご指導、何卒よろしくお願いいたします。

一年を振り返って
 
 正隆が、まだ一歳にもならない頃、青葉台で開催されていた「わらべ歌の会」に毎回参加していました。そこで歌う唱歌で、私の心は穏やかになり、正隆は気持ちがいいのか途中でよく眠っていました。
 それから八年後、坪田先生より寺子屋青葉のお誘いを頂き、昨年の二月より参加する事になりました。初めて参加した日は、暖かい日ざしの降りそそぐ立春の日でした。そこで神武天皇様のビデオを見、紀元節の歌を歌った時に、私の心はとても清々しくなっていくのが、はっきりとわかりました。
中学時代より、日本の国の素晴らしさを知り、折につけ学んできた私は、出産を経て我が子に伝える機会をずっと探していたように思います。ただ、正隆自身はお話が難しく正座も辛そうにしていましたが、先生方からほめていただくのが嬉しいらしく、参加する事を楽しみにしています。
 昨年の六月、寺子屋で絵画館に行きました。正隆はその中の明治天皇様がまっすぐに前を向かれ会議にご臨席されている絵に何か感じるものがり、印象に残ったようでした。また七月には、明治神宮の夜間参拝に行き、薄暗い中で神様の存在を何となく感じ取ってくれたように思います。そして十一月の明治神宮での新嘗祭参加と、昨年一年は、明治天皇様の御遺徳に心を寄せる機会を何度も経験させていただきました。明治天皇ご崩御百年祭という年に。
 また最初の頃に歌えなかった君が代は回を重ねるごとに大きな声で斉唱することができるようになりました。
学校では、なかなか学ぶことのできない天皇様を戴く日本の国柄を寺子屋で学ぶことで、きっとこれからの正隆の人生で自分自身を支える力になることと強く信じています。
 今後も、親子共々学びを深めていきたく思います。よろしくお願いします。