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寺子屋「青葉」








日程  第1、第3土曜日10:00~12:00
場所  横浜市青葉区さつきが丘小学校内 
   コミュニティーハウス(横浜市青葉区さつきが丘8番地)
内容:国歌君が代斉唱 教育勅語奉読 古事記朗誦 書道 和歌 童謡 唱歌 神話 礼法 偉人伝 正しい歴史 工作 紙芝居 百人一首大会 書き初め大会 神社参拝 新嘗祭参加 皇居一般参賀 などを通して子供の情操を養います。


参加費  月2000円  募集対象 小学生(幼稚園児応相談)
入会費  1000円



寺子屋「青葉」について 塾長 坪田陽子



本日は「寺子屋青葉」をお訪ねくださりありがとうございます。 近年、日本では毎日のように青少年のいじめ、不登校、暴力、性犯罪などの問題が後を絶ちません。これは大人の倫理観の欠如と道徳教育、 精神文化をないがしろにしてきた教育の結果だと思えてなりません。
 そこで「寺子屋青葉」では、地域の自治会、老人会、婦人部、子ども会などと緊密に連携しながら、 3世代にわたる幅広い地域住民の方々に、年中行事やお遊びのお話しを通して日本の伝統文化や偉人伝、神話、歴史を学んでいただき、地域や日本 の将来を担う子供たちに美しい日本の心と情緒を伝える活動を行っています。
 寺子屋青葉では学校で習わない事をみんなで学びます。こうした勉強を繰り返ししていると考えなくても自然に日本人の自覚が出てくる ようになります。心が強くなり精神力もつきます。皆さんにはもっと日本の事を勉強して本当の国際人になってほしいと思います。日本 は楽しく平和で安心して暮らせる良い国です。古事記に記されている通り、天皇さまを中心とした美しい国柄が三千年も続いています。 世界中で一番長い歴史があり、たくさんの文化伝統のある素晴らしい国です。
 日本人は正直で卑怯を憎み、弱いものを助ける国民です。電車に飛び込もうとした女性を助けて亡くなった、宮本巡査さんのように、仕事に誠実な立派な人がいる国です。
 外国の人に日本の事をスラスラと紹介できるようになり、日本と世界のお役に立つ人になって欲しいとスタッフ一同真心いっぱい指導に当たっています。 ぜひ寺子屋青葉の活動にご理解とご参加、ご協力をお願いいたします。

寺子屋の基本的授業内容


 国歌君が代斉唱
 教育勅語朗誦
 塾長のお話
 古事記朗誦
 季節の歌(童謡/唱歌)
 書道・工作・偉人の話・紙芝居(週替り)
 礼法
 和歌
 人として行うべき十五の心 朗誦
   などなど


また、課外授業として、神社参拝・新嘗祭参加・皇居一般参賀
毎年新年には、百人一首大会や書き初め大会などあります。

本日の寺子屋 平成26年12月23日


『天長節(天皇誕生日)』皇居参賀

 12月23日(火)、天皇陛下の御誕生日をお祝いするために、親子寺子屋横浜・寺子屋青葉・乳幼児寺子屋合同で毎年恒例の皇居参賀に伺いました。
 当日の天気は快晴。空は青く澄み渡り、太陽が燦燦と照り輝く麗らかな日で、まさに天が今上陛下の御誕生日を祝福しているかの様でした。
 9時20分、いつもの集合場所である楠木正成公銅像前で朝礼を行いました。 
 最初の挨拶で、『天長節』と元号『平成』の意味を踏まえて、天地万物の神々への祈り、世界と日本の平和と国民の安寧と幸福をお祈りなされる天皇陛下の祭祀について語り、最後に天皇陛下の次の言葉を紹介させて頂きました。


 『先の戦争では300万人を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課せられた義務であり、後に来る時代への責任であると思います。そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、切に願っています。』(産経新聞12月23日付記事より)                             


 今こそ天皇陛下の大御心に私たち国民一人一人が心を寄せていくときだと思います。
 挨拶の後、みんなで『天長節』の歌い朝礼を終え、宮殿前広場に向かいました。


10時20分、天皇皇后両陛下、皇太子殿下・同妃殿下、秋篠宮殿下・同妃殿下・眞子内親王殿下がお出ましにならました。そして天皇陛下からお言葉を賜りました。
長野北部地震を始め多くの災害で被災された方々を思いやり、国民の幸せを祈られる天皇陛下の慈愛のお言葉を拝聴し、改めて参加者一同大変感銘を受けました。
最後に和田倉噴水公園で和歌を書き、坪田先生のお話で、皇居参賀の行事を終えました。
                                  (文 柴田)

和歌


てんちょうせつはたふったのがたのしかった
せんせいがはやくておいつけなかった
             幼 男子


てんちょうせつはたふってばんざいいって
たのしかった
             幼 女子


天長節皇居に行って天皇陛下に
感謝をこめてはたをふった
            5年 女子


皇居前天長節の歌皆で歌い
陛下に感謝しはたふりいわう
           中一 男子


大君の 今日生まれし意味 学びたら
日本の黎明 息吹を感ず
正装で 心そろいて 日本晴れ
天長節を 親子で祝う
「誕生日」の 意味を理解し 3つの子に
教える今日は 日本の父の誕生日と
           保護者


あまつかぜ雲無き空に吹きわたり
平和の光天地に満ちる
           保護者


はじめて天長節に参賀して
子供とともに祝う幸せ
           保護者

大君の御生誕祝い親子で参賀
ひたすらご健康願い祈りぬ
           保護者


災いの多きを憂う大君の
深き御言葉胸に沁み入る
子童の小さきみ手に余りたる
旗振る姿見るは愛しき
          スタッフ


澄み渡る青空の下皇居参賀
陛下のお声天の声なり
神の子と伴に祝いし天長節
いつの世までも継いでと祈る
          スタッフ


参賀の日晴天恵まれ暖かく
尊顔仰ぐ嬉しさよ
大君の声凛と響きてご健康
願う我らに安堵与えし
この国は大君の祈りにさせはえて
皆健やかに生きる幸せ
           加納孝子


うららかな日射しの中の皇居参賀
天長節を祝う嬉しさ
国民を想う天御陛下(へいか)のお言葉の
一つ一つに慈愛の響き
          柴田顕弘


天長節国民(くにたみ)思う陛下の
お心なごむ世をと祈りぬ
          坪田陽子  


天長節の参賀の日に参加致しました。
11月23日の天長節の日は、晴天に恵まれ 親子教室の皆さんと皇居に参賀に行って参りました。天皇陛下、皇后陛下共にお元気そうで、とても嬉しいでした。
今回は友人のセリヌさんをお誘いしていきましたが、とても感動されていました。参賀の後の和歌づくりの時に彼女が詩を作りましたので、ご紹介します。 加納




わたしはここで しあわせです
てんのうへいかの きゅうでん でです
へいかのおたんじょうびを いわうために
ともだちと きました。


たくさんはたが ありました
とてもきれいでした。
ひとびとは うれしいでした
まいとし ひとびとがきます。


てんのうへいか
おたんじょうびおめでとう
どうか ながいきしてください
すくなくとも 100さいまでは


このポエムは まもなくおわります。
わかっていただけますか?
-------------------------------------------------------
Je suis ici avec bonheur
Dans le palais de l’empereur
Pour fêter son anniversaire
Avec mon amie tres chère.


Il y avait plein de drapeaux
C’était vraiment très beau
Les gens étaient contents
Ils reviennent tous les ans


Au roi je lui souhaite
Une très bonne fête
Qu’il vive très longtemps
Au moins jusqu’a 100 ans


Ce poême est bientot fini
J’espère que vous avez tout compris


本日の寺子屋 平成26年11月23日

明治神宮 新嘗祭

 11月23日、親子寺子屋・寺子屋青葉・乳幼児寺子屋合同で、毎年恒例の明治神宮新嘗祭に参列致しました。
 天気もよく、例年よりは暖かな気候でした。
 9時10分に明治神宮大鳥居前に集合し、新嘗祭ついて学んだあと、2列に並んで整然と心を鎮めながら参道を歩いていき、受付など済ませて神殿に入りました。
 御祭りは厳粛に進められました。子供たちは、たくさん奉納された野菜の宝船や大きな太鼓の音に驚き、巫女さんの神楽「代々木の舞」を興味深く見ていました。
 御祭りのあと、神殿前で記念撮影をして、和歌を詠み、最後にお弁当を食べて(直会)、挨拶して解散しました。
 わが国は古来『豊葦原瑞穂国』ともいわれ、『斎庭の稲穂の神勅』にあるように、天照大御神より瓊瓊杵尊に授けられたお米を主とする農業を大切にしてきた国柄です。宮中を始め全国各地の神社で、収穫に感謝する新嘗祭を連綿と今日に至るまで続けてきています。とりわけ天皇ご即位最初の新嘗祭を大嘗祭と申し上げ、天照大御神にお米を始めとする海川山野で取れた食物をお供えし、共食することで天皇陛下と天照大御神が一体となる神事が行われます。
お米や野菜など食べ物(賜べ物)には、天地の恵みや農家の方々の労苦と愛情が込められています。私たちは、改めて丹精込めて作られた食べ物に対して、「頂きます」と感謝の気持ちを常に忘れずにいたいものです。

和歌


いろんなおやさいやにんじんがあったたくさんあった
たのしかった
                  3才 男子
せんせいがはくてたいへんだった
たいこがどんとなりおどろいた
                  幼 女子
さんどうにはっぱがひらひらおちてきたよ
さくらみたいにね
                  幼 女子
にいなめさいのたいこのおとに
びっくりしてとびあがったよ
                  幼 女子
さんどうにおちてくるはっぱは
さくらのはなびらのようにみえたよ
                  幼 男子


にいなめさいおおきなたいこのどんでびっくりした
かみさまにいのったよ
                   幼 女子
にいなめさいたいこのおとでびっくりした
やさいやくだものがやまもりだった
1年
中村まき
明治神宮にいなめさいに参加した
神様においのり作物に感謝
                  5年 女子
寺子屋で明治神宮の新嘗祭に
参加しすがすがしい気持ち
拝殿の近くにすすんで神様に
毎日元気で学校へと祈る
                  6年 保護者
暖かな日射しの中を歩いてく
神宮の杜みのりのまつり
                 保護者
新嘗祭日々の食事に改めて
感謝の気持ち幸せ感ず
                 保護者
起き抜けの家族我見て似合うよと
着物ほめられ頷き微笑む
               保護者
新嘗祭色とりどりに飾られし
山盛りの供物に感謝を捧ぐ
              保護者
初めての新嘗祭に参加して
日々の恵みに尊さ思う
             保護者


小春日和霜月忘れ明治神宮(じんぐう)の
新嘗祭で豊穣祈る
               保護者
真っ青な大空のもと様々な
作物供えてみ祭りはじまる
日の本の津々浦々にて新穀の
豊作祈りてみ祭り行われる
日の本は祈りに包まれ神々の
みめぐみ感じて喜びあふれる
                  保護者
神の子と伴に進む代々木の杜
天に通じる道に見えし
たくさんの天の恵みを前にして
作り手の方に感謝感謝
                 スタッフ


澄み渡る天(そら)に向かひて豊穣を
報せ渡らす大太鼓の音
古の習いに従い豊穣の
永遠に続くを寺子屋の子等(こら)と祈れり


                スタッフ
うららかな日射しの中の新嘗祭
国の平安静かに祈る
               柴田顕弘




おごそかな新嘗祭の式典を
静かに見つめる寺子屋の子等(こら)は幸せ
               坪田陽子

本日の寺子屋 平成26年10月19日

課外授業 軍艦三笠見学
各教室合同課外授業





10月19日(日)の午前中、黎明教育者連盟親子寺子屋横浜・寺子屋青葉・乳幼児愛国教室・川崎宮前こどもアトリエ各教室合同で、秋の野外活動として横須賀にある戦艦『三笠』を見学しました。
 戦艦『三笠』は、ご承知の通り、わが国の存亡がかかった日露戦争における日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破し、圧倒的な勝利を収めた東郷平八郎司令長官が座上する連合艦隊の旗艦です。
 見学当日は、お天気にも恵まれ絶好の見学日和となりました。最初に東郷元帥の銅像前で朝礼。東郷元帥を始め日本海海戦と戦艦『三笠』についての概説を聞いた後、いよいよ『三笠』に搭乗。まず艦内のホールで戦艦『三笠』に関するビデオを見学、それから東郷平八郎元帥や秋山真之参謀等が実際に立って戦闘指揮した艦橋の上に行きました。子供たちは大砲を動かしたり、日本海海戦のパノラマ図を見たりして肌で感じながら学んでいきました。
 また保護者の方々は、三笠保存会の方の詳細な解説を伺いながら、当時の帝國海軍の慣行や様子、近現代史ついての学びを深めることが出来ました。
 最後に全員で感じたことを和歌に認め、戦艦『三笠』見学を終えました。
 当日は、奇しくも靖国神社の秋季例大祭の期間でもありました。先人が、欧米列強侵略からわが国を命がけで護り抜いたからこそ、今日の私たちが存在することを改めてかみしめ、護国の英霊に感謝を捧げたいものです。そして将来を担う子供たちが英霊の志に学び、日本と世界のお役にたつ人間として成長して欲しいと心から願っています。



和歌


乳幼児寺子屋
みかさにちいさいぐんかんたくさんあった
ぐんかんつくれるとおもった
             3才 男子
へいたいさんがかっこうよかった
ふねがおおきかったよ
             3才 男子
先人の命かけての戦いに
思いめぐらせ日本尊さ思う
海軍の活躍知り大尉の祖父
賜りし時計子孫の誇り
            保護者
音に聞きし三笠の勇姿海に映え
我の心も勝どき上げる
世の中に未知なることの多かれど
歴史の真実知らんと求む
           保護者
古の知と武を記す軍艦三笠(いくさぶね)
現世の身の魂を清む
         保護者
寺子屋青葉
みかさにのったちょうかんのおへや
きれいだったうみもきれい
        幼 女子
軍艦三笠見学したはくりょくあった
軍艦の多きさたいほうのおおきさ
        5年 女子
軍艦三笠(せんかん)の司令塔にたちて海を見れば
波おだやかでとてもきれいだ
三笠の長官の部屋すごかった
専用の階段もあるとしった
         6年 男子
海に浮かぶ戦艦三笠は国の誇り
日本を守った意気を感じる
          保護者
先人(さきびと)の国想う精神(こころ)重なりて
日本海海戦は勝利せり
青空にZ旗はためく戦艦に
先人の戦い偲びつつまわる
戦艦の艦首に付けられし菊の御紋
風雪に耐えて光り輝けり
           保護者
日本海日露の戦我が勝利
旗艦三笠に感涙むせぶ
           澤地邦明
命かけ叡智絞りて海軍は
日本海戦勝利に導く
国の為日露の戦挑みて
勝利し世界に国名轟く
今もなお戦艦三笠東郷は
世界の国にその名留めん
           坪田陽子
親子寺子屋
ぼうえんきょうでふねをみたみんなが
みえておもしろかった
         幼 女子
とうごうへいはちろうさんとしゃしんを
とったのがおもしろかった
         幼 女子
みかさをはじめてみたすごく大きかった
うみのけしきがきれいだったよ
1年

女子
小さいぐんかんでろしあとたたかうのをみた
あーやってたたかってにっぽんがかってすごい
1年

男子
戦艦三笠(みかさ)の東郷平八郎は頭よく
勇敢な軍人かっこよかった
           中1男子
短期間で世界有数の艦隊に
先人の志語り継ぎたい
軍艦の歴史見聞きし先人の
苦労や誇りを感じ涙す
       保護者
三笠から見える青空聞こえる音
今日の平和を重く感じる
        保護者
横須賀の港にそびえる戦艦三笠
現代景色に負けぬ風格
ひゃくねんの時を超えて今もなお
歴史を語る偉大な姿
        保護者
寺子屋(こら)と共に三笠に乗りて歴史聞き
日本守りし海軍に感動
        加納孝子
さわやかな秋空のもと戦艦三笠(みかさ)にて
辛苦の海戦(いくさ)み跡偲ばん
        柴田顕弘
アトリエ宮前
たいほうとおおきいふねにまるいまど
きゅうなかいだんかけあがるんだ
1年

男子
はれたひにみかさのふねにのっていて
しゃしんをとってたのしかったよ
2年

女子
よこすかに三笠見に行き気づいたよ
いっぱいへやありおおきなふねだ
3年

女子
よこすかに三笠見に行き楽しいな
みんなで学んでおもしろかった
4年

女子
みんなでねみかさの船を見学し
いろんなことを学び知ったよ
5年

女子
ふねの上青空の下で過去を見る
三笠の船は勇ましいふね
6年

女子
みかさでねふねをたんけんしていたら
海のそよかぜきもちよかった
        5年 女子
横須賀にカレーを食べに来たけれど
三笠の歴史で頭は一杯
        保護者
波静か三笠艦上さわやかな
風に吹かれて子等と和歌読む
古の兵士等の足音聞こえるよう
思いを馳せる三笠艦上
       崩田和美

本日の寺子屋 平成26年4月19日

26年度始業式
朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱

教育勅語奉読


塾長式辞

講師挨拶


古事記朗


季節の歌


神社参拝

紙芝居(弟橘比売命)

和歌


本日の寺子屋 平成26年3月1日

朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話

古事記朗


紙芝居(国譲り)


おもちゃ作り

季節の歌  ひな祭り


書道

和歌








終礼歌

やさしいおかあさん ひかり

人として行なうべき15の心 朗読

さよなら

本日の寺子屋 平成25年11月23日

本日は、各寺子屋合同で、明治神宮の新嘗祭へ参列致しました。




和歌

にいなめさいさいせんばこにおかねをいれた
チャリンとなったよ
幼 小林あかね
おまいりのまってるあいだながいけど
じっとしてるのがんばったよ
にいなめさいひさしぶりにさくやちゃんと
あっていっしょにあそんだ
            幼児男子
にいなめさいおおきなたいこのおと
とびあがったよおもしろかった
            幼児女子
にいなめさいおおきなやさいぶね
すごいとおもった
            幼児女子
にいなめさいたいこのおとにびっくりした
おにいちゃんがおんぶしてくれた
            幼児女子
1年に一度だけの大切な日
感謝の気持ちで新嘗祭に
           4年 女子
本殿に高くそびえる柱から
小鳥が見守る新嘗祭かな
            4年 男子
新嘗祭代々木の舞がよく見えて
舞輝き感動した
            6年 男子
本殿に高く鳴り響く鳥の声
今年も豊作神に感謝す
            中一 女子
久しぶり合う友人があでやかな
着物姿でまぶしく見える
晴天の澄んだ空気の神宮に
家族で参加喜びひとしお     
吾子たちも母と同じく晴れ着着て
軽やかに歩く神宮の杜
           保護者
感謝して暮らすことが大事だと
あらためて思う新嘗祭
           保護者
代々木の舞瑞穂の国を思い出す
恵みに対する感謝の心を
          保護者
澄み渡る青空の下新嘗祭
供えし果物色映えるなり
          保護者
一年の実りを祝う新嘗祭
我等も共にと鳥のさえずり
          保護者
快晴の明治神宮子と共に
新嘗祭の弁当頂く
         保護者
清らかな風吹きぬける本殿に
笙の音響く新嘗祭かな
         保護者
砂利道の落ち葉の感触愉しみて
青空見上げ豊穣祈る
         保護者
秋晴れの空に代々木の舞の音が
広がりわたる新嘗祭の日
         保護者
太古からひきつがれるおまつりの
末席に着くわが身うれしや
太鼓から響きわたる太古の音
晴れ渡る大空に消え
          實吉講師
こもかぶり並びし列にパチパチと
はじける音立てどんぐり落ち来る
晴天に恵まれ杜新嘗祭
それぞれの行事に瞳輝き
         加納講師
新嘗祭太鼓の響き魂
ゆさぶり国守らんと誓う
新嘗祭青空の下代々木の舞
大帝御心永久にと祈る
         坪田塾長

本日の寺子屋 平成25年10月13日

本日は、各寺子屋合同で武蔵野御陵参拝と親子でカレー作り懇親会を開催しました。

午後からはカレー作り♪




皆さん楽しく過ごす事ができました〜おつカレー!

和歌

おまいりにおねえちゃんがてをつないで
つれていってくれたのしかった
            2歳 
いっしょにてをつないであるいたら
みつばちゃんのおねえちゃんになれよ
            幼児女子
おともだちといっしゃにたまりょうに
おまいりしたうれしかった
            幼児女子
はじめてのむさしのごりょうどんぐりを
たくさんひろってたのしかった
            幼児女子
おやこてらこやでむさしりょうにきた
たいしょうてんのうのごりょうはたかくておおきい
            幼児男子
むさしりょうしぜん木いっぱいしずかなばしょ
天皇陛下におまいりした
            4年 女子
大君の御陵に行って手を合わせ
日本に生まれて嬉しかりけり
            4年 男子
和歌作り向こうでなぜか妹が
ゴキブリの事を楽しそうに話す
            5年 男子
武蔵陵お清めの後カメがいて
天皇と関係深いと思った
天皇陵自然に囲まれ虫の声
心おだやか秋晴れ気分
           6年 男子
秋晴れの武蔵野陵に参拝す
日本に生まれた感謝を胸に
           保護者
かえでの木に貞明皇后様(こうごうさま)の御心見て
秋晴れの空に心も晴れる


保護者
多摩の地の緑多き森の中
光と絆を感じられたり


保護者
玉砂利を歩く吾子等の背見つつ
秋晴れの下陵に参る 


保護者
澄み渡り雲一つない青空と
同じく澄んだ神の子の心
時流世の中の物は変われども
永遠に変わらぬ御陵の姿
         保護者
秋めいた初の御陵へ続く路
先帝眠りし足早まる
         保護者
武蔵野陵周りを見ながら姿勢正し
先導にならい二拝二拍手
         保護者
遷宮の重なるめでたさ有難さ
武蔵野陵にて感謝伝える
         保護者
玉砂利を踏みしめる音武蔵野陵
秋晴れに響き渡る
         實吉講師
七五三(はれの)記念に御陵に参る
親子の姿頼もしきかな
シャリの音さやさやと踏みしめつ
緑の深さ御陵を参拝
        加納講師
武蔵野陵粛々と寺子屋の子等(子ら)歩みゆく
静けさの中砂利の音のみす
武蔵野の木立に囲まれ鎮まれる
先帝敬い感謝し拝す
         坪田塾長

本日の寺子屋 平成25年9月7日

朝礼

国旗国歌の説明と作法

君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話

古事記朗誦


紙芝居(やまたのおろち)

季節の歌

祖父母へのプレゼント作り

和歌

寺子屋で敬老の日のプレゼントに
絵と手紙を書きいいのができた
         5年 男子


時移り人変われども古事記より
不変なる指針教え導く
          保護者

子供らが田植せし稲は青々と
見事に育ちてたわわに実れし
         保護者






終礼歌

やさしいおかあさん ひかり

人として行なうべき15の心 朗読


さよなら

本日の寺子屋 平成25年8月24日

朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話

古事記朗誦


紙芝居(大気津比売)


季節の歌

書道

和歌

しょどうでほしとかいたよじょうずに
えながひとりでなまえもかいたよ
かみしばいおもしろかったにっぽんの
かみさまたちのいいおはなし
          女子幼児


夏休み沖縄の友と遊んだ
流れるプール水中すべり台
            4年女子
旧盆に一年振りの郷帰り
親族集いて会話が弾む
          保護者


寺子屋ではじめて習う書道で
親も懸命娘も懸命
          保護者


終礼歌

やさしいおかあさん ひかり

人として行なうべき15の心 朗読



さよなら

本日の寺子屋 平成25年8月10日

朝礼

国旗国歌の説明と作法

君が代斉唱

教育勅語奉読


塾長の話

古事記朗誦


紙芝居(スサノオの命の勝さび)

季節の歌

実験工作(日時計作り)

和歌




終礼歌

やさしいおかあさん ひかり

人として行なうべき15の心 朗読


さよなら

本日の寺子屋 平成25年7月20日

朝礼

国旗国歌の説明と作法

君が代斉唱

教育勅語奉読


塾長の話

古事記朗誦


紙芝居(スサノオの命の勝さび)

季節の歌

夏休みの過ごし方

和歌



せんせいといっしょにうたううみのうた
おおきなこえでちゃんとうたえた
           女子幼児


寺子屋で夏休み宿題本八さつ
良い本えらびいっぱい読む
          四年 女子


寺子屋で宿題出たよ夏休みの
過ごし方の勉強をしたよ
夏休みバスツアーに行くよちちぶ地方
SL乗るよ楽しみにしてる
         五年 男子


夏休み子供達との過ごし方
親の私がまもらねばと
         保護者


教えない教えられない寺子屋で
日本の神話親子で学ぶ
         保護者


天照大神(おおかみ)の遷宮まつらる尊き日
奇しくも吾子は十一歳の誕生日
吾子もまた新しい年を重ねては
健やかな成長を心より願う
         保護者


神々のおわします国日本は
最古の国で最新の国
         實吉講師


暑い日に子供と一緒に水遊び
はしゃいでいると暑さ忘れる
         山本講師


終礼歌

やさしいおかあさん ひかり

人として行なうべき15の心 朗読



さよなら

本日の寺子屋 平成25年7月13日

朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話

古事記朗誦

紙芝居(天の安の河の誓約)

季節の歌

書道

和歌


しょどうでふでをたてるのがむつかしかった
さくやとなまえはうまくかけた
          女子幼児


しょどうでふでたてていもとかいた
ちゃんとえなとなまえもかけた
          女子幼児


寺子屋で書道をやった説明と
心を込めていい字が書けた


学校で漢字テストで百点とると
きめてがんばったすらすら書けた
          四年 女子


海の唄とても懐かしおさない日が
思い出されて心和みぬ
          保護者


明治丸帝出でられ大海原
世界に誇る海の国なり
          保護者

終礼歌

やさしいおかあさん ひかり

人として行なうべき15の心 朗読



さよなら

本日の寺子屋 平成25年6月23日

野外活動『昭和天皇記念館・昭和記念公園』見学 


本日は、黎明教育者連盟の各教室、親子寺子屋(横浜)・寺子屋青葉・乳幼児寺子屋・宮前子供アトリエ合同で昭和天皇記念館を見学し、昭和天皇の御事績を親子・講師ともども学びました。天気もとてもよく野外活動日よりでした。まず昭和天皇記念館前に集合し、入管前に簡単な朝礼を行い、見学しました。

【朝礼】

・教育勅語朗読

・親子寺子屋塾長講話(要旨)

 みなさんおはようございます。これから昭和天皇記念館で、昭和天皇さまの御事績、昭和という時代がどのような時代だったのかを学びます。その前に昭和天皇様について簡単に説明します。昭和天皇様は明治34年(1901年)にお生まれになられました。昭和の時代は64年間続き、お亡くなりになられたのが昭和64年(1989年)1月7日でした。昭和天皇の御生涯は、まさに20世紀とともにあったといえるでしょう。
 昭和天皇さま、幼少のころ学習院で乃木希典閣下のもとで教育うけられました。その後皇太子のときには、東宮御学問所で東郷平八郎閣下のもとで、当時の名立たる学者に学ばれました。特に倫理学を講義された杉浦重剛氏は、三つの法方針を立てて昭和天皇さまをご教育されました。
 一つ目は、三種の神器の徳目
 二つ目は、五箇条の御誓文
 三つ目は、教育勅語です。
 教育勅語は今皆さん一緒に読みましたね。昭和天皇さまもみんなと同じように教育勅語に学ばれたのですね。
 昭和天皇さまが在位なされた時代は、まさに激動の時代でした。世界恐慌という世界的な経済の不景気、周辺諸国との紛争、そして第二次世界大戦・大東亜戦争という大きな戦争がありました。昭和天皇さまは、戦争には一貫して反対の立場でしたが、当時の状況がそれを許しませんでした。
昭和20年(1945年)に終戦か戦争継続かで政府の中で意見が二つに分かれ、最終判断が天皇さまにゆだねられます。天皇様はこのままでは国民は苦しみ続け、日本が滅んでしまうことを憂え終戦の御聖断をなされます。そして8月15日終戦を迎えます。
終戦の年の9月27日、昭和天皇さまは、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のもとをたずねられました。マッカーサーは「天皇は命乞いにきたのだ」と思いましたが、昭和天皇さまの御心はそうではありませんでした。「私は国民が戦争遂行に当たって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に全責任を持つ者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためにお訪ねした」というものだったのです。マッカーサーはこの言葉に大変感動します。
また昭和天皇様は敗戦に打ちひしがれた国民を何とか励まして日本の復興を成し遂げなければならないと思われ、昭和21年神奈川県から始まって全国各地をご巡幸なされました。期間約八年半で、その距離は三万三千キロですから、地球を一周する勢いです。この時のただ一か所ご巡幸がかなわなかったところがありました。それは沖縄です。
ちなみに今日6月23日は、沖縄戦終結の日です。昭和天皇さまは晩年「沖縄にいきたい」という思いを強くもたれていましたが、ご病気になられます。昭和63年(1988年)の秋のことです。天皇さまは、医師に「もうダメか」とたずねられました。医師は「(命が)もう長くないのか」と思いましたが、そうではありません。「沖縄に行幸するのはもうダメか」とつぶやかれたのでした。国内最大の地上戦となり、戦後もアメリカ軍の占領下にあった置き沖縄への行幸は、昭和天皇さまの悲願でした。御製をご紹介します。


思わざる 病となりぬ 沖縄をたづね果たさむ つとめありしを



まさに激動の時代のなか、つねに国民と苦楽をともになされた昭和天皇様は、昭和64年(1989年)1月7日にお亡くなりになられました。87年の御生涯でした。
 みなさんのお父さん・お母さんそしてお祖父さんお祖母さん、そして先生方はほとんど昭和生まれで、昭和の時代を生きてきた方々です。日本は、戦争で負け何もない焼け野原から世界第2の経済大国に復興して、今日豊かな生活を過ごしています。昭和天皇がいらっしゃらなかったなら今日の私たちはいなかったでしょう。では、昭和の時代がどんな時代だったのか、記念館でこれから学びましよう。そして帰ってからおうちの人に昭和の時代のことを聞いてみるといいですね。

【記念館見学】

昭和天皇の御生涯のビデオと数多くの展示物を拝見しました。そのあと和歌をつくりました。

乳幼児寺子屋

(昭和天皇の)肖像に思わず頭垂れて礼す
聖徳の御威光肌で感ず
          保護者
夏の日に緑豊かな公園で
静かに想う昭和の足跡
          保護者
顔見れば愚痴ばかり言う子等を連れ
がんばって来た昭和記念館


昭和天皇(てんのう)の映像流れ吾の心
報われし思い涙流るる


誰よりも戦時の不幸受け入れし
昭和天皇様は私の神様
          保護者

寺子屋青葉

しょうわきねんかんでクイズにこたえて
おみやげにひまわりのたねもらったよ
         幼 女子
(昭和)てんのうさまのおべんきょうのおへやには
ひとでがあったよおほしさまみたい
         幼 女子
(昭和)天皇のお写真見ていろんなしごと
されたとしりすごいと思った
         4年 女子
学校で年に一度の大イベント
ハイテンションな「図師っ子まつり」


3つ目怪盗の役になりきってする「仕事」
目的忘れて楽しんでいた


イベントで怪盗になってにげ廻る
熱気まみれの八十分間
         5年 男子


深緑の自然に込めた先帝の
平和の願い思い感じる
         保護者


万世の平和を思い戦止む
昭和天皇(みかど)の御心永遠に残さむ
          成瀬講師


昭和記念館(きねんかん)寺子屋合同で訪いて
(昭和天皇の)足跡映像にみな涙す
激動の昭和の御代を護りぬく
昭和大帝尊崇し謝す
             坪田塾長

親子寺子屋横浜

きねんかんでさわるとてれびがうごいたよ
ほしがちくちくしていたよ
            幼 女子
たこくらげあしがほんとうのくらげより
いっぱいあってすごかった
            幼 男子
きねんかんでえいぞうみてたのしかったけど
せんそうがこわかった
            幼 男子
きねんかんのビデオにばくだんがうつっていて
やけのはらをみてひどいとおもった
           幼 女子


(昭和)記念館中に入れば化石あり
古い生き物てんじされおどろいた
           6年 男子
大君の民を思いし御製読み
思いの深さに涙あふるる
国産の御料車作る技師たちの
熱い思いの結晶ここに
           保護者
晴れた日に昭和記念館訪れて
激動の歴史思い出さるる
           保護者
激動の昭和の時代親子にて
学び多き昭和記念館
            保護者


昭和天皇(てんのう)の激動の生涯みていると
常に感じる国民への愛
               保護者


長きにわたり世を治めたる昭和天皇(てんのう)の
歴史を学び偉大に思う
平成に生まれし子等と記念館
昭和の時代(とき)を何と思うか
五月晴れ神の子の声響きわたる
若葉輝く昭和公園
             保護者


人の為努力続けたあのころの
昭和の心思いわれもいきん
             保護者


敗戦のきびしき中から復興す
民の働き陛下の喜び
             加納講師
聖帝の御跡慕いて建てられし
記念館にて昭和を偲ぶ
黎明の家族とともに学び合う
昭和の御代の苦難と栄光
             柴田塾長

子どもアトリエ

はれのひにでんしゃにのってでかけたよ
ひろいこうえんたのしみたい
              幼 男子
あついなかおべんとうもちここにきた(昭和記念館)
むかしのことをしりかんがえた
             1年 女子
きねんかんうまのぎょうれつすごかった
いろんなのがあってたのしかった
             1年 女子
よるひかるきれいなほたる見ていたら
じぶんもほたるになりそうだな
             2年 女子
がっこうのトイレのドアがだれみなくて
ぎーばたんうごいたああこわいよ
             2年 女子
友達と昭和のれきし学んだよ
昔のことや知らないことも 
             4年 女子
ともだちときねんこうえんけんがくしたよ
いろいろ見たよたのしかったな
             4年 女子
激動の昭和の時代教えられ
家族みんなの平安願う
              保護者
おだやかな日々で忘れたあの時代
もっとやさしく生きていこうと
              保護者
六月の梅雨の晴れ間に来た公園
豊かな緑心が癒える
              保護者


アトリエの子等と来たりし昭和公園
今は亡き陛下の遺徳偲びぬ
             崩田講師



【懇親会】

見学のあと、記念公園でバーベキューをしながら子供たち、親御さん、講師ともども懇親をふかめました。楽しく有意義な一日を過ごすことができました。

本日の寺子屋 平成25年6月1


朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読




塾長の話



皆さんおはようございます。
 今日から六月、早いね。もう進級してから三ヶ月目に入りました。六月もたくさん行事がありますね。六月四日は何の日か知っている?六月四日は虫歯予防デー。チョコレート食べさせてもらえないお家もあるんですよ。虫歯になるといけないから。飴とかチョコレート食べさせてもらえない子供もあるそうです。先生は食べてもいいと思うの。でもちゃんと歯磨きすればいい。先生も小さいとき、甘いものを食べたり、ご飯を食べたりすると「しっかりと口ゆすぎなさい」と言われたのね。先生は未だに全部自分の歯です。虫歯の治療は行っているんだけれど、全部自分の歯です。やっぱり丁寧に歯磨きすると違うのですね。先生の妹は歯医者に行ったことがないの。もう七十近いけれどね。それはやはり、質もあるのかもしれないけれど、ご飯食べたらすぐ歯磨きしています。歯が丈夫だと体も健康になりますね。しっかり歯を磨いて大事にしましょう。
 ついでに、三月三日はおひな祭りでしょう、そのほかに耳の日というの。そうしたら鼻の日はいつでしょう。八月七日。目の愛護デーと言うのもある。それは十月十日。日本人はどうしてそういうふうに作るのでしょう。日ごろ何もなく元気に動いているけれども、病気になって、目の見えない人もあるのよ、目が見えたらいいなあと思うわけ。耳が聞こえなくなると、耳が聞こえない。どうしようと思って、そうなって、耳が聞こえなくなってから、改めて目と耳に感謝するの。聞こえることに感謝するの。
でも、日ごろから、耳がちゃんと聞こえているときから、目がチャンと見えているときから、虫歯にならないうちから、体に感謝してほしいですね。
 みなさんは、目が見えますね。鼻の匂いも聞けますね。耳も聞こえますね。よかったね。感謝しましょう。自分の目鼻耳に感謝する、そういう日が六月四日は虫歯の日。きょうからしっかり歯を磨いてくださいね。
 次に、六月十日、何の日かな、時の記念日と言うの。日本はいまから千四百年前から、もう時計があったのよ。スイスという国は時計で有名な国なの。でもスイスの人が日本に来て、千四百年前から時計があったというのでびっくりなさったそうです。
 それは、日本人は今もとても時間を大事にするの。電車だって三分も遅れたら、すみません、三分も遅れましたと言う放送がある。外国に行くと、三時間四時間遅れても何の放送もないわけ。先生もオーストらリアに行ったとき、飛行機が四時間過ぎてもまだ出ないの。そんなの当たり前と言う感じで。でも日本人は「時は金なり」と言って、時間をとても大事にする。溝にお金を落す人はいないでしょう。捨てる人。お小遣い捨てる?捨てないね。でも、時間はどうでしょう。ぐじぐじしている時は、時間を無駄にしているということなの。お金よりも大切だと言うのですよ。時間のほうが。
 だからそうやって、日本人はとても時間を大事にするし無駄にしない。その時間勉強したり、お仕事をしたりして、ぼーっとして過ごさないようにするのが日本人なの。
それで、千四百年前から時計,漏刻と言う水時計が出来たのですね。これは天智天皇様を祭っている近江神社と言うところで、今から大分前に一九六四年だから、四十何年前のときに、スイスの方が来てね。そしてびっくりしたわけよ。六一七年に天智天皇様がその水時計を作られたの。それでスイスの人はそれを知ってびっくりなさったの。そしてスイスと就航百年記念のときに、スイスの方がこれを作ってくださったの、天智天皇の近江神社の中に水時計を作られたの。いま先生この時計しているけれども、その頃はこういうのはないわけね。どういうのがあったのかというと、台の中に水が入っていって、ドンドン流れていって、一番下のところで、水の量を測って時刻を決める。日の出と日没の時間には、鐘や太鼓で国民に知らせた。四時半に先生はいつも起きるのだけれど、日の出、明るいね。朝ですよ、皆さん起きなさいと、太鼓とか鐘で知らせて起きたりしたんですって。そのぐらい、日本人はそうやって時間を大切にしたんですね。
でも、先生は「時は金なり」、だけじゃなくて、「時は生命なり」と思う。命輝かさないといけない。命輝かすためには、時がとても大切なのですね。時間・空間と言います。時間空間を大切にしている人は成功します。幸せになります。だから、「時は金なり」「時は生命なり」と、皆さん覚えておいてください。
そうやって時間を大事にしていきましょうね。
それから六月十六日は何の日でしょう。父の日。忘れないでよ。先生のだんなさんは、まだ生きているときにね。母の日は賑やかに皆やるでしょう、「父の日は梅雨と消える。」と言ってね。それを聞いて、先生の子供たちは父の日は母の日よりももっと豪華にしたのね。だからやっぱりお父さんも言わなくてはだめですね。「今日は父の日だよ」ってね。
お父さんたちは皆さんのために、一生懸命働いてくださっている。お父さんいないと、皆さん、好きなこともできないのですよ。お母さんは皆さんの世話をしてくださる。お父さんは一生懸命外で働いてくださって、皆さんのために働いて、皆さんのしたいことをさせてもらえる。お洋服も今日もみなさん、素敵なのを着せてもらいおいしい物を食べさせてもらえる、お父さんのお陰ですからね。
先生もこの間群馬へ行ったら田植えしていました。昨日テレビで、小学生がかすりで菅笠して、男の子は白装束を着て、そこで田植え祭、毎年それを行事にしてやっているんですって。ずっと昔ながらにやっているところもあるんだなと思ってね。でも、天皇陛下も必ずお田植え祭をなさるのですね。それは天照大神様が日本の国を治めなさいって、邇邇芸命の命様が天降ってこられるときに稲穂を下さった。ですから代々の天皇陛下が稲穂を大事にして、梅雨のころに陛下も田んぼに入って田植えをなさるんですね。そのお田植え祭をなさって、とれた御米はどうするかと言うと、天照大神様に最初に捧げる。新嘗祭まで新米は食べないで、新嘗祭のときに、天照大神様にお供えして初めて自分も食べられるのですね。そういう日本の伝統文化、しっかりと覚えていていただきたいと思います。
先生も知っていてもやっぱり、新米は九月にいただいてしまって、陛下に申し訳ないなと思いながらいただいてしまいますけれどもね。
そんなすばらしい日本の国を皆さんしっかりと勉強していただいて、日本の国に生まれたことに誇りを持って、そしてたくさん勉強して、世界に羽ばたくようになって行っていただきたいと思いますね。皆さんの中に日本人の血が入っているのですよ。しっかりと日本人の誇りを持って、たくさん勉強して立派な人になっていただきたいと思います。
今日は後で、山本先生がご指導くださって、お父さんへのプレゼントを作ります。先生も知らないのよ、何ができるかなと、先生楽しみにしています。心を込めて作っていただきたいと思います。先生の話はこれで終わります。

天照大神のご神勅 教育勅語 暗誦




古事記朗誦



紙芝居



季節の歌

工作〜お父さんへのプレゼント





和歌

ちちのひのプレゼントにおとうさんのかおかいて
かざりつけたよたのしかった
             幼児女子
だいすきなおとうさんにおとうさんのかおかいて
おねえちゃんときょうそうした
            幼児女子
お父さんにカード入れ作ったよ
かんしゃの思いでよろこぶかな
            4年生女子
工作で父忘れた父の日に
子の感謝形で受ける  
            保護者
梅雨来りて苗植え揃う水の田を
親鴨追いて泳ぐ子鴨ら
           成瀬講師
寺子屋のチラシ配りて汗をかく
元気な子供らたくさん集え
           實吉講師

終礼歌 


やさしいお母さん ひかり




人として行うべき15の心 朗誦

本日の寺子屋 平成25年5月18


朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読




塾長の話


皆さん、おはようございます。今日はとてもさわやかで、暑くもなく寒くもなく、いい感じになりましたね。連休が終わって、皆さん元の生活に戻って、がんばっていますか。学校生活楽しんでいますか。この間先生ね新聞読んでいましたらびっくりしたことがありました。日本は、正直、勤勉、勤勉ってわかる?働くこと.皆さんは勉強すること。礼節、この三つを日本人というのはとても大切にしたんですね。いまもそうですけれども、皆さんの遺伝子の中に、正直に生きること、一生懸命勉強すること、働くこと、そして礼儀正しいこと、いまも礼法、お辞儀の仕方って習ったでしょう。いつも目上の人を尊び仲良くする。そして礼儀正しいこと。とてもきれいなお辞儀をする。そしていつも親や目上の人と尊び、仲良くする、そういう礼儀、礼節と言うのをとても大切にしてきたんですね。それで今日は、その中の勤勉。人間ってそんなことできるのかと思ったのですけれども、昔の人は、遊ぶときはしっかり遊ぶけれども、お勉強するときには、本当にお勉強するのね。
福澤諭吉って人を知っていますか。知らないね。皆さん。先生たちはよく知っている方ですけれども、すごい偉い人なの、慶応義塾を、学校を建てられた人なんです。江戸時代のおしまいの頃、幕末と言いますが、緒方洪庵先生の適塾というのがあって、そこで偉い人がいっぱい誕生したの。その中の一人が福澤諭吉と言う方なのですけれども、その方は、すばらしい言葉とか残されているのですけれども、その方はどうやって勉強したと思いますか。お勉強している学生のとき、その敵塾で、一度もお布団を敷いて、枕をして寝たことがないんだって。どうやってしていたと思う?布団の中で寝ないんだって。どうやって寝たかと言うと、本をたくさん積み上げて、ずっと本ばかり読むんだって。お勉強しようと思ったら、ずーっと本を読むんだって。本を読む人はいろいろな体験を、実体験を自分の中に取り入れることが出来るのね。本を読んで、疲れるでしょう、そうしたらこうやって寝るんだって。うつぶせになって寝る。そして目が覚めたら、又こうやって本を読むんですって。だからお布団に入って寝たことがないんだって。
それだけ勉強して、外国に行って、外国の人たちもじっと学んで、それだけたくさんのことを勉強しているから、外国に行っても、白人の人に引けを取らない。すごいでしょう。皆昔の人はそうやって勉強したの。だから立派な人になってね。それだけ勉強したら、出来ないことはひとつもないと思う。先生。
皆、夜何時間寝てる?先生も知っている人がいるんだけれどもね。受験でどうしてもそこに入りたいときに、二時間しか三時間しか寝ないでお勉強してね、それで東大に入った人知っているのですけれども、その人は、親が「もう止めてくれ」って言ったんですって。もう東大なんか入らなくてもいいから止めてくれって。でもその人はどうしても東大に入りたいからそうやって勉強して入ったのだけれども、そんなに勉強したら体を壊すんじゃないかって。
でもね、昔の人は勉強して体を壊すと言うことを考えたことがない。勉強しすぎて体を壊すと思って心配したり怖がったりすると、そういうふうに体が壊れちゃうのね、勉強すれば勉強するほど、丈夫になると思って勉強しないといけないの。夜寝なくても人間は大丈夫だと。物凄い力があるから、夜寝ないで勉強したら丈夫な体になると思って勉強しないといけないの。
昔の人は勉強がしたくて、したくて、したくてするから、つまらないなあ、いやだなあって、させられたら病気になると思うのよ。でもお勉強したくて、したくて仕方がなくて勉強しているから、どんなに勉強しても体を壊すということはないわけ。福澤諭吉さんは長生きしました。皆さん、どんなに勉強しても、勉強し過ぎて体を壊すということはありません。だから一生懸命に好きなことを勉強して、そしていやなことも、本なんかたくさん読むことが大事ですね。
先生も一生懸命、本を読むようにしているんですけれども、本を読むといつの間にか、朝になったりすることもありますけれども。昔の人はなんていったかと言うと、「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言ったの。出来るだけ小さいときに、一生懸命にいろいろなことを身につけると、大きくなってから楽なんですね。
いま皆さんは、たくさんいろいろなことを、さくやちゃんとか、えなちゃんのほうが一番強いと思いますよ。お父さんお母さんが、えなちゃんや、さくやちゃんぐらい動いたらまいっちゃうの。一番強いときだから、いろいろなことに挑戦してがんばって、御本もたくさん読んでもらいたいと思いますね。
「艱難汝を玉にす」というの。いろいろな苦労、大変なことを一生懸命にやって、それを乗り越えると、そうするすごい事になるよって。玉と言うのは宝物ということね。そうやって昔のお父さん、お母さんは子供を励ましたの。先生もよくお母さんに言われました。苦労は買ってでもしろって。昔のお父さん、お母さんは子供を励ましたの。
ですから皆さんも、今日は後で書道をやります。いい字を元気よく、立派な書をたくさん書いてください。 


天照大神のご神勅 教育勅語 暗誦







古事記朗誦







紙芝居(黄泉の国)









季節の歌







書道の時間









和歌の時間



しょどうでかくのがむつかしかった
おしえてもらってじょうずにかけた
         幼児 女子
ふででかいたいしとかいたよふでをてで
まっすぐもったらじょうずにかけた
        幼児 女子
今日はしょどうをしたいつもより
上手に書けたつぎもがんばる
学校で国語のテスト一〇〇点とった
べんきょうして頭よくする
ねないでふくざわゆきちは本を読み
学校作った私もみならう
        4年 女子

終礼歌 


やさしいお母さん ひかり



人として行うべき15の心 朗誦


本日の寺子屋 平成25年5月11


朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話



 みなさん、おはようございます。ゴールデンウィークはどこかへ遊びに行きましたか。
 五月五日は昔、男の子の節句だったの。カブトを飾ってね、日本の国を守ってくれるすばらしい男の子が生まれた。自分の家の跡継ぎができたと言って大喜びして男の子のお祭を、生まれて最初の五月五日に、カブトとか飾って大喜びしたのね。よい子で立派に育って、そして鯉のぼり立てるでしょう。何で鯉のぼり立てると思う?鯉は滝を登るわけね。百尺ぐらい、百尺と言ったらね、百メートルぐらい?百瀬の滝を登るのね、鯉のぼりの歌にあるのね。百瀬の滝を登ると龍になるというの。だから鯉を出世魚というのね。とても大事にした。だから鯉のぼりを立てて男の子が出世して立派になって、日本の国を守ってねという意味が込められている鯉のぼりを立てるのですね。三月三日が女の子のお祭で、やさしくて素直で、みんなから慕われるすばらしい女性になってくださいという意味で三月三日があるんですね。ところがいまは三月三日は小さくなってしまって、いまでも大切にするうちはあるけれども、学校なんかではこどもの日だけを、男の子も女の子も一緒になってこどもの日といってお祝いしましょうということになっています。
 どうしてこどもの日はあるかというと、お父さん、お母さんがあなたたちが生まれてきてくれたことを喜んで、よい子で立派になってという思いを持ってお祝いしてくれるのですね。
 お父さん、お母さんはあなたたちが生まれてくれて感謝しているのね。とても大切に思っていてくださるのね。だけどときどき、厳しいことも言われる。それは何で厳しいことを言われるかというと、立派な人になってほしい。すばらしい人になってほしい。世の中の役に立つ人になってほしいという願いが込められているから、甘いばかりではなくて、皆さんお父さん、お母さんに生んでいただいて、慈しんでいただいて、育ててもらうわけ。一人では生きていかれないのよ。そうでしょう。そうやって育てていただくんだから、お父さん、お母さんのことを尊敬して、お父さん、お母さんの言われることを守ることが大事なのです。言われることを素直にハイと聞くと、よい子になって立派になって、すばらしい人になるわけね。いやだよとか、そんなの無理、とか言ってお父さんお母さんに反発していると、すばらしい人になれないのよ。
 だから、お父さんお母さんの言われることは、尊敬して、いつもハイって、その通りにしようと思うことが大事ですね。無理とか無茶はお父さんお母さんはおっしゃらない。皆さんのことを思って言ってくださるわけだから、おっしゃることをね。それで、きょうは、後で山本先生が後で遅れてきますけれども、お母さんへのプレゼントを今日は作ります。心を込めて、感謝を込めて作りましょう。
 あやのちゃん、いい?皆さんは一番お父さん、お母さんに感謝することはどういうことだと思いますか。お父さん、お母さん、ありがとうって言うことも大切だけれども、お父さんお母さんが喜ばれることをすることが一番感謝を表すことになるのよ。そうしたら、一生懸命勉強して、お手伝いもしっかりして、言われることはしっかりと守って、行じると、それが感謝を現すことなの。お父さん、お母さんに喜んでもらいましょうと思って、いつもがんばりましょう。



次に五月はとても大切な日があるの。去年もお話ししたと思うんだけれど、五月二十七日、何の日?海軍記念日と言うの。日本人はこの日は絶対に忘れてはいけない日なの。なぜかと言うと、日本が植民地になりそうだったのね。ロシアが攻めてきて、韓国に攻めてきて、満州を取って、今度は日本を植民地にしようと思っていたの。日本の明治の人たちは、そんなことをされてたまるかというので、大きな国、ロシアはいまも大きいけれども、本当に大きいわけよね。その大きな国で、海軍も陸軍も、すごい人数もだけれども、世界一ぐらいの部隊だったわけね。そのロシアと日本はまだ小さな国で、軍艦も少ない、ロシアの半分しかなかったの。その中で戦争して、植民地になりたくない、ロシアの言うとおりになるのはいやだと、バルチック艦隊を三笠という軍艦が向こうのすごい軍艦をやっつけちゃったわけね。この前みんなで見に行ったんだけれど、その三笠をね。その軍艦が向こうのすごい軍艦をやっつけてしまったわけね。それで日本は植民地にならないですんだわけです。
そして陸軍のほうも、乃木大将ががんばって、二百三高地を落として、世界中の人が驚いてしまったわけ。あの小さな国日本が、あの大国のロシアと戦争して負けるに違いないと思っていた。日本はロシアの植民地になると思っていた。ところが勝ってね。世界中の人がびっくりしたわけ。そしてアジアの人たちなんか、インドの人たちなんかかわいそうだったのよ。イギリスの植民地だったの。そして奴隷のように使われたんです。イギリスの人たちによって辛い、辛い思いをしていたの。だからインドのネール首相は、日本が勝ったときに大喜びしてしまったの。アジアの国が大国の白人の国を滅ぼしたと言うので大喜びしたのね。そして、自分たちも独立できるのじゃないかと希望を持ったの。どこの国も植民地にされたんだから、日本とタイ、二つだけしか植民地ではなかったの。後の国は全部植民地になっていたのね。そのアジアの人たちが皆、日本のように、自分たちも独立しようって、勇気を与えられたの。今でもインドネシアとか、インドとか、いろいろな国が、隣の韓国と中国だけが悪口を言っているけれども、でも他の国は皆日本の国に感謝しているんですね。
そのロシアに勝った日、海軍が大きな国の海軍を滅ぼした、それが五月の二十七日です。だから五月二十七日を忘れてはいけないのです。皆さんの頭の中にしっかりと入れておいてほしいのです。日本の国、こうして残って、日本がいまこうして自由でしかもまだまだ悲しんでいる国がたくさんある中で、こんなに自由にすばらしい日本の国にいられるのは、明治の人たちががんばって、戦って、勝ったお陰なの。だから五月二十七日がなかったら、今日本の国は中国のチベットみたいになってつらい思いをしているかもしれない。だから、学校で教わらないかもしれないけれども、皆さんは五月二十七日をしっかり覚えていて、明治の人たちに感謝しましょう。日本を救った人たちだからね。


天照大神のご神勅 教育勅語 暗誦


古事記朗誦




紙芝居(天地のはじめ)









季節の歌(茶摘み・金剛石)







お母さんへのプレゼント







母の日に因んで、お母さんへのプレゼント作りをしました。
どうでしょうか、みんな素敵に出来ました。出来上がったプレゼントにメッセージを添えてお母さんへ!!



和歌の時間


終礼歌 


やさしいお母さん ひかり



人として行うべき15の心 朗誦






本日の寺子屋 平成25年4月20

朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話





 皆さん進級おめでとうございます。今年も一生懸命勉強してすばらしい日本人になりましょう。今日初めていらしたルカさんは、六年生だって。一年間ここで勉強したことが、きっと世の中の役に立つと信じています。ここでは日本の大事な伝統行事を習ったり、書道をしたり和歌をつくったり。そうやって感性を育てています。人間が一番大事なのは感性なのですね。勉強したらドンドン頭はよくなりますね。知識は身につきます。しかし感性は、すぐにつくものではありませんね。小さい頃から見たり聞いたり感じたり、そうやって感性というものは長年かかって育つものですね。感性が育っていると、いろいろなところで役に立つのです。こちらは学校では教わらないことをたくさん勉強して、日本の事を勉強して、感性を育てる教室になっています。
 早速ですが、四月の二十八日は何の日かわかるかな。これはお母さんたちもわからないね。四月の二十八日は、日本が主権国家になった日なのです。日本は今から六十八年前に戦争して負けたのです。もう六十八年になってしまったのですね。それでもいまでも日本は占領軍に占領されたままのようなところもあるんですね。だからこれを、安倍総理が一生懸命変えようとしていますけれども。日本はずっと負けたことがないのに、負けてしまったの。そしてアメリカの占領軍が二十年の八月に来て、七年間。昭和二十七年四月二十八日に、日本の国が主権国家に戻ったわけなのですね。それまでは占領されていましたから、アメリカの言うとおりになっていたの。ようやく日本の国が日本の国の思うようにしていいですよと、日本の国らしくなったのですが、七年間も教育されたことがそのまま続いている場面もあって、今日は、日本であって日本でないところがたくさんあるのですね。ここは本当に日本の事をお勉強してもらうという教室をいまつくって、皆さんに日本の事をよく知って貰いたいと思っているとわけなのですね。



二十九日は何の日かな。これはわかるわね。昭和の日ですね。昭和天皇陛下がお生まれになった日。お誕生日。昭和天皇陛下は本当に立派な国を救ってくれたのね。日本が昭和十六年に戦争をして、最初は勝っていたんだけれども、ドンドン負けてきて、国が焦土に、焼け野原になりそうになったの。全部焼け野原。いま東北地方が地震であんなになっているでしょう。あんなものじゃなかったの。日本中都会は全部焼けてね。先生は愛媛県の宇和島と言うところからちょっと入ったところだから、先生の田舎の、田舎のほうは大丈夫だったんだけれど、でも宇和島は焼けてね。先生なんかびっくりして、市内が焼けるのを見ていましたけれどね。丁度そのとき来ていた先生のお母さんのお姉さんは、腰抜かしてしまったの。そのぐらい大変だったのね。

昭和天皇陛下が、こんなことをしていたら日本の国は潰れてしまうというので、自分の身はどうなってもいい、何とかして国の戦争を止めなければいけないという、そういうお気持ちでね、それでもその当時と日本人の軍人さんは強いから、止めてたまるかと言うすごい勢いだったのですけれども、自分の身を犠牲にして天皇陛下は戦争を止められたのですね。
そしてマッカーサー元帥と言うアメリカの軍人さんが来たのね。そのときに昭和天皇陛下はマッカーサー元帥の所に行って、「戦争の責任は全部自分にあります、自分の身はどうなってもよい、どうぞ国民を救ってください」と言って頼まれたのね。そのお陰で日本はアメリカから物資が届いたりして、国が守られたのですね。
そしてよその国の王様は戦争に負けたら、どこかに逃げちゃうの。そうでなければ、勝ったところの大将のところにいって、「助けてください、私は関係ありません」と言う王様が多い。ところが天皇陛下はマッカーサーに「自分は処刑されてもいい、国民には誰一人責任はありません、助けてください」と頼んだ。それでマッカーサー元帥はびっくりしちゃったの。自分を処刑してくれ、その代わり国民を助けてくれと言われたのでマッカーサー元帥はびっくりしちゃったのね。それでもずっとそのことを、国民に知らされなかった。それでついにマッカーサー元帥のほうから、そのときの会談は黙ってだれにも言わないことにしましょうと約束していたから、ずっと陛下はおっしゃらなかった。ところが、マッカーサー元帥のほうがもう言わずにいられなくなっちゃった。それでそのことを話されて、世界中に昭和天皇陛下のすばらしい無私の心のご人徳が世界中に知られてしまった。だからいま、世界中の人が、日本に来るときには、日本の国の天皇陛下は人徳のあるすばらしい人だというので、みな憧れて、尊敬と慕わしい気持ちを持ってこられるのですね。だから外国の偉い人たちは、元首の人たちはみな天皇陛下に会われることを一番の楽しみにしてこられるの。そのくらい日本の天皇陛下はすばらしい。特に昭和天皇陛下はご苦労なさって日本の国を守られた尊いお方なのです。そのことを私たちは忘れないで、昭和の日を迎えたいと思うのですね。
昭和天皇陛下の御製を、戦争のときの御製を紹介します。
“爆撃に倒れ行く民の上思い いくさ止めけり身はいかならむとも”
ものすごいご決意で戦争を止められたんですね。その戦争を止められたことがなかったら、今日本の国は本当になかったかもしれない。
“身はいかになるとも戦とどめけり ただ倒れ行く民を思いて”
本当にありがたいですね。
“国柄をただ守らんと茨道 進み行くとも戦止めけり”
もう必死の思いだったのですね。御製がこんなに、国民を思う気持ちが込められて作られているんですね。
“外国と離れ小島に残る民の 上安かれとただ祈るなり”
日本は満州とかいろいろな国に国民が移住していたんですね。その人たちが、戦争が終わって日本に帰る,すぐには帰れない、だから早く国民の皆さんは早く帰ってこられるように、元気でいられますようにと、思っている歌なんですね。

戦争が終わって、みなしょげてるわけよ。食べるものもなくて、先生たちの子供のころは芋のつるとか、そういうのを食べた。おなかがすいて、ご飯なんかめったに食べられなかったのね。お芋とかかぼちゃ、先生ぐらいの人が皆かぼちゃを食べると、そのときのことを思うからかぼちゃは食べたくないという人がいたりするくらい、本当に毎日毎日かぼちゃばかり食べていたり、お庭でかぼちゃを作ってね。そういう時代があったんですね。そのときに昭和天皇は、何とかして国民を励ましたい、国民に元気にやってほしいというお気持ちを持って、ご巡錫っていってね、あちこちに回って皆さんを励まされた。そのときのお歌が次のお歌です。
“戦いの災い受けし国民を 思う心に出で立ちてきぬ”
何とかして元気になってほしいという陛下のお気持ちですね。次は
“災いを忘れては吾を出迎うる 民の心を嬉とぞ思う”
共産党の人たちは、陛下の行く先に行って、陛下を妨害しようと思って出かけるの。ところが陛下は本当に心が温かくて、国民の為を思う心でいっぱいに満ち溢れているから、それで陛下に石をぶつけたり何だりして陛下を妨害しようと思って待ち構えているんだけど、陛下が五メートルほど先に来ると、みな共産党の人たちも涙を流して拝んだそうですよ。そのくらい尊いお方の前に行くと、涙が出て来るのですね。先生も皇居のお掃除に行ったことがあるのですけれど、そのときに陛下が出られた。いまの陛下ですけれども、本当に涙がぽろぽろ出ちゃったのね。不思議なんですね。
だからこれは、みな戦争で何もかもなくなって苦しんでいるのに、それでも迎えてくれる国民の皆さんを嬉しく思ったというお歌です。
“国を興す基と見えて生業に いそしむ民の姿たのもし”
今も東北の人たち一生懸命やっていますね、津波で海の牡蠣、全部流されて諦めていた人たちがいたんです。それで東京のほうの友達が何とかして彼を励まそうと思って、資金を集めて、海を大切にしなければいけない、諦めてはだめだと、立ち上がってくれと励まされて、そしてまた会社を起こしたんですよ。今年の暮れから年中牡蠣を食べました。たくさん牡蠣を食べるでしょう、安いし、毎週それを送ってもらって、もう牡蠣飽きちゃったという感じ。その人の応援をするために。市場に出すよりは少しは儲けになるみたいでね。いまはそれでも震災に遭わなかった方たちが被災者を助けることができますけれども、戦争の終わった当時は、みな助けてくれる人がいない。皆が貧乏だから、その中でがんばりましょうという思いがあったのは、昭和天皇の励ましのお陰だったんですね。いまも東北地方の人たちは、天皇皇后陛下がいらして励まされると、勇気凛々としてくるというのですね。
そのように日本の国は、天皇陛下を中心にして栄えた、すばらしい国ですね。そのことを思って、昭和の日には、天皇陛下に感謝の気持ちを持って過ごしましょうね。

講師挨拶

古事記朗誦

季節の歌

「こいのぼり」を歌うので、歌の前にこいのぼりを作りました。

神社参拝

年度始めの神社参拝をいたしました。

紙芝居(弟橘比売命)


神社の境内で紙芝居を聞きました。

和歌



くもさんとみどりのむしがねているね
はっぱをとっておふとんにしよう
じんじゃにはっぱがあったねおててを
あらってちょっとおくちにつけた
          幼児女子
寺子屋で教育ちょくごやったよ
楽しかった今年も寺子屋がんばる
寺子屋で前川神社(じんじゃ)に行ったよ参拝し
紙芝居見た今年もがんばる
          4年男子
新年度年度変われど寺子屋へ
かわらぬ学びや娘とともに
          保護者
1年の時の速さを感じつつ
無患子の気を再び拝す
吾子もまた1年を経て頼もしく
学びを通して自信深めん
          保護者


日の本の真実(まこと)の姿現わさむと
寺子屋の児童(こら)と参りし産土の神
          成瀬講師
宮参りに来し方らに気遣いて
神前離れ終礼行う
行事終え子ら一斉に無患子を
みつけんとて神庭かけまわる
無患子をやっと見つけて握りしめ
お守りにすると得意げな子ら
          坪田塾長

本日の寺子屋 平成25年3月16

(24年度修了式)
朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話

皆さんおはようございます。寺子屋も今日で、二十四年度は終了です。来年度はいっぱいお友達が増えるようにと、先生たち会議しておりました。レナちゃんも今度は一つ学年が上になって、年長さんになるのかな。年中さんね。それでおねえちゃんは今度四年生になりますね。一歩一歩皆さんは成長していくのですね。先生なんかも一生勉強だと思っていますけれどもね。

このごろ先生、いろんな国のことを調べていると、日本は一番幸せだなと思うの。日本の子供たちが一番幸せだと思うのです。いま、外国では学校に行きたくても行けない人がいっぱいいるのですね。

チベットで、可愛いお顔して日本人そっくりでしょう。これはチベットの声楽家で、バイマー・ヤンジンさんという人。この人は、お父さんもお母さんも,皆字が読めないんだって。チベットはいま大変なの。お坊さんが中国の政府に抵抗して、自殺をしたりして大変な国なのですけれども、そのバイバー・ヤンジーさんという人は、遊牧民と言ってチベットの人は移動するのだけれども、そして土地がとても大切なのに、土地を三分の二取られてしまうの。ほんのちょっとしかなくなって、そこでウシや馬を育てるみたい。お仕事で育てているのですけれども、お父さんもお母さんもくやしくて泣いちゃって、字が読めないためにこんな広い土地を皆取られてしまったって。それで、字が読めないから、契約書に印鑑を押してしまったわけ。それで、兄さんが、自分が犠牲になるからと、バイマー・ヤンジンさんと妹と弟は勉強させてもらったの。遠くまで行って、宿舎に入って、それでどうやって勉強したかというと、宿舎は九時になったら消灯、電気が勿体ないと消えてしまう。だけどトイレにだけは電気がついているのね。そうするとこの人はトイレに入って、三時四時まで勉強したの。

冬は手がかじかんで、寒くて鉛筆持って書けないくらいなんだって。夏は今度は臭くて臭くて。トイレの中だから。日本は流してしまうけれども、そんなところはないから、臭くて鼻が曲がりそうになるんだって。それでも我慢してお勉強して、中国の四川省の大学に入ったの。大学でも一生懸命勉強して、そして学校の先生になったのね。大学の講師になったの。偉いね。だから、そうやって、遠くの外国の人たちは一生懸命勉強して、そしてその大学で、日本から行っている青年と親しくなって、そして結婚して平成六年、今から六年前に日本に来るの。日本の国に来て、丁度桜が咲き始めたけれども、びっくりしたんだって。大きな桜の木の下で見上げたら桜の花が美しくて、青空の中に桜が輝いていてね、こんな美しい国があるんだと思って、びっくりしちゃったんだって。

皆桜の花と言っても,「あ、桜の花が咲いたわね、」とそんなに感激しないけれども、ああきれいね、とは言うけれどね。その頃チベットから来た人は驚いて、そして「ああ、ここは天国だわ」と思ったんだって。そして結婚したときに、日本の女性は威張っているけれども、この人は結婚して、相手の日本人の主人に、尽くそうと思って、いろんなことをしてあげようと思って来たんだって。チベットは未だに、何と朝起きると、燃料になる牛の糞を拾ってくるんだって。そして水汲みから始まる。そしてお洗濯も手よね。手で洗濯して、ウシがいっぱいいるので牛乳を搾って、朝ごはん作るのにもう大忙し。大変なんだって。日本の国はどんな国かわからなかったけれども、夫のために一生懸命働いて、夫のために尽くそうと思ってやってきたんだって。そうしたら、スーパーに行ったらいろいろなものが年中ある。そして電気は指一つで全部生活が出来る。そうでしょう。寒かったらちょっと押せばすぐあったかくなるでしょう。もうびっくりしちゃったんだって。そして、日本の国は天国だ。こんな天国の生活があるのかと感動したんだって。そして、一生懸命働いて、この日本の国と同じ人間なのに、どうしてチベットの国と違うのだろうと考えた。一生懸命日本を研究したら、日本は、大昔からずっと寺子屋があって、皆が大昔から勉強をしていた。ずっと皆全員が学校へ行っている。チベットは学校に行っている人が少ししかいないんだって。それで、勉強のせいだ、学問のせいだ、学校のせいだと思ったんだって。それでこの人は、一生懸命働いて、今チベットに十個も学校を作ったんだって。偉いね。

チベットの人のために一生懸命働いて、仕送りして学校を建てているの。そんな人がいるのよ。いろんな国でこうやって自分の国のために、がんばって尽くしている人がいるのね。そのことを先生はお話しして、皆さんも一生懸命、又一つ上の暮らしに行くのだからがんばってほしいですね。そして、アヤちゃんとレナちゃんは、お父さんとお母さんのお陰で学校に行くだけじゃなくて、こうやって、寺子屋まで来てお勉強できるのね。しかも遠いところから、お父さん、お母さんが連れてきてくれなかったら、来られないものね。お父さん、お母さんが一生懸命勉強してもらいたいと思って、こうして寺子屋に来られることを、レナちゃんもアヤちゃんも、お父さんお母さんに感謝して、寺子屋で、学校と違った勉強があるから、ここでも一生懸命勉強して、将来、お母さんの和歌で、先生感動しちゃったの。

「将来の夢は 娘と一緒に国を支える仕事がしたい」アヤちゃんとレナちゃんと一緒に、国を支える仕事がしたいと思っているんだなと思って、嬉しくて感動しちゃったの。お母さんと一緒に国のために役立つすばらしいお仕事ができるように。アヤちゃんは看護婦さんでしょう。自分の夢がかなえられるように、お母さんの夢がかなえられるように、しっかりお勉強してもらいたいと思います。

ますます来年も、皆勤賞がもらえるようにがんばってほしいな。今年はリョウ君だけだったの。遠いけれども皆勤賞がもらえるように、来てください。大勢友達が出来るように、ここがいっぱいになるように宣伝しようと思いますので宜しくお願いいたします。


賛嘆賞授与

修了式には毎年、皆勤賞、精勤賞、賛嘆賞が授与されます。

賛嘆賞は、それぞれの生徒達の良い所を見出し賞します。

季節の歌

さくら さくら


やよいの空は 見わたす限り

かすみか雲か 匂いぞ出ずる

いざやいざや 見にゆかん


蛍の光


蛍の光 窓の雪

書読む月日 重ねつつ

いつしか年も すぎの戸を

開けてぞ今朝は 別れゆく
とまるも行くも 限りとて

互みに思う 千万の

心のはしを ひとことに

幸くとばかり 歌うなり
筑紫のきわみ 陸の奥

海山遠く へだつとも

その真心は へだてなく

ひとえに尽くせ 国のため
千島の奥も 沖縄も

八洲のうちの まもりなり

いたらん国に いさおしく

つとめよわがせ つつがなく

ホタルの光の歌詞はいいですねぇ!「千島の奥も沖縄も 八州のうちの〜」とある通り、千島も日本でなんですよね。
現在学校では蛍の光を最後までは歌いませんね。。。。

俳句カルタ

感想文朗読


一年間を振り返っての感想文を発表いたしました。

終礼歌 

やさしいお母さん ひかり

人として行うべき15の心 朗誦


次回は、始業式です。神社へお参りをいたします。


本日の寺子屋 平成25年3月2

朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話



おはようございます。
 日本の国は五つの五大節句というのがあるね。一月一日お正月ね。重なる月を縁起のよい日としているのね。三月三日はおひな祭り、その次は五月五日は子供の日、男の子のお節句ね。七月七日は何。七夕様、あーっと思い出した。次は重なる日、九月の九日は、これは菊の節句と言って、重陽の節句というの。それだけ五つの節句が日本では大事にされているのですね。昔は五つの節句をきちんと守ってお祭をしたものなのですね。


で、三月三日はおひな祭りです。三月三日は、日本は農耕民族だから、農業が始まって、女の人は特に日本人は働き者で大変なわけよ、家事をして野良仕事をして、昔の人はね。それで体を整える為にいろいろな、体によいものをいただいて、体を整えて、休ませて、次の農業の仕事にがんばれるようにしたんですね。それが花祭りのときの意義なのですね。菱餅ってあるでしょう、お供えのときに、菱餅、三段重ねて、白とグリーンと赤の三つ重ねたの、供えるでしょう。
 お米で、お餅になっていないのですよ、いまは。お餅のもあるんです。あれはグリーンのは蓬が入っているのですね。これは増血剤になるんですって。その次の赤いのはクチナシ、そんなに真っ赤にはならないのだけれどね。これは解毒剤になるのですって。昔日本の国は、今は西洋のお薬で丸めたり何だりしているけれども、日本人は昔は薬草をこうやって、つぶして煎じて、病気になると体によい薬草を飲んだので体をいやしたのですね。
 そしてヒシの実、先生見たことがないんだけれど、ヒシの実これは白い。それは血圧を下げるのだって。いまでも漢方薬のほうにそれが入っているんじゃないですかね。そうやって、お餅の中に薬草を入れて、そしてそれをいただいて体を作って、次に働くのに備えたわけなのですね。それでお節句のときは、皆それぞれ意味があるのですね。
 五月のお節句のときは、菖蒲湯に入ったりするでしょう。あれも全部厄払いという意味があるのですね。そして立春は何日でしたか。節分はいつ。二月。冬から春になる分かれ目のところで節分というのですが、二月三日、節分の次の日が立春なのですね。節分になってから、ずっと寒かったね。ようやく暖かくなってきましたね。
 立春は雪が解けて、今年は東北のほうも雪がすごかったですね。その雪が解けたら「雨水」といいますね。それから今度は、啓蟄。立春を過ぎると、雨水を経て、啓蟄になってその次が、今度は春分の日ですね。すばらしいでしょう。日本の国はそうやって、皆さんに希望とかいろいろを持たせるのね。啓蟄というのは、今まで冬篭りしていた虫が、出て来るという意味です、春になると虫も出てきて、皆がだんだんと暖かくなってよかったねと喜ぶ。そういうふうになって春分、春分は何日ですか。三月二十日ですね。昔の人は「寒さ暑さも彼岸まで」といって、秋分の日というのは九月の二十三日ですね。その日はだんだんと、暑い暑い夏から秋になるという、そうやってお彼岸から季節がすっかり変わっていくということになってね。特に東北の人は待ちかねるわけですね。
 日本はこうやって、季節があるから、体が丈夫なの。よその国の人より。それから精神も強いわけね。なぜかというと、今朝見たらテレビで八十八歳の人が雪でおうちが潰れてしまったんだって。それでも死なないですんだ。怪我もしてなかったみたいですね。運がよかったね。そのぐらい今年は雪がいっぱい積もって、八十八歳だから雪下ろしも出来ないから、家が潰れてしまったんだって。特に今年は雪が多かったみたいですね。
日本はそのように、四季がありますね。今年は先生たちも大変だった。寒くて、震えに震えたネ。加納先生と出かけたときなんかは、すごく寒かった。沖縄はそうでもないかもしれないけれども、寒い寒い冬があって、春を待ちかねて、暖かくなって、季節がよくなってよかったねと。今度間もなく、そうすると夏が来る。去年の夏も暑かったね。そして今度は秋になって、涼しくなってよかったなと思ったら、寒い寒い冬がやってくるね。その四季があるために、日本人はそれに対応するようになっていくの。だから丈夫なわけですね。
これが外国は、ハワイなんて、先生ハワイは行ったことがあるけれども、冬に行ったんだけれども年中夏なわけです。二十度とか三十度の。ニュージーランド、先生行きました。冬に行ったのですけれども、年中ニュージーランドという国はいつも春なの。暑くても二十四度ぐらいなのね。いつも大体十五度から二十二度ぐらいなの。だから皆冬を知らないわけね。雪が積もるのよ、ニュージーランドという国は面白くて、山の上は雪があって氷河まである。だけど下は一年中青々しているわけ。日本は枯葉が落ちちゃうでしょう。全然落ちないでいつも青々している。だから体がずっと同じようで行くから、体もニュージーランドの人が日本の寒い寒い冬に来たら、すぐ体が参ってしまうわけですね。そして、そういうふうに、暑い夏があったり、寒い冬があって、特に東北の人たちは我慢強いんですよ。じっとこらえて春を待つ。だから体もそうやって強くなるし、心も強くなりますね。こういう国に生まれたことを楽しんで、そして我慢強く、いやなときも常に我慢強く生きることが大事なのですね。
それだけじゃなくて、昔の人は年中、先生のおばあさんは生きていたら百五十歳ぐらいになる。九十二歳で亡くなったのですが、年中、先生のお母さんは婦人会の仕事があったり年中留守なわけ。だからおばあさんがいつも一緒だった。おばあちゃんの手伝いをしたり。おばあちゃんはいつも、先生がお行儀が悪いことをするとすぐ注意する。たとえば、おばあちゃんはお芋から飴を作るの。そうすると、指突っ込んでこうやって。そうするとおばあちゃんが、「陽子ちゃん、そういうことをしてはいけません」と。昔の人は、お天道様が見てござるというわけ。そのときにそういうふうに行儀悪くしたり、つまみ食いをすると、おばあさんが、「特に女の人はそういうことをしては、どこで神様だけでなく、お天道様だけじゃなく、どこで貴女の姿を見ているかわかりませんよ」って言うの。そしてこういうお話をしてくれるの、あるときお殿様が狩りに出かけて、山奥の小さな小屋があったので、そこで一休みしようと思って行ったんですって。そうしたらお母さんと若い二十歳ぐらいの女の人二人がお料理をしていた。二人で話しながらね。ひょっと見てお母さんが、席を外してそのお嬢さん一人がお母さんに言われたように料理を作っていたんですって。そうしたら味を見ようとするときに、だれもいないから掬って食べても可笑しくないでしょう。それをちゃんと、お皿を持ってきて、それに移して品よく、お行儀よくして飲んでいるのをお殿様が隙間から見ていらした。そしてこんな山奥で、しかも誰も見ていない、その中でありながら、なんて美しい品のある所作だろうって感動したんですって。それでそこにちょっと休ませてくださいと入って、その場でお嫁さんに来てくださいって申し込んだんですって。そういう話をおばあさんがするわけよ。だからいつどこにいても、特に女の子は美しく、いついかなるときも、人が見ていないときも、どこでどのように見られているかもしれないから、美しく生きなさいとよく言われた、悪いこと、みっともないことはしてはいけません。お父さん、お母さんだけじゃなくて、ご先祖様の恥になりますと。だからいつもきちんとして、だれに見られても恥ずかしくないように生きてくださいってね、おばあさんは長々と教えてくれました。
子供のときはすぐ忘れます。忘れると又お行儀悪くなる、そうするとおばあちゃんがまた、今の同じ話を「陽子さん」と言うと始まって同じ話をされたわけ。そうやって先生たちは育ったんですね。



天照大神のご神勅暗誦


教育勅語暗誦

古事記朗誦


紙芝居 うみさち やまさち

季節の歌


ひな祭り


どこかで春が


う前に、いつも歌に関する事柄を学んだり、関連するクイズをします。

想像力を磨く 

連想ゲーム
赤と言ったら「リンゴ」!
リンゴと言ったら「丸い」!
丸いと言ったら「風船」!
などと、リズムにあわせて次々と連想していくゲームです。
なかなか盛り上がりますし、即座に連想することで、頭の回転を良くし、想像力を磨きます。
そのほか、「いつどこでだれがなにをどうした」4W1Hゲームもやりました。
それぞれの項目を一人ずつ書き出します。これを組み合わせて一つの文章にします。
そうしますと、まったくへんてこな文章ができ、大笑いです。
各人がどんなことを書くかで、一生懸命、頭を働かせます。
想像もつかない、文章が出来上がる事で、驚きと発見があり、脳を活性化させます。
また、大笑いすることは脳に大変すばらしい効果を与えます。特別面白い事が無くても、常にニコニコしていると心も明るくなり、脳に良い影響を与えます。不快な事やつらい時こそ、笑顔を作る事で、その難問を打破する力やアイデアが生まれてきますよ〜。



和歌



えなとママがいっしょにねてねよるにでた
おつきsまのゆめをみんなでみたよ
えなちゃんはおねえちゃんみたいなやさしい
5さいになりたい4さいのつぎに
            幼児 女子


学校はゆめをかなえるべんきょうば
かんごふになるゆめがちかづく
こどもはねんりたいゆめを考える
おとなになってゆめがかぬかな
             3年 女子
ぼくのゆめは大人になったら電車の
運転手になりたいたいです
電車はかっこいいよ電車に
お客をのせて走るのがおもしろい
             4年 男子
将来の夢は娘等と一緒に
国を支える仕事がしたい
             保護者
あたたかな春のおとずれ感じつつ
我は夢見る子供の成長
            保護者
2分の一成人式で夢語る
吾子は電車の運転士になると
日の本のお役にたてる運転士に
なりたる吾子の姿を夢見る
            保護者




幼き日夢見た事は何だったか
大人になると忘れてゆくのか
日本を取り戻す為のしょほうせん
夢見る事を忘るるな
          実吉講師

終礼歌 

やさしいお母さん ひかり

人として行うべき15の心 朗誦


本日の寺子屋平成25年2月16

朝礼

国旗国歌の説明と作法


君が代斉唱


教育勅語奉読


塾長の話






みなさんおはようございます。 立春過ぎたけれど、寒いですね。先生は昨日南大沢の愛国教室に行って、小さいお子さんをお守りしたのだけれどね。男の子がいるのだけれども、先生なんか電車の音聞こえないのに、電車の音がしたらその音のほうを、幾らたっても見えないのですよ。それでもそこから動かないのね。先生驚いちゃったけれども、みんなも、興味を持ったことはとことんネ。三十分そこにじっとしていたの。それで他の保母さんが連れて行こうとするから、いいの、ずっと私が見ているから、飽きるまで見させて頂戴って、その間に車を見たりなんだりしない、電車の音がすると、「うっ」と。それは楽しかったですけれども。皆さんもいろいろな事に興味を持つのね。その子は電車が一番気になっているのですって。いろんなものに関心を持つと思うのですけれども、関心を持ったことをとことん、あきるまで見ると言う、そういう習慣をつけるといいなと思って。そういう研究心の熱心な子に育つようにってお母さんに注意しておきましたけれどもね。



二月二十二日は何の日かご存知かな。学校で教えてくれないから知らないよね。先生も時々忘れてしまうのだけれども、二月二十二日は竹島の日。二月七日は北方領土の日。このごろようやく新聞でも日本の領土のことをはっきり言うようになったけれども、今まで六十年間、日本の領土でありながら、占領されながら、そういうことをちっとも学校でも教えないし、テレビも新聞にも載らなかった。中国のお陰で、中国に尖閣諸島が奪われそうになって、やはり日本人は目覚めちゃったのですね。だから、中国のお陰で日本人が目覚めたなと言うふうに思っているのですけれどもね。
 北方領土というのは学校では……、札幌の人たちはこの間先生のところにお勉強会に来ているお母さんが言っていましたけれども、札幌では北方領土は、元々ロシアのものだから触ることはないと先生が教えるそうですよ。そんな先生もいるそうですから、とんでもないと思うのですけれども、北方領土は最初から日本の領土で、この前の戦争のときに、ロシアはずるいのね。戦争が終わってからロシアが攻めてきて、そして略奪してしまった。それで占領していまもそこにロシアは居座っている。日本人はひとがいいから、とうとう六十五年も奪われたままの領土になっていますけれども、日本の領土だから、皆さんはその覚悟で取り戻さんとしていただきたいですね。竹島は二月の二十二日が竹島の日で、今年はようやく政府が動いて、式典に出るという話を聞いて、先生は嬉しいなと思っているのですけれどもね。



そして二月の二十三日は、これもあまり騒がれないからわからないけれども、皇太子殿下のお誕生日。皇太子殿下の小さいときかわいらしかったね。いまは、愛子様のお父様。皇太子殿下もすばらしいのですよ。次の天皇陛下になられる方ね。その方のお誕生日が二月二十三日ですね。先生なんかはお祝いの気持ちを持って二十三日は迎えますね。そんなわけで二月も大切な行事がたくさん。この前は紀元節の話はしましたけれども。
 日本の誕生日だから忘れないで。二月十一日は日本の国の誕生日ですから。建国記念日と言いますね。本当は日本中の人が国旗を揚げてお祝いしたいところですけれども、先生の町内会も先生の家と、裏に一軒あって二軒しか国旗は立たないですね。そんなですね。



今日は、聖徳太子のお話をしたいと思います。今月は「観の教育」の御本に、實吉先生が書いてくださったのが載せてあります。後で読めるから、お家で読んでください。今日は、聖徳太子の子供の頃の話をしたいと思います。
 千四百年前の方ですけれども、千四百年にわたる日本の文化の基礎を確立された「十七条憲法」この前覚えたでしょう。あれを制定された方ですね。その方がお生まれになったときは、どんなだったかと言うと、屋敷に黄色い光が差し込んで、祝福されたのですって。そして生れ落ちたときに体から、かぐわしい匂いがしたというのですね。そして四ヶ月のときからお話ができたというのです。すごいね。そして二歳のとき、仏様のところに行って、南無阿弥陀仏と唱えたんですって。そして、二度拝まれたら、拝まれたそのときに、手の平にお釈迦様の仏舎利、お骨が入っていたという。すごい人ダネ。この方が天皇陛下になっていたら、日本の国は違っていたかなと思うのですが、残念ながら、早くに天皇陛下になる前に亡くなってしまうのですけれどもね。そしてなんと、三歳のときにお父様のヨウメイ天皇から、「桃の花と松の葉とどちらが好きか」と尋ねられた。そうしたら聖徳太子は「ハイ、私は松の葉が好きです」と答えられた。「どうして桃の花ではなくて、松の葉が好きなんだ」とお父様がおっしゃったら、「桃の花が咲くのはほんの一時期、それに比べると松の葉は一年中、青々としています」とお答えになったというのです。すごいね。そのくらい日本の国は松を大事にするの。松は雄々しくて、青々としていて、いつも元気を皆に与えてくれるのですね。すごい人ですね。
 そして四歳のときに、お父様が本を読んでいた。ところが兄弟たちが大騒ぎしていた、お父様が何度も「静かにしなさい」と言っても言うことを聞かないので、鞭を持って出てきたら、兄弟の皆はサッと逃げてしまった。ところがお父様の前に聖徳太子は、ぶたれるのを覚悟してひざまづいた。すると天皇陛下が「そなたはどうして逃げないのか」と聞かれた。すると聖徳太子は「地に穴を掘ってもぐることも、天にはしごをかけて上ることも出来ません。私は潔く鞭を受けるつもりです」と正直に詫びたというのですね。正直に詫びたことで天皇陛下は、「正直は何よりも優れた人として認めたい」と言ってゆるされたというのですね。
 日本の国はそうやって正直に生きることがとても大切だって言ってね、嘘つきは泥棒のはじめと言って先生なんか年中叱られました。だからウソをついてはいけない。正直に生きることがすばらしい生き方なんですよと教えられたんですね。ところが、この間宮嵜マサヒロ先生のお話を聞いたら、中国はウソをついていかなければ生きていけない国だそうです。そんな国と付き合わなければいけないから皆さん大変なのだけれども、でも、正直に生きることはとても大切なことですからね。正直に生きるようにしましょうね。
 それが日本人のすばらしいところですからね。そして聖徳太子が五歳のとき自分からお習字を習いたいと言って、ここが大事。毎日千字の漢字を覚えたと言うのです。すごいね。千字よ。先生も千字なんか書いたことないよ。そのくらい一生懸命勉強したのね。だから皆さんに崇められて、日本の国のためにすばらしいことをなされたのですね。又続きがありますけれどもね、
 だから皆さん、勉強はとても大切なの。まさくんも漢字大好きでしょう。いつもたくさん勉強してる。毎日どのくらい漢字書いている?いつも和歌のときも漢字使っているから、感心しているのよ。好きなのでしょう。五個書いているの?じゃあ、それ五十個にしない。聖徳太子は千字だから、五十個書こうよ。
 そうやって、ドンドン増やしていって、聖徳太子に負けないぐらいたくさんお勉強して、日本の国の役に立つすばらしい人になって。女だって遠慮することないのよ。才能を発揮して立派な人に。稲田朋美さんって、先生大好きなんだけれど、いま日本の国を救おうとしてがんばっている大臣がいるの。その方弁護士になってそれから代議士、議員になったの。だから目標を高くして、お国のために役に立つんだって。そういう気持ちでお勉強しましょう。
 寂聴さんて知ってる?時々テレビに出ている尼さん。その寂聴さんいま九十いくつなのね。それでも寂聴さんがお話に行くと、なんと一万人集まるのですって。いいなあと思って。先生も講演に行ったとき、一万人ぐらい集まらないかなと思うのだけれど、先生が行くところは十人とか二十人とか、三十人とか。多いときは五百人ぐらいのときもあったんだけれどと思って。聞いていてね、先生のほうがいい話、しているんだけれどなあと思って聞いていたんだけれどもね。
 それでも一つだけ、寂聴さんの十分ぐらいのお話の中でいいなと思って、先生もそうしているなと思ったことがあるのね。それはよその人のために自分の幸せを作ると言われたの。だから皆さんも自分のために生きるのじゃないのよ。誰かの為に、お父さんお母さんのために、兄弟のために、お友達のために、それからだんだん大きく広げて、国家のためにという、そういう気持ちで生きていると、自然と向こうから幸せが寄ってくるんですね。そういう気持ちで、しっかりとお勉強しましょうね。

天照大神のご神勅暗誦


教育勅語暗誦


古事記朗誦


紙芝居 コノハナサクヤヒメ

季節の歌

春よ来い



ひな祭り



金剛石


書道

和歌

あたたかいはるはいっぱいピンクいろ
あかしろのはなとってもきれい
          幼児 女子
春になるといろいろ花がさいている
もっとさいてねもっときれいに
花の色いろんな色がさいている
赤白黄色きれいな花畑
          3年 女子
春になるとパンジーが咲くパンジーは
なす色黄色なす色が好き
春になると桜の花がぱーと咲く
桜の花はピンク色だよ
          4年 男子
立春過ぎ春の字付くがまだ寒い
待ち遠しい大和の桜
          保護者
通学路に凛と咲きたる白梅に
一日の力を与えられけり
寒い中元気な姿の子供らに
春ももうすぐと白梅教えり
         保護者
最寒に凍る枝先色づきて
一輪咲くを見るは嬉しき
         成瀬講師

終礼歌 

やさしいお母さん ひかり


人として行うべき15の心 朗誦


本日の寺子屋 平成25年1月5


本日は新年最初の寺子屋です。
生徒数が少ないながらも、百人一首大会を開催し、多いに盛り上がりました!
今年は沢山のお友達が入ってくる事を期待しております。

百人一首など、当日の様子は、動画ページでご覧頂けます。

本日の寺子屋 平成24年12月23日


本日は天長節

天皇誕生日一般参賀いたしました。

参賀の様子は「動画紹介」ページをご覧下さい。

本日の寺子屋 平成24年12月1日


・国旗国歌の説明と作法
・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読

教育勅語十二の徳目


 孝行(親に孝養を尽くしましょう)
 友愛(兄弟、姉妹仲良くしましょ う)
 夫婦の和(夫婦はいつも仲むつま じくしましょう)
 朋友の信(友達は互いに信じ合っ て付き合いましょう)
 謙遜(自分の言動をつつしみましょ う)
 博愛(広く全ての人に愛の手を差 しのべましょう)
 就学修業(勉学に励み職業を習い 身をつけましょう)
 智能啓発(知識を養い才能を伸ば しましょう)
 徳器成就(人格の向上に努めま しょう)
 公益世務(人々や社会の為になる 仕事に励みましょう)
 遵法(法律や規則を守り社会の 秩序に従いましょう)
 義勇(正しい勇気をもって国のた め真心を尽くしましょう

塾長のお話

おはようございます。
 最初に十二月の行事の話をしたいと思いますね。いよいよもう一年おわりですね。何となく十二月に入ると心がせわしくなって、お掃除しなきゃ、あれもしなきゃと、十二月のことを師走と言うのね。それはなんでかと言うと、「師」ね、先生という字。これは走るという字、昔の先生はいつも落ち着いて、どっしりしていて、廊下なんか走ったりしないわけ。今の先生はお洋服もスポーツ着で授業したりしているけれども、昔の先生は絶対にそんな事はしなかったのね。きちんとしたお洋服でね。みなさん学校の先生は、いつも授業のとき、背広着ていますか。スポーツウェア?今はね。昔の先生はそんなことなかった。スポーツするときはスポーツのお洋服着たけれども、きちんとしたお洋服で授業をしていたのですね。そのくらい見識があったの。だから走ったり何かしないわけね。
 それが十二月になると忙しくなるから、先生も走ると言うので、師走という言葉に十二月はなったのですね。先生も何となく気ぜわしくて、でも今年は冷蔵庫が壊れちゃったの。三十年間使った冷蔵庫が。それでおととい入ったの。だから冷蔵庫の掃除が一つ片付いたと思ったですけれどもね。何もかも全部十二月になると、隅から隅まで全部お掃除するくせがついているから、ほんとにあわただしいのですけれどもね。でも少しずつ、このごろはさぼちゃったりして、去年なんかは障子を張り替えなかった。今年は張り替えなきゃと思っているのですけれどもね。そんなで、十二月は忙しいですけれども、風邪引かないでがんばって、しっかりと神様を迎えるために、お家のお掃除をお手伝いしてきれいにしましょうね。
 次に、十二月八日。何の日か知っていますか。これはなかなか知らないね。でもずっと前に実吉先生がお話しくださったよ。十二月八日は大東亜戦争、太平洋戦争といわれているけれどもね、正式には大東亜戦争なんだけれども、それが始まった日なの。そして十六年の十二月八日に戦争が始まって、最初は勝っていたんだけれども、だんだん物資とか、いろいろなものがなくて、昭和二十年八月十五日に敗戦になったんですね。でも、負けても日本は勝ったのですよ。だってそのために、アジアの諸国、白人の植民地だった国々が今は全部独立しちゃった。あんなにたくさん国がなかったのよ。どんどん独立しているからどんどん増えちゃって、今はいくつになりましたっけ。二百になったんですか。六十いくつぐらいしかなかった国が、何と、そんなにたくさんに独立しちゃったの。植民地だった国がドンドン独立していって、皆自由を得たり、まあ自由でない国もあるけれども、本当に幸せは自分たちの国ができたと皆さん喜んで、それは日本のお陰なんですね。
 だからわかっている国、中国、韓国は別ですけれども、アジアの国の人たちは、日本の国は難産で生んでくれたと言う国もあったりして、日本の国はとても感謝されているのです。
 次、十二月二十一日、これは何の日ですか。知っているかな。「冬至」さすがね。冬至ってどんな日かしら。地球は太陽をぐるぐる回っているでしょう。そういう関係で昼と夜の長さが違ってくるのよ。ドンドンと変わるの。それで、冬至という十二月二十一日の日は、夜が一番長い日なの。昼が一番短くて、夜が一番長い日。それからだんだんと、毎日毎日、これから夜が短くなって、そして夏至というのがあるの。そのときには昼が一番長くなるの。で、十二月の二十一日は、昼が一番短い日で、その日はどうするのでしょう。いつもやっていることがあるんじゃない。先生もかぼちゃは食べるのを忘れたりするのだけれど、柚子湯には入るんです。日本はそういう習慣なんです。
なんでかぼちゃ食べるんでしょうね。カロチンというものがあって、それが風邪にいいんでしょうね。それで柚子湯は、柚子と言うのは昔から長寿だとか、かんきつ類はとても体にいいのね。だから風邪を引かないようにと柚子湯に入るのだと思うのですけれどもね。いつも入っていますか。柚子湯に入ってる?かぼちゃも食べてる?では、二十一日は柚子湯に入って、かぼちゃを食べて、今年も元気で風邪を引かないで、よい年を迎えるようにしましょう。
 次、十二月二十三日。何の日?そうそう、天皇誕生日ね。日本は、そんなに三千年も続いた古い古い国で、ずっと天皇陛下が中心にいられるすばらしい国なの。現在の天皇陛下は何代の天皇陛下でしょう。わからない?百二十五代天皇ね。昭和八年の十二月八日にお生まれになったので、今度は七十九歳のお誕生日になるわけ。
 みんなでお祝いしましょうと言うので、寺子屋も親子教室も、乳幼児愛国教室も、皆さんで陛下のお祝いに、参賀に行きますね。服装はあまり粗末じゃなくて、きちんとしてきたほうがいいと思います。終わってから、集合は必ず九時二十分に集合で、遅れた場合そちらのほうにいらしてくださいね。解散は今の天皇陛下がご婚約のときに出来た噴水だと思うのですけれども、ききょう門からまっすぐに行くと、通りを渡ったところに噴水があります。そこに終わったら集合して、和歌を作って感想など、先生のお話しがあったりして解散になりますから、そちらのほうに来てくださってもいいですね。筆記用具だけは持ってきてください。以上。一回目のお出ましのときに参加します。十時半ぐらいですかね。来年は一月五日が第一回で百人一首大会ですから、しっかりと覚えてきてください。
 きょうは、天皇陛下のお話をしようと思うのですが、先生も、今の天皇陛下のお姿をいつも感動して見させてもらっているのですけれども、震災のときのお言葉とか、いまも気に掛けて、東北のほうにお出ましになって皆さんを励ましてくださってますね。その陛下がどこからその思いというものが、来ているのかなと思うのですけれども、この間、明治天皇陛下の詔で、国威宣布のシンカンというのを先生読みました。今日は国語文の大事なところだけ書いてきたのですけれども、明治天皇陛下、この前もお話ししたように、たった十五歳。明治天皇陛下は十五歳で天皇陛下になられたの。そのときに、この御文章を読んでびっくりしちゃった。そのときに、陛下が詔を出された中に、こういう言葉があったのね。「この度、朝廷の政治が一新されるときにあたり、たとえ国民一人でも暮らしが立たず、思いを遂げることが出来ないならば、その責任はすべて私にあるのであり、現在行われていることにおいて、私は全身全霊をもって、その苦難の先頭に立って、かつて皇祖がご尽力あそばされた足跡を辿り、務めてこそ初めて天皇としての職を奉じ、国民の君主としての名にそむかないということができるであろう。」十五歳でこんなお言葉を、これは今の言葉に直しているのですけれども、先生驚いちゃって、びっくりしちゃって感動しちゃったのね。そして昭和天皇も明治天皇に習って、いつも国民と共に、国のこと民のこと全責任を、昭和天皇も背負われて、日本の国を守られて亡くなられたのですね。それがやっぱり明治天皇もいつもその詔を思われてなさったのですね。ところが今度、今の天皇陛下もその明治天皇陛下の思いというものを引き継いでいらっしゃるのね。
 今の現天皇、今度二十三日に七十九歳よ、先生より三つ上なのね。その天皇陛下が何と六年生のときに日本が初めて戦争に負けたわけよ。大きな国とたくさんの国と、アメリカと戦争して負けたの。そうしたらそのときに、天皇陛下が疎開していた、そして栃木のほう疎開していたところで終戦になったのね。そのときに作文を書かれたの、天皇陛下が。その中にこういう言葉があったの。「今は日本のどん底です。それに敵がどんなことを言ってくるのかわかりません。これからは苦しいこと、辛いことがどのくらいあるかわかりません。どんなに苦しくなっても、子のどん底から這い上がらなければなりません。それには日本人が、国体護持の精神を固く守って、一致して働かなければなりません。日本人一人とアメリカ人一人を比べれば、どんな点でも日本人のほうが優れています。」そうなのよ、まさたか君。日本人は世界一の民族なんだから。世界一頭のいい高貴ですばらしい民族なのですよ。それをちゃんと陛下がおっしゃっている。「ただ団体となると劣るのです。それでこれからは団体訓練をし、科学を盛んにして、」陛下の六年生のときに語った思いが、いま実現しているの、科学で一、二を争っているのね。隼では一位になったのだからね。「科学を盛んにして、一生懸命国民全体が今よりも立派な、新日本を建設しなければなりません。特に国が狭くなったので、これからは農業を一層盛んにしなければなりません。それが私たち小国民の役目です。」このときにもう、たった小学校六年生の陛下がこうやって決意したのね。「今までは、勝ち抜くための勉強、運動をしてきましたが、今度は皇后陛下の御歌、「疎開児童の上を思いて」のように、次の世界を背負って、新日本建設に進まなければなりません。それも皆私の双肩に掛かっているのです。それに先生方、保育官の言うことをよく聞いて実行し、どんな苦しさにも耐え忍んでいけるだけの粘り強さを養い、もっともっとしっかりして、明治天皇のようにみんなから仰がれるようになって、日本を導いて行かなければ成らないと思います。」すごいじゃない、六年生でこんな決意をなさったって。
 だからあの憲法をこのときに、陛下が中心になる。象徴だけでなくて、今何もものが言えないじゃないですか。陛下の御心が反映するような憲法になって、反映するような国になっていたら、日本はこのような国になっていませんでしたね。陛下の御心が反映するような憲法になっていたら、日本の国はこんなになっていませんでしたね。それをつくづく思いながら、たった六年生の陛下が、このときに決意なさって、それをそのまま何も出来ないような状態に手足を縛られている状態の中で、ご自分がどうやって国を守るか、国民を守るかと言う、必死の思いで今もこうして、陛下は過ごしてくださっていると言うこと、祈りに明け暮れて、こうして私たちを守ってくださっているということを、私たちは強く思って、感謝の気持ちで二十三日は、お祝いに行きましょう。
 では今日はこれくらいにいたします。

古事記朗誦

紙芝居〜スセリヒメ〜


季節の歌 〜天長節 〜 金剛石

「天長節(てんちょうせつ)」

黒川真頼 作詞:奥好義 作曲

きょうのよき日は
おおきみの
生(う)まれたまいし
よき日なり
きょうのよき日は
みひかりの
さし出(で)たまいし
よき日なり
ひかりあまねき
君(きみ)が代(よ)を
いわえ諸(もろ)びと
もろともに
めぐみあまねき
君が代を
いわえ諸びと
もろともに


クイズ ジャパニズム!!

第一問



アメリカの政治学者サミュエルハンチントンは世界の文明にはおおきくわけて8つあると唱えました。


1 キリスト教を基礎とする西洋文明(西欧・北米)
2 東方正教文明(ロシア・東欧)
3 イスラム文明
4 ヒンズー文明
5 儒教を基礎とするシナ文明
6 カトリックと土着文化を基礎とするラテン・アメリカ文明
7 サハラ南部のアフリカ文明
8 ○○文明


さて8番の文明とは以下の3つのうちどれでしょうか?


1

仏教文明
2

大東亜文明
3

日本文明


答え 3 日本文明


日本は一国にして一文明といわれるように、一国のみで文明を築いている國です。
世界の文明をみると、各国がまたがって文明を築いているのがわかります。
この事一点をみても、日本が世界的に見ていかにユニークであるかがわかります。
一国にして一文明と言われる所以は、他国に見られない、神社の存在、神道の存在が極めて重要であると思います。また、皇室の存在があればこその神社であり、神道でありますし、日本文明、文化とは、皇室の存在そのものであると言える訳であります。


世界の歴史とは、文明と文明とのぶつかり合いであったと見る事ができると思います。
世界は各文明圏において、提携できるが、別の文化圏とは利害の一致でしか繋がる事ができず、
お互い争いをくりかえしてきたと思います。
時代が進み、世界が近くなったといわれますが、これからの世界は、もう争いをやめ、友好を築いて行く事が求められていると思います。
ここに日本の文明、文化、思想などが世界を結ぶ要となるのではないかと思うのです。
大和の國といわれるように、和の精神を重んじてきた日本の心が世界を繋げる接着剤の役目を果たすと思うのです。




第二問
この写真は、どこの国の服でしょうか?
1

支那
2

タイ
3

インド
4

日本


答え 4 日本

この写真、縄文人、弥生人に現代人が扮しているのですが、服装や装飾品、髪型に加えて、モデルの顔立ち、体型などまで、非常にしっかりとした時代考証に基づいています。
左が縄文時代で、右が弥生時代です。


ひとくちに縄文時代といっても、年代的にはものすごく長い期間です。


縄文時代は今から2万年前から2千年まえくらい
1万8千年という長い時代をいいます。
みなさんのイメージだとおそらく、原始人みたいな ひげもじゃ
ぼさぼさ 布一枚で体をくるんでるようなイメージがあると思います。
しかしどうですか、縄文人の女性はとてもおしゃれですね。装飾品もこっているんです。
これだけのおしゃれをしていたとは、おどろきです。
おしゃれできるっていうのは、平和だからですね。平和で女性は着飾る事ができた社会、男性が装飾品をつくっていたとおもわれます。女性は大事にされていたと想像できます。


また、この写真をみてください。

縄文時代前期、日本最古の櫛とされている赤色漆塗クシ(鳥浜貝塚遺跡)です。



これは焼いた上に真っ赤なベンガラを塗って仕上げた丹彩土器です。
どうでしょうか。
当時の文化のたかさが わかります。縄文時代は野蛮な時代であるような、そんなイメージにはほど遠いと思いませんか。
当時どこの国をみても、このような高度なものは発見されていません。
「文明文化は支那から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきた」
というのはうそであるとわかります。


縄文期の遺跡は、数千か所発掘されていますが、
縄文の頃、武器になるようなものは一切出土されていません。
海外の石器時代などの出土で、人間の頭部や体にヒジリがささっている骨があるとか、そんなものが出土されていますが、
日本にはない、やはり古代から平和主義の國であったと言えると思います。
人が争わない、ともに働き、男女なかよくくらしていたと思われます。これが2万年もつづいていたんです。すごいことと思いませんか。
聖徳太子は和を持って尊し ととなえましたがこの頃よりその思想が形成されていたのではないかと思うのです。


武器など出土するのは、弥生時代になってからです
服装もシンプルになっています。
動乱、争いが発生しているのです、だからおしゃれをしてられないんですね。


七千年まえくらいに
鹿児島県沖の薩摩硫黄島のあたりで火山噴火がありました。
火山灰はとおく、関東までとどいたと言われています。
これにより、付近は人々がすめない、作物取れない状態になります。
火山灰の打撃の少なかった西北九州には、九州南部・中部からの避難民が押し寄せたのです。
急激な人口増加がありました。人口が増加したので,食べる事が出来ない、ですので、
次第に漁業が発展して、とおく、朝鮮半島まで漁にいくようになります。
朝鮮に住む人もいたでしょう。彼らがのちの、新羅民族のご先祖とも言われます。
当時はにこにこ日本と同じようにくらしていましたが、百済民族に襲われるようになります。次第に新羅も武装するようになる。
そして彼らは、のちに日本に戻る人々もいました、彼らが持ち帰った武器などを日本でも知るようになります。武器があると強い訳ですから、支配層など生まれる訳です。クマソ
族などがそうであったと思われます。こうして、弥生時代に移っていく訳であります。

創作 和歌


終わりの歌

優しいお母さん 


わたしがおねむになったとき  やさしくねんねんこもりうた

うたってねかせてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

夏はねびえをせぬように  冬はおかぜをひかぬよう

おふとんなおしてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

わたしが大きくなったなら ご恩をお返しいたします

それまでたっしゃでまっててね  ほんとにやさしいおかあさま



光 光 私は光

あなたを照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 あなたは光

私を照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 私は光

日本を照らす光だ

世界を照らす光だ

・人として行うべき15の心 朗誦

1.親に孝行せよ。
2.素直なこころ。
3.人に迷惑をかけない。
4.礼儀。
5. 物事の善悪をわきまえる。
6.正直な心。
7.感謝の心。
8.忍耐の心。
9.奉仕の心。
10.規則を守ること、約束を守ること。
11.恩を忘れるな。
12.思いやり。
13.誠実
14.勤勉。
15.因果応報。

本日の寺子屋 平成24年11月23日


今年も、黎明親子教室・寺子屋青葉・乳幼児愛国教室の生徒さんと保護者の方々で、毎年恒例の明治神宮新嘗祭に参加しました。雨が降りあいにくの空模様でしたが、祭典の途中から雨も上がり、素晴らしい御祭を見学させていただきました。子供たちは、寒い中でも、大きな太鼓の音に驚いたり、巫女さんの「代々木の舞」の踊りに見入いったりと、昔から続く祭りの雰囲気に浸ることができ、よい経験をすることができました。祭典のあとは、記念撮影をして、新米のオニギリやお弁当を感謝して頂き、和歌を作って解散しました。

〔新嘗祭のお話〕

今日は 勤労感謝の日ですが、本来は、その年に収穫された新しい穀物を神様にお供えし、その御恵みに感謝する新嘗祭の日です。宮中をはじめ全国の神社でお祭りが行われます。
宮中では神嘉殿でお祭りを執り行います。まず午後六時から八時に「夕の儀」、午後十一時から午前一時に「暁の儀」が営まれます。天皇陛下はこの間ずっと正座したまま、お祭りをなさります。御祭の神饌は、新米の蒸御飯・御粥、粟の御飯・御粥、白酒・黒酒、魚の鮮物・干物、鮑・海藻の干漬、羹、果物などで、天皇陛下御自ら竹のお箸で柏の枚手に盛りつけ神座に供されます。その後、その神饌を天皇陛下が頂いて食され、天照大御神と一体となる行事が行われます。
また、天皇が御即位後に始めて行われる新嘗祭を大嘗祭といい、御一代で一度限りの秘儀とされています。
新嘗祭は、日本の祭の中でも特に大切な御祭です。新嘗祭のときだけでなく、常日頃から食物に、また食物をつくってくださった人々、天地の恵みに感謝をしていきましょう。天皇陛下も感謝を捧げていきたいものですね。

和歌づくり

明治神宮の新嘗祭に参加して   和歌24・11・23



巫女さんがのりとに合わせて神楽舞う
色とりどりのかざりして舞う
          3年 男子
本殿に入るなりして立ちすくむ
人の多さと寒さに仰天
           6年 女子
神宮の木立の中を子等とゆく
実りの秋を祝う幸せ
           保護者
霜月の雨に悴む指先を
合わせて祈る五穀(護国)豊穣
           保護者


厳かに打ち鳴らされる大太鼓
吾子動き止め祭事始まる
美しき豊葦原に恵みの雨
甘い新米感謝を捧ぐ
           保護者
豊葦原天の恵みに稲育ち
稲の恵みに人も育ちぬ
           保護者


バスに乗り家族四人で明治神宮(じんぐう)へ
日本の実り祝う幸せ
薄日射す新嘗祭式典(しきてん)終えてお弁当
神の恵みをみんなで味わう
          保護者


小雨降る明治神宮(じんぐう)の森に鳴り響く
大太鼓の音新嘗祭で
今日からは陛下も新米召し上がる
伝統守らる陛下のお姿
          保護者


にいなめさい雨で寒くてつらかった
だけどおいしいもともちごはん
         三年 女子


寒い中太鼓の音が大きくて
おなかにひびいてびっくりしたよ
         四年 男子


寺子屋の皆で来たよ新嘗祭
気合を入れてスーツで出発
新嘗祭天の恵みに感謝する
うまいうまいと新米食べた
         四年 男子


新嘗祭式典終えて子等と食す
新米の味格別と知る
新嘗祭五穀豊穣感謝して
明治大帝の遺徳をしのぶ
         保護者


ざわざわととしている心も参道に
一歩入れば心鎮まる
しとしとと降り続く雨に浄められ
大祭は今厳かに始まる
        保護者


拝殿を包む静寂打ち破る
大太鼓の音天に届けり
        成瀬講師


にいなめさいさむかったけどたのしかった
おうちにかえるのたのしみです
        幼児 男子


にいなめさい一時間ずーと神官ら
笛ふきつづけすごいと思った
木の根っこにぼこぼこの大こぶあったよ
初めて見たよおどろいたなあ
        五年 男子


初めての新嘗祭は雨もよう
吐く息白く親子で参加
        保護者


紅葉の明治神宮(じんぐう)の森を歩きつつ
平和な国に感謝を捧ぐ
        保護者


瑞穂の国に生まれし事に感謝して
祭典の後にいただく新米
宝船色とりどりのお野菜に
感謝の心ひとしおの晩秋
米や野菜すべての物がわが身の源
幸せとともにかみしめていただく
        保護者


新嘗祭雨が降れども意を決し
晴れ着装い集いし着物教室の母等(ははら)
神様に奉ぐるお供物米や御酒
たくさんの神官(て)にて捧げられる
道中の重なる難儀を乗り越えて
神宮に参る仲間たのもし
大祭に雨は降れども日章旗
大きく空にかかげられおり
外国の観光客に日本の(ガイド)さん
手水の作法正しく伝えおり
        加納講師


新嘗祭雨も厭わず参拝者
式典に臨み感謝を捧ぐ
新嘗祭明治大帝の御神勅(みことのり)
復活させむと心に誓う
        坪田塾長


秋雨の降りしきる間の新嘗祭
人の心を洗うがごとし
        柴田校長

本日の寺子屋 平成24年11月10日


・国旗国歌の説明と作法
・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読

教育勅語十二の徳目


 孝行(親に孝養を尽くしましょう)
 友愛(兄弟、姉妹仲良くしましょ う)
 夫婦の和(夫婦はいつも仲むつま じくしましょう)
 朋友の信(友達は互いに信じ合っ て付き合いましょう)
 謙遜(自分の言動をつつしみましょ う)
 博愛(広く全ての人に愛の手を差 しのべましょう)
 就学修業(勉学に励み職業を習い 身をつけましょう)
 智能啓発(知識を養い才能を伸ば しましょう)
 徳器成就(人格の向上に努めま しょう)
 公益世務(人々や社会の為になる 仕事に励みましょう)
 遵法(法律や規則を守り社会の 秩序に従いましょう)
 義勇(正しい勇気をもって国のた め真心を尽くしましょう

塾長のお話




 『明治節』三日の日は国旗を揚げましたか。
先生は三日の日は国旗を揚げて、明治天皇陛下がお生まれになって百六十年の記念ある日に、「古事記」の話をさせてもらいました。とってもうれしかったです。そういった記念日にご縁ができたことをとても嬉しく思いましたね。皆さんにも喜んでいただきました。


明治神宮十一月はもう一つ大事な行事があるのですね。十一月二十三日、何の日でしょう。去年も行きましたね。本当は勤労感謝の日と言いますけれども、新嘗祭。それで毎年も、明治神宮の新嘗祭に行きます。全国津々浦々の神社では、新嘗祭の祭りを致しますね。天皇陛下も皇居の中の賢所に、天照大神さまをお祀りしている、そこに御米を、ご飯を差し上げるのかな、その辺先生もよくわからないのですけれども、穀物をお供えになって、初めて今日、天皇陛下は天照大神様とご一緒に新米を食べられるわけね。みなさんも新米食べているでしょう。先生もとっくの昔から新米を食べていますけれども、やっぱり新米おいしいからね。でも陛下は、新嘗祭の日までは新米がとれてもおあがりにならない。その日に初めて、天照大神様にお供えして、そしてご自分も新米を感謝して、式典が終わりになってからお召し上がりになるのですね。
 明治神宮では今年は大祭があったみたいですね。先生はその日は講演を頼まれたので、招待状は來ていてもいかれなかったのですが、いつもより大きな大祭があって、全国から舞いとかいろいろなのがあって、十一月二日と三日は明治神宮で大祭があったようですね。今度二十三日は、全国からお供えが来るのね、明治天皇陛下の威徳を偲んで、日本中から明治天皇様にお供えしてくださいって、穀物が集まって来る。お米から果物からいろいろなものが集まってきて、宝船みたい。お野菜で作った宝船が。おねぎが帆掛け舟になっていてね。そうやって日本は、とり入れに感謝して、すばらしい伝統をずっと守ってきているのですね。みんなやはり感謝をするということがとても大切なのです。天地万物に感謝して、常に私たちはとり入れに感謝し、ご先祖に感謝しということを大切にしている国なのです。
 新嘗祭には遅刻しないようにしてほしいのですね。集合は、明治神宮最初の大鳥居の前に九時十分に来てください。




皆さん、大きくなったら何になろうと思っていますか。 鈴木一郎君って知ってる?イチローって皆が言っている。あの野球のイチロー選手は、アメリカが野球の元の国なのね、元の国に行ってアメリカで一番有名な選手を追い越してしまって、ヒットをその方の数をとっくの昔に追い越しちゃったの。だから世界一になっちゃったの。イチロー君は。イチロー君が小学校六年生のときに書いた作文が見つかりましたから、皆さんに紹介しますね。
出来るだけ小さいうちに夢を持っていると必ず成就するのです。イチローの作文。「ボクの夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには中学高校で全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには、練習が必要です。僕はその練習に自信があります。僕は三歳のときから練習を始めています。三歳から七歳までは、半年くらいやっていましたが、三年生のときから今までは三百六十五日中、三百六十日は激しい練習をやっています。」
すごいね。一年間で五日しか休んでいないと言うこと、お正月とかお盆とか、そういうときだけかしらね。
「だから一週間中、友達と遊べる時間は五時間ないし六時間の間です。」だから十分ぐらいしかお友達と遊べなかったんですね。「そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。そして中学、高校でも活躍して、高校を卒業してから、プロに入団するつもりです。そしてその球団は、中日ドラゴンズか、西武ライオンズが夢です。ドラフト入団で、契約金は一億円以上が目標です。ボクが自信があるのは、投手と打撃です。」
 すごいじゃないですか。六年生のときに一億円以上の目標でドラフトに入るって。
「去年の夏僕たちは全国大会へ行きました。そしてほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会ナンバーワン選手と確信できるほどです。」そのときから自信持っている。「打撃では県大会四試合のうちに、ホームランを三本打ちました。そして全体を通じた打率は五割八部三厘でした。自分でも納得のいく成績でした。そして僕たちは、一年間負け知らずで野球ができました。だからこの調子でこれからもがんばります。そしてボクが一流の選手になって、試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。とにかく一番大きな夢はプロ野球の選手になることです」
愛知県西春日井郡、豊山小学校六年二組、鈴木一郎。ッて書いてある。すごいね。だから○○ちゃんもいまから看護師になると思って、白い制服着て、そして皆さんに喜んで看護しているところなんか思い浮かべて、そして看護師になるのにはどんな勉強をすればいいかなということを考えて今から勉強していると、必ずなれますね。
 ○○君はもうやっているみたいね。そのつもりでたくさん本を読んでいるでしょう。小説家になるにはやっぱりたくさんいろいろな本を読むことが大事ですものね。○○君は本当に本が好きでいつも本を読んでいるみたいですものね。そのつもりでちゃんと目指してやっているのでしょうね。
 先生、二人とも目標が定まっているということに感心しました。これからはその目標に向かって、努力しましょう。看護婦さんになるにはいろいろな勉強が必要だし、心が大事ね。優しい心、人を大切にする心。今こうして、いろいろ勉強していることが役に立つと思うわ。病人の人達を勇気付けなければいけないものね。○○ちゃんの顔を見ただけで、元気が出るわと言う、そういう看護師さんになってください。

・古事記朗誦



紙芝居〜八十神の迫害〜


今回も、生徒が読み聞かせに参加しています!

・季節の歌


「金剛石(こんごうせき)」

昭憲皇太后御歌・奥好義作曲





金剛石も、みがかずば、

玉の光は 添わざらん。

人も、学びて 後(のち)にこそ、

まことの徳は 現るれ。

時計のはりの 絶間なく

めぐるがごとく、時のまも、

光陰(ひかげ)惜(おし)みて 励(はげ)みなば、

いかなる業(わざ)か ならざらん。

水は器に したがいて、

そのさまざまに なりぬなり。

人は交(まじわ)る 友により、

よきにあしきに なりぬなり。

己(おのれ)に優(まさ)る よき友を

えらび求めて、もろともに、

心の駒に 鞭(むち)うちて、

学(まなび)の道に 進むべし。



明治節



作詞 塩沢周安  作曲 杉江修一



一、亜細亜の東日出づる処 聖の君の現れまして

  古き天地とざせる霧を 大御光に隈なくはらい

  教あまねく道明らけく 治めたまえる御代尊

二、恵の波は八洲に余り 御稜威の風は海原越えて

  神の依させる御業を弘め 民の栄行く力を展ばし

  外つ国国の史にも著く 留めたまえる御名畏

三、秋の空すみ菊の香高き 今日のよき日を皆ことほぎて

  定めましける御憲を崇め 諭しましける詔勅を守り

  代代木の森の代代長えに 仰ぎまつらん大帝


書道の時間

和歌の時間

学童でかまきり見つけた大きくて
びっくりしたよみんなもびっくり
      3年 女子
寺子屋で書道の時間に筆使う
毎回毎回なぜか楽しい
学校でテストの答案返される
2学期後半少し心配
      4年 男子
高枝に残せし柿を食みては
飛び交う小鳥はなかよしこよし
       坪田塾長

終わりの歌

優しいお母さん 


わたしがおねむになったとき  やさしくねんねんこもりうた

うたってねかせてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

夏はねびえをせぬように  冬はおかぜをひかぬよう

おふとんなおしてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

わたしが大きくなったなら ご恩をお返しいたします

それまでたっしゃでまっててね  ほんとにやさしいおかあさま



光 光 私は光

あなたを照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 あなたは光

私を照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 私は光

日本を照らす光だ

世界を照らす光だ

・人として行うべき15の心 朗誦

1.親に孝行せよ。
2.素直なこころ。
3.人に迷惑をかけない。
4.礼儀。
5. 物事の善悪をわきまえる。
6.正直な心。
7.感謝の心。
8.忍耐の心。
9.奉仕の心。
10.規則を守ること、約束を守ること。
11.恩を忘れるな。
12.思いやり。
13.誠実
14.勤勉。
15.因果応報。

本日の寺子屋 平成24年10月27日


・国旗国歌の説明と作法
・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読

教育勅語十二の徳目


 孝行(親に孝養を尽くしましょう)
 友愛(兄弟、姉妹仲良くしましょ う)
 夫婦の和(夫婦はいつも仲むつま じくしましょう)
 朋友の信(友達は互いに信じ合っ て付き合いましょう)
 謙遜(自分の言動をつつしみましょ う)
 博愛(広く全ての人に愛の手を差 しのべましょう)
 就学修業(勉学に励み職業を習い 身をつけましょう)
 智能啓発(知識を養い才能を伸ば しましょう)
 徳器成就(人格の向上に努めま しょう)
 公益世務(人々や社会の為になる 仕事に励みましょう)
 遵法(法律や規則を守り社会の 秩序に従いましょう)
 義勇(正しい勇気をもって国のた め真心を尽くしましょう

塾長のお話


おはようございます。教育勅語はどなたがお書きになったのでしょう。そう、明治天皇陛下が。日本の国はいまから百何十年になりますかね、幕府というのがあって、今は千葉県とか神奈川県とか県ですけれども昔は藩だったの。江戸幕府という徳川家が治めていたの。ところがアメリカのほうから黒船が来て、日本の国を殖民地にしようといろいろな国が手を延ばしてきました。
 それではいけないということで、明治維新というのがあって、若い青年が日本の国を守る、坂本竜馬とか一生懸命になった。そのときの天皇が明治天皇です。今度は開国になって、ヨーロッパからいろいろな文化が入ってきた。それでそういう西洋文化になじんでしまいそうだったので、慌てて、明治陛下が、是では日本の国が日本の国でなくなるというので、明治憲法、すばらしい憲法を作られたり、教育もどのようにして教育したら日本の国は西洋の文化を取り入れながら、日本の国らしく保てるというので、教育勅語ができたのですね。
 先生の子供のころは、先生もほんの一寸しかかかわっていないですけれども、教育勅語を暗誦させられたのですね。教育勅語を覚えているといろいろなところで役に立つのですね。それで、シベリア、ロシアの北東の寒いところで、日本が戦争に負けてそれでもロシアがずるをして、そしてシベリアに連れて行かれた蜂谷さんという人がいたのだけれども、その蜂谷さんは、教育勅語と、五箇条のご誓文を、ずっと言葉を忘れない為に、病気で熱が出て死にそうになってもずっと唱えていた、そして命が助かったというのね。そんなすばらしい教育勅語なんですね。これから皆さん、今日から教育勅語を覚えていただこうと思うのですね。聖徳太子の十七条憲法の一条を暗誦してもらおうと思いますが、それは今日でおしまいにして、この次からは教育勅語を暗誦してもらおうと思っております。
 それで十一月三日は何の日でしょう。今は何と言いますか。文化の日というのよね。それは何で文化の日になったかというと、明治天皇が西洋の文化を取り入れたから文化の日になったのですけれども、本当は十一月三日は明治天皇陛下がお生まれになった日です。だから明治節といいます。後で明治節の歌を後で歌いますけれども、明治天皇陛下がいらしたから、日本の国は植民地にならないで今日の日本があるわけなのです。尊い陛下なのです、代々の陛下の中でも一番ご苦労なさったというか、日本の国を守られた陛下だと思うのですね。ですから十一月三日は皆さん、国旗を揚げて。
 先生はこの間、皇后陛下のお誕生日、十月二十日にも国旗を揚げたの。こうして今日日本があるのは、天皇皇后両陛下のお陰ですから、皆さん天皇陛下を大切にしたいと思うのです。
 明治天皇陛下は、孝明天皇の第二皇子になられるのですけれども、孝明天皇のほうが早く亡くなられて、満十五歳のときに即位なさったの。それからずっとご苦労なさったわけね。明治天皇陛下のもう一つの特徴は、何と和歌を十万首作られたの。皆さん月にせいぜいご首か六首でしょう。一年経っても五十か六十でしょう。十年経っても五百か六百でしょう。陛下は十万首、毎日十首から二十首ぐらい作らないと十万首にならないと思うのです。
 その和歌がいつも、民を思う心、国が平和であれ、世界が平和であれというそのお心がにじみ出るようなお歌ばかりなのです。それで側近の方が、何としてもそのお歌を皆さんに披露したいと思ってね。そして言ったら、陛下はあまりいい返事をなさらなかったの。それでも、首を切られてもいいという気持ちで、新聞に発表したの。そうしたら、国民が皆さん喜ばれて、それでそれから一月の十五日に歌会始があるでしょう。そうやって陛下のお歌が発表されるようになったのですね。
 今日は皆さんに明治天皇陛下のお歌をいくつか選んできましたので。


あさみどり 澄みわたりたる大空の 広きを己が心ともがな


 「一点の曇りもなく、あさみどり色に澄み渡った空は、広大無辺で、見渡す限り際限のないものであるが、そのまま自らの心としたいものである。」


そうね、常にそうやって、大空を見ると、自分の心も常にそのようにありたいと願われたんですね。では次の歌いきましょうか。


「暑しとも言われざりけり煮えかえる みず田に立てる賎を思えば」


 「煮え返るような暑い水田に、孜々として田の草をとっている農夫のことを思えば、そのほかの人は暑いなどと言われない。」


 その頃よりも、今は暑いかな、煮え返るというのは、それくらい田んぼの中は暑くなっているわけよ。今は草をとるにも薬を撒いたりするから、田んぼの中に草は生えないけれども、昔は草がいっぱい生えたんですね。その中を農夫が孜々として、黙々と田の草をとっている農夫のことを思えば、他の人は、暑いなんて言っていられませんよと。
 今だって暑い中お仕事をしている人はいっぱいいるわけよね。そういう人のことを思ったら、暑い暑いと言っていられないというふうにお書きになっていらっしゃるんですね。


 「大空に そびえて見ゆる高峰も 登れば登る道はありけり」


 「天空高くそびえる高い峰も当然人間業では登ることができないと思われるところでも、登ろうと志せば、必ずしも不可能ではない。登るべき道はあるものである。」


 明治天皇様はこうやって皆さんに教えてくださっている。どんなに自分で無理かなと思うことでも、がんばったら出来ないことはないんですよと教えて下さっているのですね。どんな難しい問題でも、山だけじゃないのよ、これからいろいろな問題があっても、あきらめたらできない。何でもできると思って、きっと道があるに違いない。方法があるに違いないと考えていると、ちゃんと不可能が可能にできますよということを教えてくださっている。


「さし登る 朝日のごとくさわやかに 持たまほしきは心なりけり」


 いつもいつも、さわやかに朝日が昇るように、さわやかな心でいつもいたいなあというお歌ですね。では次の歌


 「照るにつけ曇るにつけて思うかな わが民草の上はいかにと」


 照っているときも曇っているときも、国民はみな幸せかなといつも心配してくださっている。代々の天皇陛下が国民の幸せ、国民が幸せでありますようにといつもいつも願ってお祈りしてくださっている。


 「もろともに助け交して睦みあう 友ぞ世に立つ力なるべき」


「艱難辛苦に際しては、互いに助け合い、喜怒哀楽を共にし、むつまじく   こそ、社会に立つ最も大きな力である。」


困ったときに本当に助け合う、嬉しいときも悲しいときも友達と仲良く助け合うということは、社会に役に立つという、すばらしいお歌です。だからお友達は大事にしないといけません。真のお友達をたくさん作ることが大事です。


 では次の歌
「良きを取り悪しきを捨てて外つ国に 劣らぬ国になすよしもがな」


「国家隆興のためには、長所は国の東西を問わずこれを取り、短所はたとえ自国のものであっても、これを固執することは捨て去って、ますます改良発達をはかり、ついには諸外国に劣らぬ、立派な国家にしたいものである。」


 日本が開国して外国のものを一生懸命取り入れていい気になっているときに、天皇陛下はこうやって、よきを取り、悪しきを捨てて、外国のものはいいものも悪いものもある、それを全部取り入れちゃいけない、外国から入ったものを、よいものは取って悪い者は取らないで、世界に名だたるすばらしい国にしましょうと。それからなおさらがんばって、今日の明治天皇陛下が国民と一緒になってがんばってくださったので、日本の国は植民地にもならずに、このようなすばらしい国があるわけなのですね。ちょっといま危ういけれどね。これから皆さんの力でこの国を守って貰いたいと思います。


 では朗誦にいきましょうか。
天照大神のご神勅  暗誦
教育勅語      暗誦
聖徳太子の十七条憲法 暗誦


百人一首の大会の予告
二十首を覚えること。


 田子の浦に打ち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ秋は哀しき
 かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
――終了――

・古事記朗誦


紙芝居〜八上姫〜


近頃は、生徒が読み聞かせに参加しています!

・季節の歌


「金剛石(こんごうせき)」

昭憲皇太后御歌・奥好義作曲





金剛石も、みがかずば、

玉の光は 添わざらん。

人も、学びて 後(のち)にこそ、

まことの徳は 現るれ。

時計のはりの 絶間なく

めぐるがごとく、時のまも、

光陰(ひかげ)惜(おし)みて 励(はげ)みなば、

いかなる業(わざ)か ならざらん。

水は器に したがいて、

そのさまざまに なりぬなり。

人は交(まじわ)る 友により、

よきにあしきに なりぬなり。

己(おのれ)に優(まさ)る よき友を

えらび求めて、もろともに、

心の駒に 鞭(むち)うちて、

学(まなび)の道に 進むべし。



明治節



作詞 塩沢周安  作曲 杉江修一



一、亜細亜の東日出づる処 聖の君の現れまして

  古き天地とざせる霧を 大御光に隈なくはらい

  教あまねく道明らけく 治めたまえる御代尊

二、恵の波は八洲に余り 御稜威の風は海原越えて

  神の依させる御業を弘め 民の栄行く力を展ばし

  外つ国国の史にも著く 留めたまえる御名畏

三、秋の空すみ菊の香高き 今日のよき日を皆ことほぎて

  定めましける御憲を崇め 諭しましける詔勅を守り

  代代木の森の代代長えに 仰ぎまつらん大帝


日本の国柄


今回は日本について勉強しました。
天皇や皇室の事を中心に、世界で一番古い歴史を持つ我が国の事を教えてもらいました。

勉強しての感想文


感想文
3年 女子
 てんのうへいかが125代も続いていることがすごいなあと思いました。てんのうへいかがいつもお祈りしていることが、びっくりしました。なんで日本だけこんなに古い国なんだだろうとふしぎにおもいました。いつもてんのうへいか様がお祈りしているからわたしたちはへいわでいられるんだなと思いました。日本は八紘一宇のくになんだなと思いました。


四年    男子
 日本の話を聞いてあらためていろいろなことを思いました。とても長く続いた古い国であり、日本の人々“皆家族”というような考え方「八紘一宇」はとてもいいなあと思いました。
皇室の家系図を見た時、あまりの長さに、少しおどろきました。でもこんなに古くからある国ならそれもそうだ、とも思います。最初の方ではもはや神と人との区別がつかず、さすが日本と思いました。
とても面白かったです。

和歌

はじめて日本のれきしをおそわった
125代つづくすごい国日本
          3年 女子


学校の体育の時高とびで
記録会をしてなぜかドキドキ


記録会目標はズバリ1メートル
なんとかとべたぞ、とてもうれしい
         4年 男子


皇室の存在価値を知るにつけ
日本の尊さ安泰思う


本当の意味を忘れた「文化の日」
呼び戻そう「明治節」
          保護者


はざかかる金色の稲穂縁取るは
紅に咲く彼岸花かな


ちはやぶる神代の祈り受け継ぐる
皇(すめらぎ)在ますただありがたし
        成瀬講師


この国に生まれてきたこと改めて
幸せなんだとしみじみ思う
        山本講師


風が吹く今年もまた冬が来る
備えはしたかおこたるなかれ


穴熊は冬に備えて穴を掘る
大地のぬくもり抱きつつねむる
        実吉講師


日本は世界で一番古い国
寺子屋の子等(子ら)におしえる講師(し)の顔はれやか
        坪田塾長

終わりの歌

優しいお母さん 


わたしがおねむになったとき  やさしくねんねんこもりうた

うたってねかせてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

夏はねびえをせぬように  冬はおかぜをひかぬよう

おふとんなおしてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

わたしが大きくなったなら ご恩をお返しいたします

それまでたっしゃでまっててね  ほんとにやさしいおかあさま



光 光 私は光

あなたを照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 あなたは光

私を照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 私は光

日本を照らす光だ

世界を照らす光だ

・人として行うべき15の心 朗誦

1.親に孝行せよ。
2.素直なこころ。
3.人に迷惑をかけない。
4.礼儀。
5. 物事の善悪をわきまえる。
6.正直な心。
7.感謝の心。
8.忍耐の心。
9.奉仕の心。
10.規則を守ること、約束を守ること。
11.恩を忘れるな。
12.思いやり。
13.誠実
14.勤勉。
15.因果応報。



本日の寺子屋 平成24年9月8日


・国旗国歌の説明と作法
・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読

教育勅語十二の徳目


 孝行(親に孝養を尽くしましょう)
 友愛(兄弟、姉妹仲良くしましょ う)
 夫婦の和(夫婦はいつも仲むつま じくしましょう)
 朋友の信(友達は互いに信じ合っ て付き合いましょう)
 謙遜(自分の言動をつつしみましょ う)
 博愛(広く全ての人に愛の手を差 しのべましょう)
 就学修業(勉学に励み職業を習い 身をつけましょう)
 智能啓発(知識を養い才能を伸ば しましょう)
 徳器成就(人格の向上に努めま しょう)
 公益世務(人々や社会の為になる 仕事に励みましょう)
 遵法(法律や規則を守り社会の 秩序に従いましょう)
 義勇(正しい勇気をもって国のた め真心を尽くしましょう

塾長のお話



 皆さんおはようございます。九月はたくさん行事がありますね。日本は昔からいろいろと行事があったのね。暑い暑い夏をすごして九月九日,五節季といって、一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、重なるときね。九月九日、この五つの五節季を大切にしたのですね。一月一日は一年の初めでお祝いをして、三月三日は女の子が元気で育ちますようにという、だけれども丁度農繁期が始まる前だから、からだを整えるようにして、菱餅というのがあるでしょう。あれは全部薬草が入っているの。青いのはよもぎ餅、白いのは素で、赤いのはくちなしね。四つあるのですけれども一寸度忘れしましたけれども、そうやって体を整えて邪気を払って農繁期を迎えましょうというの。
 今度五月五日はどういう日?鯉のぼり建てて、子供の日でしょう。皆が元気ですくすくと大きくなりますようにと。その日も菖蒲、薬草なのですね。菖蒲湯に入って体の邪気を払って、体が丈夫になりますようにと。菖蒲湯に入ったことある?素敵な匂いしますね。それから七月七日は七夕さん。それから九月九日というのは、忘れられてしまっているけれども、菊の節句、重陽の節句ともいうの。採れたお米を飾って、菊の花を三本飾って、柿など果物を供えて、収穫を喜ぶ、そういう行事を昔はしたんですね。
 男の人はお酒の中に菊の花を入れて、それを飲むと長生きをするという、そういう節句が九月九日にあるのですね。今はほとんどの人に忘れられてしまって、あまりしませんね。先生の子供のころは、お婆さんが一生懸命それをやってね。お父さんとお婆さんは、菊の花の入ったお酒を飲んだりしていましたよね。先生のお父さんはお酒があまり飲めない人だったの。でもそういうときだけはちゃんと飲んでいましたね。
 その次にあるのは何でしょう。九月の大事な行事があるでしょう。敬老の日。お爺さん、お婆さんに感謝する日ですね。お爺さん、お婆さんがいなかったら、お父さん、お母さんは生まれていない。そしてお父さん、お母さんがいなかったら、みなさんも生まれていないのよ。だから、お爺さん、お婆さん、有難うという気持ちを込めて、山本先生が素敵なプレゼントを考えてくれましたから、それを作ります。
 お爺ちゃんお婆ちゃんに心を込めてプレゼントをつくりましょう。そして和歌とか文章、お手紙を書いて、それも添えて送るようにしましょうね。お爺ちゃんお婆ちゃんが両家にいると大変だけれども、今年はこっちに贈ったから、来年はこっちに贈りましょうというふうに贈ったらよいかと思います。両方作るのは大変だからね。
 そしてその次は、これはわかるかな。九月の二十三日は何の日でしょう。わかっているけど出てこない?秋分の日って何の日でしょう。ここも皆さんにお墓参りに行ってもらいたいものですね。
 その日はご先祖様に感謝して、お墓参りをする日ですね。ご先祖様ずっと、先生のところは、先生の旦那さんのお父さんから始まっているのだけれども、その前もあるのよね。そうやってずっと繋がってずっと数えていくと、何千年も何万年もあるかもしれないのよ。そういうご先祖様が一人でも欠けたら、まさたかくんはそこに居ないのよ。ご先祖様があって、今日の私たちがあるわけ。だからご先祖様にはいつも感謝しなければいけないですね。
 先生の実家の弟になるのだけれど、その人は九代になるの。その人はいつもおれは九代だっていばって。その息子が十代になる、その甥っ子が、男の子が生まれたときに、普通は男の子が生まれたって報告が来るでしょ、十一代目が生まれましたって。私の母が何代目何代目と言ってきているから、自覚が出来てしまって、私もうちの孫が出来たときに、四代目さん、四代目さんと言っていたら、孫が、ボク四代目より三代目がいいんだけどって小さいときよく言っていましたけれど。今はそういう感覚がないから、家を継ぐという感覚が薄れちゃったの。


 今日はもう一つ、先生、すごい話をしたいと思います。いまパラリンピックやっているでしょう。先生、見ていたら感動しちゃったんだけれど、生まれたときから、ここから下がないの。腕が。ここだけない人はいるかもしれないけれど、こっちの手は指が二本か三本しかないのね。足が全部ないの。胴しか。鈴木孝之さんという人。その人が水泳で何と、銅メダルを取ったの。その前のときは金も銀も取ったの。どうやって早く泳げるんだろうって、先生感動してみていたのだけれど、この鈴木たかゆき君がなさったかというと、普通に学校に行ったのですって。そして車椅子なんか乗らなかったんだって。そして、手に靴を履いて、足がないから足で歩けないでしょう。まだ五体満足の人はここまであるから、歩けるじゃない。全然スポッとないわけよ。だから手に靴をはめて動き回っていたんだって。そしてスポーツは何でもこなしたんだって。小学校一年のときから水泳をやって、中学になったら、吹奏楽のほうに興味を持って、三年間休んだんだって。そして高校生になって又水泳をやるようになって、オリンピック目指して練習して練習して、そして、個人種目、リレーであわせて金銀銅と、三つのメダルをとったんだって。すごいね。
 そういう子が学校へ行って、さげすまれたり、興味本位で見られたり、いじめにあったりいろいろしたと思うの。だけれども負けなかった。もう負けてたまるかと思ったのじゃないの。その自分の体がそういう風な体に生まれてきたことに、不服とか不満とか悲しんだりしないで、全部それを受け止めて、努力したの。そして今の彼があるわけです。


――終了――

・古事記朗誦


紙芝居〜やまたのおろち〜



工作〜祖父母へのプレゼント

和歌



手に一杯ボンドをつけつつ祖父母への
世界に一つのプレゼント作り
            保護者
朝日射す生垣の枝に巻きつきて
朝顔の花かげろうにゆらぐ
            成瀬講師
秋せまり嵐が来るかは知らねども
やるべき事を今はやるのみ
            実吉講師
日に焼けて逞しくなりし子供たち
読書の秋を楽しみ励め
            坪田塾長









終わりの歌

優しいお母さん 


わたしがおねむになったとき  やさしくねんねんこもりうた

うたってねかせてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

夏はねびえをせぬように  冬はおかぜをひかぬよう

おふとんなおしてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

わたしが大きくなったなら ご恩をお返しいたします

それまでたっしゃでまっててね  ほんとにやさしいおかあさま



光 光 私は光

あなたを照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 あなたは光

私を照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 私は光

日本を照らす光だ

世界を照らす光だ

・人として行うべき15の心 朗誦

1.親に孝行せよ。
2.素直なこころ。
3.人に迷惑をかけない。
4.礼儀。
5. 物事の善悪をわきまえる。
6.正直な心。
7.感謝の心。
8.忍耐の心。
9.奉仕の心。
10.規則を守ること、約束を守ること。
11.恩を忘れるな。
12.思いやり。
13.誠実
14.勤勉。
15.因果応報。






本日の寺子屋 平成24年8月25日


・国旗国歌の説明と作法
・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読

教育勅語十二の徳目


 孝行(親に孝養を尽くしましょう)
 友愛(兄弟、姉妹仲良くしましょ う)
 夫婦の和(夫婦はいつも仲むつま じくしましょう)
 朋友の信(友達は互いに信じ合っ て付き合いましょう)
 謙遜(自分の言動をつつしみましょ う)
 博愛(広く全ての人に愛の手を差 しのべましょう)
 就学修業(勉学に励み職業を習い 身をつけましょう)
 智能啓発(知識を養い才能を伸ば しましょう)
 徳器成就(人格の向上に努めま しょう)
 公益世務(人々や社会の為になる 仕事に励みましょう)
 遵法(法律や規則を守り社会の 秩序に従いましょう)
 義勇(正しい勇気をもって国のた め真心を尽くしましょう

塾長のお話




 みなさんおはようございます、オリンピック。終わりましたね。今までになく三十八個もメダル取ってしまったのね。その中の、ボクシングで、金をとった村田諒太君の話をしようと思うのですけれども、村田諒太君は、中学一年生のときからボクシングをするようになったのだって。やっぱり好きなことをするときは、トントンと成功するので、ずっと中学一年生で始めて高校の全国大会で制覇して、いつも賞状をもらっていた。そうするとどうなる。自慢するよね。その賞状を振り回していばっていたそうですよ。そしてこの間の平成二十年の北京のオリンピック、自分が落ちるなんて思っていなかったのね。ところが選考に選ばれなかったの。敗北してしまって。今まで自分は強いんだといばっていたのが、北京のオリンピックに出られなかったのね。すっかり挫折してしまって、しょげて、ボクシングを止める宣言してやめちゃったのよ。ところが平成二十一年の一年ぐらい経って、やっぱり止められない。好きなことは止められないと、もう一度がんばろうと思って、そしてがんばって、今度は、それこそ、止めた後は抜け殻のようになっていたけれども、そのあとやると決めたら、もう、それはすごくがんばってしまった。どうやってがんばったかというと、皆、四つの元気があったら大丈夫なの。「やる気、元気、本気、根気」思い出した?
 それこそ「やるぞ」とやる気になったら、大学の職員だけれど、お勤めしているのに、朝練習して、お勤めに行って、帰ってきて夜中まで練習して、また朝早く起きて練習して、それもいつまで続くかなと奥さんが見ていたけれども、ずっと三年間遣り通した。それで奥さんもいろいろと協力して、そうやってがんばっているから。朝早く起きてトレーニングして、学校でお仕事して、帰ってきたら又トレーニングして夜中までやっている。その姿を見て、きっと金が取れると思ったそうですよ。
 そして今度は、今までは自分は強いと思っているからあまり練習しなかったんだね。一遍落ちるのがいいのよ。挫折してとことんまで落ちたから、それからはがんばって、奥さんが何と、冷蔵庫のまん前のところに、みんなが冷たいもの飲みたいと、見るところでしょう。何と書いたかというと「金メダルを取りました、ありがとうございました」と書いて、家族といっても赤ちゃんが一人いるだけだけれども、本人も見るし、奥さんも見るし、「必ず金メダルを取る」と決めちゃった。
 まさたかくんも決めるのが大事なの。「ボクはすばらしいんだ。勉強が出来るんだ。ものすごいい能力を持っているのだ」と思うことが大事。そして感謝するの。「金メダルを取りました。ありがとうございます。」と感謝して、それをずっと見ていたんだって。そしてついに、金メダル、四十八年ぶりにボクシングでメダル取ったんですって。金メダルはもちろんのこと、メダルも取れたのは四十八年ぶりですって。すごいでしょう。皆さんもできるのよ。自分がやるぞと決めたら必ずやる。
 鍛えると元気になる。寝っころがっていたら元気になれない。プールへ行ったり体操したり縄跳びしたり鍛えると元気になる。そして決めたことはあきらめない。ずっとし続ける。後は本気。まあ、いっかあと思っていたらできない。よっしゃあという本気。本気を出すとどんなことでもできる。
 それでは本気を出して。暗記をしましょう。まずは天照大神様のご神勅に行きましょうか。
―― 暗唱 ――


 朝起きてまず五回ぐらい読む、そして学校か帰って着たら又五回くらい読む、夜寝る前に又五回くらい読む、そうしたらこの次見ないでいえるようになる。
 俳優さんたち、台本読むでしょう。繰り返し繰り返し読んで覚えるのよ。だから何回も何回も読んでお芝居が出来るの。そうするとそれが練習になって、だんだん簡単に覚えられるようになる。なんでも訓練なんです。最初はそうやってたくさん読むの。いいかな。
 ボクは無理だなと思ったらだめなんです。僕だってやって見せてやると思わないといけないのですよ。いまいじめの問題がたくさんあるでしょう。学校でいじめられている子いる? 先生はいじめられている子を指導して、いじめられなくなったの。その子もけられたりぶん殴られたりして、それより馬鹿だとか、くろんぼといわれるほうがいやだといっていたね。そんなに黒くないのだけれども、二人よりは黒いかなという程度の子だったんですけれど、男の子は黒いほうが男らしくていいのよって、くろんぼと言われたら、心の中で「みんなうらやましいんだろう。ボクは男っぽいんだ、いいんだこれでと思いなさい」といったの。「そんなこと言ってもやっぱりボク白いほうがいいよ」というから、そんななよなよしたのは皆もてないんだよ、黒いほうが男らしくていいのよと、言っているうちに、僧かなというような顔をして、それから馬鹿といわれる、それもつらかったらしいんですよ。そのとき先生が言ったの。なんていったと思う?「今に見ていろ、社長になって皆をこき使ってやる」と層思いなさいって。心の中は自由だからね。いつもそう思って、蛙にションベンというけれども、けろっとしていたらいい。くよくよして泣きべそかくから皆にいじめられるんだから、今に見ていろ、ボクはそのうち社長になって皆を使ってやると思いなさいって言ったの。そうしたらだんだん胸を張れるようになったの。そしていじめられなくなっちゃったの。よく勉強のできる子がお友達になって、それで成績も上がって、できる子たちが高校に入れなくて、下のほうだったその子が高校に入れちゃったの。自分で自分を敬うということがとても大切なのよ。ボクなんかどうせ駄目だと思っていたら駄目なんだよ。「ボクはすばらしいんだ、ものすごい力が時分の中にあるんだ。立派な人間になるんだ」と思いましょう。いいですか。では今日は先生の話は是で終わります。
――終了――

・古事記朗誦


紙芝居〜大気津比売神〜





書道


和歌


8月25日和歌


寺子屋の書道で書いた「秋分」の字

すぐに力を出しきってしまう


夏休み後6日で終わっちゃう

おしよせてくる宿題の波


夏休み終わってしまえば学校だ

うれしくもありかなしくもある


夏休み旅行が多くてもう大変

ちちぶ・岩手と本当クタクタ


旅行では名所を見たり遊んだり

神社に行って川面下った

      4年 男子


夏休み石川に行ったおじいちゃんと

立山に登ったきれいな景色を見た


書道で秋分の字を書いた

うまく書くのはむつかしい

       4年 男子


夏休みやっと覚えし君が代を

大きな声で吾子斉唱す

       保護者


産土の神を敬う子ら集い

日本の文化学びて育つ

        成瀬講師


育ててる鈴虫鳴くを待ちわびる

ようやく鳴けり耳をすまさん
        山本講師


釜石の波に流れし町々が

われらに語る今こそめざめよと

人々を連れ去れし波影もなく

ただ更地となった町があるのみ

      実吉講師


日焼けして逞しくなれり子等に問う

切磋琢磨の夏休みなりやと

      坪田塾長








終わりの歌

優しいお母さん 


わたしがおねむになったとき  やさしくねんねんこもりうた

うたってねかせてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

夏はねびえをせぬように  冬はおかぜをひかぬよう

おふとんなおしてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

わたしが大きくなったなら ご恩をお返しいたします

それまでたっしゃでまっててね  ほんとにやさしいおかあさま



光 光 私は光

あなたを照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 あなたは光

私を照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 私は光

日本を照らす光だ

世界を照らす光だ

・人として行うべき15の心 朗誦

1.親に孝行せよ。
2.素直なこころ。
3.人に迷惑をかけない。
4.礼儀。
5. 物事の善悪をわきまえる。
6.正直な心。
7.感謝の心。
8.忍耐の心。
9.奉仕の心。
10.規則を守ること、約束を守ること。
11.恩を忘れるな。
12.思いやり。
13.誠実
14.勤勉。
15.因果応報。










本日の寺子屋 平成24年8月4日


・国旗国歌の説明と作法
・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読

教育勅語十二の徳目


 孝行(親に孝養を尽くしましょう)
 友愛(兄弟、姉妹仲良くしましょ う)
 夫婦の和(夫婦はいつも仲むつま じくしましょう)
 朋友の信(友達は互いに信じ合っ て付き合いましょう)
 謙遜(自分の言動をつつしみましょ う)
 博愛(広く全ての人に愛の手を差 しのべましょう)
 就学修業(勉学に励み職業を習い 身をつけましょう)
 智能啓発(知識を養い才能を伸ば しましょう)
 徳器成就(人格の向上に努めま しょう)
 公益世務(人々や社会の為になる 仕事に励みましょう)
 遵法(法律や規則を守り社会の 秩序に従いましょう)
 義勇(正しい勇気をもって国のた め真心を尽くしましょう

塾長のお話

みなさんおはようございます。
 今日は、夏休みになって一週間以上たってしまったのかな。楽しく過ごしていますか。
毎日毎日ずっと全部自由、学校に行くと学校に縛られてしまうでしょう。自由でしょう。一日二十四時間、どのように過ごすかによって、全然違ってくるのよ。そしてこの教室では、夏休みの過ごし方。読みますね。
「早寝早起き朝ごはん」 早く寝て、朝早く起きて、朝ごはんたくさん食べて、この教室でモットーとしています。孝英君ちゃんとやっています。何時に起きていますか。夜は何時に寝ますか。
九時か十時ごろには寝ていますね。九時か十時までには寝ないとね。朝は六時か六時半にはおきましょう。朝ごはんはたっぷり食べましょう。そして毎日、早朝に宿題と勉強をしましょう。それはちゃんとやっているね。
それからお手伝いをしましょう。兄弟一緒にお手伝いしましょう。庭を掃いたり、ご飯のお手伝いをしたりして、お手伝いをすると頭が働くようになるよ。要領よくなるのですね。今お勉強ばかりしているから、要領の悪い人がいるのね。お手伝いすると、いろいろと計画性が出来て、頭の中が要領よく動くようになるから、お手伝いはとても大切なのです。
そして、本を八冊以上読みましょう。読んでいますか。
これに読んだ本の名前、ここに感想書きます。これを差し上げますからね。先生も皆さんにだけ八冊読みなさいと言って読まないわけに行かないから、先生も今三冊目を読んでいるところです。やはり本を読んだり、いい映画なんか見ると、とても勉強になりますね。だから昔の人はたくさん本を読んで、たくさん勉強して立派な人になるように心がけたのですね。
サテ、今月八月十三日からは、なんでしょう。大事な行事がありますね。ほとんどのお家が旧盆。お盆。お盆はご先祖様をお迎えして、それから十三日から十六日までご馳走をあげたりして、ご先祖様のお祀りをするのです。十六日には、又来年来てくださいって、送り火を炊いてお送りする、そういう行事、お盆の行意があるのですね。それで先生の家は七月だから終わったのですが、大体の家が八月の十三日から十六日ですね。
皆さん、いいですか。ご先祖様の一人でも欠けたら私はいないのよ。だからとてもご先祖様は大切なのですね。ご先祖様のお陰でこうして今日私がいるのですと、感謝しなけいといけない。特別にお盆の日は、ご先祖様に感謝しておもてなしをする日がお盆と言いますね。そうしておじいさん、おばあちゃんにも感謝して、お父さん、お母さん、そうやって命をつないできて、ここにある。これからみなさんもこれから子供を生んで、その子供がいてって、ずっと命はつながれていかなければいけない、そうしないと、国はなくなってしまう、だから命をつなぐ責任があるのですね。
そしてご先祖様に立派な人がたくさんいるように、今度は自分もいずれご先祖様になる。そのためには、立派なご先祖様として崇められるようになるように、「うちにはこんな立派なご先祖様がいたのよ」と子供や孫に言われるように、一生懸命勉強して、立派な人になるようにお勉強しなければならない。そのためにこうやって、夏休みの過ごし方も、先生お伝えしていますから、それを守って、一生懸命実践してもらいたいと思います。
この間先生すばらしい映画を見たのですけれども、「天国の青い蝶」という。それは十歳の脳腫瘍の子供が昆虫が大好きで、昆虫採集している、その少年が、お医者さんからあと四ヶ月の命ですと宣告されてしまう。そうしたら自分が好きな昆虫で、神秘の青い美しい蝶というのを、昆虫博士がテレビで発表するの、それを見た少年が、なんとしても死ぬまでにその青い蝶を見たい、捕りたいと、ジャングルの中を博士と一緒にぐるぐると、もう大変なの、死ぬかもしれない、それでも覚悟して、時々具合が悪くなって倒れたりするのだけれども、青い蝶を見るまでは死ねないと、がんばって、そしていろいろあったのだけれども、博士がけがをして崖の中で動けなくなったの。それで今までは車だったりおんぶされていたその少年が、博士を救わなければならないでしょう。怪我をして、足が折れて。それまではその博士がおんぶしてくれていたの、そのおんぶしていた博士が倒れちゃったの、そうしたら、自分が博士を救わなければならないと思ったら、もうおんぶしたり車椅子だったのに、がけをよじ登り、ジャングルの中を助けを呼びに歩きまわり、ついに意識を失って倒れるのですけれども、救助隊が帰ってこないので心配して来てくれて見つけてくれたのね。そのとき、お母さんが抱きしめて「ああ、生きていてくれてよかった」と。博士が一番大きな崖のところにいるって言って、「博士を助けて」と言うと又意識不明になるの。そしてその少年は助かるのだけれども、博士も助かるのですけれども、どうなったと思う。その後少年は。死んじゃったと思う?
助かったのよ。そして四ヶ月しか生きられないというその少年の脳腫瘍が消えてしまったの。それで今も元気で、カナダの昆虫博士で、いまその博士と一緒に住んでいるそうですよ。どうしてそうなったと思う?もう自分の病気のことなんか考えないで、精神力,あの蝶を見るまでは死ねないと言う精神力。それから自分をここまで一生懸命青い蝶を見つけるために、自分の為に一生懸命やってくれた博士がそうやって動けなくなった、その博士を救いたいという愛の心。そして勇気ね。自分が病気だというのに、なんとしても救いださなければいけないという勇気。その三つで、愛情と精神力と勇気、自分のことを忘れて頑張った、その力で病気が消えちゃったの。人間にはそのように、物凄い力があるのよ。愛深く、知恵深く、精神力、勇気を持って、何事もそうやってがんばるとすべてよくなるのですね。
今日も、三宅宏美さん、すごいね、あの小さい体で百十キロを上げて、銀メダル取ったでしょう。重量あげね。百四十六センチの体で。今日テレビで言っていました。あきらめなかったからよかったって。お父さんと一緒に練習するんだけれども、お父さんもすばらしいですよね。絶対に怒ったり、とがめたりしなかったんだって.ずっと、いいよ、いいよといってね。褒めて褒めて褒めちぎってくれたんだって。だから楽しく練習ができたんですって。そして決してあきらめないで、がんばり通して、ダメかなと思ってもあきらめなかったのがよかったと言っていました。人間はあきらめたらそれまでなの。あきらめないで、一生懸命精神力でがんばっていると、よいことがたくさんありますね。


さて、言葉を一緒に覚えましょうね。
「一に曰く 和をもって尊しとし………。」




昔の人は四歳でこういうお勉強をしていたの。すごいね。だから皆さんもできないということは絶対にないの。難しいな、嫌だなと思ってもダメね。大丈夫、絶対に覚えて見せるといって。何度も何度も何度も百回読んだらきっと覚えてしまうのよ。簡単でしょう。毎日十回ずつ読んだら十日で読める。だんだん楽しくなるから。難しいの覚えたときというのは物凄く自分が一番楽しいのよ。では先生の話はこれで終わります。

・偉人伝 〜聖徳太子

・古事記朗誦

・紙芝居 〜二宮金次郎

・季節の歌


「金剛石(こんごうせき)」

昭憲皇太后御歌・奥好義作曲





金剛石も、みがかずば、

玉の光は 添わざらん。

人も、学びて 後(のち)にこそ、

まことの徳は 現るれ。

時計のはりの 絶間なく

めぐるがごとく、時のまも、

光陰(ひかげ)惜(おし)みて 励(はげ)みなば、

いかなる業(わざ)か ならざらん。

水は器に したがいて、

そのさまざまに なりぬなり。

人は交(まじわ)る 友により、

よきにあしきに なりぬなり。

己(おのれ)に優(まさ)る よき友を

えらび求めて、もろともに、

心の駒に 鞭(むち)うちて、

学(まなび)の道に 進むべし。


井上赳作詞・下総皖一作曲

どんとなった

花火だ

きれいだな

空いっぱいに

ひろがった

しだれやなぎが

ひろがった

どんとなった

何百

赤い星

一どにかわって

青い星

も一どかわって

金の星

工作


壁掛けのもの入れを作りました〜

和歌の時間





寺子屋で金次郎の紙芝居
良く働いてたくさん学ぶ


金次郎まきを背負って本を読む
手本は二宮金次郎なり


寺子屋の工作でつくるバインダー
いろいろ切っていろいろはって


バインダー自分で作っていいと言う
これってハンディ?もしくは特権
     4年 男子


初めての大和の教え学び嬉し
娘の姿自己と重なる
       保護者


いろいろな形をつくり貼り付ける
バインダー完成寺子屋の(子ら)微笑む


夏休み父を見送り恩田川
ひまわりの横でラジオ体操
       山本講師


金次郎代表的な日本人
僕らの心の鏡となりぬ


明治帝の心をとらえた日本人
まきを背負った金次郎なり
       実吉講師


紙芝居金次郎の偉大さに
読みつつわれも胸せまりける


新しき仲間の増えし教室は
子らの目輝き、講師も張り切り
        加納講師



終わりの歌

優しいお母さん 


わたしがおねむになったとき  やさしくねんねんこもりうた

うたってねかせてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

夏はねびえをせぬように  冬はおかぜをひかぬよう

おふとんなおしてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

わたしが大きくなったなら ご恩をお返しいたします

それまでたっしゃでまっててね  ほんとにやさしいおかあさま



光 光 私は光

あなたを照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 あなたは光

私を照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 私は光

日本を照らす光だ

世界を照らす光だ

・人として行うべき15の心 朗誦

1.親に孝行せよ。
2.素直なこころ。
3.人に迷惑をかけない。
4.礼儀。
5. 物事の善悪をわきまえる。
6.正直な心。
7.感謝の心。
8.忍耐の心。
9.奉仕の心。
10.規則を守ること、約束を守ること。
11.恩を忘れるな。
12.思いやり。
13.誠実
14.勤勉。
15.因果応報。


本日の寺子屋 平成24年7月21日

国旗国歌の説明と作法
・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読

塾長のお話 〜夏休みの過ごし方〜

皆さん、おはようございます。いよいよ今日から夏休みですね。楽しいね。でも楽しんでばかりいては進歩がないのですよ。
七月はこの前海の日の話と七夕様の話をしましたが、今日は七月三十日の話をしようと思います。七月三十日は何の日でしょう。知っている人は相当の人ですね。
七月三十日は明治天皇様が崩御なさった日です。今年はちょうど崩御なさって百年になる。それでいま御祭りって、二十七日ごろから、今もずっと記念行事で、この前私たちは絵画館に行ったのですけれども、明治天皇様がずっと、お生まれになってから亡くなられるまでのことを、大きな絵に表している、それを寺子屋で皆で行ったんですね。すばらしかったけれど。いま明治神宮の参道のところに、縮小したコピーが飾ってありますね。
明治天皇様というのは、日本の文明開化をなさったすばらしい天皇様なのですね。国際的に日本がデビューした、そのために一身を捧げられたすばらしい天皇陛下だったんですね。その明治天皇陛下を偲んで、百年祭をしております。特に七月三十日は催しもの、式典やらいろいろな行事がありますので、もしよろしかったら行ってみると。
日本の夜明けという感じで、明治は開けられたのですね。日露戦争とか、いろいろ大変なことがあったのですけれども、それを全部乗り越えて、日本が、もしかしたら日本が明治の頃の先輩や、皆さんにとっては、曾お爺さん、もっとかな。曾々お爺さんたちになるかもしれませんけれども、その方たちが日本の方たちががんばらなかったら、今頃は、植民地になっていたアジアの国々も、日本も白人の奴隷になって、大変な切ない思いをしているかもしれないのです。だからとても、明治天皇陛下のことは、私たちは忘れてはいけないのです。
それで、今日は特に、夏休みの過ごし方ということでお話をしますね。
夏休みは皆さん、あっという間に終わるのよ。うっかりしていると。四十日もあるわと思っていたのが、すぐ済んでしまうのだから。だから毎日毎日、大切に一日一日を大切にして、四十日を過ごしてもらいたいと思うのですね。学校がないとついボーッとして一日を過ごしてしまうかもしれないけれども、一生のうちで夏休みというのはとても皆さんが伸びる。体も伸びるけれども、心も伸びるし、頭もよくなるときなのですね。
だからその過ごし方によって、夏休みが終わったときに、ボーッとした人と一生懸命がんばった人ではこんなに差がついちゃうのですね。
早寝早起き、朝ごはん。
昔の人は、暗いうちに起きて、暗くなった寝るという、とても体にいいことをしていたんですね。いまは、夜更かしする人がいますけれども、早寝早起き朝ごはん。先生ね、ずーっと四時半に起きて,九時か九時半に寝るんですよ。ずーっと。ときどき夜中になったりしますけれども、それでも四時半に起きる、気持ちいいですよ。夏は涼しいし、冬は寒いけれども、凛とします。さわやかです。皆さん、四時半に起きなくてもいいですけれども、でも五時半とか六時には起きましょう。なぜかというと脳にとてもよいものが出るのですけれども、夜は九時から十時くらいまでに寝ると、何とかテトロンとか言うものが出て、そして心も落ち着くし、脳の働きもよくなるという、脳の働きのよい成分が出てくる。
朝は今度六時から九時までに、早く起きれば起きるほど、九時過ぎたら成分が出てこない。それも体にもいいし、頭にもいい、それが出て来るのですね。何とかテトニンとか言うのですけれども、その成分が出て来る。だから、せめて朝は六時には起きましょう。先生との約束を守っていると、自分でも嬉しくなるくらい、よいことがたくさんありますからね。そして夜もさっき言ったように、成分が出ますからね、体にも頭にもよい成分が出ますから、九時半までには寝ましょう。そして朝ごはんはたくさん食べましょう。朝いっぱい食べると、元気が出て、エネルギーが出て、体も動くし、頭にもよいのですよ。そしてごはんを食べるときには、できるだけよくかんで食べましょう。おみお付けとご飯が一番言いの、日本人は。日本人は日本食を食べるのが一番いいの。パンはおやつとかならいいのですけれども、朝はできるだけ日本食を取りましょう。それがいいんですよ。
きんぴらごぼうとか、根っこのものを食べると根性が出てきますからね。それでサラダとか、そういうあっさりしたものもいいのですけれども、かぼちゃとか、ジャガイモとか、牛蒡とか、レンコンとか人参とか、そういう根っこのものを食べると不思議と根性が出てきます。人間根性がないとだめなのですね。四つの気というの、やる気・元気・根気・本気。それがないと人間はなかなか向上しない。何でも本気でやらなくては、どうせやるなら本気でやったほうがいいでしょう。本気でやりましょうね。
次行きましょう。毎日早朝に宿題・勉強をしましょう。〔復唱〕
朝というのは頭がとても冴えているのよ。夜はぼーっとしてしまうの。だからできるだけ朝お勉強は朝のうちに済ませましょう。そして昼間は体を動かしましょう。プールに行ったり、体も丈夫にならなければいけないから、体力つけなきゃいけないから。プールに行ったり縄跳びしたりして、汗かいて体を鍛えましょう。涼しい木陰で縄跳びしたり、体操したり運動して体も鍛えましょうね。
お手伝いをしましょう。お手伝いしていますか。みなさんはどうですか。お手伝いしていますか。あそう、偉い。お手伝いすると、要領がわかってくるわけね。人間は頭で考えて手足で動くわけね。それが頭だけ考えていると全然ものにならないわけですね。だから。お手伝いして体を動かしていると、今度は頭も働くようになるんです。要領がよくなってくるのです。
先生が子供のころは、もう幼稚園に行くようになったら、下に子供が生まれて、五歳ぐらいで赤ちゃんをおんぶしていたわよ。昔は下がどんどんできちゃうから、五歳ぐらいでおんぶして遊びに行くの。それでいろいろと知恵がついて、だから子供の育て方も、ちゃんと大人になったときに子供を育てられるぐらい、子供の育て方を見ているわけです。
今兄弟が少ないから、結婚してから子供が生まれて、育て方がわからない人がたくさんいるのね。だからたくさんお手伝いしたほうがいいですね。妹や弟がいる人は幸せなの。妹の面倒を見たり、弟や妹の面倒を見たり、お母さんのお手伝いをしたり、夏休みは特にお手伝いしましょうね。
次は、これは宿題なんですね。本を八冊以上読みましょう。昔の人は本当に本を読んだのね。明治時代の人がちょんまげ結って、ヨーロッパの方に行って、日本語しかわからない人が、行ったのですね。津田梅子さんと言う人は八歳。一人で外国へ行って、お勉強して、帰ってきて津田塾という大学を開いたんですね。だから、一人で一人前に扱われてしまった。八歳ぐらいで。すごいね。親もすごいけれどもね。そして必死で勉強したの。日本にいるときも寺子屋とか、いろいろなところで本をたくさん読んで、外国に行くから、外国に行ってもちっとも困らない。なぜかと言うと、言語は一つだから。すぐ外国語は覚えてしまったの。勉強することは大切なの。で、別に一生懸命いまから英語を勉強しなくても、本をたくさん読んでいれば、英語なんかもすぐできるようになります。だから夏休み中は、特に難しい本とか、一寸背伸びして、難しいなと思うような、普通の易しい本だけじゃなくて、八冊以上読みましょう。八冊以上呼んだ人にはご褒美を出します。去年どうでしたか、ご褒美もらって。あれ役に立ちましたか。一生懸命先生考えて皆さんにご褒美を出します。しかし、七冊じゃ出ませんよ。八冊以上ですよ。


天壌無窮の神勅の暗唱
聖徳太子の十七条の憲法 暗唱


大変だ、難しいと思うかもしれないけれどね。挑戦する喜びがあるのよ。必ず覚えられるから。先生の覚えられないことを、みんな覚えちゃうのよ。皆さんのほうが頭がいいのよ。だから、何度も何度も何度も繰り返し読んでいると、面白くなって、すらすらと覚えられるからね。しっかりと覚えてきてください。
八、九月と、ここだけ皆さんが覚えたら、十七条の憲法とあるでしょう。それを覚えてもらおうと思うのです。今年の宿題です。皆すごいね。すごいことになるんですよ。学校の人は皆こんなこと知らない。いまから覚えてね。だって皆さんは世界に飛び立つ日本の宝ですからね。先生力いれてやっているの。必ず覚えられます。その代わり、一回じゃ覚えられない。
今朝のテレビにピアノを弾く辻さんて知っている。眼の見えない。世界一になって、世界中演奏している人がいるの。今日テレビに出ていましたね。ピアノを弾くの嫌だと思ったことないですかとアナウンサーが聞いたのね。そうしたら、そんなこと考えたことない。ピアノが大好きだから、十五時間から十六時間ぐらい、すぐたつんだって。それだけ弾くから世界一になるのね。皆楽しんでお勉強しましょう。楽しんで本を読みましょう。そうすると、本当に輝いてきますからね。
では、次は八月四日ですけれども、それまでに覚えられる人はこの難しいのを覚えてきてください。では先生のお話はこれで終わります。




古事記朗誦


紙芝居〜天の岩戸


季節の歌


我は海の子 作詞作曲不詳

一、

我は海の子白浪の

さわぐいそべの松原に

煙たなびくとまやこそ

我がなつかしき住家なれ。

二、

生まれてしほに浴して

浪を子守の歌と聞き

千里寄せくる海の氣を

吸ひてわらべとなりにけり。

三、

高く鼻つくいその香に

不斷の花のかをりあり。

なぎさの松に吹く風を

いみじき樂と我は聞く。

四、

丈餘のろかい操りて

行手定めぬ浪まくら

百尋千尋海の底

遊びなれたる庭廣し。

五、

幾年こゝにきたへたる

鐵より堅きかひなあり。

吹く鹽風に黑みたる

はだは赤銅さながらに。

六、

浪にたゞよふ氷山も

來らば來れ恐れんや。

海まき上ぐるたつまきも

起らば起れ驚かじ。

七、

いで大船を乘出して

我は拾はん海の富。

いで軍艦に乘組みて

我は護らん海の國。 




「金剛石(こんごうせき)」

昭憲皇太后御歌・奥好義作曲





金剛石も、みがかずば、

玉の光は 添わざらん。

人も、学びて 後(のち)にこそ、

まことの徳は 現るれ。

時計のはりの 絶間なく

めぐるがごとく、時のまも、

光陰(ひかげ)惜(おし)みて 励(はげ)みなば、

いかなる業(わざ)か ならざらん。

水は器に したがいて、

そのさまざまに なりぬなり。

人は交(まじわ)る 友により、

よきにあしきに なりぬなり。

己(おのれ)に優(まさ)る よき友を

えらび求めて、もろともに、

心の駒に 鞭(むち)うちて、

学(まなび)の道に 進むべし。

書道の時間


和歌




今日初めてしょどうをしたきんちょうした
けど楽しかったもっとかきたい


これからはてらこやでたくさんおぼえて
みなよりあたまがよくなりたい
        3年 女子


夏休み友といっしょにカラオケへ
なに歌おうかああ楽しみ


学校へ40にほど歩かない
何度も実感夏休みだなあ


夏休みノート・日記に読書記録
宿題山もりやる気もわくぞ
         4年 男子


寺子屋で娘とともに学びしの
大和の心得るは難し
         保護者

作品発表 書評


・終わりの歌  

優しいお母さん 


わたしがおねむになったとき  やさしくねんねんこもりうた

うたってねかせてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

夏はねびえをせぬように  冬はおかぜをひかぬよう

おふとんなおしてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

わたしが大きくなったなら ご恩をお返しいたします

それまでたっしゃでまっててね  ほんとにやさしいおかあさま



光 光 私は光

あなたを照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 あなたは光

私を照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 私は光

日本を照らす光だ

世界を照らす光だ






・人として行うべき15の心 朗誦

1.親に孝行せよ。

2.素直なこころ。

3.人に迷惑をかけない。

4.礼儀。

5. 物事の善悪をわきまえる。

6.正直な心。

7.感謝の心。

8.忍耐の心。

9.奉仕の心。

10.規則を守ること、約束を守ること。

11.恩を忘れるな。

12.思いやり。

13.誠実

14.勤勉。

15.因果応報。

本日の寺子屋 平成24年7月14日

国旗国歌の説明と作法
国歌君が代斉唱
教育勅語奉読

塾長のお話

おはようございます。今日は、後で又神様のお話をしますけれども、七月七日七夕様のお話をします。
 もう七夕様の日はどういう日か知っているわね。誰か、言ってみて。
 〔確か、織姫と彦星が、一年に一度会える日。〕そうですね。どうして一年に一度になったのでしょう。
 〔遊びすぎて、神としての役割をチャンと果たさなくなったから〕
 よく知っていますね。牽牛は畑仕事をして、彦星は。織姫様は機織り。二人とも仲良くしすぎて、サボってばかりいるので、天帝、天之神様がお怒りになって、きちんとお仕事をしなさいと言われて、一年に一回だけ会わせてあげるって。昔は旧暦だからよいのですが、いまは梅雨だからね。今年はどうでしたかね。雨が多いと会えなくなる。でもそういうお話は、日本の国はちゃんと日本的に解釈するのね。そして星に願いをではないけれども、七夕様に願いを書いて、それが星に願いを掛けて、成就するようにお祈りするんですね。それからもう一つ、もう一つ日本的なのは、皆、穢れるというの、肉体は。神様の心そのままだったら人生は楽しいのだけれど、誰でも怒ったりするでしょう。腹立ったりしない?いつも神様のように、いつも穏やかにいられる?どう?
 いられないね、先生も時々、頭へきたりするからね。怒ったり、人を怨んだり憎んだり、そういうのは穢れるというの。そういう思いすると体が病気になったり、いろいろなことが起こるわけですね。それを、七夕様に願いを掛けて、きれいな心になって、そして流す。七夕の笹を流して、穢れを流してしまうという行事が日本的なの。
 先生の子供のころは、必ずどこの家でも、天井に届くくらいの大きな笹をお父さんが切ってきて、そこにたくさん短冊をかけるんですよ。そしてそれを川へ持っていって流すの。そこの川へ全部流して、海に行ってしまうのだけれど、どうなってしまうのか、その辺まで考えたことなかったのだけれども、子の間先生が生まれ故郷に行って川を見たら、先生が子供のころは、一メートル以上あったのですね、川が。その何年か前に行ったときには、アラ、水が減ったわねって、五十センチくらいだったの。今度行ったら、十センチくらいなの。それで、どうしてこん何川の水が減ったのと聞いたんですね、そうしたら、流れて来る上のほうの山で、先生の故郷は海と山に囲まれているのですけれども、そうすると畑にみな上のほうで水をまくんですって。下のほうが町になっていて、海に近いほうなのです。そこは水が減ってしまっているんです。だから、だんだんと自然は人間の考えでいろいろに使ってしまうと、そういうことになる。そういうこともあって、今回は大分の方はすごいでしょう。豪雨で。自然がいろいろの形で怒っているんじゃないかなと先生は思ったりするのですけれどもね。
 私たちはいつでも、怒ったり恨んだり、人を憎んだりしてはいけませんよ。そうすると体にきますよというので、常に穢れを落して、いつも心を穏やかに、静かになるように、清らかにするような行事が日本の伝統の行事なんですね。
 さて、今月もう一つ大事なことがありますね。七月十六日お休み。本当は十六日じゃないのね。
 〔海の日〕そう、本当は何日でしょう。忘れちゃったね。何で変わるのかと思うのだけれどもね。本当は七月の二十日なのですね。何で七月二十日が海の日になったかというと、日本は海に囲まれていて、お魚がたくさんとれて、海に恵まれているのですね。ですから海の仕事に感謝するように、海の仕事をしている人に感謝するように、海の恵みに感謝するようにできたのが七月二十日。その日は記念日なのですね。と言うのは、明治天皇陛下が初めて東北の方にご巡錫なさって、船に乗られて横浜の港に着いたのが、明治九年七月二十日だったのですね。その日を記念して海に感謝する日にしましょうと言うことで記念日になったのですね。
 ところがいまは、日を変えてしまうから意味がなくなってしまう。先生は元に戻してもらいたいと思いますっているところですけれども。それからもうすぐ、皆さん大好きな夏休みでしょう。いつから夏休みですか。二十一日から?いいねえ。楽しみでしょう。この次は、寺子屋二十一日ですから、その日は夏休みの過ごし方というのはお話ししましょうね。去年は、十冊読んだのね。今年も宿題出しますから。たくさん本を読んでください。
――終了――

古事記朗誦

クイズ ジャパニズム


平成24年7月14日


第一問
国という漢字はどのような成り立ちでこのような形の漢字となったでしょうか。
挙手でお答え下さい。(旧漢字「國」という字にすると考えやすくなります)


答え
小さな「口」という字は、「人」を表しています、「人口」などの「口」ですね。
その下の「一」は「土地」や「大地」を表しています。
「戈」はその「人」や「大地」を守っているかたちで書かれています、
「戈」は刀や武器のことです。
そして大きな「口」はそれを取り囲んでいますね、まさにこれが城壁にあたります。
國は城壁を囲んで外部からの脅威に備えました。これが「國」という字の成り立ちです。


ほとんどの国の都市には城壁があります、そうしなければ、国民を守る事ができないからです。しかしいざ戦争となり、他国に城壁を破られれば、中にいる人々は兵士でも一般庶民でも皆殺しにされました。それが他国の戦争でした。
しかし日本は唯一城壁の無い国です。どうしてでしょうか。
日本は戦をする武士と庶民の区別がはっきりとしてました。
戦になると武士同士が戦いました。そして大将がやっつけられれば、勝負有り、これで
戦は終わりました。皆殺しなどという発想はもとより無いのです。
庶民は、合戦がはじまると、合戦が見渡せる丘にのぼり、弁当もって観戦しました。
決して庶民には手を出さないと知っていたのです。なんともほのぼのして、他国とのギャップを感じますね。日本の戦は、殺したり略奪したりが目的ではないのです。自分らの名誉を守り、大義名分を大切にしました。だから大将がやられたら、はいそれまで、なのです。
江戸時代まで天皇は京都の御所にいらっしゃいました。しかし御所には高い壁はありませんでした。うすっぺらな低い壁か生け垣でした。(現在はそれなりの壁があります)また御所を守る番人や兵士いませんでした。なぜなら天皇を襲う人はいないからです。他国の王様は頑丈な城壁のお城に住んでいました。いつ他国や国民に襲われるかわからないからです。この違いは非常に重要です。国柄の違いや国民性の違い、あるいは他国の王様と天皇の違いをよく考えてほしいと思いますね。



第二問


日本の家紋の数はいくつあるでしょうか。


1. 200
2. 2.000
3. 20.000






答え 3 20.000


家紋は平安時代の貴族社会から生まれて、江戸時代には一般的に普及したそうです。
家紋は他国には見らません、ヨーロッパではシンボルマークにあたるものがあるが、その種類は非常に少ないです。
現在は冠婚葬祭などでしか使われないようですが、デザイン性も高く、各家庭で今一度見直してほしいものです。
家紋は祖先の血統、家柄、身分など表しています。
もともとは牛車のマークとして生まれました。
平安時代、朝廷に通勤する公家さんたちは、牛車に乗ってきました。しかし牛車が沢山あってどれが自分のであるか困ってしまいました。そこでマークをつけたという訳です。
次第に武家にも普及し鎌倉時代に定着して江戸時代には一般庶民へ普及したそうですね。
家紋には動植物や自然を表したものが多いのです。
それは日本人が自然とともに生きてきた表れなのだと思うのです。
自分の家の家紋を調べ、紋付袴以外でも自分のシンボルマークとして使用してみましょう。

季節の歌

・雨降り 

作詞:北原白秋、作曲:中山晋平

あめあめ ふれふれ かあさんが

じゃのめで おむかい うれしいな

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの

あとから ゆこゆこ かねがなる

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ

やなぎの ねかたで ないている

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか

きみきみ このかさ さしたまえ

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの

おおきな じゃのめに はいってく

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

歌詞の「じゃのめ」とは、「蛇の目傘」の事で、中を白く周辺を黒・紺・赤などで太く輪状に塗って、蛇の目模様を表した紙製の雨傘の事です。江戸時代から広く用いられていました。

我は海の子 作詞作曲不詳

一、

我は海の子白浪の

さわぐいそべの松原に

煙たなびくとまやこそ

我がなつかしき住家なれ。

二、

生まれてしほに浴して

浪を子守の歌と聞き

千里寄せくる海の氣を

吸ひてわらべとなりにけり。

三、

高く鼻つくいその香に

不斷の花のかをりあり。

なぎさの松に吹く風を

いみじき樂と我は聞く。

四、

丈餘のろかい操りて

行手定めぬ浪まくら

百尋千尋海の底

遊びなれたる庭廣し。

五、

幾年こゝにきたへたる

鐵より堅きかひなあり。

吹く鹽風に黑みたる

はだは赤銅さながらに。

六、

浪にたゞよふ氷山も

來らば來れ恐れんや。

海まき上ぐるたつまきも

起らば起れ驚かじ。

七、

いで大船を乘出して

我は拾はん海の富。

いで軍艦に乘組みて

我は護らん海の國。 



戦後、7番の歌詞は国防思想や軍艦が登場するという理由でGHQの指示により教科書から削られてしまいましたが、この国防意識の欠如が現在、周辺諸国の日本への侮りへと繋がっていると思うのは私だけでしょうか。このような美しい歌詞、立派な歌詞を歌い継いでいきたいものです。

神話紙芝居〜天照大神

日本の神さま

今日は神様のお話をたくさんしようと思います。第一義の神様、この神様はどんな神様かというと、さっき古事記で読んだでしょう。天之御中主神様、七代の神様は特別の神様で第一義の神様。神様にも全部役割がある。人間も私たちもいろいろな役割でしょう。大工さんも必要だし、政治する人も必要出し、芸術家も必要だし、皆それぞれ使命があって、役割があるように、神様にも役割がある。でも中心の神様は天之御中主神様で、作り主の神様、創造主の神様は第一義の神様ですね。
 第二義の神様はそうすると、どういう方になるか。第二義の神様はどういう神様でしょう。第二義の神様はイエス・キリスト様とか、お釈迦様とか、谷口雅春先生とか、日蓮様とか、宗教家。救い主としてこの世に現れた人を第二義の神様と言うのです。一義の神様の中に、天照大神様はいらっしゃるわけですね。天之御中主神様から全部そうですけれども、宇宙の神様が第一義の神様。
 では第三義の神様はどういう神様と思いますか。
 「古事記」に出て来る神様、神社がたくさんありますね。後で写真を見せます。その中でも一番有名な、日本の中にいらっしゃる神様の神社がいっぱい出ていますから、それを持ってきましょう。
 第三義の神様はどんな神様でしょう。みんなも第三義の神様になるかもしれない。第三義の神様は東郷神社とか、乃木神社とかあるでしょう。これは人として生まれてきて、そして活躍して、神様のように崇められた人で、神社に祀られた人それが三義なの。日本はいっぱいいるのよ。
まず有名なのが、〔「乃木希介とか……」〕そうそう乃木神社。〔「中江藤樹」〕そう、藤樹神社、よく知っているね。この間、三笠に行ったよ、三笠の人達って祭られている人たくさんいる。東郷神社、東郷平八郎。〔「吉田松陰とか」〕そうそう、松陰神社。
それから、まだたくさんあるのよ。人間として生まれてきて、神様のように崇められて神社に祭られている人。徳をたくさん積んで、世の中のためにたくさんいろいろなことをして、国のために役に立った人。三笠の中にも一人いるの。広瀬神社。それから、偉人伝の中に。楠正成、正行を祀っている湊川神社。それからもっと、益田神社というのがあるの、それは江戸時代の終わりの頃だったかな、日本にコレラが流行ったの。コレラが流行って村が全滅しそうになったときに、たった二十五歳の警察官がそこへ行って、九州の方、皆触ってはいけないと、コレラの人を全部隔離してしまって、亡くなると自分が背負って離れ島へ連れて行って、そこでほうむった。最初のうちは村人たちだけだったんだけれども、ついに自分がコレラにかかったの。そして死ぬときに、自分が全部コレラを持っていくから、これからは絶対にコレラは起こりません。自分が全部持っていきますと宣言して亡くなったの。そうしたら本当にその通りに、コレラがピタッと収まったの。それで村人たちが感謝して神社を建てた。益田神社。警察官の人が祀られています。
 他に思い当たることあるかな。まだいっぱいあるのよ。国のため、地域のために貢献した人達を神様のように祀る。
 戦争中に貢献して亡くなった非業の死を遂げた人たちを祭られた観音様の像を建てて、そんなのありますね。〔「靖国もそうなんだろうか」〕靖国神社は、戦争で国のために命を捧げた人をお祀りする神社ね。あれは一人の人ではなくて、たくさんの人が祀られていますね。あとありますか。〔「大きいところでは菅原道真公」〕そうそう、それ忘れちゃいけない、天神様ね。あちこちに天神様があります。元は福岡ですね。松陰神社も東京と山口にありますね。あと誰でしょう。〔「天皇はどうでしょうか。たくさん神社に祭られていますけれども、あれは違うのでしょうか。」〕崇徳天皇とか。まあそれも入るでしょうね。
 今思いつくのはそれぐらい。そうやって第三義の神様。だからみなさんも神社に祀られる人になるかもしれない。(笑い)第三義の神様は可能性があるのよ。第一義の神様と第二義の神様は、なかなか徳があるというか、使命がある神様。第一義の神様はだれでもなれない。見せましょうね。日本の神様は一番の大本は、伊勢神宮に天照大神様を祀っていらっしゃる。伊勢神宮、この奥にこれがあるのですね。二十年毎に遷宮をされる。ですから、ここの中にはなかなか入れない。この前から皆さん拝むのですね。
 邇邇杵の尊様が高千穂の峰に降り立って、「古事記」の話にあるでしょう。これから出てくるの。そこはこれ。「古事記」の中に出て来る神様を祀っている神社がたくさんあるんですね。これは高千穂の邇邇杵の尊様をお祀りしているところね。たくさんの、関係する人達をお祀りしているところですね。ここは、天照大神様。
 皇居の中にも天照大神様をお祀りしている賢所、それから、神嘉殿といって、八百万の神様をお祀りする神嘉殿と、それから、代々の天皇陛下をお祀りしている皇霊殿と、皇居の中には三つあるんですね。でも元は伊勢神宮だから、天照大神様をお祀りしているので、必ず何かのときには、けじめのときには、皇室の皆様は伊勢神宮にお参りします。
そして出雲大社と言うでしょう。これは出雲大社だけれども、すごいよね。
 出雲大社、国譲りのときに、大国主命様が天に届くような社を作って祀ってくれと約束するわけですね。そのときに約束して建てたのがこれ、四十八メートルの高さ。昔の人はすごいよね。鉄筋とか何とかないんだもの、木を使ってね。心の御柱が田の字型で、八本、それが出てきたのね。出土した。いまのは建て替えられたものですね。最初は土台が出てきて、こうだったのだろうというのが想像ができてできたのですね。日本の国ってすごいのね。神様をきちんと、神様を大切にして、いろいろなところに縁の神様をお祀りしているのですね。これが全部日本の神々様が祭られているところね。
 これは国譲りのときに、諏訪神社に逃げていったの。大国主命の子供、お子様で、長男はすぐにはいはいと言って譲ったのだけれど、次の次男の人が抵抗したのね、それで負けたの。それに逃げていったのですけれどもね。また紙芝居で見ましょうね。
 全部橿原神宮。神武天皇様をお祀りしているところね。四国のところ、大山津見神様。木花咲耶姫様。邇邇杵尊様の奥様のお父様。そういう「古事記」の中に出て来る神様画ほとんどこうして祀られている、大体関東からこちらですね。東北の方はあまりないかな。日本はすごいのよ。すばらしい神様を大切にして、あちこちに神様がお祀りしてある。伊勢神宮の中には、二百五十社ぐらいの、火の神様、風の神様、いろいろな神様が祀られていてね。
天常立之神様。おうげつひめ、これは食べ物の神様ね。国常立之神様というのは、強い神様で、蛭子の神様というのもちゃんといるんだね。〔神社があるらしいですね。〕ちゃんと、流されたままでなくて、祀られているというのが日本の国のすばらしさ。悪も失敗も全部神様として崇められている。
(ちゃんとした形で生まれないで、できそこないとして、川にながされてしまうとある。)

和歌の時間

・終わりの歌  

優しいお母さん 


わたしがおねむになったとき  やさしくねんねんこもりうた

うたってねかせてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

夏はねびえをせぬように  冬はおかぜをひかぬよう

おふとんなおしてくださった  ほんとにやさしいおかあさま

わたしが大きくなったなら ご恩をお返しいたします

それまでたっしゃでまっててね  ほんとにやさしいおかあさま



光 光 私は光

あなたを照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 あなたは光

私を照らす光だ

みんなを照らす光だ

光 光 私は光

日本を照らす光だ

世界を照らす光だ






・人として行うべき15の心 朗誦

1.親に孝行せよ。

2.素直なこころ。

3.人に迷惑をかけない。

4.礼儀。

5. 物事の善悪をわきまえる。

6.正直な心。

7.感謝の心。

8.忍耐の心。

9.奉仕の心。

10.規則を守ること、約束を守ること。

11.恩を忘れるな。

12.思いやり。

13.誠実

14.勤勉。

15.因果応報。

本日の寺子屋 平成24年6月24日


親子教室・寺子屋合同で、明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館を見学
「親子教室」ページ参照ください。

本日の寺子屋 平成24年6月9日

・国旗国歌の説明と作法

・君が代斉唱

・教育勅語奉読

塾長のお話〜明治天皇



今日は明治天皇陛下のお話をさせていただきますね。明治天皇陛下は嘉永五年、十一月三日、今は文化の日になっていますね。ですけれどもこの日は明治の日にしましょうと、今私たちは考えているところなのですね。昭和の日も緑の日だったのが昭和の日に変わりましたように文化の日、明治天皇陛下は文化を広めてくださったので、文化の日ということになっているのですけれども、それは戦後の事で、戦前は明治節になっていたのですね。だからその日を、明治の日というのに変えましょうという運動をしているところなのですね。
 嘉永五年(一八五二年)十一月三日、お生まれになったのは、いまから何年前のことでしょう。百六十年くらい前の十一月三日にお生まれになりました。皇室の方がお生まれになるときには、御降誕と言います。尊い方のお生まれになるときはご降誕といいますね。お名前を祐宮(さちのみや)睦仁親王とおっしゃいました。この頃は日本の国は、それまでは日本だけでまとまって静かに暮らしていたのが、この頃から外国船がやってきて、英国やアメリカから、押し寄せてきて、そして隙あらば植民地にしましょうと、あちこちの国が、オランダとかいろいろな国が様子を見に来ていたころなのです。
 そのときに、明治維新というのがあって、心ある、先見の明のある、大和魂のあるすばらしい人達ががんばってくださって、この前東郷平八郎の三笠を見に行くときには、日露戦争の話を実吉先生がしてくださったけれども、とても大変なときだったの。それが、お父様の孝明天皇陛下が慶応三年一月九日(一八六七年)にお亡くなりになった。そしてたったの十六歳、数え年の十六歳なのね、満だと十五歳なの。十五歳というと高校一年生のときにご即位なさって天皇陛下になられたの。
 だから昔の人は偉かったね。皆、十五歳になったらもう元服して、一人前になるのね。今は二十歳になってもまだ子供っぽいですけれども。だからしっかりしていたんですよ。昔の人は。それはなぜかというと、もう四歳からたくさんの勉強をしたのです。だからしっかりしてきた。やはり勉強は大切ですね。
 そして四十六年間にどんな事をなさったかと言うと、憲法の制定、いま先生たちは、明治帝国憲法復元と、今一生懸命言っているところなのですけれども、心血を注いで明治の人達がすばらしい憲法を作ってくださったのよ。だから今の憲法と、全然問題にならないくらいすばらしい憲法なのですね。
そして、議会政治の開設をした。それまでは、あちこちに藩があって、薩摩藩とか伊予藩とか、そこでやっていたのを、全部日本国中を一つにまとめて、議会政治が始まったのです。日本は今でも飛行機を作らせたら、世界一の飛行機が作れるそうですよ。それが、外国の船を見た途端に、それを見習って瞬く間に軍艦をつくってしまったのですね。そして、ロシアの軍艦をやっつけてしまったんですね。そういうふうに国防の充実を図る、そして今日実吉先生が朗読してくださった「教育勅語」も、明治二十三年十月三十日御名御璽と。明治二十三年に制定されたのですね。
そして産業の開発、蚕、絹製品とかいろいろな開発がされたわけです。
そしてスポーツも奨励された。それで外国との交流とか、あらゆる分野で近代化が発展して、大きな飛躍を遂げたのが明治時代。その明治時代があって、今日の私たちは安穏に暮らしていられるということになるわけです。
そして世界中の人々が、それまでは白人人種の世界だった。それが黄色人種,アジアの日本人が……、白人の人達は、それまでは黒人とか黄色人種を馬鹿にして、劣っていると考えていた。ところが日本人は、強いだけでなくて頭もいいし、優れているということでびっくりなさったわけですね。
いま韓国や中国が日本を貶めようと思って、一生懸命策略しているのですけれども、日本は貶められない。ノーべル賞だって19人になったんだっけ。そんなにたくさんの人がとっているけれども、韓国も中国も、中国は平和賞だけもらったけれど、だれももらうことができない。
そのように技術とかそういうことでは全然ノーベル賞もとれていない。やっぱりうらやましいのかしらね。中国や韓国は何とかして日本を越えようと思ってがんばっているのかもしれませんけれどもね。そのように、世界中の人が、日本の国を認めて、これじゃあ植民地にできないと思ったのが明治の頃なのですね。世界中の人が驚異の目を持って見ていられる。
そしてそれが、外国に行くとお城の中でたくさんの絵が並べられているのですけれども、日本でそれに匹敵するのは、絵画館だけですね。あそこには、二百五十メートルの壁面、ずっと壁に明治のころの年代を追って、天皇陛下がいろいろなことをなされたのを、教育勅語の制定された日の式典の模様だとか、いろいろな場面、場面が、なんと三メートルと二・五メートルに大きく書かれて、壁面にずっと並べられたのですね。それを二十四日には見てきます。すばらしい絵です。先生も二回行きましたが、行くたびに感動しますね。
一つ一つゆっくりと見て、絵もすばらしいですけれども、当時の様子、ご衣裳とか、当時のことがそのまま見られますから、しっかりと見て、明治の人達がこんな感じで、一生懸命がんばって、日本の国を支えてくださったんだなと言うところを見てきていただきたいと思います。
では、明治天皇様の御製を読みましょう。


あさみどり澄み渡りたる大空の 広きを己が心ともがな


どういう意味かと言うと、澄み渡っている、そのすばらしい、清らかな大空、自分もそのように、いつも清くいたいという気持ちをうたわれたお歌ですね。


目に見えぬ神に向かいて恥じざるは 人の心の真なりけり


神様は目に見えませんね。神様は見えないけれどもいらっしゃる。その目に見えない神様に向かって自分が恥じない、恥ずかしいことはしない、その人の心は、そういう気持ちでいることはとても大切なことですということですね。


いかならむ時に逢うとも人は皆 真の道を常と教えよ


どんなに困難で苦しいときにあっても、真面目に一生懸命生きなさいと教えましょうという事ですね。皆さん、昔の人は嘘をついてはいけない、正直が第一と教えられたのですね。一生懸命真剣に真面目に生きるのがとても大切ですね。貧乏で、昔の人は、今はいろいろなことがあって、皆さんも耳に入るかもしれませんけれども、もらったら不足だと言うので、お金のある人でも、暮らしに困らないほどの人でも、もらわなきゃ損だと言って生活保護とかいって、国に頼ってね。昔の人はそういうのを恥だと思ったのですね。
先生のおばあさん、生きていたら百五十ぐらいになるのですかね、田舎からみんな家族で先生は、東京へ来ました。その頃は二十四時間かかったの、愛媛県の宇和島からこちらへ出てくるのにね。そのときに、そんな遠い東京へ大変だから、おばあさんそのとき八十歳だったの、こちらに残りなさいと皆が勧めたんだけれど、地元に娘がいるのね、娘は嫁に出しているから、「よそのうちの世話にはならぬ」と言ってね。先生の弟は家のあとを継いでいるわけですね。「のうちゃんの世話になる」と言って、家というものをすごく大切にしたの。だから、国の世話になるなんていうのはそれこそ恥なのです。もし嫁に行った娘に世話になるのだって恥だと言ってね。直系の自分の家の世話になるのは当然と。昔の人は考えていたわけなのですね。
だから、正直に、どんな困難があっても、本当に貧しい中でも工夫して、がんばって、世話にならない、まじめに生きる、真剣に生きるということが大切ですよと教えなさいというお歌ですね。
次は、昭憲皇太后の御歌。天皇陛下の歌は御製と言います。それで皇后陛下の歌は御歌(みうた)といいますね。昭憲皇太后の御歌を聞きましょう。


磨かずば玉の光は出でざらむ 人の心もかくあるらし


金剛石を歌っているのね。いつも昭憲皇太后の金剛石の歌を歌っているでしょう。あれと同じようなお歌で、磨かずば、磨かなければ、埃が積もっていたら玉は、光らない。どんな美しい宝石でも光らない。人の心もいつも自分の心を磨いて、清らかな心で、嫌な、汚い心を起こさないように、欲とか、いろいろの心を起こさないで,得をしようとか、そういうことを起こさないで、いつも心を清らかにしていましょうということですね。
では次に行きます。


朝ごとに向かう鏡の曇りなく あらまほしきは心なりけり


朝、鏡に向かう。向かわない人はいないでしょう。その鏡が曇っていたら、よく映らないでしょう。自分の心もいつも澄み切って、鏡が澄み切っているように、自分の心もいつも澄み切っていたいなというお歌ですよね。
そのように、いつもこうして明治天皇陛下は一万首も歌われた。膨大な歌をおつくりになったのです。それがあまりにもすばらしくて、いつも国民の心を思うお歌が多いので、それで発表して、侍従の人が、なんとしてもこれは世間の皆さんに知らせたいというので、お正月のお歌会始はそういうところから始まったと言われていますね。そのようにすばらしい明治天皇陛下の事跡を見に行きます。遅れないように来てくださいね。

・古事記朗誦






神話〜紙芝居 須佐之男命



季節の歌 

工作〜父の日のプレゼント

父の日間近ということで、お父さんへきれいな黒板をつくりました。
メッセージを添えて出来上がりです。
毎日の家族同士でのメッセージを書くにもとてもいいですね。
何か良い言葉を毎日黒板に書いておくのもいいと思いました。

和歌の時間

寺子屋で父の日のためのプレゼント
ボンドを使ってゆびがベタベタ


学校で最大級のおまつりが
いつだったかなもうすぐのはず


おまつりで屋台じゃないが店を出す
クラス共同でプラ板つくり
          4年 男子


スポーツフェスチィバル(スポーフェス)で2位になったよ
がんばった来年は一位きっととるぞ
          4年 男子

発表 書評
歌 やさしいお母さん  光
15の心 朗読

次回は聖徳記念絵画館見学です。


本日の寺子屋 平成24年5月12日

塾長代行のお話

皆さんおはようございます。本日は坪田塾長は出張中ですので、お休みです。
5月5日は何の日かわかりますか、そうです、こどもの日ですね。ではこどもの日はどんな意味があるか解りますか。僕らこどもの日だから、自分の日だ、なんて思っていませんか、それも間違っていませんけどね、祝日の法律をみますと、このように書かれています。「子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかると共に、母に感謝する日」とあります。どうですか、こどもの日は子供の幸福をはかる日、だけではなくて、お母さんに感謝する日なんですよ。驚いたでしょ。今現在、お母さんに感謝する日は、「母の日」として、今年は5月13日ですが、「母の日」だけだと思っていましたね。だけど、「母の日」の発祥は、アメリカです。日本では、戦前まで、昭和天皇のお妃でいらっしゃいます香淳皇后様のお誕生日の3月6日に母の日が行われていました。日本のお母さん的な御存在でいらっしゃいましたので、その日だったんですね。戦後は、アメリカにならって、現在の5月になりました。
ですので、お母さんに感謝する日は2日あるわけです。いいですね、お母さんに2回も感謝する日があって、親孝行が沢山できますね。子供の日は、自分を生んで育ててくれたお母さんに感謝の言葉をかけて、母の日には、お花でもプレゼントして、沢山孝行をしてくださいね。


それでは、次は、この映像を見てほしいと思います。


どうですか、ニホンミツバチとスズメバチの戦いです。私はこの動画を見て、非常に感銘を受けましたよ、ミツバチは大きなスズメバチにたいして、一匹では到底かないません、でもこうして、集団で立ち向かい、蒸し殺しました。中にはスズメバチに刺されて死んでしまうものもいるでしょう、あるいは、熱に耐えられない個体もあったかもしれません、それでも集団で挑み、見事撃退しました。
いくらかの犠牲の上にこの戦いに勝利しました、個人は全体のため、全体は個人のために、戦いました。この行動は日本ミツバチだけの行動なんですよ、西洋ミツバチはこのようなことはしません。
私はこの日本ミツバチ達に日本人の姿を見ました。日本人は頭はよく、優秀ですが、肉体的にはやはり西洋人にはかないませんね、だから、西洋人に対し、集団になってチームワークを大切にして、昔から戦ってきた歴史があります。そうやって日本人は日本を守ってきました。
 みなさんもこれから色々な難題があるかもしれません、それでどうしても一人ではどうしようもないとき、仲間に力になってもらうことも一つの方法だと思います。あるいは、運動会や団体スポーツでの、団体戦をこれから学校などでやると思います。私も学生のころの運動会などは忘れられない一つの思い出です。その競技での成功や達成感、仲間との一体感、これは大変貴重な経験であると思います。沢山の仲間とのやり遂げる力はその後の人生において、必ずや自分の力となると思います。ですので、友達を沢山つくって、信頼できる仲間や家族を大切にしてほしいと思います。
そして、仲間が助けを求めてきたときは必ずや力になってほしいと思います。
それから、個人は全体のため、全体は個人のため、という事も考えてほしいと思います。個人は大切なことですが、全体を形成する社会がちゃんとしていなければ、個人の保障などは成り立たないんですね。それは自分だけきれいな服を着て着飾っていても、住んでいる家がぼろぼろで屋根も壊れて雨漏りでもしていたら、住んでいることはできませんね。それと同じで、社会や国がしっかりしていないと、個人の幸せは実現出来ませんね、ですので、世のため人の為と言う通り、日本と世界のお役に立つ人になってほしいと思います。

神話〜天地のはじめ

紙芝居です。
神話はこの「天地のはじめ」から全ては始まります。
日本の成り立ち、古代の人々が何を感じて生きてきたのか、神話には沢山の示唆があります。ぜひみなさんも古事記など、神話を読んで下さいね。

工作〜母の日のプレゼント

母の日間近です、子供達は母へのプレゼントを一生懸命つくりました。



仕上がりは上々ですね、お買い物やちょっとしたものを入れるにぴったりですね。そして、似顔絵とメッセージを添えて、完成です。

和歌の時間



和歌を毎回創っていると、子供達の感性が良くなって行くように感じる今日この頃です。




あしたはね お母さんの日 たのしみだ 
てらこやでつくった カードをあげるよ 4年生 女子


工作で 電車と花の 絵をかいて 
世界に一つの かばんを作った     4年生 男子


寺子屋で ニホンミツバチの 働きを
教えてもらって すごいと思った    4年生 男子


寺子屋で 母の日のための プレゼント
イメージうかばず なんとなくかく   4年生 男子


学校の 話がはずむ 寺子屋の
級友とぼくは 鏡のようだ       4年生 男子

本日の寺子屋 平成24年4月21日

塾長のお話



皆さん、おはようございます。本日は本年度の寺子屋の始業式です。新年度にあたって、どうして先生が寺子屋を一生懸命やっているか、お話したいと思います。先生の子供の頃の学校では、日本の素晴らしさとか、お父さんお母さんを大切にしなければならないとか、目上の人を尊び、年下の人を慈しむ心とか、日本の伝統文化を学びながら、世界一素晴らしい国であると教えられてきました。ところがいまは学校で、まだ小学生の人達はあまり感じていないかも知れないけれども、中学生・高校生になるともっと、もう日本の国は戦争した悪い国である。日本の過去は醜いものであるというように受け取れる教育をされてしまうのです。そうすると中学生・高校生の人達は日本に生まれたことが、もういやになってしまう。外国に行って日本人ですと、誇りを持って言えないような状態になるのですよ。それで日本のことを知らないから外国へ行って、総理大臣からして恥をかいているのです。
そういうことになってはいけないので、中学に行く前に、小学生の間に、日本のことをいっぱい皆さんにお伝えしたいわけ。それでこの間、先生嬉しかったんだけれども、孝君も現天皇が百二十五代天皇で、それから皇紀二千六百七十二年だという事を知っている人いなかったでしょう。それで孝君だけ知っていて、皆さんに教えてあげられたでしょう。だからそういうのもずっと、高校へ行っても大学へ行っても教えられないわけ。それでは困るので、皆さんがかわいそうなので、この寺子屋でそうやって小学生のうちに、日本の事をしっかりとお伝えしたいと思ってここはあるんですよ。だから堂々と、寺子屋でお勉強したことを、お友達に話してあげてほしいと思いますね。それでできるだけ教室に連れてきてくれると嬉しいなと思うのですけれどもね。
さて、四月はいろいろな行事があります。四月八日は何の日でしょう。四月八日はお釈迦様のお生まれになった日ですね。この日は甘茶を飲むんですけれども、なぜ甘茶を飲むかというと、お釈迦様の生まれたときは、甘露が降ったんだそうですよ。甘い雨が降ったそうですよ。そういう宗教家のすばらしい人が生まれたときは、いろいろ逸話があるのですね。谷口雅春先生がお生まれになったときも、太陽と月が両方輝いているときにお生まれになったんだそうですよ。お釈迦様は、摩耶夫人の横腹からお生まれになったとか、お釈迦様はお生まれになってすぐ、指を指して、四歩歩いて『天上天下唯我独尊』と言った言葉が出られた。そんな人いないね。そのくらいすばらしい人だったということを言いたかったの。世界中で仏教の話は、いろいろなお話しがありますけれどもね。
今月、四月二十八日は、学校でも教えられないけれども、日本にとって特別の大切な日なんですね。それは、戦争に負けてアメリカに占領されていたの。そしてアメリカの言いなりになっていたのですね。いまでもそういうところがあるのですけれども、そのときに、昭和二十七年の四月二十八日に、主権が回復した。日本の国の主権が回復した日なのです。だから先生はここの所毎年、その日に国旗を揚げているの。そして日本の国が独立した、主権が回復した、その日をお祝いしたいと思って国旗も揚げているのですけれどもね。今ようやく政府も動きだして、この日を休日にしましょうと。ずっと前から先生たちはそうやって言っていたのですけれども、ようやく政府も今回四月二十八日は、行事として祝日にしましょうという、お祝いの行事が行われるようですね。
それで今度、四月二十九日は何の日でしょう。ゴールデンウィークで、会社は五日まで休みのところも多いですね。
昭和の日。昭和天皇陛下がお生まれになった日です。天長節といいますね。昭和天皇様がご健在のときには四月二十九日が天長節だったのですね。その日は国旗を揚げて日本中がお祝いをして、昔は学校に行って式典があって、紅白のお饅頭もらって帰ってくるの。
そのくらい大切にしたのですけれども、いまは忘れられていますけれども、特に昭和天皇陛下は国民と一緒になって、とても国民のことを思ってご苦労なさったの。なぜかというと、戦争が終わって、その戦争のお陰で、アジアは皆独立して、白人の植民地だったのが、アジアは、中国と韓国以外の国々からは、日本の国は感謝してくださっている。日本が今、難産の上に私達を生んでくださったと、各国全部すばらしい独立が出来たのも、日本というお母さんが難産で私達を生んでくれたからだと、そういう国の人達もいるくらいなのですね。
ところが日本の国は、今は終戦からずっと戦争した悪い国だ、戦争した悪い国だといわれていますけれども、本当に、せざるを得なくて、戦争せざるを得ない状態で戦争に突入したのですね。世界中を相手にして、すごいでしょう、小さな国が世界中を相手にして戦争したのだから、すごい国だと思うよ、先生は。そして初めて負けた。日本の国はそれまで、戦争しても負けたことがなかったのね。世界中の国が日本は負けると思っていたのに、ロシアと戦争して勝ったでしょう。それが負けちゃったのね。ペシャンコだったのよ、国の皆さん、国民が。それで二度と強い国になったら大変だということで、それでいろいろな政策をされて、今日になっているわけなのですね。それはまたおいおい勉強したりお話ししたりしますけれども。
それで、戦争が終わった、焼け野原。あっちもこっちも、先生の住んでいたところは焼けなかったのですけれども、もう日本中が、焼け野原になったのね。広島なんか原爆を落とされてしまったから、もう本当に人も大勢亡くなってしまって、その後の後遺症でも苦しんだ人がたくさんいるのですけれども、そうやって廃墟になってしまった。その中から今のすばらしい日本の国の復興があるのですけれども、昭和天皇陛下が何とかして皆さんを助けたい、皆さんに勇気を与えたいと思って、全国を回られたわけです。そのときのお歌がここにあるのです。お歌を紹介しますね。


『戦いの 災い受けし国民を 思ふ心に 出で立ちてきぬ』


おうちも焼かれてしょげきっている国民をなんとしても励ましたいと思って、そして自分を励まして立ち上がって、全国を回って、最初は川崎の会社、そこから出発なさったのです。そのときにアメリカの占領軍の人達は、きっと天皇陛下が行くと国民が石を投げつけて、自分たちがこんな惨めな思いしているのは、天皇陛下のせいだと、石をぶつけると思ってみていたんだって。そうしたら、いく先々で皆さんが涙を流して喜ばれるわけ。陛下にありがとうございますと感謝の言葉を述べて、それでアメリカ人はびっくりしたんだって。どこの国だって、戦争に負けて、大統領がそこへ行ったら、殺されるような目にあうわけですね。それだけ天皇陛下は徳が高いのと、心が国民とともにあるから、陛下のお姿を見ただけで涙を流して、勇気が出てがんばる。いまもそうです。平成の天皇陛下も皇后陛下も、そのようになさっていますよね。


『災ひを 忘れてわれを出迎ふる 民の心を嬉しとぞ思ふ』


といって、自分のことを、ひどい目にあっているのに、そういうことを忘れて自分を迎えてくれて嬉しいなと。
『国を興す 基と見えて生業に いそしむ民の姿たのもし』
生業というのは生活ね。国を興す元となる暮らしに一生懸命いそしんでいる、その国民の姿を頼もしいなと思うといってお書きになっていますね。そのようにいつも天皇陛下は、今もそうですけれども昭和天皇陛下はご苦労なさったの。廃墟の中で国民を励まして、そして日本の国が栄えますようにという気持ちをもって、いつもいつもお祈りをしてくださって、国民のしあわせを祈ってくださっていらしたのですね。その陛下のお誕生日が四月二十九日ですので、国旗を揚げて、感謝してお祝いいたしましょう。
それでは今日はこれから神社に行って、皆さんが立派な日本人になるように、今年もよろしくお願いしますと、神社にお参りに行きます。では、年度初めからしっかり皆さんにお勉強して貰いたいので、今年はまず、これを暗誦していただきます。


「明るい楽しい春が来ました。日本は春夏秋冬の眺めの美しい国です。山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。お父さんもお母さんもこの国にお生まれになりました。おじいさんにおばあさんも、この国にお生まれになりました。日本よい国清い国、世界に一つの神の国。日本よい国強い国、世界に輝く偉い国。」


五月いっぱいに覚えましょう。
では先生の話はこれで終わります。
                ――終了――


季節の歌




本日の歌「こいのぼり」にちなんで、紙で「こいのぼり」を作りました。

『こひのぼり/こいのぼり』作詞:近藤宮子 作曲:不明


やねより たかい こひのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごひは こどもたち
おもしろさうに およいでる


『めだかの学校』は戦後の昭和25年の作品なんですね。知りませんでした。。


『めだかの学校』 作詞:茶木滋 作曲:中田喜直


めだかの 学校は 川の中
そっと のぞいて 見てごらん
そっと のぞいて 見てごらん
みんなで おゆうぎ しているよ
めだかの 学校の めだかたち
だれが 生徒か 先生か
だれが 生徒か 先生か
みんなで 元気に 遊んでる


めだかの 学校は うれしそう
水に 流れて つーいつい
水に 流れて つーいつい
みんなが そろって つーいつい






そして、毎週歌うのが、『金剛石」です。
今回は教室の歌の様子を録音してみましたので、聞いてみて下さい。
歌い慣れてくると、歌詞がしみじみと心に響きます。


「金剛石(こんごうせき)」


昭憲皇太后御歌・奥好義(おく・よしいさ)作曲


金剛石も、みがかずば、
玉の光は 添わざらん。
人も、学びて 後(のち)にこそ、
まことの徳は 現るれ。
時計のはりの 絶間なく
めぐるがごとく、時のまも、
光陰(ひかげ)惜(おし)みて 励(はげ)みなば、
いかなる業(わざ)か ならざらん。


水は器に したがいて、
そのさまざまに なりぬなり。
人は交(まじわ)る 友により、
よきにあしきに なりぬなり。
己(おのれ)に優(まさ)る よき友を
えらび求めて、もろともに、
心の駒に 鞭(むち)うちて、
学(まなび)の道に 進むべし。


神社参拝




新年度にあたり、寺子屋青葉の繁栄とともに、子供達の健やかなる成長とを祈願するため、神社参拝をいたしました。



その後、境内で、参拝した神社の御祭神(日本武尊、弟橘比売命)であられます「日本武尊」の紙芝居を聞きました。


そして、それぞれ、和歌を詠みましたので、ご紹介いたします。




新学期寺子屋の初めの日
神社に行って紙芝居(おとたいばなひめ)を見た
神社ではしずかなイメージあるけれど
道路が近くけっこううるさい
学校でせきがえをするらしいけど
するといいつつまだやっていない
          4年 男子


じんじゃの横にそびえる椿の木
くれないの花がたくさんさいてるよ
          4年 男子


取り越しの苦労せずとも子は育つと
無患子(ムクロジ)の木は教えてくれり
             保護者


年々に少なくなると言うけれど
神社に集うスズメは多けれ
            実吉講師


小雀のチュンチュンと鳴き友を呼ぶ
寺子屋青葉にも子等よ集まれ
            松崎講師


年度初め(寺子屋の子ら)子ら伸び行けと(神前)神に祈る
太鼓の音(ね)響く心地よきかな
大木に囲まれし神社(やしろ)に御祭神(おとたちばなひめ)
鎮まりまして我ら守らん
            坪田塾長



本日の寺子屋 平成24年3月17日



本日は、23年度の修了式です。
国歌君が代斉唱の後、教育勅語奉読し、生徒達に皆勤賞授与及び、賛嘆賞授与が執り行われました。今年度も、生徒達は一生懸命に日本の伝統文化を学び、和歌や、書道などのすばらしい、作品を数々作り上げました。
来年度も引き続き、がんばりましょう!


来年度も新規生徒第募集中です。お気軽にお問い合わせ下さい!

塾長式辞



皆さん、二十三年度終了、おめでとうございます。これから一学年ずつ上って、体も大きくなるし心もすばらしくなるし、知識も豊富になって、感性もすばらしくなって、より一層大きく成長しますね。おめでとうございます。
 人生はいろいろなこと、思わぬときに思わぬことが起こるものです。まさかと思うことが起こってしまうのね。三月十一日、東北大震災から丁度一年たちましたね。この頃、震災の特集が新聞にいろいろと出ています。世界中の人が日本の国はすごいと言って感動していることが書かれています。震災後、外国からも、ボランティアで瓦礫の片付けとか、いろいろ被災地にお手伝いに来てくれているのね。その中で、みんな本当に感動するんですって。日本の姿に。
 というのはテレビで、皆さんも見たでしょう。昨年の三月十一日の日に、ものすごい津波で、家も、船も流され、船がビルの上に上がってしまった。そんな大きな津波というのは、世界中探しても千年に一度で初めてだったんですね。世界中に津波はあったけれども、今回の日本の津波は今の世の中に生きている人は初めてだった。世界中の人が初めてだったのね。それでびっくりしちゃって、もう日本はおしまいかなと皆さん思った。それで日本をとにかく手伝ってあげましょうという事で、世界中の人が手伝いに来てくれています。
シンガポールからも大学生の人が手伝いに来たんです。ウォ・ペイオンさんという人だけれども、最初に東北弁で「がんばっぺしい」と書いたヘルメットをして皆ががんばっているのを見て、その意味が分からなかった。でも意味がわかって、ああすごいなあと、「類まれな日本の精神だ」と思ったというのですね。あのすごい、どうにもならないだろうというくらい、町が全部なくなってしまったんだから。瓦礫の山になってしまった。まだまだそのまま瓦礫の山だろうと思ってきたら、まだ四カ月しか過ぎていないのに、もう瓦礫が片付けられていたの。テレビで見たそのときのすごい様子は全然なかったというの。それでまずびっくりした。
日本では皆さんがまだ、復興の事業が遅い遅いと、日本中が皆思っているの、だけれども外国の人は、そうなったら何十年もそのままだろうと思っているみたいなのね。それが何ヶ月も経たないうちに、瓦礫がなくなってしまって片付いていた。それを見てびっくりしてしまったんだって。そして、日本人には、類まれな日本精神があるのだろうって。それを研究したんだって。そのシンガポールの人はね。そしてその人は日本精神を身につけちゃった。その日本精神とは「思いやり、粘り強さ、くじけない、七転び八起きの精神、そして絆と結束の強さ」だという。それを被災者の皆さんから教えられた。そして命を落とした人々の事を忘れない。生きている人々の事も忘れてはないという言葉が、皆さんから出てくるという、それに感動したと言います。
日本精神は皆さんは学校では教えられないかもしれませんが、いつも寺小屋では教えられてきましたね。
追悼式にご出席される天皇皇后両陛下今月の十一日に震災追悼式が催されました。追悼式には、天皇陛下は、心臓手術した後まだお身体が完璧に癒されていないのに、それを推してご出席くださり、お言葉を述べられた。天皇陛下、皇后陛下がお出ましくださり、被災地の人たちのみならず国民はそのお姿に感動し、励まされました。本当に私たちは感謝しなければいけないと思うのです。
今の生活がずっと当たり前と思っているかもしれないけれども、一生のうちにはいろいろなことがあるのよ。そのときにやっぱり立ち上がって、へこたれていてはいけない。さっきのシンガポールの人が感心したように、いついかなるときもへこたれないで、やりとおす。乗り越える。そういうものを日本人は元々持っているわけですからね。
追悼式で福島県の村岡美空さんという方が弔辞を述べられた。先生、とても心に響きましたので、皆さんに紹介します。
「父が大好きでした。」タイトルです。「福島県浜どおりの北部に位置し、重要無形民族文化財に指定されている、馬追いの町相馬で私は育ちました。家の近くには太平洋が広がり、漁港ではホッキ貝やカレイなどが水揚げされ、日本百景の一つに数えられている松川浦がありました。二千十一年三月十一日、あの日、この風景と私たちの生活が一変しました。
午後二時四十六分、突然今までに感じた事のない、大きな揺れが何度も襲って着ました。私は津波を心配し、慌てて高台にある小学校へ車で避難しました。私の父は地元の消防団員です。高台の小学校に着いたとき、聞こえた車の急ブレーキに振り返ると、父でした。父は車の中から家族の無事を確認しただけで、消防団の活動に入ると言い残し、急いで走り去りました。高台の小学校は父の職場から家までの通り道です。大きな地震と津波の心配で職場から車を飛ばし、地元へ向かっている途中で、偶然私たちと遭遇したのです。それからしばらくして、物凄い音が響き渡りました。高台から見える光景は、一瞬にして変わり果て、住宅地は海の底に沈んでいきました。現実とは思えない、なんと表現したらよいかわからない光景に、私はただ呆然と立っているだけでした。避難先の小学校では食べ物もなく、不安の中、寒くて暗い夜を過ごしました。家族と離れ離れになり、探し回る人もたくさんいました。私も父と連絡が取れず、心配でたまりませんでした。数日がたったある日、父は変わり果てた姿で私達家族の元へ帰ってきました。人の役に立つことが好きで、学校行事にも積極的に参加し、小学校のときには、バレーボールを教えてくれました。私はこんな父が大好きでした。捜索に当たってくれた皆さん、父を見つけ私達家族の元へ届けてくれた皆さん、ありがとうございました。一年が経っても未だ行方不明の方もいることに心が痛みます。天皇皇后両陛下はじめ、たくさんの方々のお見舞いや励まし、ご支援ありがとうございました。
現在私は神奈川県の中学校に通っています。小さいころからいつも一緒だった友達と離れ離れになり寂しいですが、こちらの中学校でも新しい友達が出来ました。勉強は、ボランティアの大学生の方々にも教えていただきがんばっています。将来は少しでも人の役に立つ仕事に就きたいと思っています。また復興に向けてみんなで力を合わせてがんばっていこうと思います。」
お父さんは消防隊員で、家族が元気な事を認めて、そのまま人のために、高台に移りなさいって皆さんを誘導するために、海のほうに行って亡くなられたのですね。お父さんが亡くなられたけれども、こうして家族の人たちが皆、知らない土地に来て、福島から今は神奈川の中学でお勉強して、けなげに元気で、お父さんのようになりたいと思って頑張っているのです。
好きなことや、楽なことだけしていては、立派な人になれません。嫌いなこと、辛いこと困難なことにこそ、楽しく挑戦してこそ素晴らしい人に成れるのです。これからも寺子屋でいろんなことに挑戦しましょう。
三月二十日はお彼岸ですね。お墓参りに行きましょう。ご先祖様のお蔭で、今日の私達があるのです。ご先祖様に感謝しましょう。

季節の歌

富士の山


あたまを雲の 上に出し
四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山


青空高く そびえ立ち
からだに雪の 着物着て
霞のすそを 遠く曳く
富士は日本一の山

有名すぎるほどの歌ですね。
1911年(明治44年)に刊行された『尋常小学読本唱歌(二)』が初出。小学校学習指導要領音楽編にて、小学校3年生の歌唱共通教材に指定されている(タイトルは『ふじ山』)。2007年には「日本の歌百選」にも選ばれる。

春よ来い
作詞:
作曲:相馬 御風
弘田 龍太郎
1.春よ来い 早く来い
  あるきはじめた みいちゃんが
  赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて
  おんもへ出たいと 待っている


2.春よ来い 早く来い
  おうちの前の 桃の木の
  蕾(つぼみ)もみんな ふくらんで
  はよ咲きたいと 待っている

『春よ来い』は、大正時代後期に作曲された童謡。
 作曲は『鯉のぼり』、『浜千鳥』『雀の学校』などで知られる弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう/1892-1952)。
 作詞は、詩人相馬御風(そうま ぎょふう/1883-1950)。
歌詞に登場する「みいちゃん」とは、相馬御風の長女「文子(ふみこ)」がモデルとされている。
「じょじょ(草履)」「おんも(表・外)」などの幼稚語をうまく取り入れつつ、「あるきはじめた」ばかりのみぃちゃんの視点を通して、雪に閉ざされた越後の冬で静かに春を待ち望む人々の強い思いが伝わってくる。

金剛石・水は器
            昭憲皇太后御歌
            奥 好義作曲


金剛石もみがかずば   / 珠の光はそわざらん
人もまなびて後にこそ   / まことの徳は現るれ
時計のはりのたえまなく / めぐるがごとく ときのまの
日かげおしみて 励みなば / 如何なる業か ならざらん


水はうつわにしたがいて  / そのさまざまになりぬなり
人はまじわる友により   / よきにあしきにうつるなり
おのれにまさるよき友を   / えらびもとめて もろ共に
こころの駒にむちうちて    / まなびの道にすすめかし

以前にも紹介した曲でありますが、明治天皇のお妃でいらっしゃいます、
昭憲皇后のお歌を歌詞として作られた名曲です。
じっくりと読んでほしいです。


講師代表挨拶の後、閉会となり、余興をクイズやカルタで楽しみました。


クイズジャパニズム!!




平成24年3月17日


第一問
4月29日は「昭和の日」です。
(昭和天皇のお誕生日)
しかし、もう一つ「〜の日」と呼ばれる日でもあります。いったい何の日でしょうか。


1.
自動車の日
2.
飛行機の日
3.
電車の日






答え 2.飛行機の日


では何で「飛行機の日」なのでしょうか。
その前に、ここで第二問です。


第二問
世界で初めて飛行機を飛ばしたのは誰でしょうか?


1.
ブライト兄弟
2.
二宮忠八
3.
ライト兄弟




答え 2. 二宮忠八

若かれし頃の二宮忠八晩年の二宮忠八
二宮忠八さんがはじめて、飛行機を飛ばした人です。
ライト兄弟が人類初の有人飛行を実現したのは、明治36(1903)年12月17日です。最初のフライトが、わずか12秒です。
4度目の飛行で、59秒、260メートル飛行したそうです。
ライト兄弟の飛行
二宮忠八さんがはじめて、飛行機を飛ばした人です。
ライト兄弟が人類初の有人飛行を実現したのは、明治36(1903)年12月17日です。最初のフライトが、わずか12秒です。
4度目の飛行で、59秒、260メートル飛行したそうです。
二宮忠八さんが、わずか10メートルではあるけれど、日本初のプロペラ飛行実験を成功させたのが、明治24(1891)年4月29日、つまり4月29日なのです。ライト兄弟より12年前になります。
ちなみに、二宮忠八は、翌日には、なんと36メートルの飛行に成功しています。
ただ、無人の模型飛行機でした。しかし、これが人類初の動力飛行実験の成功であったことは、疑いのない事実です。
この時若干25歳でした。
小さい頃は、無類の凧好きだったそうで、色々な凧を考案してオリジナルを沢山つくったそうです。


成人して、軍隊にいたときに、ふとカラスを飛んでいるのを見ました。カラスは、翼を広げ、羽ばたかずに、すべるように舞い降りてくる。そして飛び立つときには、何度か大きく羽をあおると、谷底からの上昇気流でサァ~と舞い上がる。
この様子を見た忠八は、はっとしました。
向かい風を翼で受け止めたら、空気抵抗で空を飛ぶことができる!
固定翼による飛行原理の発見です。
独自に飛行原理を直感で発見していたんですね。
そして一年後、ついに「カラス型飛行器」を完成させます。
明治24(1891)年4月29日、忠八は、自作のカラス型飛行器の飛行実験を行ないます。

「カラス型飛行器」

この頃、忠八は、練兵場にある精神科の軍病院に勤務していました。
その忠八が、飛行機の動力源に選んだのが、なんと医療用聴診器のゴム管です。
そのゴム管につながった4枚羽根のプロペラが回転する。
風が起き、飛行機が舞いあがるという仕組みです。
忠八が、プロペラを回して、ゴムを巻きます。
いっぱいに巻いたところで、カラス型飛行機は、そっと地面に置かれる。
まだ誰も飛んだことのない有人飛行に向けて、忠八の夢いっぱいに乗せた飛行機が、いよいよ地面に置かれます。
忠八が手を離す。
プロペラが勢いよく回転し、多くの人が見守る中を、カラス型飛行器は、約3メートル助走します。
そして、フワリと空に舞い上がった。
ぐ~んと高度を上げた飛行機は、10メートルほど飛んで、草むらに着地します。
成功でした。
ただのゴム飛行機じゃないかと侮ってはいけません。人類を宇宙に飛ばすロケットだって、最初の一号機は、ロケット花火程度の小さなモノからの出発です。
見守る人も忠八も、飛行機が自走して空に舞ったことに大喜びします。忠八は、何度も飛行器を飛ばし、翌日には飛距離を30メートルに伸ばした。
自信をつけた忠八は、いよいよ有人飛行機の設計に着手します。
いろいろ研究した。
有人飛行の研究のために、忠八は、鳥類の体型を詳細に調べるだけでなく、鳥や昆虫、トビウオから、天女や天狗などにいたるまで、およそ「空を飛ぶもの」ならなんでも調べた。
そして、鳥の体型にヒントを得た「カラス型」では人間の体重を支えきれないことを知ります。
どうしたらいいのか。
忠八は、昆虫の飛行を研究し、4枚羽根の飛行機を完成させます。
明治26(1893)年のことです。
この飛行機は、「玉虫型飛行器」と名付けられます。
「玉虫型飛行器」は、はじめから人が乗れることを前提に設計されています。ライト兄弟の実験成功よりも10年も前のことです。
ただし、翼幅は2メートルです。
有人飛行を前提にしながらも、この飛行機は、実機の縮小模型として作られた。
飛んでくれれば、まさに、世界初の実用機となるはずの飛行機です。
さらにこの飛行機は、人間が搭乗することを前提に、空中で飛行機の向きを上下左右など自在に操れる工夫がしてあります。

「玉虫型飛行器」

いよいよ、飛行実験がはじまります。
動力は、どうするか。なにせ当時としてはまことに高価なガソリンエンジンを買うだけの資金がありません。


そこで、機体をゴムヒモだけで飛ばせる最大サイズで作り、烏型と同じ4枚羽の推進式プロペラで回転させます。
そして、「玉虫型飛行器」は、
実験で、10メートルを飛行します。
大成功です。
残る問題は、動力源です。
いかんせん、ゴム紐エンジンでは、人が乗るわけにいきません。
しかし、まだ電気すら通っていない明治の中頃のことです。
ガソリンエンジンなんてものは、あまりに高価で、庶民が個人で買うことはできない。
石炭を焚く蒸気機関では、重すぎて飛行機になりません。
忠八は、飛行機は、絶対に戦場で役に立つ!と考えます。
だから軍で、この研究を引き取ってくれないか。
忠八は、「飛行器」の有効性とその開発計画について、必死でレポートにまとめ、有人の「玉虫型飛行器」の開発を、上司である参謀の長岡外史大佐と大島義昌旅団長に上申します。
個人では資金がないのです。
このままでは実機を作れない。
軍が研究を採用してくれれば、発動機を入手することも可能です。
しかし、なんど足を運んでも、長岡大佐の返事は「戦時中である」。大島旅団長も乗り気でない。
二宮の趣味や夢物語に、軍予算をまわすわけには行かなかったのです。
あと一歩。あとすこしで有人飛行機が完成するのです。
発動機さえあれば。エンジンさえ買うことができれば。
忠八は、必死に考えます。
そして、軍の協力が得れないならば、自分でお金を作って飛行機を完成させるほかない、と考えます。
忠八は、軍を退役し、大日本製薬に入社します。
必死で働いた。
頑張ればその分、給金があがるのです。
だから本気で働いた。
忠八は、みるみる成績を挙げ、ついに明治39(1906)年には、愛媛の支社長にまで出世します。
支社長になった忠八は、すこし時間に余裕が生まれます。
そして、それまで、一生懸命蓄えたお金も、ようやくある程度の金額になります。
明治40(1907)年、忠八は、精米器のための二馬力のガソリンエンジンを購入すると、再び飛行機の研究を再開した。
ところが、せっかく購入したエンジンなのだけれど、さすがにニ馬力は、人間を乗せて飛ばすだけの推力が生まれない。力不足なのです。
しかし、当時、ガソリンエンジンは、まだ高く、忠八の手は届かない。
いろいろ考えた忠八は、ガソリンエンジンの部品を少しずつ買い集め、エンジンそのものを自作しようと考えます。
すこしずつ器材を買い揃えはじめた。
不思議なことに、このとき忠八が自作しようとしたエンジンは、12馬力エンジンです。
実は、ライト兄弟の「フライヤー1号」も、12馬力エンジンです。
そのライト兄弟ですが、いまでこそ、世界初の有人飛行として有名になっていますが、明治36(1903)年12月17日のライト兄弟の有人飛行というのは、アメリカ本国内ですら、当時はまるで報道されていなかったのです。
ライト兄弟自身が、アイディアの盗用を恐れてなかなか公開飛行を行わなかったこともありますが、地上すれすれに僅かの距離を飛んだということが、この時代には、まだ、すこし「大型の凧上げをやった」だけ、くらいにしか一般には認識されなかった。


ようやくライト兄弟による有人飛行成功が広く世間に広まったのは、明治40年頃だといわれています。
日本でも、初めて報じられたのは、雑誌「科学世界」の明治40(1907)年11月号です。
おそらく、忠八が、ライト兄弟のことを知ったのも、このときではなかったかと思われます。
これはショックです。
一説によると、このとき忠八は、それまで蓄えていた飛行機自作のための機材をめちゃめちゃに壊したという話もあります。
実際に壊したかどうかは別として、忠八にとって、このことがとてもつらく、悔しかったであろうことは、容易に想像できることです。
人生をかけてやってきたことの、すべてを失ったという感情にさえなったかもしれない。
結局、忠八は、このときのショックから、飛行器の開発を取りやめてしまいます。
そして薬の製造の仕事にうちこみ、明治42(1909)年には、マルニを創業します。
ところでこのとき忠八が製作しようとした飛行機は、長い間重量が重過ぎて完成しても飛べないだろうとされてきました。


平成3年10月、有志によって、忠八の当時の設計図通りに、実機が作られます。
なんと、この飛行機は、見事に空を飛んだそうです。
大正8(1919)年、忠八、53歳のとき。
たまたま同じ愛媛出身の白川義則陸軍中将(当時)と懇談する機会に恵まれます。
このとき、ふとしたはずみに、忘れようとして忘れられない、若き日の陸軍時代の飛行機製造の話で会話が盛り上がります。
この白川義則という人、後年、陸軍航空局長を務め、最終階級は、陸軍大将になるお方です。後に関東軍司令官、上海派遣軍司令官、陸軍大臣を歴任した人物でもある。
タダモノではありません。
忠八の言葉に関心を抱いた白川義則は、実際にその上申があったかをすぐに確認させるとともに、忠八の上申内容が技術的に正しいかどうか、専門家に検証を命じます。
すると、見事、正しい。
なんと、日本はライト兄弟よりはるか以前に、動力飛行機による飛行実験を成功させていたのです。
白川は、陸軍その他に働きかけ、大正11(1922)年に忠八を表彰します。
さらにその後も数々の表彰を忠八に授けるよう、運動してくれた。
おかげで忠八は、数々の賞を授与されたそうです。
さらに忠八の物語は、昭和12年度から、国定教科書に掲載されます。
このことを知った長岡外史大佐(かつて忠八の上申を却下した大佐)は、わざわざ忠八のもとを訪れ、謝罪している。
ちなみに、このときの長岡大佐の謝罪は、上から強制されたものではありません。
もうとっくに軍を退役したおじいちゃんです。
いまさら命令もない。
彼は、自らの不明を恥じ、自らの意思で忠八に頭を下げに来た。
これは、実に素晴らしい、男らしい振舞だと思います。
誰だって、自分を正当化したがる。
しかし長岡大佐は、自らの非を認めた。
自分に厳しいから、他人に対して頭を下げることができるのです。
長岡大佐は、実に立派な人であったと思います。
飛行機は、その後、瞬く間に世界に普及します。
ただし、初期の頃の飛行機です。
事故も多かった。


満足な滑走路も、飛行管制塔もない時代です。
エンジン性能も、いまどきのエンジンのように安定したものではない。
そのため、飛行機事故で、多くの人が命を失っいました。
忠八は、ずっと持っていたのです。
飛行機を作るために貯めたお金、懸賞でいただいたお金をです。
彼は、自らの青春の夢をかけた飛行機で、多くの人命が失われたことに、深い悲しみを覚えます。
そして、飛行機事故の防止と犠牲者の冥福を祈るために、私財を投じて、京都の八幡市に「飛行神社」を設立し、自ら神主になった。
そこで生涯、航空の安全と、航空殉難者の慰霊に一生をそそぎます。
忠八は、昭和11(1936)年、70歳で逝去されます。
「飛行神社」


俳句カルタ


俳句カルタは、俳句を絵で表現してあり、絵を目当てに、俳句を探します。
百人一首も多いに盛り上がりますが、このカルタもたいそう盛り上がりました!














次回は4月21日始業式です。神社参拝いたします。


本日の寺子屋 平成24年1月21日

塾長のお話〜すばらしい日本 

おはようございます。昨日はとても寒かったです。でも寒いときにこそ、がんばると根性も出来て体も丈夫になってと思って先生もいつもそれっと、気合を入れて来ました。朝もなんとなくお布団の中から出にくいなと思うときも、気合を入れてがんばって起きて、そうすると体も丈夫になっていくと思いますね。
 今日は、「すばらしい日本」ということでお話していこうと思うのですけれども、本当に私達は、世界中でいろいろなことが起こっていますけれども、この間、豪華客船が座礁したでしょう。そのときになんと、イタリアの船長さんだけれども、一番初めに逃げたんです。日本の国は絶対にそういうことはあり得ないの。日本の船長さんは、自分が最後まで残って、皆さんを救って、そして船長は船とともに沈むという。それで有名な、佐久間つとむ船長と言う人が、本当に、沈みかけたときに船員さんが慌てないで、きちんと自分の場所から動かないで、沈んだときに船を上げたら、皆自分の場所を守っていたって。その船長さんは「船を沈めてごめんなさい」と謝って、そしてそれぞれ皆立派に働いてくれた。だから船員たちの家族が食べていけるようにきちんとしてください」と、お願いしますと言って、そうやって天皇陛下に残して、船員のためにそういう言葉を残して、それももうぎりぎりです。沈んでいく中でこうして落ち着いて手紙を書いて、それで船とともに沈むんですね。
それを昨日の豪華客船で、船長が逃げ回って、戻ってこいといっても戻らない、その船長さんの姿を見て、日本の国ではあり得ないなということ、さすが日本はすばらしいなと思って、そんな話がたくさんあるんですね。だから日本はすごいなあとつくずく思いましたね。私達のDNAは、日本人はそういう卑怯な事をしないように、元々なっているんですね。たまにこのごろは日本人の人にもおかしな人がいますけれども、それでも心の奥底にちゃんとした日本魂があるからそんなことはしない。常に人のために役立つことが、美しい生き方として染み込んでいるのですね。
それで今日は、いつもいつもお話ししていますけれども、日本の国は世界中で認められているすばらしい国なのよ。なぜ世界中で認められているすばらしい国かというと、中心に日本の国の国主としておられる天皇陛下が徳高い人でいらっしゃるからなんですね。それが代々、今皇紀二千六百七十二年、百二十五代天皇ですけれども、百二十五代の天皇様が、いつも国民とともにあって、国民の幸せを願って、世界が平和でありますようにと、いつも心がけて祈っていらっしゃるのですね。そんな日本の国のことを、日本人の皆さんは余り今は知らないのね。学校でも教えてくれないでしょう。だから先生は寺子屋で、皆さんにこんなに日本の国はすばらしいのですよと言う事を伝えていかなければいけないと思っているわけですね。
でも外国では、日本の国のすばらしさというのは、ずっとあらゆる国の人たちが知ってくださっているんですね。
伊勢神宮へ行ったことありますか。先生は孫が小学校に入学するときに連れて行って、今度青年になって二十歳になったら連れて行こうと思っているのですけれどもね。日本の国の中心だから、そこの伊勢神宮に、アーノルド・トゥインビー博士イギリスの歴史学者で、アーノルド・トゥインビー博士と言う人が伊勢神宮でお参りしたんですって。そのときに感激されたって。そして記帳されたのが「ここ伊勢神宮の神聖な場所に、私は世界すべての宗教の大本があるように感じました。いまキリスト教が世界で一番すばらしい宗教とされて、キリスト教が一番人数が多いのです。だからイギリス人ですから、キリスト教ですよね。にもかかわらず、日本の伊勢神宮が、宗教の根本だって。そういうふうに言ってくださるのね。
だから日本人は、昔は一生のうちに一度は伊勢神宮にお参りしなければいけないと言ってね。うちの祖母なんか、今生きていたら百五十ぐらいになるのかな、そのおばあさんが、船酔いをして大変なのね、ちょっと車に乗っただけで酔うような人が、ところどころできるだけ降りて歩いたりして、それで伊勢神宮も四十歳ぐらいのときにお参りしてきたそうですよ。それで、四国参りもした、そこに四国ですから、四国の人は八十八箇所参り、それとお伊勢参りは、一生のうちに一度はしなければいけないと、そのくらいに、世界中の人が認める伊勢神宮と言う、天照大神様、太陽の神様。天照大神様をお祀りしている伊勢神宮にお参りしましょう。
今度中学生になるときとか、けじめのときに行くといいですね。それでお参りしてくるといいですよ。
マッカーサー元帥これは有名なのですけれども、日本が戦争に負けたときに、占領軍として日本の国を統治しようと思ってこられたマッカーサー元帥、その人はこういうふうに書かれていますね。「天皇はご自身の命乞いに来られるかと思っていたら、私の身はどうなってもかまわないから、国民を救ってくださいと言われた。私はその尊厳と慈悲に大変驚いた。天皇は世界最高の紳士だと思った。」天皇陛下にお会いになってからマッカーサー元帥は、日本を見る目が違ってきたんですね。そのくらいすばらしい天皇陛下が百二十五代までいらしゃるということですね。
このような昭和天皇の無私の心、他人のために全力を尽くす心は歴代の天皇に受け継がれてきたものであり、今上陛下もお持ちになっておられます。ずっとね、ずっと今の天皇陛下、皇后陛下もこれを仁徳天皇のお心をずっと代々の天皇陛下が継いでいるということですね。そしてまた、フランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマと言う人が、日本が大好きなんですって。日本の人も大事にして、そして天皇陛下のご即位十年の時にはお祝いに来られた。そのときにこの方はこうおっしゃっている。「天皇の御存在あればこそ、日本民族は一直線に連綿として絶えることなく、その最も遠い歴史の淵源、みなもとと、いまなお結び合わされているのであります。世界広しといえども、このような国はたった一つ、日本しかないのであります。日本国民の統一と、安泰を守るために、日夜天皇がお心を砕き、民族の偉大性をも、不幸をも一身に持ってきておられることを、私どもはよく存じ上げております。貴国(と言うのは日本のことね)日本の長い歴史に渡って、天皇は貴賎(身分の高い人と低い人)を問わず、民草、国民の頂点に立ってこられました。最も貧しい百姓といえども、ずっと昔においてはこの大いなる血筋の末裔、子孫である事を誇りとする。そのような国柄できたのであります。そして何よりも、天皇を通して、日本の皆さんは「古事記」「日本書紀」の物語る神話で結ばれ、また神道に結ばれてきました。神道なくして日本の存在はありません。
こうやって世界中の人が日本の天皇陛下の御存在を称えてくださり、日本の国がこうして栄えているのは、天皇陛下の力が大きいと称えてくださって、それが世界に一つしかないというのね、すばらしいじゃないですか。「世界広しといえどもこのような国はたった一つ、この世の中に日本しかないのであります、」すごいね。先生もそう思います。これはアインシュタインもそうおっしゃったのね。そのようなすばらしい日本の国に私達は生まれて、過ごしているということは、感謝して、たくさんそのことを知って、世界中に日本の国がこういう国でありますと、皆さん、お伝えしてもらいたいと思いますね。
きょうは、先生はこれを涙しながら読んだんだけれどもね。いつもいつも天皇陛下は慈悲深いのね。このぐらい先生も慈悲深くありたいなと思うのですけれども、これは昭和三十年で、昭和天皇様が五十五歳のときにお作りになった御製なのですけれどもね。当時、先生は終戦後、本当にそういうところへ先生はつとめていたから、保母さんでつとめていたからね、知っているのですけれども、いま東北震災でお父さん、お母さんが亡くなった人も一杯出てきていますけれども、戦争でお父さん、お母さんの亡くなった人、そして食べる為に軍人さんとの間に、女性と軍人さんとの間に混血児といってね。日本人の顔をしていない子供がたくさん生まれたの。しかもその子たちは、いまは混血児の人たちはもてはやされるけれども、その当時はいじめられたのよ。お前日本人じゃないといってね。日本人の顔していないから。白人の顔していたり、黒人の顔していたりしているからね。お父さんが違うから。
それでかわいそうにと思って、岩崎弥太郎岩崎弥太郎のお孫さんで、澤田美喜さんと言う人がいるの。岩崎弥太郎さんって知っている。この前竜馬に出てきた。映画見てきて、先生はあれは気の毒だなと思ってね。弥太郎さんはあんな人じゃないと思っているのに、NHKは何であんなふうにするのだろうと思ってみていたけれどもね。日本の高知で、下級武士でいじめられるわけよ。上士と下士で。先生の家も下級武士なんだけれども、高知は特にそうだったみたいね。それでいじめられたわけね。でもやはり人間は一寸の虫でも五分の魂というようにね、それで発奮して財を作った。でもそれは自分だけでものにしないで、弥太郎さんは日本の国のためにずいぶん尽くされたのですよね。あの人は大きな財をなしたけれども。三菱財閥を作ったんですね。それで日本の国のために、お孫さんやら、お子さんなんか全部寄付したりしてね、有名な東京の弥太郎さんが寄付した岩崎邸だっけ。そこに寄付したりしてすばらしい人なのよ。その人のお孫さんで、澤田美喜さんという人ね。その人が子供たちがいじめられているのを見て、かわいそうだと思って、そして施設を作るわけ。なんと、そういう子供たちが、一人や二人ではない、二千人も来たんだって。そうすると地域の人たちが白い目で見るわけよ。そんな施設やって、この辺にうろうろしていていやあね、と言うような感じで、地域の人たちが冷たい目で見るわけ。澤田美喜さんがやっていることをね。そうしたら十年ぐらい経ったときに、エリザベス・サンダースホームというのを作られたのだけれども、天皇陛下が、そこにいらしたときに歌った歌が「この子らを育む人のいたつきを 思いて偲ぶ十年の昔」って。先生これを読んだときに、涙が出ちゃった。そうやって、天皇陛下はどんなにか、この人が苦労して、一生懸命日本の国の恥部の部分、そういう子供たちを大切にしてくれて、そうやって育ててくれてありがとうと言う陛下の思い、どれだけ澤田美喜さんという人が苦労していたのが、陛下のこのお歌で、どんなにか救われたかなと思ったら、先生胸に熱いものが出てきましたね。澤田美喜そのように、いつの時代でも、いつも弱い人の味方、弱い人を大切にして慈しまれて、そういう陛下が日本の国にいらっしゃる。外国を見ると自分が一番先に逃げるような人もいるのに、その中でこうやって、日本の国はそういう天皇陛下がいらっしゃるから、国民も天皇陛下を見習って、そうやって逃げたりしないのよ。船が沈みそうになったら自分ひとりが逃げた。そして、この間新聞を見ていたら、乗組員の人たちが最初に救命ボートに乗ったんだって。お客さんよりも先に。日本の国は絶対にそういうことはしませんね。そういう日本の国に生まれたことを私達は感謝して、これから日本の国のためにがんばってください。
みなさんも勉強して、日本の国のために役立つ、日本と世界の国のためになるすばらしい人になっていってもらいたいと思います。


季節の歌


「富士山」と呼ばれる事もある、作詞は巌谷小波 作曲は不詳
明治44年発表作品、あまりにも有名な曲ですので、説明も不要ですね。


ふじの山


あたまを雲の 上に出し
四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山


青空高く そびえ立ち
からだに雪の 着物着て
霞のすそを 遠く曳く
富士は日本一の山


たきび


作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂


かきねの かきねの まがりかど
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜぴいぷう ふいている


さざんか さざんか 咲いた道
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
しもやけお手々が もうかゆい


こがらし こがらし さむいみち
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
そうだんしながら あるいてく


書道の時間



本日は、一人となってしまったので、さみしくもありましたが、大変立派な字が書けましたね。先生方も一筆入魂しました!


和歌の時間



学校の昔あそびでベーゴマをやっと回せたすごくうれしい
寺子屋で書初めをして「太陽」とうまく書けたぞにじんだけれど 3年 男子


自覚せよおのれの実相神の子と強く強く魂に刻め  実吉講師


あざやかなあまたの赤い実木々に見ゆ大寒の朝の幸せひとつ 安齊講師 


早朝に戸を開くれば雪が舞う寒さに負けず(寺子屋の)子等よ来たれと 坪田塾長



本日の寺子屋 平成24年1月7日

塾長のお話


 皆さんお正月楽しかったですか。
 今日本の国はクリスマスのほうが賑やかになって、それからあまりお正月らしくないおうちが多いのですけれども、日本の国は、昔はクリスマスなんてなかったのよ。先生の子供のころは。でお正月が一番楽しみだったの。「もういくつ寝るとお正月……」っていってね、お正月が近くなると楽しみだったの。そしてお正月には家族中でトランプをしたり、お友達と一緒にカルタ取りをしたり、お正月は楽しく遊んだの。
 「一年の計は元旦にあり」といって、お正月に怒ったら一年中怒っていなきゃいけない。元日にはいつも笑っていましょうと。そういうふうにお父さん、お母さんに言われて、喧嘩もしないで、仲良くして一日は過ごすようにしたのです。で、朝も早く起きて、お正月の初めだけ、普段はお母さんが全部神棚にお水を供えたりするんだけれども、先生のところはお正月の一日だけは、お父さんが若水ってね、井戸の水を汲んできて、神様にあげて、それで仏様にお茶を上げるというのをお父さんがする。お正月だけ。それは、一年の初めはやはり家庭の中心はお父さんだから、お父さんが中心になって、神様を大切にして、ご先祖様を大切にして、一年間お守りくださいって、家長がご挨拶をする。二日目からはちゃんとお母さんがするんだけれど、一日だけはそうやって、昔から日本は伝統をすごく大切にしたんです。


皆さんのところは鏡餅を供えましたか。ありましたか。何で鏡餅を供えるのでしょう。鏡餅、先生のところは大きいんだけれど、いまは皆小さいよね。でも、二つお餅を乗せて、その上に橙が乗っているでしょう。おみかんのところもあるかもしれないけれども。あれは橙でないといけないのです。それはなぜかというと、お父さんとお母さん、夫婦が仲良くして、代々栄えますようにというので橙を乗せるの。お餅の下に、皆さんのところにはないかもしれないけれども、先生のところは必ず裏白を敷く。なぜ裏白を敷くのかと言うと、表と裏のない、正直な心、そして一年間楽しく、仲良く過ごしましょうというのが第一ですね。


それで、門のところに松を飾るでしょう。昔は門松だったんだけれど、いまは簡単に松を飾る。あれは何でしょう。どういう意味があるのでしょう。これも先生、話したような気がするのだけれど、お正月の神様が降りていらっしゃるの。何で松なんですか。松は雄雄しいわけよ。昭和天皇様のお歌にもあったでしょう。


 ふりつもるみ雪に耐えていろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ


 昭和天皇様が、松の木にいっぱい雪が降り積もって、それでも色を変えないで、雄雄しくて、かくあれと。終戦直後に皆さんもかくあれと、励ましのお歌をうたっていらっしゃる。そのように松というのは、昔から日本は大切にされたんですね。そこにお正月の神様が松の木に降りていらっしゃる。お正月の神様が来ますようにと、松を飾るのですね。そうやって、日本の国は伝統を大切にして、お正月を大切にした。
なぜかと言うと、三十一日は除夜の鐘でしょう。あれ何だと思う。人間は欲とか悲しいとか、色々な、それを煩悩というの。その煩悩を全部消して、そして名誉欲とかいろいろな人間には欲があるでしょう。それから今まで一年間、悪い事がいっぱいあったりしたでしょう。一杯ある人もいるし、よいことばかりの人もいるけれども、悪いこととか、憎いとか、腹が立ったこととか、そういう悪い事を全部捨てて、そして心を真っ白にして、新しい年を迎えましょうといってね。時代劇で見たことない?借金取りが来るのよ、すると、借金取りの人が粘るわけよ、でも除夜の鐘がカーンと鳴ったら、そしたらもうしようがないと思って帰るの。それまでしっかり粘るというわけ。それはどんな事も全部流しましょう、いろいろなことを全部流して、心を真っ白にすっきりして、心新たに新しい年を迎えましょうというのが、日本のすばらしい伝統なのですよ。
そうやって、新しい年を迎えて、それから今年こそ、すばらしい一年になりますように、楽しい一年になりますように、今年こそがんばろうという、そういう気持ちを持って一年を迎えるわけですね。
東北地方の震災に遭った人たちは、きっとそういう思いで、お正月を迎えるのだと思うのですね。
今日は何の日でしょう。一月七日。
そうそう、七草ね。何で七草ってあるんでしょうね。七草粥を食べるでしょう。何で七草粥を食べるんでしょうね。七草粥はね、昔は日本の国は貧しかったから、今は普段でもご馳走でいつもお正月みたいなご馳走を皆さん食べていると思うけれども、普段は一汁一菜と言って、おつゆとおかずが一つだけ。ご飯と漬物とおつゆだけというところもあるわけだから。昔の人は、そういう生活だったの、先生が子供のころは。先生のところは漁村だったから、必ずお魚がついてお野菜もついて、結構よかったんだけれどもね。大体、東北のほうの人は、お魚のとれないところの人は、漬物とご飯とおつゆだけという暮らしだった。お正月だけは、大ご馳走を作るわけ。そうするとみんな、普段貧しい生活をしているから、ご馳走がないから、嬉しくてご馳走を一杯食べてしまうわけです。お正月だけはたくさん作る。お餅ついたり、色々な物をたくさん作って。そうすると、胃が大変な負担ですよね。普段からご馳走を一杯食べつけていればいいけれども、お正月にいきなりたくさんご馳走食べてしまうから、胃が疲れてしまうの。それで七日の日にはお粥を食べて、しかも全部薬草なのね。体にいい草なのね。言える? 
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。
それを食べて、今年も元気でがんばりましょうと。八日、明日あたりからバリバリ皆さん活躍するぞということになるわけなんですね。そのように日本の国は、お正月から伝統を守るすばらしい国なのですね。
さて、それでは。今年からことわざを皆さんに覚えてもらおうと思っているの。
きょうは、五つ選んできました。
やさしから一回ずついきましょう。


一つ、一年の計は元旦にあり。


一つ、明日ありと思う心の仇桜。


この意味は、明日桜の花を見に行こうと思っていたら、そうしたら次の日に風が吹いたら、もう桜の花は全部散ってしまって、残念だったなということになる。だから皆さんも、明日やろう、明日やろうと思っていると、次々と過ぎちゃって、そして後悔することになるという意味です。だから今日する事を明日に延ばさないこと。明日しよう、明日しようと思わないで、いま、いま、いまやろうと思っていきます。


一つ、ならぬ堪忍、するが堪忍。


これはどういう意味でしょう。わかるかな。堪忍できない、我慢できないと思うときに、我慢するとよいことになるということなのです。今、日本人は全部、これが足りないと思うの。だから我慢できないと思うときに、もう一つもっと、それでも我慢する。我慢はとても得をする。人間ができてくるわけです。


一つ、人を頼むは、自ら頼むにしかず。


大体ね、昔の人は、忙しい人に用事を頼めというの、だから、人に頼むよりも自分ができると思って、自分を頼りにしてする事のほうが大切ですよと言う意味ですね。


一つ、急がば回れ。


これは、先生はいつもこれをおばあさんに言われた.なぜかと言うと、あわてんぼなの。考えたらすぐやるほうなの。先生は。だから、「急がば回れ」って、あわてるとすぐおばあさんに言われたの。急いで、考えもしないでさっとやっていると、それから近道しようと思ったりして、そっちのほうがいいやと思って、近道使用と思って行くでしょう、そうするとそれが失敗になって、かえって、じっくり考えて、遠道だけれどもこっちのほうへ行こうとすると、ちゃんと早くなるという、慌てないで、何事もよく考えてじっくりとしましょうと。
先生、あまりよく読んでいないからわからないのだけれども、いま、パソコンで先生もすごく助かっているし、それをする元を作ったのは、ジョブズさんて、先生、その人の言葉に感心したのね。「ステイ・ハングリィ、ステイ・フーリッシュ」いつもいつも、何か求めていなさい。そして馬鹿になりなさい。馬鹿になりなさいと言うのは、言葉はよくないのですけれども、いつも貪欲になること。ハングリィということはそうでしょう。そしていつも子供の心、愚直。日本はよく愚直になれと言いますけれども、愚直でいる。そうすると、不思議だなという幼心があると、そういう発明を見つけることができると言う意味だと思うので、先生、それは忘れてはいけない言葉だなと思ったのです。
 かしこぶっている人ほど、気がつかない事が多いわけ。自分は何でもできると思っているとね。だから常にそういう愚直になる事もとても大切だと思ったのですね。
 そんな事で今年は、諺を勉強していこうと思います。昔の人の知恵で、とても覚えておくと、先生も年中おばあさんに、「急がば回れ」と言われたから、だからいつもあわてるときには、慌てない、慌てないと自分で言い聞かせて、いろいろなことでうまくいったりするんですね。
 お正月に皆さん計画立てた。今年の決意は。それだけ聞かせて。まだ決まってないの。では、後で考えて。和歌にしようか。今年の決意、和歌にしましょう。ではそういうことで。
今年も皆さんがんばって、よい年にいたしましょう。ハイ、終わりにします。


季節の歌

たきび


作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂


かきねの かきねの まがりかど
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜぴいぷう ふいている


さざんか さざんか 咲いた道
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
しもやけお手々が もうかゆい


こがらし こがらし さむいみち
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
そうだんしながら あるいてく

「たきび」について
1941年(昭和16年)に、NHKのラジオ番組「幼児の時間」の番組案内のテキストである『ラジオ小国民』で詞が発表され、同年の12月に「幼児の時間」の放送内で楽曲が発表された。戦後の1949年(昭和24年)にも、NHKのラジオ番組「うたのおばさん」で松田トシや安西愛子が歌い、大衆に広まった。2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出された。


一月一日


作詞:千家 尊福  作曲:上 真行


一、
年の始めの例(ためし)とて
終わりなき世のめでたさを
松竹(まつたけ)たてて門(かど)ごとに
祝う今日こそ楽しけれ
二、
初日の光差し出でて
四方(よも)に輝く今朝の空
君が御影(みかげ)に比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ尊けれ


「一月一日」について
明治期から戦前にかけて唄われた小学唱歌。フジテレビ系列で新春に放送されていた「新春かくし芸大会」のテーマソングの原曲として有名である。歌い出しから「年の初め」がタイトルだと思っている人が多い。
なお、作詞の千家尊福は出雲大社第80代出雲国造であり、出雲大社神楽殿の東側には「一月一日」の歌碑が建っている。


百人一首大会



今年もやって参りました、百人一首大会です!今年は、生徒数が少なかったので少し寂しさもありましたが、やはり多いに盛り上がりました!

子供達は毎年、百人一首大会を楽しみにしています。
いったい何枚取れたでしょうね。
一位から三位まで、決まったら、塾長からのご褒美に子供達はホクホクでした。


クイズ ジャパニズム!!

第一問



日本生まれ日本育ちの、現在は菓子パンの定番であります
「あんぱん」はいつ誕生したでしょうか?


1.
明治7年
2.
昭和7年
3.
平成7年




答え 1. 明治7年


木村安兵衛

あんぱんを作ったのは この人です。
このトラックを見た事ありますか?
木村屋総本店のトラックです。木村屋の創業者が木村安兵衛さんです。
木村安兵衛は江戸時代 武士でした。
明治になり武士制度が無くなって、仕方なく、今でいう職業訓練所の事務方で働いていたときに、オランダ人宅でコックをしていたことのある梅吉という人から、「ぱん」というものの存在を知ります。この時、木村安兵衛は55歳。
これからは、新しい事をしなければならないと考え、パン屋を開く事にしたんです。
パン作りは苦労をしましたが、なんとか人もおいしいと言ってくれるパンをつくることができるようになりました。
しかし、パンを食べる習慣のない日本人に誰でも馴染むパンを作りたいと試行錯誤します。ぱんは、酵母(イースト)を使って作りますが
木村安兵衛は、麹(こうじ、みそ、醤油など発酵食品に用いる)を使って和風テイストのパンを作り、その中にあんこを入れたパンを考案しました。
これが売れに売れました。
当時、明治天皇の侍従をしていた山岡鉄舟がこれを食べて、いたく感動して、後に明治天皇に献上することになります。明治天皇はお気に召し、皇后陛下は特に気に入り、それ以来、宮中御用商となり、このあんぱんは瞬く間に全国へ広がり、日本一のパン屋となりました。



第二問



シンガポールは、とても治安が良いと言われています。殺人は日本よりも発生率が低い?とも言われていますが、その理由はなんでしょうか。


1.
国民全員が貧乏で、犯罪をしたくても、盗むものもなにもないから
2.
国民全員が裕福で、お金をいっぱい持っていて、犯罪をする必要がない
3.
日本から輸入された「交番制度」を導入したから






答え 3. 
日本から輸入された「交番制度」を導入したから


シンガポールは、1980年頃から高度経済成長に伴って、外国人などの犯罪が急増して、困っていました。シンガポールからの要請で、日本は交番制度の導入の為の技術協力をして、次々と交番を設立したそうです。結果、犯罪は激減して、今に至っているそうです。
現在は、アメリカのニューヨークや、インドネシアやブラジルでも交番制度が取り入れられて、犯罪がへっているそうです。台湾や韓国などは、戦前日本が統治していたので、そのまま交番制度は引き継がれています。


交番の歴史は古く、江戸時代の町奉行配下の番屋や自身番というものがありました。また、大名が設置する辻番というものもありました。これが明治になると、一つに統合され、交番制度へと引き継がれていきました。
 奉行というのは、「行いを奉ずる人」だから「お奉行様」なのですね。
 で、誰に向かって奉ずるかというと、庶民なんです。
庶民の暮らしを守るために、庶民に奉公するから「奉行」。
そこで働く、与力、同心を知っていますか?いまでいう交番のおまわりさんにあたりますね。
そこで問題です。

第三問



奉行というのは、庶民に「行いを奉ずる人」奉公するので、奉行です
では、与力、同心の意味は?挙手で答えてください。




ヒント 漢字の意味そのままです。



答え
民に力を与える人=「与力」
民と同じ心で=「同心」


人々の住む長屋ごとに番所が設けられ、番屋の仕事には、消防や、冠婚葬祭の立会人、共同井戸や、共同トイレなどの管理が含まれていました、街の人々の人間関係はいまよりもはるかに濃密だったんですね。与力や同心たちと、庶民達はとっても良い関係をもっていて、わずかな与力同心だけで、江戸100万の治安が守れたのは、この庶民とおかみの信頼関係があったのだと思いますね。
現在でも、交番のおまわりさんは、地元に根付いて、町の人々と仲良しで、何かあるとおまわりさんを頼りにしていますね。


こうして考えて行くと日本の治安の良さというのは、日本人同士の信頼関係にあるのだと、先生は思いました。



和歌の時間



今年から早起きするよ元気にね
ごはんもたべてがっこういくよ
                         3年女子    
新年のほうふを考え和歌にかく きそく正しく早ね早起き
3学期係りは何にしようかな せんきょに勝つぞ学級委員
                         3年男子
今年こそ剣道試験3級を 全力出してぜったい取るぞ
                         5年男子
年賀状教え子からの一言が 今年の私の目標となる
                         山本講師
家族皆笑顔のままに新年を 迎えるよろこびかしわ手を打ち
                         実吉講師
日本国担う青少年の育成に 励むと決めん年の初めに
                         坪田塾長