ようこそ! 黎 明 教 育 者 連 盟 ホームページへ!

れいめい親子寺子屋




日時: 第2第4日曜日10:00~12:00

場所: 横浜市都筑区都筑地区センター
(横浜市都筑区葛が谷2-1)
横浜市営地下鉄グリーンライン「都筑ふれあいの丘」駅 徒歩4分


幼稚園児〜小学生対象


保護者は古事記や歴史、伝統文化や家庭教育の極意を学ぶ
参加費 月親子で2500円  入会費1.000円

れいめい親子寺子屋は、横浜市都筑区都筑地区センター、もしくは、本部のございます、見花山ビル3Fで開催致します
参加者大募集中です。

 親子寺子屋は、お子さんは、日本の伝統文化や、書道、和歌を学び、感性を磨き、精神力を養います。親御さんは別部屋で、優秀児を育てる、楽しい家庭教育を学び、あるいは、書道や和歌なども一緒に学びます。

国歌君が代斉唱 教育勅語奉読 古事記朗誦 書道 和歌 童謡 唱歌 神話 礼法 偉人伝 正しい歴史 工作 紙芝居 百人一首大会 書き初め大会 神社参拝 新嘗祭参加 皇居一般参賀 などを通して感性を培い、精神力を養います。





体験学習も随時受け付けておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。


お問い合わせ 
黎明教育者連盟
〒224-0066 横浜市都筑区見花山1-30 見花山ビル3F
TEL : 045-949-0568 ・ FAX:045-973-8384


親子寺子屋について 校長挨拶 柴田顕弘




黎明親子寺子屋は、日本と世界に貢献する人材の育成を目標に、親子・講師ともに学び、共創する場を目指します。
 教育現場を始め、殺伐とした世相に蔓延する唯物論的な人間観から脱却し、「人間は、無限の能力と可能性を持つ尊い存在(神性・仏性)である」という生命論的人間観を確立することが、今まさに求められています。
 黎明親子寺子屋では、教育方針として、「親が変われば子が変わる」という「観の転換」に重きを置きます。まず親・大人が、子供の見方を変え、子供の持つ本来の素晴らしい能力・天分を認めて、褒めて、引き出す教育(education)を実践していきます。
 同時に、「古事記神話」と「教育勅語」の精神に学ぶことで、天地万物・森羅万象に尊い「生命(いのち)」を観ていたご先祖様の知恵、そして2000年続く日本の国柄の尊さを次代を担う子供たちに伝え、誇り高き日本人の育成に力を傾注していきます。
 また神話・民話や偉人伝に学び、四季折々の唱歌を歌い、書道と和歌創作や工作実習などを通じて子供の「右脳」を活性化し、情緒豊かな子供を育てます。
 明るく楽しく「観の教育」を学んでみませんか。皆様のご入学を心からお待ちしております。

平成26年2月23日(日)


[朝礼]

・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・古事記朗誦

・塾長講話

 皆さんおはようございます。ソチオリンピックももう終わりですね。色々な競技で日本の選手は大活躍しましたね。まず羽生選手の金メダル。表彰式の時には国旗の方を向いて国歌『君が代』を堂々と歌っていました。これが国際的かつ公的な式典でのマナーですね。先生は羽生選手の姿を見て、久しぶりにとても清々しい気持ちになりました。
羽生選手はインタビューの中で、自身が日本初の男子フィギュアスケートでオリンピック金メダルを取った喜びを表すとともに、次の様に話していたことがとても印象的でした。


「日本人として、日本国民として最高の舞台でたくさんの応援を頂いて、その中で最終的には金メダルという素晴らしい評価を頂いたことを誇りに思います。これからも日本国民として恥じない、オリンピック金メダリストらしい、日本人らしい人間になれるように努力していきたいと思いました。」


それをうけてインタビュアーが、「日本人らしい人間になりたいと言っていましたが、自身の考える日本人像とは?」という質問に対して次の様に答えていました。


 「日本的な文化を忘れないようにしたいと思います。尊重だったり、日本語って難しいですよね。敬語だったり丁寧語だったり謙譲語だったり、そういう言葉にも表れているように、尊敬する心とか、目上の方に対して自分を下げて言ったりだとか、そういう何か日本的な文化というか。とにかく僕が見ていて、日本国民として恥ずかしくない、自分がテレビに映るから、それを見たときに日本人として胸を張っていられるのか、それが一番大事なんじゃないかなと思います。」
 
19歳の若さでしっかりしたもの考え方ができる若者だと思いました。カナダを始め国際的な場で活動をしていたからこそ、日本人としての自覚の大切さを感じてきたのでしょう。
とくに羽生選手は東日本大震災で家が全壊して、一時期はスケートを諦めようとしたそうです。また復興のために何ができるのだろうかと悶々とした日々を過ごしていたそうです。しかし家族や仲間たち、応援してくれる周囲の支えによって、全国各地をまわってアイスショーを続けていくなかで、「やはり自分できることはスケートしかない」と自己の使命に気付き、地元仙台を離れ、カナダにスケートの勉強に向かいます。故郷のことは片時もわすれたことはなかったと思います。こうした困難を乗り越えて努力して勝ち取った金メダルでした。
それから女子フィギュアスケートの浅田真央選手も素晴らしかったですね。実力者であるがゆえに周囲から金メダルを期待され、自身も満を持してのオリンピック。プレッシャーやストレスは相当のものだったでしょう。ショートプログラムではトリブルアクセルの失敗が響き16位と後退。メダルの可能性もほぼ絶望的な状態となり、どんなにかショックだったことでしょう。普通の人ならなかなか立ち直れないと思います。
しかし気持ちをすっかり切り替えてのフリーの演技。自身がこだわるトリプルアクセルも見事に決めた最高の演技でした。見た時には感動して思わず涙がでました。
失敗しても自分の理想に向かってひたむきにチャレンジする浅田選手の姿と演技の素晴らしさに世界中の人々が感動しました。人としての生き方・勇気を教えてくれたような気がします。
二人の選手の姿から、先生は次の言葉を思いました。
「随処に主となる」、これは禅(仏教)の言葉です。「主」とは「主人公」ということ。どこに行っても自分が主人公になるということ。これが人生において勝利することころの道です。羽生選手も浅田選手も自分の中にある「無限の可能性と力」を信じて、練習を通じて技術を磨き、困難を乗り越えて素晴らしい演技をすることができました。まさに主人公を生き切りました。みんなもこれから生きていくうえで色々な困難やつらいことがあるかもしれません。でも、自分の持っている力を信じて、人生という舞台の主人公として使命を全うできる人になってほしいと思います。人間として日本人として生き方を考えさせてくれた素晴らしいオリンピックでした。

・朗読(百人一首・天壌無窮の神勅・教育勅語・五箇条の御誓文)


・神話の紙芝居(國譲り)


・季節の歌(ゆき・雛祭り)


〔子供の学び〕

・書道

〔親の学び〕

・日本神話に学ぶ(建国の理想について)
・古事記(五穀の起源)

 前回は紀元節のお話をする予定でしたが、雪のため休講になりましたので、最初に神武天皇の橿原建都の詔について若干触れておきましょう。日本書紀から一部抜粋します。
 「それ大人(ひじり)の制(のり)を立つるは、義(ことわり)必ず時に随ふ。いやしくも、民(おおみたから)に利(かが)あらば、何ぞ聖造にたがわん。(中略)慎みて宝座(たかみくら)に臨み、以って元元(おおみたから)を鎮むべし。上は乾霊(あまつかみ)の国を授けたまひし徳(みうつくしび)に答へ、下は皇孫(すめみま)の正しきを養ひたまひし心を弘めん。しかして後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)とせんこと亦よからずや。」
 いわゆる神武建国の理想である「八紘一宇(日本書紀では『八紘為宇』)」が宣言されているところです。その主旨は、「天皇はご祖先にあたられる天照大御神を始めとする天津神・八百万の神々・ご祖先を御祭りし、そのご恩徳に応え、国民の安寧を図り、正しい心を養いその心を広め、世界が一つの家族の様に仲良く暮らせるようにする」というものです。
 つまり祭政一致・君民一体・世界人類同胞・世界平和の理想が宣言されているのです。
 ちなみに「大人」で「ひじり」と読んでいますが、「ひじり」はまず「日(光・霊)知り」であり、太陽神かつ皇祖神である天照大御神を祀るという意味であり、また「聖(ひじり)」はシナの象形文字で、「地上の最高存在なる王よりもまだ上にある『口』であり『耳』であるもの」という意味、つまり言葉=神ということです。「聖」=「スメラミコト(すべての御言をまとめる)」という意味にもなります。
 それから「民」を「おおみたから(大御宝)」と読んでいます。天皇陛下は国民を「宝」として慈しみなされる。まさに皇室と国民は家族のような関係なのです。
また「元元」も「おおみたから」と読んでいます。これは「国民」のことを指すとともに、「元元(おおみたから)を鎮むべし」で、われわれを生み出した命の根源に回帰する「祭政(まつりごと)」、天之御中主神・天照大御神を祀るということであります。「始原」・「中心」を大切にする日本精神のあり方をお示しになられています。
神話は、民族の理想(アイディア・イデア)を示したもので、それが紆余曲折ありながらも歴史に投影されていきます。わが国の国史を学ぶ際には、まず『古事記』『日本書紀』に表された理念を学ばれたうえで、歴史を見てみると理解が深まると思います。
何事も言葉で理想を宣言することが大切です。オリンピックで金メダルを取った羽生選手も神社に参拝したときに「オリンピックで金メダルをとること。東北復興のために役立つこと」を宣言しました。
わが国は、建国の最初に「八紘為宇」という「世界平和」の樹立を宣言しました。万世一系の皇統を中心とした国史の歩みは、大局的には作用・反作用を経ながらもその理想を一歩一歩着実に進めているということを確認しておきたいと思います。昨年の式年遷宮の年に2020年の東京オリンピック招致が決定したことも大きな意味を表していると思います。
さて、古事記の話に移りましょう。前回は天の岩屋戸の話でした。若干振り返りますと亜天照大御神が速須佐之男命の乱暴狼藉を見るに見かねて、岩屋戸にお隠れになられ、世の中が暗くなりました。その時に天児屋命が太詔戸(ふとのりと)を唱えました。
ここが大切なのですが、世の中全体が暗くなった時には明るい言葉を使うことが示されています。神道では、六月の晦日と十二月の大晦日に大祓詞(おおはらいことば)を唱えて、国や人々の罪穢れを払います。その大祓詞には、天津罪・国津罪様々な罪がでてきたあとに真ん中あたりで、「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」というところがあります。現在の神社神道ではそこからすぐに続きの詞を奏上するのが普通ですが、古神道ではそのあと唱える言葉があるという諸説があります。諸説の中で「天照太御神(アマテラスオホミカミ)」という神言を小声で二回唱えるという説があり、私は天の岩屋戸の神話の主題に照らしてもその説がしっくりくるように個人的には思っています。ここでは「太祝詞」の「太」が鍵だと思います。「太」は「太陽」表し、太陽神「天照大御神」を表すのではないか。明治時代以前は「天照太御神」と「太」と表していました。さらに「太=ふと=二十」につながり、「アマテラスオホミカミ(10文字)」×2=20(二十=ふと)で太祝詞になるというわけです。さきほどの東京オリンピックの2020年は太祝詞(ふとのりと)の年という意味もあるのでしょう。こじつけかもしれませんが・・・。
脱線しました。続けます。天照大御神が岩屋戸からお出ましになられ、世の中が明るくなりました。そのあと八百万の神々が共に議って速須佐之男命は「千位(ちくら)の置戸」を負わせ、髭を切り、手足の爪をぬかしめて、高天原から追放されます。
「千位の置戸(ちくらのおきど)」の「置戸」とは「置咎め」のことで、「数多くの罪の咎め」を負わせられたということです。そして乱暴の原因となる武装解除をし、身禊ぎ祓いをすることが「髭を切り、手足の爪を抜かしめて」の意味です。
古事記神話は禊祓いの視点から読み進めていくことが大切です。禊祓いをすれば罪が消え、本来の正常な御魂が現れるというのが日本人の罪や生命の観念です。禊祓いをし、反省したらこれ以上罪は問わないということです。武道でも相手が「まいった」と言ったら、それ以上とどめを刺すことはしない。禊祓いを通じて改心することが大切なのです。
追放された速須佐之男命はそのあと大氣津比賣(おおげつひめ)神に食物を乞いました。大氣津比賣神は、鼻口また尻から種々の味き物を取り出しました。それを速須佐之男命に奉ると、穢い物を奉るといって大氣津比賣神を殺されました。そのあと大氣津比賣神の頭から蚕、二つの目から稲、二つの耳から粟、鼻から小豆、陰(ほと)から麦、尻から大豆がなり、神巣日御祖命が、これを取らしめて、種と成します。
ここは、禊祓いの観点から解釈すると、須佐之男命が大氣津比賣神を実際に殺したというよりも、大氣津比賣神を「穢い」と捉える速須佐之男命の心の中の大氣津比賣神を殺し、祓い清めたと考えた方がよいと思います。「罪」・「穢れ」を禊祓ったのちに良きものがあらわれるということです。
また殺された大氣津比賣神の御體から蚕や五穀が現れるということは、古来の日本人は「破壊」や「死」の現象の中にも、破壊されざるもの死せざるものを見る観点があったということです。速須佐之男命の追放も、追放がまた新たな功績へのステップになることを意味しています。困難・逆境・失敗も次の功績の足場にして積極的に前進していくことこれが日本精神です。
ソチオリンピックの浅田選手のショートプログラムでの失敗からフリーでの素晴らしい演技に至る過程は、まさに今回の古事記の学びと相通じずるものであり、だからこそ日本人いや世界が感動したのでしょう。『古事記』は日本精神・人間の真実をわれわれに教えてくれているといえましょう。


〔終礼〕

・作品発表 


・歌(天照大神・大黒様)


・よい子の約束


次回は3月9日(日)です。子供たちは偉人伝、親御さんは加納先生の講話です。

平成25年7月14日(日) 

[朝礼]

・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・塾長挨拶

 皆さんおはようございます。今日も7月の年中行事のお話をしましょう。
昨日13日から16日にかけては、何の行事を行うか。知っている人はいますか?関東ではこの時期に行う家が多いようですが、今は8月の中ごろに行うところが多いですよ。
(R君)お盆
そう、正解です。ちなみに7月にお盆の行事を行う御家はどれくらいいらっしゃいますか?
8月の方が多いようですね。お盆はもともと7月の行事です。今の暦に換算すると8月というふうになりますね。お盆は、皆さんの御家の御先祖様をお祀りする行事です。みなさんが産まれこうして元気でいるのも、お父さんお母さん・お祖父ちゃんお祖母ちゃん、そのまたお父さんお母さん・・・とさかのぼるとたくさんのご先祖様がいらっしゃって見守ってくださるからです。ご先祖様によって生かされている御蔭だと『感謝』を捧げるのです。私たち日本人がこうして栄えているのは、ご先祖様への感謝の祀りを絶やさなかったからです。日本人は仏教が伝わる前からご先祖様を大切にお祀りしていたのです。仏教が伝わってから『お盆』の行事と合わさったのです。日本ではこのご先祖さまのお祀りのことを『祖霊祭祀(それいさいし)』と言います。みなさんも一緒に声を出して言ってみましょう。「それいさいし」はいどうそ。
(全員)「それいさいし」
もう一度どうぞ。
(全員)「それいさいし」
そうですね。祖霊祭祀をするときには、いつも感謝の言葉を捧げましよう。次のように言います。「ご先祖様ありがとうございます。」はいどうぞ。
(全員)「ご先祖様ありがとうございます」
もう一度。
(全員)「ご先祖様ありがとうございます。」
そうです。普段もそうですが、とりわけ『お盆』には感謝の念をご先祖さまに捧げましょう。
では次の質問です。もう過ぎてしましたが、7月7日は何の日でしたか?
(R君)七夕。
そう、七夕ですね。一年に一回織姫と彦星が天の川出会うのですね。お家で七夕飾りをした人はどれくらいいますか?短冊にそれぞれの願い事を書いて笹にかけるのですね。そしてお星さまに願いを託します。皆さんは何をお願いましたか?先生も願いごとをしましたよ。何を願ったかって?それは秘密です(笑)。ちなみに笹の葉は、神棚にお供えするお榊やお正月に飾る門松と同じように神様が降りられる依代(よりしろ)であったのですよ。七夕はお盆の行事と合わせて考えられていました。
 ではまたまた質問です。明日は何の日でしょう。
(Sちゃん)みたま祭り。
 おお、素晴らしいですね。先生説明するのを忘れそうになりましたよ(笑)。ありがとうございます。ちょうど靖国神社では、『みたま祭り』が行われていますね。先の戦争(大東亜戦争)を始め、日本のために戦ってお亡くなりなられた方をお盆の時期に合わせてお祭りしているのです。もともとは大東亜戦争敗戦後、民間の御遺族や有志の方々がこの時期に自発的に靖国神社の境内で盆踊りを捧げられたことが由来と言われています。みなさん靖国神社にお参りするときには、大事なことはまずは『慰霊』です。お亡くなりになられた方々に『感謝』の気持ちを捧げてお慰めすることです。それから『顕彰』することです。もちろん平和を願う事も大切です。同様に「国を守るためによくぞ戦ってくださいました」と御業績を称えることです。私たちは、靖国神社にお祭りされている神様によって日本が守られていること忘れてはいかませんね。
 では、改めて質問です(笑)。明日は何の日でしょう。明日は学校もお休みですね。
そうです。海の日ですね。
 『観の教育』誌(6・7月号)に先生が『海の日』について説明していますので、読んでみてください。
明治八年(一八七五年)、イギリス製の新型汽船が灯台の巡視船として横浜に就航し、「明治丸」と名付けられました。明治九年(一八七六年)六月初めから、明治天皇の東北ご巡幸の際、「明治丸」で青森から函館に向かい、五稜郭跡を訪ねて海路還幸され、七月二十日の夜、無事に横浜に帰港なされました。このご巡幸で、汽船による航行に不安を覚えた当時の人々も、その安全性を認め、海運や船旅を利用する人が増え、「海洋国家日本」の発展の礎となりました。
そこで、この七月二十日を戦前から「海の記念日」と定め、平成七年から「海の日」として祝日になりました。
日本は四方を海に囲まれて、お魚など海の幸も豊かですね。海の恵みに感謝する日でもあります。
最後に、明治天皇の御製をご紹介して、「海洋国家日本」の安全と平和を思いましょう。
みんなで朗読します。
白波のよるひるとなくおもふかな島のはてまでいかがあらむと

・朗読(五箇条の御誓文・百人一首)


・紙芝居(素戔嗚命の勝ちさび)


・季節の歌(汽車ごっこ・我は海の子)

【子供の学び】

・親子寺子屋の標語


・偉人伝

愛甲講師によるジョン万次郎と二宮尊徳に関する偉人のお話でした。

・和歌つくり


【親の学び】

・古事記に学ぶ

  紙芝居と同じ「素戔嗚命の勝ちさび」を中心に学びました。

【終礼】

・和歌発表

まんじろうおふねにのってあめりかへ
べんきょうしてよにやくだった
           幼 女子
きんじろうのかみしばいがたのしかった
こまったひとにくらからおこめをだしてあげた
            幼 男子
じょんまんじろうがしまでとりやさかなを
たべていきてたえらかった
            保護者
万次郎二年かかってアメリカつき
すごい長旅こんじょうあり
金次郎他人を助けかっこよく
自分もいつかそうなりたい 
            5年男子
我が国の偉人の話聞く子等は
次代を担う日本の宝
            愛甲講師
夏の空神の子の声ひびきいる
実相円満神の子の塾
          島村講師
ご先祖を迎える支度しつつ思う
別れの時の夫のプロポーズを
今のうち言っておくことあり来世も
こんな僕ですが結婚してと言われ
予期せぬ求婚にとまどいつよろしくと
真顔の夫に襟を正して答える
来世もと誓い交して晴れ晴れと
夫は静かに天に旅立ちぬ
         坪田講師

・黎明親子寺子屋の約束朗誦


・歌(桃太郎)


平成25年6月23日

野外活動『昭和天皇記念館・昭和記念公園』見学 


本日は、黎明教育者連盟の各教室、親子寺子屋(横浜)・寺子屋青葉・乳幼児愛国教室・宮前子供アトリエ合同で昭和天皇記念館を見学し、昭和天皇の御事績を親子・講師ともども学びました。天気もとてもよく野外活動日よりでした。まず昭和天皇記念館前に集合し、入管前に簡単な朝礼を行い、見学しました。

【朝礼】

・教育勅語朗読

・親子寺子屋塾長講話(要旨)

 みなさんおはようございます。これから昭和天皇記念館で、昭和天皇さまの御事績、昭和という時代がどのような時代だったのかを学びます。その前に昭和天皇様について簡単に説明します。昭和天皇様は明治34年(1901年)にお生まれになられました。昭和の時代は64年間続き、お亡くなりになられたのが昭和64年(1989年)1月7日でした。昭和天皇の御生涯は、まさに20世紀とともにあったといえるでしょう。
 昭和天皇さま、幼少のころ学習院で乃木希典閣下のもとで教育うけられました。その後皇太子のときには、東宮御学問所で東郷平八郎閣下のもとで、当時の名立たる学者に学ばれました。特に倫理学を講義された杉浦重剛氏は、三つの法方針を立てて昭和天皇さまをご教育されました。
 一つ目は、三種の神器の徳目
 二つ目は、五箇条の御誓文
 三つ目は、教育勅語です。
 教育勅語は今皆さん一緒に読みましたね。昭和天皇さまもみんなと同じように教育勅語に学ばれたのですね。
 昭和天皇さまが在位なされた時代は、まさに激動の時代でした。世界恐慌という世界的な経済の不景気、周辺諸国との紛争、そして第二次世界大戦・大東亜戦争という大きな戦争がありました。昭和天皇さまは、戦争には一貫して反対の立場でしたが、当時の状況がそれを許しませんでした。
昭和20年(1945年)に終戦か戦争継続かで政府の中で意見が二つに分かれ、最終判断が天皇さまにゆだねられます。天皇様はこのままでは国民は苦しみ続け、日本が滅んでしまうことを憂え終戦の御聖断をなされます。そして8月15日終戦を迎えます。
終戦の年の9月27日、昭和天皇さまは、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のもとをたずねられました。マッカーサーは「天皇は命乞いにきたのだ」と思いましたが、昭和天皇さまの御心はそうではありませんでした。「私は国民が戦争遂行に当たって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に全責任を持つ者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためにお訪ねした」というものだったのです。マッカーサーはこの言葉に大変感動します。
また昭和天皇様は敗戦に打ちひしがれた国民を何とか励まして日本の復興を成し遂げなければならないと思われ、昭和21年神奈川県から始まって全国各地をご巡幸なされました。期間約八年半で、その距離は三万三千キロですから、地球を一周する勢いです。この時のただ一か所ご巡幸がかなわなかったところがありました。それは沖縄です。
ちなみに今日6月23日は、沖縄戦終結の日です。昭和天皇さまは晩年「沖縄にいきたい」という思いを強くもたれていましたが、ご病気になられます。昭和63年(1988年)の秋のことです。天皇さまは、医師に「もうダメか」とたずねられました。医師は「(命が)もう長くないのか」と思いましたが、そうではありません。「沖縄に行幸するのはもうダメか」とつぶやかれたのでした。国内最大の地上戦となり、戦後もアメリカ軍の占領下にあった置き沖縄への行幸は、昭和天皇さまの悲願でした。御製をご紹介します。


思わざる 病となりぬ 沖縄をたづね果たさむ つとめありしを



まさに激動の時代のなか、つねに国民と苦楽をともになされた昭和天皇様は、昭和64年(1989年)1月7日にお亡くなりになられました。87年の御生涯でした。
 みなさんのお父さん・お母さんそしてお祖父さんお祖母さん、そして先生方はほとんど昭和生まれで、昭和の時代を生きてきた方々です。日本は、戦争で負け何もない焼け野原から世界第2の経済大国に復興して、今日豊かな生活を過ごしています。昭和天皇がいらっしゃらなかったなら今日の私たちはいなかったでしょう。では、昭和の時代がどんな時代だったのか、記念館でこれから学びましよう。そして帰ってからおうちの人に昭和の時代のことを聞いてみるといいですね。

【記念館見学】

昭和天皇の御生涯のビデオと数多くの展示物を拝見しました。そのあと和歌をつくりました。

乳幼児寺子屋

(昭和天皇の)肖像に思わず頭垂れて礼す
聖徳の御威光肌で感ず
          保護者
夏の日に緑豊かな公園で
静かに想う昭和の足跡
          保護者
顔見れば愚痴ばかり言う子等を連れ
がんばって来た昭和記念館


昭和天皇(てんのう)の映像流れ吾の心
報われし思い涙流るる


誰よりも戦時の不幸受け入れし
昭和天皇様は私の神様
          保護者

寺子屋青葉

しょうわきねんかんでクイズにこたえて
おみやげにひまわりのたねもらったよ
         幼 女子
(昭和)てんのうさまのおべんきょうのおへやには
ひとでがあったよおほしさまみたい
         幼 女子
(昭和)天皇のお写真見ていろんなしごと
されたとしりすごいと思った
         4年 女子
学校で年に一度の大イベント
ハイテンションな「図師っ子まつり」


3つ目怪盗の役になりきってする「仕事」
目的忘れて楽しんでいた


イベントで怪盗になってにげ廻る
熱気まみれの八十分間
         5年 男子


深緑の自然に込めた先帝の
平和の願い思い感じる
         保護者


万世の平和を思い戦止む
昭和天皇(みかど)の御心永遠に残さむ
          成瀬講師


昭和記念館(きねんかん)寺子屋合同で訪いて
(昭和天皇の)足跡映像にみな涙す
激動の昭和の御代を護りぬく
昭和大帝尊崇し謝す
             坪田塾長

親子寺子屋横浜

きねんかんでさわるとてれびがうごいたよ
ほしがちくちくしていたよ
            幼 女子
たこくらげあしがほんとうのくらげより
いっぱいあってすごかった
            幼 男子
きねんかんでえいぞうみてたのしかったけど
せんそうがこわかった
            幼 男子
きねんかんのビデオにばくだんがうつっていて
やけのはらをみてひどいとおもった
           幼 女子


(昭和)記念館中に入れば化石あり
古い生き物てんじされおどろいた
           6年 男子
大君の民を思いし御製読み
思いの深さに涙あふるる
国産の御料車作る技師たちの
熱い思いの結晶ここに
           保護者
晴れた日に昭和記念館訪れて
激動の歴史思い出さるる
           保護者
激動の昭和の時代親子にて
学び多き昭和記念館
            保護者


昭和天皇(てんのう)の激動の生涯みていると
常に感じる国民への愛
               保護者


長きにわたり世を治めたる昭和天皇(てんのう)の
歴史を学び偉大に思う
平成に生まれし子等と記念館
昭和の時代(とき)を何と思うか
五月晴れ神の子の声響きわたる
若葉輝く昭和公園
             保護者


人の為努力続けたあのころの
昭和の心思いわれもいきん
             保護者


敗戦のきびしき中から復興す
民の働き陛下の喜び
             加納講師
聖帝の御跡慕いて建てられし
記念館にて昭和を偲ぶ
黎明の家族とともに学び合う
昭和の御代の苦難と栄光
             柴田塾長

子どもアトリエ

はれのひにでんしゃにのってでかけたよ
ひろいこうえんたのしみたい
              幼 男子
あついなかおべんとうもちここにきた(昭和記念館)
むかしのことをしりかんがえた
             1年 女子
きねんかんうまのぎょうれつすごかった
いろんなのがあってたのしかった
             1年 女子
よるひかるきれいなほたる見ていたら
じぶんもほたるになりそうだな
             2年 女子
がっこうのトイレのドアがだれみなくて
ぎーばたんうごいたああこわいよ
             2年 女子
友達と昭和のれきし学んだよ
昔のことや知らないことも 
             4年 女子
ともだちときねんこうえんけんがくしたよ
いろいろ見たよたのしかったな
             4年 女子
激動の昭和の時代教えられ
家族みんなの平安願う
              保護者
おだやかな日々で忘れたあの時代
もっとやさしく生きていこうと
              保護者
六月の梅雨の晴れ間に来た公園
豊かな緑心が癒える
              保護者


アトリエの子等と来たりし昭和公園
今は亡き陛下の遺徳偲びぬ
             崩田講師



【懇親会】

見学のあと、記念公園でバーベキューをしながら子供たち、親御さん、講師ともども懇親をふかめました。楽しく有意義な一日を過ごすことができました。


平成25年6月9日

【朝礼】

・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・古事記朗誦


・塾長講話

皆さん、おはようございます。明日6月10日は『時の記念日』です。671年4月19日(今の暦で6月10日)、始めて漏刻(水時計)を使い、鐘鼓をならして、時刻を知らせました。この日を記念し、大正9年(1920年)に「時の記念日」が制定されました。昭和天皇の聖旨を受けて、昭和15年(1940年)に天智天皇を祀る近江神宮が建てられ、翌16年の「時の記念日」から近江神宮「漏刻祭」ガ行われ、今も続いています。


今度「昭和天皇記念館」に行きますが、昭和天皇は天智天皇を大変ご尊敬なされ、大東亜戦争の敗戦後に勅使を派遣され、天智天皇のご事跡に学ばれ、わが国の復興の範になされました。天智天皇の御代には、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れ、国内の政治・防衛などの立て直しが課題でありました。そのご教訓に学ばれようとなされたと拝察します。


何れにしても、天智天皇のことをよく覚えておいて下さい。

・朗読(百人一首天智天皇・持統天皇の御製、五箇条の御誓文)


・神話紙芝居


・季節の歌(みかんの花咲く丘・田植え)


【子供の学び】


・親子寺子屋の標語


・書道


・和歌作り


【親の学び】

・観の教育

菊地講師による講話でした。そのあと質疑応答でした。

【終礼】

・和歌、作品発表

しょどうではじめてうとかいた
たにしかったもうつかれた
        幼 女子


しょどうでうみとかいたむつかしかったけど
うまくかけてたのしかった
       幼 男子


にっぽんじんはかみさまからはじまることを
わすれてはいけないといわれた
しょどうでかにとおおきくかいて
ほめられてうれしかった
       幼 女子


書道でね郷土とかいて書いた手本なしで
りっぱなのできてきもちよかった
        6年 男子


神の国日本に生まれた喜びを
かみしめながら親子寺子屋(てらこや)通う
        保護者


晴れ続き出掛けやすくてうれしいが
水の不足が心配になる
       保護者


母と娘で夜のお使い帰り際
自ら進んで荷物持つ吾子
       保護者


空梅雨に稲穂の成長(そだち)気にしつつ
今日の晴れ間は皇太子ご夫妻(ごふさい)のお祝い
       保護者


皇太子ご夫妻(ごふさい)のご成婚二十年国のため
試練乗り越え務め果たさる
皇太子ご夫妻(ごふさい)のにこやかなるお姿は
ご皇室慕う民の幸せ
           坪田講師

・歌(一寸法師)


・黎明親子寺子屋の約束朗誦


・閉会の言葉、さよならの挨拶


平成25年5月12日

【朝礼】

・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・古事記朗誦


・塾長講話

皆さんおはようございます。ゴールデンウィークウイークはどうでしたか。楽しく過ごしましたか?


さて、今日は5月に関連した。神社のお祭りについてお話ししましょう。


5月8日は、愛知県の熱田神宮で、ご創建千九百年の大祭が行われました。熱田神宮は三種の神器の一つである草薙の剣が祭られています。日本武尊が東国遠征から戻られ、お亡くなりなってから熱田の地にお祀りされました。今年はそれから千九百年になるのです。日本は歴史の長い国だということがよくわかりますね。


それから出雲大社では、5月10日に本殿遷座祭が行われました。新しく建て替えられた本殿に神様をお移しするお祭りです。翌日には天皇陛下のお使いである勅使が参向して奉幣祭が行われました。


出雲大社に祭られている神様はどなたでしょうか?
神話因幡の白兎にも出てくる神様ですよ。
大国主命(オオクニヌシノミコト)ですね。


出雲大社のご遷宮はおよそ60年に一回行われます。今年は20年に一回行われる伊勢神宮の式年遷宮の年でもあります。


国津神(陰)を祭る出雲大社の遷宮祭が先、天津神(陽)の伊勢神宮の遷宮祭が後に行われます。


何気ないことですが、この順序も大切です。


物事は、陰陽の法則が整ってなり立ちます。漢字の組み立てでも、陰陽とはいいますが、陽陰とは言いません。


陰陽の法則は、言い換えると、目に見えないもの(陰)と目に見えるもの(陽) とも言い換えることも出来ます。


私たちの生活は、目に見えないものに支えられています。空気は目に見えますか?見えないけれども確かにあるでしょう。空気がなければ生きて行けませんね。日々の生活の色々な処で、目に見えないものお陰で生かされいることに感謝の気持ちを持っていきましょうね。


神社のお祭りはそうした陰陽のバランスや目に見えないものの存在に気付かせてくれる大切な行事なのです。

・朗読(五箇条の御誓文)


・神話(国生み)


・季節の歌(茶摘み)


【子どもの学び】

・父母へのプレゼント作り



お父さん・お母さんに感謝の気持ちを込めて、似顔絵を描きました。クレヨンや折り紙などを巧みに使い、力作ができました。

和歌作り



お父さんおしごとにいっておかあさんと
あかねといずみちゃんとてらこやにきたんだ
           幼児女子


おかあさんのぷれぜんとつくった
ありがとうといってわたすよ
           幼児男子


箱根行車が込んでまたされて
玉子買うにも長時間


八景島二時間ならびやっとつき
はるばる来たのに行く気なくなる


お父さんいつも何でもしてくれて
感謝の気持ちいつかおんがえしする
           5年男子


寺子屋で古事記を皆に教うるごと
心に響く古の知恵
          柴田塾長

【保護者の学び】

・古事記に学ぶ(イザナキノミコトの禊祓と三貴神のご誕生)

【終礼】

・作品発表


・黎明親子寺子屋の約束


・歌(一寸法師)


平成25年4月28日


[朝礼]

・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・古事記朗読

・塾長講話

皆さんおはようございます。今日4月28日は主権回復記念日です。
日本はアメリカ・イギリスなどの国々と『大東亜戦争』を戦い、敢えなく敗れました。そしてアメリカを中心にした連合国の軍隊に占領・支配され、自国の事を自分たちで決めることのできる自由と権利を奪われてしまいました。外国から干渉されずに自国の事を自国民で決めることを『(国家)主権』と言います。
昭和20年(1945年)の敗戦から、戦争の完全終結を意味する平和条約を結び発効されるまでは、わが国は『主権』がなく、独立を奪われたままだったのです。その間は日本の教育・伝統文化なども改変され、否定的に占領軍に扱われました。人にはそれぞれ個性があるように、国にも個性があります。国の個性が奪われ活かされない状態が続いたのです。


昭和27年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効されたこの日、晴れて外国軍の占領・支配が終わり、『主権』が回復し、独立国として再び我が国は歩み始め、国際社会に復帰することができる様になりました。今日はその事を祝う日で、本来なら祝日とすべき日です。今日の午前中に、主権回復を祝う政府主催の記念式典が、天皇皇后両陛下ご臨席のもと初めて行われます。


それから明日4月29日は、昭和の日です。昭和天皇のお誕生日です。この日は『激動の日々を経て復興を遂げた昭和の日々を顧み、国の将来に思いをいたす』日です。
先の大東亜戦争は、昭和天皇の御聖断で戦争が終結しました。このまま戦争を続けていけば、さらにたくさんの犠牲者が出たでことでしょう。昭和天皇の身を呈した御聖断がなければ、私達は生まれていないかも知れません。まさに昭和天皇に救われたといえます。
戦後はあたり一面焼け野原で、何もないところから復興が始まりました。そして天皇と国民が一致団結して、わずか20年余りで世界有数の経済大国としてわが国は復活しました。
昭和天皇は、明治34年(1901年)にお生れになり、昭和64年(1989年)にお亡くなりになられました。激動の20世紀は昭和天皇と共にあったと言えるでしょう。
最後に昭和天皇が、サンフランシスコ平和条約が発効され、主権回復を果たした4月28日に詠まれた御製を紹介します。


国の春と今こそはなれ霜こほる冬にたへこし民の力に
主権回復を『国の春』と詠まれ、戦争の傷跡残る敗戦・占領の茨の道に国民が耐え、日本の復興に『民の力』を深く信じられた昭和天皇の大御心を思いはかることが大切だと思います。

・朗読(五箇条の御誓文)


・紙芝居(聖徳太子)


・季節の歌(朧月夜・鯉のぼり)


[子供の学び]

・書道


・和歌

[親の学び]


・古事記(イザナキノミコトの禊ぎ払い)

[終礼]

・作品発表(書道・和歌)


今年度初めての書道の授業がありました。初めて筆を持つ幼児が三人加わった授
業は賑やかでしたが、それぞれ個性ある素晴らしい作品ができあがりました。皆
さん書き上がる度に早くお母さんに見せたくて、最後まで坐って居るのが難しい
様子でした。親子の絆の深さが嬉しい風景でした。

・寺子屋の約束唱和


・歌(一寸法師)









平成25年4月14日

黎明親子寺子屋(横浜) 入学・始業式が都築地区センターで行われました。

【入学・始業式次第】

開会の言葉


国歌君が代斉唱


教育勅語奉読


入学者呼名


塾長式辞

おはようございます。
御入学おめでとうございます。


先ほど入学者呼名で『はい』と大きな返事をしてくれましたね。
今日は日本語のかなの一つ一つには、意味があることをお話しましょう。


『はい』の『は』という言葉には、「は(葉)」「はる(春)」「はは(母)」など何かを「産み出し」「よみがえ(甦る)」らせるという意味があります。『い』はまさに「いのち(命)」と意味です。『はい(拝)』には『いのちを甦らせる』という意味があるのです。ですから、お父さん・お母さん・先生方や人に名前を呼ばれたら、大きな声で『はい』としっかり返事をしましょうね。


式が終わった後、神社に参拝します。神社には神様が祭られていますね。
『かみ(神)』という言葉を一つ一つ音を伸ばして言って見てください。
「か~ア」と「あ」になりますね。「み~イ」と「い」となりますね。それから先ほどの『はい』という言葉も音を伸ばして言ってみてください。
「は~ア」「い~イ」となとなりますね。
『かみ(神)』と『はい(拝)』には、『アイ・あい(愛・会い・合い)』という言葉・意味が込められているのですね。
『神』様と自分(我)が、『愛』を持って参『拝(はい)』して、出『会う・合う』ところが『神社』です。


それから神社には『鏡(かがみ)』が祭られていますね。『鏡』には、『自分・我(が)』の姿が映りますね。『かがみ(鏡)』から「が」をとって見て下さい。『かみ(神)』になりますね。『が(我)』を払って自己の内なる『神(かみ)』に向き合うところが『神社』なのです。


さて、今年度から黎明親子寺子屋として新たにスタートします。また今年はおよそ60年に一度の出雲大社大遷宮と20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮が重なる稀有な年です。『甦り』の年です。気持ちを新たに明るく楽しく学んで行きましょう。


最後に親子寺子屋の『約束』を朗読します。これから終礼の時には、必ず朗読しますから、これらの言葉を念頭に日々の生活を過ごして行きましょう。


約束
1,いつどこにいてもれいめい親子寺子屋の一員であることを忘れません。
2,いつもにこにこ明るい“ことば”で話します。
3,いつも人と物と事とに感謝します。
4,私は神の子何でもできると信じていっしょうけんめい行います。
5,目上の人を尊びだれにでもやさしい気持ちを忘れません。

講師挨拶

坪田顧問による挨拶が行われました。

古事記朗読


神話紙芝居(日本武尊)


季節の歌(春が来た・富士山・金剛石)


神社参拝



地元の杉山神社に、親子寺子屋の始業報告と親子寺子屋のご加護への感謝の参拝を行った後、和歌を作りました。

じんじゃのすずをがらがらみんないっしょに
ならしたよたのしかった
幼児女子


じんじゃにおかねいれてからよいことが
あるようにおまいりしたよ
幼児男子


きちんとせいざできておかあさんにほめられた
きょうはわたしのたんじょうび
幼児女子


寺子屋で杉山神社にお参りした
今まででいちばんりっぱにおもえた
6年男子


入学式皆と一緒で笑顔の吾子
1年通うと心に誓う
保護者


新年度気持ち新たに神社にて
楽しく学ぶ親子寺子屋
保護者


春風が強く吹くなか始業式
神前で吾子の成長祈る
保護者


春嵐に身を揺らされるハナミズキ
強風に耐え美しく咲く
新学期新たな神の子仲間入り
皆のお手本になれ上級生
保護者


入学の生徒迎えて交流の
輪の広がりて賑わう教室
杉山神社(おやしろ)の大きな木々が強風に揺れ
葉音さわさわ我らを祝福
加納講師

平成25年1月27日(日) 

〔朝礼〕

・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・古事記朗誦




校長講話

おはようございます。今日も1月にまつわる祝日・行事のお話をしましょう。1月14日(月)は 成人の日でしたね。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日です。20歳を迎えた男女が成人(大人)として認められる日です。選挙権などが与えられ、成人としての自覚が問われます。
昔は、成人儀礼は「元服」などといって、十代半ばで行なっていました。幕末の志士で、越前藩(現在の福井県)出身の橋本左内(景岳)先生は、「啓発録」という書物の中で成人の条件を五つにまとめています。声を出して読んでみましょう。
 一、稚心を去る。(子供っぽい心を捨てる)

 二、気を振ふ。(負けん気を起こす)

 三、志を立てる。(夢や目標を持つ)

 四、学に勉む。(勉学に励む)

 五、交友を択ぶ。(よき友を持つ)

みなさんも立派な大人になるために、普段から心身ともに鍛錬していきましょう。さて今日1月27日は何の日か知っていますか。今日は、国旗制定記念日です。
 明治3年(1870年)、「日の丸の旗を国旗とする」太政官布告が出された記念日です。日本国の商船に掲げる国旗についての規定がなされました。

「日の丸」の由来は、文武天皇の大宝元年(701年)の元旦、文武の官人が、宮中に参殿して、天皇陛下にお祝いを申し上げる朝賀の儀に使用されたといわれています。以後平安時代の源平の戦いなど武士の旗印などに慣習的に使用されました。

平成11年(1999年)の国旗・国歌法で、正式に法律で「日の丸」が国旗と定められました。

 普段から国の象徴である「国旗」にはどんな意味があるのでしょうか。日本の国旗「日の丸」は『まこと』に一つにまとめる日本の心の象徴(しるし)です。
皆さんは今『教育勅語』を暗誦していますね。『教育勅語』の中に「父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し 朋友相信じ」とありますね。昔の日本人は、これらの徳をすべて『まこと』という言葉で表していたのです。だからお父さんお母さんに『まこと』を尽くせば『孝』になります。兄弟で『まこと』を出し合えばそれは『友』になり、夫婦で『まこと』を尽くせばそれは『和』になるのです。そして「白地に赤」のデザインは、『清明心』を表しています。日本人は、太陽(天照大御神)の様に清く明るい心を大切にしてきたのです。日本の国旗「日の丸」の意味を知り、立派な日本人として誇りをもって成長してください。

・朗読 天壌無窮の神勅 教育勅語 百人一首 萩原朔太郎「竹」


・紙芝居「天孫降臨」


・季節の歌「紀元節 富士山」


〔親子の学び〕

・書道 



本日は、親子で書き初めをしました。皆さん集中して立派な力強い作品ができました。

・和歌作り

しょどうですみおとしたうさぎの
めだまみたいたにしかった
        幼児女子
書道でねかんじで祝賀とかいたんだ
大きくかけてはくりょくあった
雪がふり公園に出て雪合戦
びしょぬれだ体がつめたい
        5年男子
新生と思いを込めて書初めす
新しい自分すがすがしく
        保護者
書初めの筆に今年の願い込め
一筆一筆力を注ぐ
日だまりにスヤスヤ眠る愛猫を
眺めて我が家の幸(さち)かみしめる
         保護者

〔終礼〕

・作品紹介


・歌(浦島太郎)

平成25年1月13日

〔朝礼〕

・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・古事記朗誦



校長講話

 皆さんおはようございます。明けましておめでとうございます。平成25年(皇紀2673年)の新年を迎えました。今年最初の親子教室です。本年もよろしくお願い致します。お正月はたのしかったですか。

さて今日は、お正月にまつわるお話をしましょう。1月1日は 元日(お正月)。「年のはじめを祝う日」です。元旦とも言います。元旦とは、一年の元始(はじめ)の旦(あき)のことをいいます。「旦」という漢字は、地平線から登る太陽の(日)の象形です。皆さんのなかにも「初日の出(御来光)」を見に出かける人もいるでしょう。

「初日の出」を見ると感動しますね。それというのも、すべての命を育むのは「太陽の光」であり、私たちの心の奥底に「太陽(天照大御神)の子」という記憶があるからなのでしょう。そもそもわが国の名は「日本」、「国旗」は「日の丸」です。お正月には、とりわけ太陽を礼拝し、お家で国旗を掲揚して、初詣に地元の氏神様に感謝の参拝をして、神様の前で一年の抱負を決意するとよいですね。「一年の計は元旦にあり」といいます。有意義な年にして行きましょう。

あとで唱歌「一月一日」をうたいますが、歌詞の意味を知っていますか。



一.年の始めの例とて、終りなき世の めでたさを

  松竹たてて 門ごとに、祝ふ今日こそ楽しけれ

二 初日の光さし出でて 四方に輝く 今朝の空

  君がみかげに 比えつつ 仰ぎ見るこそ 尊けれ



 特に二番の歌詞は、天皇陛下の御姿と初日の出の光景を重ねています。作詞された千家尊福氏は、年の始めにあたり、御皇室の彌榮と天皇国日本の永遠の繁栄を願って作られたと言われています。
 改めてお正月は、御皇室に心を寄せたいものです。お正月、宮中では神事を中心に様々な行事が行われています。
 1月1日午前5時半から「四方拝」という御祭が行われます。宮中三殿の西にある神嘉殿の前庭で、白砂の上に小さな畳を敷き屏風で周りを囲った御拝座に、天皇陛下がおでましましになられ、そこで天照大御神を祀る伊勢神宮などの主要な神社をはじめ天地四方の神々、神武天皇を始めとする歴代天皇陵を遥拝され、「天下泰平・万民安楽」を祈る儀式が行われます。この祭事は、平安時代の初めから行われ、千二百年以上続けられています。
 「四方拝」のあと、宮中三殿で、天皇陛下と皇太子殿下が、皇祖天照大御神と歴代天皇および八百万の神々に、旧年の神恩に感謝され、新年にあたり国家の隆昌と国民の幸
福を祈られる「歳旦祭」が行われます。
1月2日は、皇居一般参賀が行われます。この間、天皇陛下のお誕生日のときに皇居に
いきましたね。
 このように天皇陛下のお正月は、日本の神々に国家の安泰、国民の幸せ、世界の平和を祈られる御祭から始まります。
 現在、大国主命(神話「国譲り」の神様)を祀る「出雲大社」(国津神)では、約60年ごとに社殿を建て替える「大遷宮」が行われていますが、今年5月には「仮殿」にまします神様を、新たに立て替えた「本殿」にお遷しする「本殿遷座祭」が行われます。あとで「国譲り」については、紙芝居をやりますから、そこでしっかり学びましょう。
 また天照大御神を祀る「伊勢神宮」では、20年に1回社殿を建て替える式年遷宮が今年完成します。式年遷宮は、飛鳥時代の持統天皇の頃から始められ、戦国時代一時中断しましたが、今日に至るまで続けられています。今回で62回目になります。
 今年は、伊勢神宮・出雲大社が同時に再生する、大変おめでたい稀な年です。今年のキーワードは、「甦り」です。日本も、そして私達も「甦り」、新たな気持ちで1年をすごして行きましょう。

・朗読(天壌無窮の御神勅・教育勅語)


・紙芝居「国譲り」


・歌(一月一日・富士山)


〔百人一首大会〕

朝礼の後、親子・先生一緒に百人一首大会を行いました。とても盛り上がりました。
みんな一生懸命頑張ってとりました。
和歌作りをしたあと、お茶会をしました。お正月の楽しいひとときを味わいました。

〔終礼〕

・連絡事項(次回1月27日は、書き初めです。)



・歌(浦島太郎) 


平成24年12月23日 

 今日は、親子教室と寺子屋青葉、乳幼児教室の生徒たちと保護者の方々と皇居参賀に行き、天皇陛下のお誕生日をお祝いしました。


〔校長講話要旨〕

 今日は、第百二十五代天皇であらせられる今上陛下の御誕生日です。昔は「天長節」といって祭日でした。天皇陛下は、昭和八年(一九三三年)に、昭和天皇の第一皇子として誕生され、今年で、七九歳になられます。とりわけ天皇陛下の御位は、天津日嗣と申し上げ、天照大御神(太陽神)と一体であらせられます。「冬至」が過ぎ、太陽が復活するこの時節にお生まれになられたのも、「太陽の国」日本の再生・復活の尊い御使命のこと拝察致します。あとで「天長節」の歌を歌いますが、天皇陛下のご恩徳と光が一体となったイメージを頭に描きながら歌いましょう。
  とくに私たちは、今上陛下の「国安かれ、民安かれ」の深き祈りと東日本大震災などに見られる国民への御仁慈に日々生かされているといえます。今上陛下の御聖徳を仰ぎ、ご長寿を心からお祝いしましょう。

このあと、集合場所の楠木正成像の前で、「天長節」の歌をみんなで声高らかに歌いました。

『天長節』(黒川真頼 作詞、奥 好義 作曲)
今日の吉き日は 大君の。
うまれたまひし 吉き日なり。
今日の吉き日  みひかりの。
さし出たまひし 吉き日なり。
ひかり遍き   君が代を。
いはへ諸人   もろともに。
めぐみ遍き   君が代を。
いはへ諸人   もろともに。




皇居参賀のあと、子供たちと保護者の方と講師一同は、その感想を和歌にしました。天皇陛下の元気なお姿と被災地の方々を深く想われる大御心に、おのおの感銘をうけていました。天皇国日本に生まれた喜びをかみしめた一日でした。


〜和 歌〜

12月23日皇居参賀

おねえちゃんとてをつなぎさかをのぼった

たにしかった

          幼 女子

こうきょうでみんなとひのまるふった

たのしかった

          幼 女子

みんなであるいたてんののうへいかの

おかおがみられてうれしかった

          幼 男子

てんのうへいかがてをふっていた79さいの

たんじょうびすごいなあ

          幼 幼児

寒い中おおぜいの人がはたふって

天のうへいかのたんじょう日いわった

          小3 女子

天長節天皇陛下の誕生日

国旗ふりつつ妹はしゃぐ

天長節クリスマスより大事だと

友に言っても聞く耳もたず

日本に生まれたなら日本の

国父の誕生いわうべきだよ

         小4 男子

こうきょには大きな木がねたくさんあり

いっしょうけんめいがんばっている

こうきょうで天のうへいかのお言葉で

きょうりょくがだいじと思った

          小5 男子

日の丸を手に持ち振りし人々に

日本の真の姿を想う

大君の誕生日にも国民を

労わる御心わが胸を打つ

          保護者

冬の日の大地を照らす日の光

全ての緑を暖め励ます

          保護者

はじめての陛下のお姿遠かれど

やさしいお言葉心に沁みる

寒空に老いも若きも集えれば

祝う心は一つと感じる

          保護者

二重橋歩く人々の足どりに

静けさの中にも活気を感じて

天長節大君のお言葉国民の

幸多かれと願う御心を

日の丸を持って走る吾子等見て

国の平和よ続けと願う

         保護者

天長節家族そろって旗を振り

緊張して陛下のお言葉聞く

         保護者

国民の長い行列登りゆく

祝賀の気持ち一杯もって

         保護者

冬空に響くお言葉心地よく

来年の日本もっと明るい

          保護者

子と共に二度目の皇居の参賀にて

気を引き締めて日の丸を振る

         保護者

参賀にて陛下のお言葉胸に沁み

我を忘れて流るる涙

          保護者

皇居にて皆で歌う天長節

天皇様に届と願う

年の瀬に陛下の言葉拝聴し

新しい年に希望を抱く

皇族の方々のあたたかな眼差しに

この国に生まれし事を感謝する

         保護者

ご自分のお身体よりも民思う

深き御愛に涙溢れる

         山本講師

寒空に響き渡る玉音を

聞き入る我等天長節に

天長節参賀に向かう群れの中

外国人の幾人もあり

         実吉講師

それぞれに和装で参加のママたちの

意気込みめでつ揃いて参賀

お力のみなぎりたるお言葉に

日本の今を頼れる嬉しさ

         加納講師

天長節皇居参賀しお祝いす

日本に生まれし歓びかみしむ

被災地の人々思うお言葉の

一つ一つに慈愛を感ず

         柴田校長

天長節陛下のお言葉凛として

御身健やか胸熱くなりぬ

お言葉にいつも気遣わる被災地の

人を思わる心に打たれん

         坪田塾長

当日の様子は、動画ページでご覧頂けます。




平成24年12月9日

〔朝礼〕

・礼法

・国歌君が代斉唱

・教育勅語奉読

・古事記朗誦

・校長講話

 12月に入ると、年の終わりに事を治める「納めの行事」が、全国各地の社寺(薬師・金刀比羅・観音・大師・天神・不動など)の縁日に行われます。また家庭や職場でも一年の締めくくりと正月準備で忙しくなりますね。
 まず12月8日は、「こと納め(農事)」。2月8日が、農業神事の「こと始め」で、その締めくくりになります。この日に「針供養」も行われます。「針供養」は、衣類の縫い針を一年に二度(2月8日・12月8日)ねぎらう祭りです。折れた縫い針などを豆腐やコンニャクに差し、供養し感謝を捧げます。物を大切にする日本人の心の現れといえます。
 12月13日は、「煤払い・正月こと始め」。全国の社寺を始め、各家庭でも、神棚・仏壇の煤を払い清め、屋内の大掃除を行い、お正月の準備を始めます。またこの日から、山から松を伐って、門松をつくりました。門松は、正月に「年神様(お正月様 稲の稔〔トシ〕をもたらす穀霊、祖霊である祖先神、子孫に幸福をもたらす神様)」が降臨する「依代」になります。皆さんもお家のお掃除やお正月準備のお手伝いをしっかりやりましょう。
12月21日は冬至です。太陽が冬至線(南回帰線)上を直射する時で、正午の太陽が最も低く、日照時間が最も短くなる日です。
 古代、北半球の人々は、太陽の衰えとともに悪霊や邪気が活動すると考え、日の神の霊力を呼び戻そうと祈り、魂鎮め(鎮魂)を行いました。
そして、冬至を節目に、太陽の「死」と「復活」を意識し、「一陽来福」を祈る祭りを行っ
てきました。
冬至には、カボチャを食べ、柚子湯に入る風習があります。緑黄色野菜の少ない冬に、ビタミンなど栄養価の高いカボチャを食べることで、風邪などを予防し抵抗力つけようとした、昔の人の知恵がそこに込められています。柚子の木は、病気に強く寿命も長いとされ、そこから柚子風呂に入り「無病息災」を祈る風習になったとされています。柚子は、太陽をイメージしたものでもあったのでしょう。
 実は、イエス・キリスト(救世主)の降誕祭であるクリスマスは、その降誕日が不明なため、当初1月1日や3月26日などとされたことがありましたが、三世紀後半頃から、12月25日にとして祝うようになりました。それは、当時、ローマ人やゲルマン人たちに、冬至を太陽の誕生日として祝う習俗があり、またキリスト教徒も、イエスをこの世に光明をもたらす太陽になぞらえて、冬至こそ救世主の誕生日に相応しいとして位置づけられたとされています。
12月23日は、天皇誕生日。今は祝日ですが、昔は天長節といって祭日でした。
第百二十五代天皇であらせられる今上陛下の御誕生日です。陛下は、昭和8年(1933年)に、昭和天皇の第一皇子として誕生され、継宮昭仁と命名されました。今年で、79歳になられます。
 今上陛下は、少年期に戦争でご苦労されました。大東亜戦争終戦、御年十一歳の頃に次のような決意をお書きになられています。
 「今は日本のどん底です。(中略)今までは勝ち抜くための勉強、運動をしてきましたが、今度からは皇后陛下の御歌(注)のやうに、つぎの世を背負って新日本建設に進まねばなりません。それも皆私の双肩にかかってゐるのです。それには先生方、傅育官のいふ事をよく聞いて実行し、どんな苦しさにもたへしのんで行けるだけのねばり強
さを養ひ、もつともつとしつかりして明治天皇のやうに皆から仰がれるやうになって、日本を導ひいて行かなければならないと思ひます。」
 まさに少年期のご決意の如く、今上陛下は、多忙な御公務を誠実にお務めなされ、日本の国を御自ら率先して導いておられます。
私たちは、今上陛下の「国平らかに、民安かれ」の深き祈りと東日本大震災などに見られる国民への御仁慈に日々生かされています。23日には、皇居参賀にいきます。今上陛下のお誕生日を心からお祝いし、ご長寿とご健康をお祈りしましょう。


(注)香淳皇后の御歌 疎開児童に賜ふ
つぎの世をせおふべき身ぞたくましく正しく伸びよ里にうつりて

・朗読(天壌無窮の御神勅・教育勅語暗誦・百人一首朗読)

・紙芝居(小さな神様)

季節の歌(天長節・もみじ)


〔子供の学び〕

・親子教室の標語

・聖徳太子紙芝居作画

 聖徳太子の紙芝居の絵を作成しました。みんなそれぞれ工夫しながら絵を描いていました。完成が楽しみですね。

・和歌作り


〔親の学び〕

講話

坪田陽子先生による、日本再生教育のお話でした。

質疑応答

児童教育に関する神示朗読

和歌作り


〔終礼〕

作品紹介(絵・和歌)

歌(大黒様)




平成24年11月23日


今年も、黎明親子教室・寺子屋青葉・乳幼児愛国教室の生徒さんと保護者の方々で、毎年恒例の明治神宮新嘗祭に参加しました。雨が降りあいにくの空模様でしたが、祭典の途中から雨も上がり、素晴らしい御祭を見学させていただきました。子供たちは、寒い中でも、大きな太鼓の音に驚いたり、巫女さんの「代々木の舞」の踊りに見入いったりと、昔から続く祭りの雰囲気に浸ることができ、よい経験をすることができました。祭典のあとは、記念撮影をして、新米のオニギリやお弁当を感謝して頂き、和歌を作って解散しました。

〔新嘗祭のお話〕

今日は 勤労感謝の日ですが、本来は、その年に収穫された新しい穀物を神様にお供えし、その御恵みに感謝する新嘗祭の日です。宮中をはじめ全国の神社でお祭りが行われます。
宮中では神嘉殿でお祭りを執り行います。まず午後六時から八時に「夕の儀」、午後十一時から午前一時に「暁の儀」が営まれます。天皇陛下はこの間ずっと正座したまま、お祭りをなさります。御祭の神饌は、新米の蒸御飯・御粥、粟の御飯・御粥、白酒・黒酒、魚の鮮物・干物、鮑・海藻の干漬、羹、果物などで、天皇陛下御自ら竹のお箸で柏の枚手に盛りつけ神座に供されます。その後、その神饌を天皇陛下が頂いて食され、天照大御神と一体となる行事が行われます。
また、天皇が御即位後に始めて行われる新嘗祭を大嘗祭といい、御一代で一度限りの秘儀とされています。
新嘗祭は、日本の祭の中でも特に大切な御祭です。新嘗祭のときだけでなく、常日頃から食物に、また食物をつくってくださった人々、天地の恵みに感謝をしていきましょう。天皇陛下も感謝を捧げていきたいものですね。

和歌づくり

明治神宮の新嘗祭に参加して   和歌24・11・23



巫女さんがのりとに合わせて神楽舞う
色とりどりのかざりして舞う
          3年 男子
本殿に入るなりして立ちすくむ
人の多さと寒さに仰天
           6年 女子
神宮の木立の中を子等とゆく
実りの秋を祝う幸せ
           保護者
霜月の雨に悴む指先を
合わせて祈る五穀(護国)豊穣
           保護者


厳かに打ち鳴らされる大太鼓
吾子動き止め祭事始まる
美しき豊葦原に恵みの雨
甘い新米感謝を捧ぐ
           保護者
豊葦原天の恵みに稲育ち
稲の恵みに人も育ちぬ
           保護者


バスに乗り家族四人で明治神宮(じんぐう)へ
日本の実り祝う幸せ
薄日射す新嘗祭式典(しきてん)終えてお弁当
神の恵みをみんなで味わう
          保護者


小雨降る明治神宮(じんぐう)の森に鳴り響く
大太鼓の音新嘗祭で
今日からは陛下も新米召し上がる
伝統守らる陛下のお姿
          保護者


にいなめさい雨で寒くてつらかった
だけどおいしいもともちごはん
         三年 女子


寒い中太鼓の音が大きくて
おなかにひびいてびっくりしたよ
         四年 男子


寺子屋の皆で来たよ新嘗祭
気合を入れてスーツで出発
新嘗祭天の恵みに感謝する
うまいうまいと新米食べた
         四年 男子


新嘗祭式典終えて子等と食す
新米の味格別と知る
新嘗祭五穀豊穣感謝して
明治大帝の遺徳をしのぶ
         保護者


ざわざわととしている心も参道に
一歩入れば心鎮まる
しとしとと降り続く雨に浄められ
大祭は今厳かに始まる
        保護者


拝殿を包む静寂打ち破る
大太鼓の音天に届けり
        成瀬講師


にいなめさいさむかったけどたのしかった
おうちにかえるのたのしみです
        幼児 男子


にいなめさい一時間ずーと神官ら
笛ふきつづけすごいと思った
木の根っこにぼこぼこの大こぶあったよ
初めて見たよおどろいたなあ
        五年 男子


初めての新嘗祭は雨もよう
吐く息白く親子で参加
        保護者


紅葉の明治神宮(じんぐう)の森を歩きつつ
平和な国に感謝を捧ぐ
        保護者


瑞穂の国に生まれし事に感謝して
祭典の後にいただく新米
宝船色とりどりのお野菜に
感謝の心ひとしおの晩秋
米や野菜すべての物がわが身の源
幸せとともにかみしめていただく
        保護者


新嘗祭雨が降れども意を決し
晴れ着装い集いし着物教室の母等(ははら)
神様に奉ぐるお供物米や御酒
たくさんの神官(て)にて捧げられる
道中の重なる難儀を乗り越えて
神宮に参る仲間たのもし
大祭に雨は降れども日章旗
大きく空にかかげられおり
外国の観光客に日本の(ガイド)さん
手水の作法正しく伝えおり
        加納講師


新嘗祭雨も厭わず参拝者
式典に臨み感謝を捧ぐ
新嘗祭明治大帝の御神勅(みことのり)
復活させむと心に誓う
        坪田塾長


秋雨の降りしきる間の新嘗祭
人の心を洗うがごとし
        柴田校長



平成24年11月11日


〔朝礼〕

礼法

国歌君が代斉唱

教育勅語奉読

古事記朗誦

校長講話

11月15日は七五三ですね。各地の神社では、七五三参りの親子連れで賑わいます。七五三祝は、数え年で、三歳になった男児と女児、五歳になった男児、七歳になった女児が晴れ着姿で親に連れられ、神社やお寺にお参りして、子供の健やかな成長を祈ります。
 昔は、「七つ前は神のうち」といわれ、この世にうまれても、魂が安定せず、いつあの世に戻るかわからないとされてきました。昔は乳幼児の死亡率が高く、子供の成長は容易ではありませんでした。三歳・五歳・七歳と無事子供が育つごとに、その都度氏神様のご加護に、感謝と願いを込めてお参りしてきました。
 七五三は、三歳の「髪置」、五歳の「袴着」、七歳の「帯解」に由来するとされています。「髪置」は男女児共に行う儀式で、三歳になると髪を伸ばし始めます。また「袴着」は男児が五歳になると初めて袴を着る儀式、「帯解」は女児が七歳で幼児用の付紐をやめ、大人の帯を締める儀式です。
 これらの宮参りは、秋の収穫を終えて田の神を山に送る祭りが行われた旧暦霜月望日(11月15日)に併せて行い、子供たちを氏神様や地域共同体の人々に承認し祝福してもらう儀礼でした。 現在の様に、七五三を11月15日に盛大にお祝いするようになるのは、江戸時代からで、五代将軍徳川綱吉の子徳松の健康を盛大に祈願したことから、庶民に広がり、文化・文政の頃、江戸の町を中心に流行したといわれています。明治以降の七五三も、それらを踏まえて、太陽暦11月15日とされました。
 七五三を機会に、神様始めみんなのことを一生懸命育てて下さるお父さん、お母さんに感謝しましょう。

朗誦(天壌無窮の御神勅・教育勅語・百人一首)

神話の紙芝居(スセリヒメ)

・ 季節の歌(天長節・もみじ)

親子教室の標語


日本精神・武士道精神について

最初に、日本武尊の紙芝居を見ました。そのあと今月は、日露戦争で活躍した乃木希典将軍の生まれ月でもあるので、絵本『乃木じいさんのはなし 無人は泣き人』の読み聞かせを行いました。乃木将軍は小さい頃無人という名前でした。無人は、泣き虫でしたが、お父さんの厳しい教育で、剣術の練習と偉人のお話をしっかり聞き、立派に成人しました。またにんじんが嫌いで、無人のお母さんは、食べられるようになるまで、毎日食事に人参をだし、無人はにんじん嫌いが克服できました。また、お父さんの仕事の都合で、家が貧しくなった時にも、無人は弟や妹の世話をしながら、お母さんのお手伝いをしました。お母さんが、ある日蚊帳の金具を外すときに、誤って無人の左目に当たり、見えなくなりました。心やさしい無人は、お母さんに辛い想いをさせたくなかったので、蚊帳のことはだれにもいいませんでした。
こうして乃木希典将軍は小さい頃から苦労して、人に対する思いやり忘れず、文武両道しっかり努力した結果、明治時代に立派な軍事さんになって、日露戦争の旅順の戦いに勝ち、日本を救ったのです。

和歌づくり

〔保護者の学び〕

家庭教育の極意(坪田陽子先生)

質疑応答

和歌作り

〔終礼〕

・歌 (大黒様)


平成24年9月23日


〔朝礼〕

国歌君が代斉唱

教育勅語奉読

古事記朗誦

校長講話

昨日9月22日は、秋分の日でしたね。「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日です。昼と夜の長さが等しい季節の区切り目で、「お彼岸の中日」にあたります。春分と秋分の日を中心とする前後三日間を「彼岸」と言います。「彼岸」は仏教の言葉で、現世(この世)にたいする他界(あの世)を意味します。「お彼岸の中日」は、太陽が真西に沈むことから、西方極楽浄土の説と結びつき、先祖供養の縁日とされました。今聖徳太子のお勉強をしていますね。聖徳太子ゆかりの大阪四天王寺では、「日想観」という行事がおこなわれます。四天王寺の正門から西に向かって太陽が沈むその光景を見て人々は、極楽浄土をイメージしてお祈りをするのです。私たちとご先祖さまの命の源である太陽に感謝するのですね。日本は昔から光輝く太陽の国で、国の名前も「日本」、国旗も「日の丸」ですね。秋分の日も、もともとは太陽信仰と深く関わりがあります。「彼岸」は「日願」ともいっていました。
お墓参りにはいきましたか。お墓が遠くにある人は、お家のお仏壇に感謝の気持ちを捧げましょう。太陽とも深く関わりある日なので、地元の神社にお参りするのもいいですね。日本の中心の神様は、天照大御神様(太陽神)です。どこの神社にお参りしても、天照大御神に通じています。
 なお宮中では、皇霊殿で歴代天皇・皇后・皇族の神霊を祀る秋季皇霊祭が行われます。
 9月30日は、「中秋の名月(お月見)」ですね。旧暦の8月15日(今の9月中旬から10月初旬)の美しい月を、「中秋(仲秋)の名月」といいます。旧暦(太陰暦)では、7月・8月・9月が秋の季節、秋の真ん中の月の日(旧暦8月15日)が中秋(仲秋)になります。「中秋の名月」は一般に満月と思われがちですが、旧暦では、月の満ち欠けにより日付を決めるため(通常新月1日、満月が15日)微妙なずれが生じ、必ずしも満月と重ならない場合があります。今年は、9月30日(日)で満月と重なります。
「中秋の名月」には、庭先や縁側に台を置き、月の芒など秋の七草(萩・芒・撫子・葛・女郎花・藤袴・桔梗)を花瓶にいけ、お団子や里芋、御神酒などを供えてお月見をします。
「中秋の名月」の由来は、月を神聖な神と崇め、秋の収穫に感謝する農耕儀礼でした。稲作が伝わる前は、芋の収穫祭つまり畑作収穫儀礼でした。いまでも関西から中国地方では、里芋を供え、「芋名月」の名前で呼ばれています。また稲作が伝わると、稲作収穫儀礼と結びつくようになりました。芒(ススキ)を飾るのも、芒は稲科の多年草で、稲穂の代わりにそれを象徴するものでもありました。
宮中でも、天皇皇后両陛下は、お供えしたものと同じものを夕食の時に召し上がられ、ちょうど満月になる「のぼり月」をご覧になられます。
また名月は、古来文雅の好題目で、和歌・俳句に好んで詠まれました。みなさんも
毎回和歌を作りますが、和歌を日本人はとても大切にしてきました。言葉には、「言霊」といって一つ一つの言葉に意味があり、「たましひ」が込められています。素晴らしい和歌は、天地を動かし、猛き者の心を和ませると信じられてきました。奈良時代にできた「万葉集」には、約4500首の歌が入っており、天皇陛下から名もなき庶民に至るまで歌を詠んでいたのです。これは世界的に見ても凄いことです。和歌の前では、日本人は平等なのです。私たちが行っている雛祭のような年中行事や和歌作りなどの日本文化は、宮中の行事がもとになっています。今日も書道の後に和歌を作りますが、しっかり心を込めて作りましょうね。

朗誦(天壌無窮の御神勅・十七条憲法第1条・百人一首)

神話(稲羽素兎)

季節の歌(赤とんぼ・故郷の空)


〔子供の学び〕

親子教室の標語朗読

書道

和歌作り


〔親の学び〕

古事記に学ぶ(神々の生成・火神被殺)

和歌作り


〔終礼〕

作品紹介

9月23日和歌
あめふってくるまとおくにとめたずぼんぬれた
あかとんぼのうたすこしおぼえた
           未就学 男子
おやこきょうしつでけいごがわかんない
ことばでうたってたおかしいなあ
           未就学 女子
あめのなかおやこきょうしつにきた
さおりちゃんたちとあかとんぼのうたうたった。
           未就学 女子
母さんの都合で今日は8時起き
妹と一緒に親子教室
日曜日本来ならば家にいて
毛布にくるまり本を読んでる
      4年生 男子
書道でね1,2枚目はへただけど
3枚目はね笑顔になれた
      5年生 男子
空見上げ我が子の笑顔雲に置き
今日も励めとエールを送る
     保護者
長雨に願いを込める切々と
日本全土に豊作あれと
     保護者
どれほどか時代が移り変われども
日本の心は古事記に見える
      保護者
古事記よりすべての物は無駄でないと
学びてあらたに感謝を込める
      保護者
親子教室で(きょうしつで)次々言葉を暗唱す
子等の成長たのもしきかな
親子教室で(きょうしつで)古事記を学ぶ折節に
古代人の神秘を想う
       柴田校長
お彼岸に家族で墓前で手を合わせ
夫の思いでそれぞれ語る
お彼岸に母墓前にて語りしを
我も同じく語りつ祈る
隣国の理不尽嘆き夫はじめ
逝きし人に国の護りたのむ
老夫婦腕組み杖付き前(さき)を行く
追い越しできず歩調合せる
       坪田講師



歌(大黒様)




平成24年9月9日

〔朝礼〕

国歌君が代斉唱
教育勅語奉読
古事記朗誦

校長講話

夏休みも終わり、新学期が始まりました。幼稚園・学校での生活は慣れましたか。
では、今日も月の行事のお話をします。
9月1日は 防災の日(関東大震災記念日)です。大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、神奈川県相模湾北西沖80キロを震源としたマグニチュード7.9の大きな地震が関東地方を中心に起こりました。ちょうどお昼時でしたから、東京や横浜などでは、大きな火災が発生し、死者・行方不明者は十万人を超える大惨事となりました。
その日にちなんで、昭和35年(1960年)内閣の閣議決定により、「防災の日」と定められました。学校始め各地で防災訓練などが行われていますね。この日から一週間は防災週間となっています。
   近年世界各地で大規模な自然災害が多発していますね。
わが国でも、昨年三月十一日は、東日本大震災が起こりました。最近では、今年五月、北関東で竜巻が起こりました。九州地方では、梅雨時期に大雨による土砂崩れ、洪水など多くの被害がありました。これから台風が多発する時期です。風水害には特に注意が必要です。また都市の火災や、火山の爆発など今後は様々な事態を想定しておく必要があります。
「防災の日」をきっかけに、もう一度防災用具・避難道具の点検、避難場所の確認、避難訓練を家族みんなで行ったり、防災について話し合ったりするといいですね。普段から気を付けていきましょう。
また震災で亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、自然に対する感謝の気持ちを忘れないくださいね。
9月9日は、重陽の節句です。古代中国では、「九」は最高のおめでたい陽数とさ
れ、「九」が二つ重なるので重陽といい、祝日でした。
昔、邪気を払うぐみを袋に入れて、山に登り、延寿の菊花酒をくみかわして吉祥を念じた中国から伝わった風習です。わが国では、菊綿で体を拭いて邪気を払い、菊の花を酒に浮かべて、川辺で曲水の宴などを行っていました。
9月第3月曜日は、敬老の日です。いつも私たちの面倒を見てくださっている、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんに、特に感謝する日です。
  わが国では、昔から老人の知恵を大切にし、孝養を尽くしてきました。岐阜県(美濃国)には「養老の瀧」という昔話がありました。
  奈良時代の始めころ、美濃国に老いた父をもち、山の草木をとって父を養っている男 がいました。その男は、酒好きのお父さんのために薪を採りに山に入り、滑って谷に転げ落ちてしまいました。ところが、そのあたりの水を汲んでなめるとお酒であったことから、以後毎日これを汲んでお父さんを養いました。それを聞かれた元正天皇さまが、霊亀3年(717年)9月ごろ、その地に行幸され、「これは孝行のため、神様があわれに思われて、その徳をあらわされたのだ」と深く感動され、この男を美濃の守になされ
ました。するとその男の家は豊かになり、ますます孝養をつくしました。元正天皇さ
まは、この酒の出る所を「養老の瀧」と名付け、年号を養老と改められたというお話です。
  どうでしたか。このあと、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんへのプレゼントを作ります。
心を込めて作りましょう。家に帰ったら、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えましょう。・

朗誦(天壌無窮の御神勅・十七条憲法第1条・百人一首)
神話(ヤマタノオロチ)
季節の歌


〔子供の学び〕

親子教室の標語朗読
工作(ハガキ入れ)
和歌作り


〔親の学び〕

古事記に学ぶ(神々の生成)
和歌作り


〔終礼〕

作品発表



9月9日和歌
あかとんぼのうたをうたったたのしかった
おやこきょうしつはぜんぶたのしい
         未就学 女子
おやこきょうしつでじょうさしとうちわをつくった
じじとばばにあげるよろこぶとおもう
         未就学 女子
おやこきょうしつにけいごをいえにおいてきた
じゃまされないしずかでいいよ
おやこきょうしつでしょうとくたいしのことば
おぼえていえたせんせいたちにほめられた
          未就学 男子
プレゼントおばあちゃんの好きなネコの絵を
うちわにかいたけいろうの日あげる
          5年生 男子


夏休みたくさん遊び真っ黒に
日々成長す吾子の姿よ
          保護者
古事記から神々のいる世を学び
我等もまたそこに生きるを感じて
おはやしで太鼓をたたく息子見て
白山神社(じんじゃ)を重んじる地域に住めるを
祭りの夜に家族の顔が照らされて
幻想的な雰囲気に酔う
           保護者
月見上げ絵本のうさぎ探す吾子
感性豊かに育てと祈る
乳幼児愛国教室で(きょうしつで)吾子預ければ激しく泣く
回ごとに慣れ泣く時間(とき)少なし
           保護者
古事記読み神々の働きに感謝し
日々の暮らしを大切にする
自らのやるべき事をする息子(こ)見て
神の力を実感する日々
           保護者
父母を(ちちははを)通して生きるわが命
ただ有難しただ有難し
            菊池講師

歌(大黒様)






平成24年7月22日



・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読
・古事記朗誦

・校長講話

次回の親子教室(8月12日)で、聖徳太子の紙芝居作りが始まりますので、今日は聖徳太子のお話をしたいと思います。
聖徳太子聖徳太子は、今から約1400年前、574年、今の奈良県明日香村の地に御生まれになりました。お父様は用明天皇、お母様は穴穂部間人皇女でいらっしゃいます。
お母様が宮中を御回りになり、馬官(うまのつかさ)の所までおいでになられたとき、厩の戸にあたられ、そこでご出産されたことから、人々は厩戸皇子(のちの聖徳太子)と申し上げました。聖徳太子は、幼少の頃から聡明で、一度に十人の話を聞き分け、それぞれ的確に返答したという伝説もありました。
聖徳太子が13才の頃、父君である用明天皇が即位され、異国の教えである仏教を熱く信仰されました。そこで、物部氏を中心とした日本古来の神の道を守り、仏教を排除する側と蘇我氏中心とした仏教を受け入れる側で賛否両論に別れ、戦いが起こりました。聖徳太子は、父君用明天皇のご意思(「仏法を信じ、神道を尊びたまふ」)を受け継ぎ、蘇我氏の側について、戦いました。戦いは苦戦をしいられました。聖徳太子は、仏教・国家守護の神である四天王の像を作り、「今もし自分を敵に勝たせてくださいましたら、必ず四天王のために寺塔を建ててお祀り致します」と誓いをたて、ついに勝つことができました。こうして摂津国(大阪府)に四天王を祀られました。これが現在の四天王寺(正式名称「四天王護国之大寺」)の始まりになります。
後に、聖徳太子は推古天皇の皇太子・摂政として活躍されます。
   603年に冠位十二階という制度を入れ、能力の高い者をどんどん出世させる仕組みを取り入れました。冠の色を紫、赤、青、黄、白、黒の6つに分け、これを薄い色と濃い色に分け、12種類の冠を作りました。それに、上から徳・仁・礼・信・義・智とし、それぞれ大小に分け12階の冠位を付けました。冠位は直接天皇が授けました。天皇中心の政治の現れです。儒教発祥の地支那(中国)では、人間の徳目として「仁・義・礼・智・信」の5つを挙げ、これを位階の名前にしていました。聖徳太子は、最上位に「徳」を新たに加え、「礼」を3番目とし、「義」の上に「信」を置きました。翌年出される十七条の憲法第四条では、「郡卿・百寮、礼を以て本と為よ」とあり、国を治めるにあたって「礼」を重んじられたこと、また第九条では、「信は是れ義の本なり」とあり、「信」こそ万事成就に通じる徳目であるとお考えになられました。聖徳太子の思想の独創性がここにあらわれているといえるでしょう。
   604年に、役人の心構えとして十七条憲法が制定されました。この憲法は、日本古来の惟神の道(神道)はもとより、仏教・儒教などの外来思想を聖徳太子が深く理解して、日本の国柄と理想をまとめられたものです。特に第1条「和を以って貴しと為せ」は、「大和の国」日本の根本規範として、平和を愛し、周囲の人たちと仲良く調和して生活することの大切さを説き、後世の日本人に大きな影響を与えています。また第3条「詔を承ては必ず謹め」は、天皇中心に上下の秩序を保ち、天地の法則の従うことの大切さが説かれています。


小野妹子また当時の支那は隋王朝で、朝鮮やわが国を脅かす存在でした。これまで支那とわが国は従属(朝貢)関係にあったのを、聖徳太子は、遣隋使を派遣することで対等の関係にしていきました。607年、小野妹子を使者として遣隋使を派遣します。この時の隋の皇帝に書かれた手紙には、「日出る処の天子(日本の天皇・推古天皇)、日没する処の天子(隋の皇帝・煬帝)に書を致す。恙無きや・・・」と書かれました。608年のときには、国書に記す君主の称号が問題になりました。この時の手紙には、「東の天皇つつしみて、西の皇帝にもうす」と書かれました。
ここに「日本」という名前の由来、独立国の象徴としての「天皇」という名前の由来が「遣隋使」の文章を通じて現れています。
紙芝居造りを通じて、人としての生き方、日本の心、自主独立の精神を聖徳太子から学んでいきましょう。

・ 朗読(天壌無窮の神勅、十七条憲法、百人一首)

・神話 天の石屋戸

・季節の歌(我は海の子)

〔子供の学び〕

・親子教室の標語

・偉人伝「二宮金次郎」

 愛甲先生による「二宮金次郎」のお話

・和歌作り



きょうしつでせんせいのおはなし
むつかしいけどたのしかった
          幼 男子


ママとうみとプールでおよぎにいくよ
うきわでおよぐのたのしいな
          幼 女子


けいごがねつをだしたのでてらこやに
ままとふたりできたちょとさみしい
          幼 女子


あたみのうみでおよいだよボートは
こわかったけどたのしかった
ゆめできゅうこうにのってまいごになった
そこでめがさめてゆめでよかった
          幼 男子


みんなであたみのうみでボートにのって
うみのけしきはあおくうつくしい
          2年 女子


金次郎学校行かずにかしこくて
すごくがんばり仕事ができた
          5年 男子


幼稚園入園当初は涙の日々
今は楽しくバスで通園
          保護者


四無量心慈悲喜捨の喜がひっかかる
他の喜びをともに喜べるや
捨の意味を教わり子等を思えば
われは放っているのか子ら伸び伸びと
子の願い叶えてあげよう心して
決意すれば胸弾む子育て
          保護者


夏休み毎日朝から自転車こぐ
徐々にころばず吾子微笑みぬ
          保護者


夏休み食器洗いをする吾子は
やさしく頼もし成長うれしい
          保護者


親子教室のこの子等は(このこらは)我が国担う宝子よ
大きく育て真っ直ぐ育て
          愛甲講師


また一人親しい人逝く明日有と
思うことなく今日を生き切る
親子教室(きょうしつ)で母子で学ぶ偉人伝
共に伸びゆけ日本の為に
         坪田講師

〔親の学び〕

・家庭教育について 

 坪田先生による「家庭教育の極意」の講話




〔終礼〕

・和歌紹介

・歌(やさしいお母さん・我が子よありがとう)


平成24年7月8日


〔朝礼〕

・国歌君が代斉唱

・教育勅語奉読
・古事記朗誦

・校長講話



7月7日、昨日は七夕でしたね。笹の木に短冊をつるし、お願い事をしましたか?

七夕の由来をお話ししましょう。昔の中国では、織姫(織女星・琴座のベガ)は裁縫の仕事、彦星(牽牛星・鷲座のアルタイル)は農業の仕事をつかさどる星とされていました。二つの星が結婚するとしだいに仕事をおこたるようになり、それが天帝の怒りをよび、天の川をはさんで二つの星は引きさかれてしまいました。ただし毎年七月七日だけは天の川に羽を広げる鵲(白鳥座)のおかげで会うことができるというお話がありました。そしての中国の行事で織女星にあやかって裁縫や機織りの上達を祈る「乞巧奠(きこうでん)」の風習が奈良時代に日本に伝わりました。

また日本の古くからの禊の行事で、乙女が着物を織り、棚に備えて神様を迎えて豊作を祈り、人々の穢れを祓う「棚機(たなばた)」の風習がありました。選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、清らかな水辺の「機屋」で神様のために着物を織ります。仏教が日本に伝わるとこの行事は、お盆を迎える準備として七月七日に行われるようになりました。

 日本と中国の風習が合わさり、宮中行事として七夕行事がなされ、江戸時代に五節句の一つとして庶民に広がり、裁縫や習字の上達を願い、笹に短冊をつるすようになり、現在の七夕行事となりました。

 7月13日から16日は、お盆ですね。祖先の霊を迎える行事。古来日本の祖霊に感謝し祀る行事に、仏教の「盂蘭盆」が加わったものです。13日の夜に迎え火をたいてご先祖様を迎え、15日の夕方か16日の払暁に送り火をたいてご先祖を送ります。

 お盆の間、お墓参りや盆踊りなどしてご先祖様の慰霊を行います。もともと旧暦7月15日の行事ですが、八月に行う地方もあります。

  ちなみに靖国神社では、この時期にみたま祭りが行われています。

  7月・8月のお盆は、私たちを生かし、常に見守って下さるご先祖様、護国の英霊様に深い感謝の気持ちを捧げたいですね。

7月16日は、 海の日(7月第3月曜日)、「海の恩恵に感謝し、海洋国家日本の繁栄を祝う」日です。

江戸時代の末ごろから、西洋式の大型鋼鉄船が輸入されるようになり、そのうちの一つが明治8年(1875年)に横浜に就航したイギリス製の新型汽船で、「明治丸」と名付けられました。

  明治9年(1876年)六月初めから、明治天皇が陸路で東北地方をご巡幸された際に、「明治丸」で青森から函館に立ち寄られ、五稜郭の跡を訪ね、アイヌの人々にもお会いになり、海路で還幸されました。その折、時化に遭い、ほとんどの人が船酔いするなか、明治天皇は泰然とされていたそうです。そして7月20日の夜、横浜港に無事に到着しました。その日にちなんで戦前から「海の記念日」とされ、平成7年に「海の日」として祝日となりました。平成15年から7月第3月曜日と定められました。

 汽船による航行に不安を感じた当時の人々も、明治天皇のご巡幸で、その安全性を認め、海運や船旅を利用する人が増え、「海洋国家日本」の発展のきっかけとなりました。

 明治天皇は、率先垂範して近代国家形成のためにご尽力なされました。今年7月30日は、明治天皇が崩御されてから百年にあたる節目になります。宮中や明治神宮では例祭が執り行われます。明治天皇のご聖徳を改めて仰ぎましょう。

・朗読  
天壌無窮の御神勅 

日本ノ国 

聖徳太子十七条憲法(第1条) 

百人一首

・神話  天照大御神

・季節の歌 われは海の子

〔子供の学び〕

・親子教室の標語

・書道

・和歌作り

〔親の学び〕

・古事記(国生み・神生み)

夫婦陰陽の調和と自然に神を観る日本の心について学びました。

〔終礼〕

・作品紹介 子供たちの書道・和歌、力作ができました。
・歌(やさしいお母さん・我が子よありがとう)

平成24年6月24日

今日は、親子教室・寺子屋合同で、明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館を見学しました。


 聖徳記念絵画館には、明治天皇、昭憲皇太后お二方の御事績を描いた壁画80枚が、延べ250mの壁面に展示されています。展示されている壁画は、明治時代の勇姿と歴史的光景を史実に基づいた厳密な考証の上に描かれており、それぞれの壁画にゆかりの深い団体や個人から奉納されています。壁画は、当時の一流画家による優れた芸術作品であるとともに、政治・文化・風俗の貴重な歴史資料としても高く評価されています。(聖徳記念絵画館パンフレット参照)


明治天皇今年7月30日は、明治天皇が崩御され、百年目にあたります。将来の日本を背負う皆さんに、改めて「栄光」と「苦難」の明治時代を振り返ることで、明治天皇のご聖徳を仰ぎ、明治を生きた先人の偉業から少しでも何かを得て欲しいと願っています。
 ここで、明治天皇の御生涯を簡単に振り替えておきましょう。
 明治天皇様は、嘉永5年(1852年)9月22日(太陽暦11月3日)に孝明天皇の第二皇子として、大納言中山忠能邸で、お生まれになられました。母君は、忠能の娘慶子さまでいらっしゃいます。ご幼名は祐宮、御名は睦仁と申し上げました。
 中山家の諸大夫田中河内介は、祐宮様を背にお守りしつつ、「孝経」の素読をしていました。また生母中山慶子様による日常の読み書きの指導は大変厳しく、習字も二十枚綴りの帳面二冊書き終えないと昼食を頂くことができなかったと言われています。
 明治天皇は、のちに幼少の頃を偲ばれ、つぎのような御製を残されています。
 手ならひをものうきことに思ひつるをさな心をいま悔ゆるかな
 明治天皇がおうまれになられた翌年嘉永6年(1853年)には、浦賀にペリーが来航し開国を迫りました。欧米列強がアジアを侵略し、日本にもその牙が向けられていた時代でした。孝明天皇は、毎夜国難打開の祈りを伊勢神宮に向かってなさり、幼い祐宮様も父君の後ろで祈られました。御父君のご苦悩とご心痛を日々目の当たりにされ、お育ちになられたのです。


孝明天皇慶応2年(1866年)孝明天皇が崩御なさると、睦仁親王は16歳で践祚なさり、明治天皇となられました。
 慶応3年(1867年)、江戸幕府15代将軍徳川慶喜から大政が奉還されると、明治天皇は御自ら日本国の統治大権を発動され、「王政復古の大号令」を出されました。明治天皇のご統治の理想は、初代神武天皇の御代でありました。徳川慶喜
 明治元年(1868年)3月14日、明治天皇は天神地祇に国是五箇条を誓われ、「五箇条の御誓文」を発布し、「万民保全の道」を御立てになられました。
 明治天皇は、よく敬神崇祖の道を実践あそばしました。明治天皇は、歴代の天皇の中で始めて伊勢神宮に御自らご参拝なさいました。また靖国神社は、明治天皇の「わが国のために尽くした人に御霊は、国自ら永久にお祀りすべきである」との聖旨の基づき創建されました。明治5年の大阪・中国・九州ご巡幸では、楠木社に勅使を遣わして幣帛料を納められ、これを湊川神社と名付け楠木正成を南朝の忠臣として顕彰されました。
 明治9年(1876年)6月初旬からの東北ご巡幸で、明治天皇の一視同仁のお姿に接した人々は感激し、戊辰戦争で朝敵であった土地柄故に、かつてのお名を雪がんとより強く天皇への崇敬心が芽生えました。東北・北海道ご巡幸のお帰りの際、新型汽船「明治丸」で還幸されました。海は時化で、ほとんどの人が船酔いをする中、明治天皇泰然とされていたそうです。7月20日の夜無事に横浜に到着されました。その日に因んで現在は7月第3月曜日が「海の日」として祝日になっています。
 明治時代は、欧米列強との不平等条約改正のために、欧米並みの近代国家建設が課題でした。伊藤博文自由民権運動や伊藤博文らの欧州留学など朝野にわたる激論の末、明治22年(1889年)2月11日に、日本の国柄に即した近代憲法である大日本帝国憲法が発布され、翌年には帝国議会が開かれました。また明治23年(1890年)10月30日には、教育勅語が発布されました。明治天皇は、近代化で日本の国柄を見失われること憂えて、御自ら一字一句ご検討なされ、「教育勅語」は完成しました。ここに世界に冠たる道義国家日本の「国体の精華」が明らかされ、わが国の教育の根本理念を定められた意義は誠に大きいといえましょう。
 その後、わが国は二度に渡る戦争に勝利します。明治27、28年(1894年〜95年)の日清戦争では、大本営が広島に移されました。大本営にあてられた広島第5師団司令部の建物は木造の粗末なもので、2階の一室が天皇の御座所でした。明治天皇は朝5時に起床なさり、6時に軍服に着替えられ、軍の会議終了後も夜10時まで御座所で、戦地からの戦況を待たれ、夜2時過ぎのご就寝ということもあったそうです。


乃木希典わが国を取り巻く国際情勢は厳しく、ロシアの満洲・朝鮮進出に際し、わが国は自存自衛のために、明治37、38年(1904〜05年)にロシアと戦うことになります。ロシアとの国交断絶、軍事行動が裁可された明治37年2月4日の御前会議後、明治天皇は、「今回の戦いは朕が志にあらず、然れども事すでに茲に至る。之を如何ともすべからさるなり。事万一、蹉跌を生せば朕何を以てか祖宗に謝し、国民に対するを得ん。」とつぶやかれ、涙をながされたといいます。東郷平八郎日露戦争は、第3軍乃木希典将軍の指揮によって旅順陥落、連合艦隊東郷平八郎司令長官の指揮により日本海海戦に大勝し、ロシアに勝利することができました。日露戦争のご献身で、明治天皇は徐々に体を痛められ、明治45年7月に入ると急に病状が悪化さえ、7月30日に崩御なされました。


 聖徳記念絵画館を見学し、子供たちや保護者の方々を始め講師も、明治という時代に改めて様々な感慨を持つことができました。見学した際の和歌をご紹介いたします。

絵画館見学  和歌        





たたかいのときのえがおもしろかった
ぜんぶたのしかった
          幼児 女子


めいじてんのうがのっていたうまをみたよ
なんというなまえかしりたくなった


びょういんのえをみてむかしのようす
わかったかんごふさんすごいなあ
           幼児 女子


絵画館に入ったときわねぶっくりした
天井高くひろびろしてて


飾っている絵がまたすごいおおきくてね
全部でね八十枚もあるんだよ
           五年 男子


大正に建てられしはずの絵画館
百年ちかくたつも新しい


描かれし天皇様と背景に
画家の思いの深さを感ず


手の込んだ装飾品や建物に
心で生きし人々を見る
       保護者


絵画から明治天皇(てんのう)の偉大さ思いて
大御心に感謝を捧ぐ
       保護者


百六十年前の歴史を語る八十の絵
色あざやかに現代に伝える


中央のドームの高さを見上げながら
民の天皇への思い深き知る
        保護者


国のため民のためにと働かれ
凛々しき御姿国の誉れぞ


若きより深く学びて神崇め
国難多きも正しき指針
        講師 加納


聖徳記念館(きねんかん)の格調高き建物に
明治の御代の偉大さを思う


帝国憲法(けんぽう)の発布の絵画を見て感ず
正しき憲法(のり)に戻すべきかな


絵画館の絵に表われた志
心に刻みて子等に伝えん
           親子教室 校長 柴田




寺子屋と親子教室合同で
来たは聖徳記念絵画館


絵画館明治天皇の生い立ちが
くわしく文と絵でかかれてる


たくさんの出来事があり天皇は
すごい方だとあらためて思う
       4年 男子


天皇様がつねに正面をみておられる
大きくすごい絵は心にのこったよ
       4年 男子


大君と国民の心一つにして
新たな国の姿創れり


御苦難の多い御代に天皇(すめらぎ)は
先頭に立ちて国を固めり


国民の天皇(すめらぎ)慕う心根は
壮大な絵として現れにけり
        保護者


岩倉邸病床見舞う明治帝
翌日具視 死去したという
      講師 実吉


明治の御代のなりたちを一堂に
集めし絵画館日本の宝なり


明治天皇の遺徳偲びつつ絵に見入る
侍従たちの凛々しさ今にぞ学べ


君民が心合わせた明治の世
世界にとどろく日本となる
        寺子屋塾長 坪田





平成24年6月10日

〔朝礼〕

・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読
・古事記朗誦

・校長講話

天智天皇今日6月10日は、 時の記念日です。飛鳥時代、天智天皇十年(671年)4月19日(太陽暦6月10日)、始めて漏刻(水時計)を使い、鐘鼓を鳴らし、時刻を知らせました。この日を記念し、大正9年(1920年)に「時の記念日」が制定されました。昭和天皇の聖旨をうけて、昭和15年(1940年)に天智天皇を祀る近江神宮(滋賀県大津市)が創建され、翌16年の「時の記念日」から近江神宮「漏刻祭」が現在に至るまで行われています。



日本最初の時計(漏刻)近江神宮には、時計博物館があり、各種の和時計が展示されています。またオメガ社奉納の漏刻やロレックス社奉納の古代火時計が設置されています。一度見学にいってみるといいですね。改めて時間の大切さを考えましょう。
ちなみに天智天皇(中大兄皇子)は、政治をわがものとした蘇我氏の横暴を正し、聖徳太子が築いた天皇中心の政治を取り戻しました。律令制度を整えられ、唐・新羅の連合軍に白村江の戦い(663年)で敗れると、外国の脅威に備え、九州に防人を起き、国の護りをしっかりとかためられました。 都を近江(滋賀・大津)に移し、全国的な戸籍をつくられました。

昭和天皇は、天智天皇を尊敬され、近江神宮のご創建を始め、大東亜戦争の敗戦の教訓を天智天皇に学ばれ、近江神宮に勅使を派遣されたとのことです。

6月23日 沖縄慰霊の日(沖縄戦終結日)です。大東亜戦争で、わが国において唯一地上戦が行われた沖縄での戦闘が終結した日。天皇陛下は「日本人が記憶すべき四つの日」として、8月6日の広島原爆投下の日、8月9日の長崎原爆投下の日、8月15日の終戦記念日、そして6月23日の沖縄戦終結の日をあげておられます。

 これらの日には、天皇陛下は必ず黙祷を捧げていらっしゃいます。

 また天皇陛下は、皇太子の頃から琉歌を独学で学習なさり、二十首以上作られたそうです。沖縄学研究所の外間守善さんは次のようにおっしゃっています。

「沖縄の人はみんなびっくりしています。今の沖縄の人は琉歌を詠めません。けれども、天皇はこれだけつくられた。こんなに歌ったのは琉球王でもありません。琉球王でも一番多い人で十首ぐらい。大抵、二首か三首です。今の天皇は二十首以上つくられた。

本当に天皇は真剣だったんだと、沖縄の人はそう思っています。」

 6月22日、平和記念堂で戦没者追悼式前夜祭がおこなわれ、天皇陛下が皇太子時代に読まれた次の琉歌が、琉球古典音楽の調べに乗せて献奏されます。

 摩文仁(昭和五十年)

 フサケ ユルキクサミグルイクサアトゥ

 ふさかいゆる木草めぐる戦跡

クリカイシガイシウムイカキティ

くり返し返し思いかけて

(生い茂っている木草の間を巡ったことよ、戦いの跡にくりかえし思いを馳せながら )

 私たちは、沖縄の方々の尊い散華と犠牲により本土が守られたことに思いを馳せ、平和の尊さと意味を改めて考えたいものです。

・朗読 天壌無窮の御神勅
     日本ノ国

     聖徳太子十七条憲法(第1条)

     百人一首
・歌(雨降り・金剛石)

〔子供の学び〕

・ 親子教室の標語

・父の日のプレセント作り

・和歌作り   

おとうさんのプレゼントつくりビーズいっぱい

つけたきれいにできたよ

           幼児女子

お父さんのプレゼントかざりつけした

おとうとがさわらないように

           幼児女子

父の日のプレンとにね黒板に

かざりつけしたたがいにれんらく

ヨウカドウにゲームしに行くたたかった

うまくいったからきもちがよかった

           5年 男子

母さんに用事ができて父とぼく

親子教室に妹送る

父とぼく親子教室に参加して

妹とはあばれぼくは作文

          4年 男子     

〔親の学び〕

・家庭教育について
現在の教育の問題点を踏まえ、家庭と国家を貫く「家の理念」と祖霊祭祀の大切さなどについて学びました。

〔終礼〕

・作品の発表 心暖まる作品ができました。
・歌(やさしいお母さん・我が子よありがとう)



平成24年5月27日

〔朝礼〕

・国歌君が代斉唱
・教育勅語奉読
・古事記朗誦



校長講話

楠木正成5月25日は、楠木正成を祀る湊川神社(兵庫県神戸市)で楠公祭が行われます。
鎌倉幕府滅亡後、天皇中心の政治を行う後醍醐天皇の建武の中興(建武の新政)に不満をもった足利高氏は、裏切り挙兵します。楠木正成は最後まで御醍醐天皇に「忠義」をつくし、後醍醐天皇を守ろうとしました。楠木正成最期の戦いが湊川の戦い(延元元年・1336年5月25日)でした。楠木正成・正季兄弟が最期に誓った言葉が「七生報国」です。「七生報国」とは、「七度までも同じ人間界に生まれ変わって国のため世のために力をつくす」という意味です。楠木正成の「忠義」と「七生報国」の心が、後に江戸幕末から明治維新に至る原動力になります。特に吉田松陰・真木和泉守など勤皇の志士達に大きな影響をあたえました。
5月27日は、旧海軍記念日(日本海海戦)です。


東郷平八郎明治38年(1905年)日露戦争において東郷平八郎司令長官・秋山真之参謀ら率いる連合艦隊が、当時世界有数の艦隊であったロシア・バルチック艦隊を対馬沖の日本海で撃破し、勝利をおさめた海戦にちなんで、戦前は「海軍記念日」と定めていました。
 戦艦「三笠」艦橋の東郷司令長官は、敵の先頭を圧迫する転舵の好機を待ち、敵との距離8キロにおいて左大回頭(東郷ターン)を命じました。5月27日・28日の2日にわたる戦いでは、主力である戦艦などを全滅させました。かろうじて巡洋艦など12隻が脱出しましたが、目的地のウラジオストックに到着できたのは3隻のみでした。
 戦い後、東郷司令長官は、海軍病院に敵将ロジェストウインスキーを見舞い、勇戦奮闘を讃え労いました。また天皇陛下の御稜威に深謝し、宗像大社の沖津宮と伊勢神宮に参拝し、神助への感謝を捧げました。
この大勝利は、東郷司令長官・秋山参謀の作戦と軍人の武勇、明治を生きた人々の愛国心によるものです。私達は、命懸けで日本を守ってくださった多くの先人や護国の英霊への感謝と慰霊を決して忘れてはなりません。
日本海海戦の勝利により、ロシアは戦意を失い、アメリカ大統領の仲介でポーツマス講和条約が結ばれました。日本の勝利は、西洋列強から抑圧されていたアジア・アラブ諸国やロシアに抑圧されたフィンランド・ポーランドの独立運動に大きな影響を与えました。まさに明治日本が成し得た世界史的偉業といえるでしょう。
 ちなみに5月28日は、東郷神社でお祭が行われます。また戦艦「三笠」は、記念艦として横須賀に保存されています。
 5月25日と27日は、武士道精神について考えたいものです。



朗読(天照大御神の御言葉、日本ノ国、百人一首)



神話(天の石屋戸)



季節の歌(雨降り・金剛石)

〔子供の学び〕



書道



和歌作り

〔親の学び]



古事記(天地の始め)

〔終礼〕



作品発表



歌(やさしいお母さん・我が子よありがとう)



平成24年5月13日


〔朝礼〕



国歌君が代斉唱



教育勅語奉読



古事記朗誦



校長講話

ゴールデンウイークも終わりましたね。皆さんはいろいろなところに出かけましたか。
先生は、近畿地方に旅行にいって、いろいろな神社に参拝してきました。
5月4日、京都では、水の神様を祀る貴船神社、それから下鴨神社・上賀茂神社に参拝しました。下鴨神社では、古武道の奉納(葵祭の前儀)が行われていました。ちょうど5月15日頃は、葵祭の時期ですね。
葵祭は、飛鳥時代、欽明天皇の御代に、風雨が甚だしく人々は困っていたとき占部伊吉若日子(うらべのいちわかひこ)に占わせたところ賀茂の大神の祭りをせよということで、4月吉日(旧暦)、馬に鈴を付け人に猪頭(いのかしら)を被らせて走らせ、そして祭りを行なったところ風雨が治まり、五穀豊穣になったことが始まりだそうです。
平安遷都ののち、賀茂社は山城国(京都)の守護神となり、嵯峨天皇は最愛のヒメ御子、有智子(うちこ)内親王を賀茂の社に奉仕させました。それ以来、一身を神に捧げた内親王を斎王として仕えられた葵祭は国を挙げての祭りになります。
新緑の映える5月、京都御所から下鴨神社を経由し、上賀茂神社にまで、馬に乗った近衛使代、腰輿(およよ)にのった斎王代や牛車など総勢五百数十人の行列が進みます。そして奉幣、舞学などが平安時代の古儀に従って行われます。まさに平安時代を想わせる雅な祭りです。テレビでも映像が流れると思うので、是非見てください。
それから5月14日は、伊勢神宮内宮の別宮である風日祈宮(かざひのみや)の祭が行われます。風日祈宮祭は、田植えの頃に、悪しき風や荒き水の害がないように雨具の蓑と笠を捧げて祈る祭りです。
暴風は大きな被害をもたらしますが、鎌倉時代弘安4年(1281年)の元寇のときには、伊勢から神風が吹き敵戦に被害をあたえたという伝承があります。
ところで、ゴールデンウイーク中は、茨城県つくば市で大きな竜巻が起こり、大きな被害がでました。早く復興がなるように祈りたいですね。改めて自然の猛威を感じました。
昔から日本人は、山や海、火や水や風や雷などの大自然の力に畏敬の念を抱き、神としてお祀りし感謝を捧げ、自然と共存して生きてきました。今私たちはもう一度、自然を神として尊ぶ日本人の心を取り戻して行かなければなりません。この日本人の自然観と生き方が、環境問題を始めとする世界のいろいろな問題を救うと思います。皆さんも日頃から天地万物に感謝する心を忘れないでくださいね。

・朗読 (天照大御神の御言葉、日本ノ国、百人一首)
・季節の歌(茶摘み・金剛石)

〔子供の学び〕

・親子教室の標語
・母の日のプレゼント
お母さんに感謝の言葉を添えて、お母さんの似顔絵を書きました。

[親の学び]

・家庭教育の極意
坪田先生による家庭教育の在り方の講話でした。

〔終礼〕

・作品発表

子供たちが作成したお母さんの似顔絵の発表し、その場でプレゼントを手渡しました。

力作ができましたね

・歌(やさしいお母さん・我が子よありがとう)



平成24年4月22日

4月22日 親子教室

〔朝礼〕

・国歌君が代斉唱

・教育勅語

・古事記朗誦

・校長講話

待ちに待ったゴールデンウイークももうすぐですね。今日は、ゴールデンウイークに関連した祝日、年中行事のお話をします。
○四月二十九日 昭和の日
昭和天皇さまのお誕生日。昭和天皇様は、明治三十四年(一九〇一年)にお生まれになられました。
昭和天皇様の御在位の期間(一九二六年〜一九八九年 六十四年間)は、大東亜戦争開戦から敗戦(一九四一年〜一九四五年 昭和一六年から二十年)、焼け野原からの復興、高度経済成長とまさに激動の時代でした。四月二十九日は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日です。
 特に昭和二十一年二月十九日の神奈川県から二十九年の北海道のご視察までの戦後ご巡幸は、ご視察日数百六十五日、全コースは三万三千キロに及びました。天皇様が直接お言葉をかけられた人々は二万人にものぼるとされています。昭和天皇様のご巡幸で、敗戦で打ちひしがれた国民はどんなにか勇気と励ましを受けたことでしょう。わずか数十年で、世界有数の経済大国として立ち直ったその背景に、昭和天皇さまの大御心があったことは明らかです。改めて昭和天皇様に感謝を捧げたいものです。
 尚、今年は、一九五二年(昭和二七年)四月二十八日にサンフランシスコ平和条約が発効され、日本の主権回復(敗戦後の外国軍による占領が終わる)から六十周年の年にあたります。
○五月一日 八十八夜
立春から数えて八十八日目。「夏も近づく八十八夜」といわれ、春から夏へ移る季節の境目と意識され、農作業も新しい段階に入る節目です。「米」という漢字を分解すると「八十八」になることから、稲作と関係深い日とされ、農家では今年始めて種まきする苗代祭を、茶処では氏神様に茶の豊作を祈る茶日待を行います。
○五月五日 端午の節句(こどもの日)
 男子の雄々しい成長を祈る節句。鯉のぼりを立て、床の間に武者人形を飾り、ちまきや柏餅を供え、菖蒲を湯に浮かべた菖蒲湯に入ります。
もとは邪気を払うための菖蒲の節句でした。平安時代には、宮中で天皇が競馬(くらべうま)をご覧になる行事があり、鎌倉時代以降は流鏑馬などの勇壮な行事が行われていました。江戸時代には、「菖蒲」は「尚武」「勝負」と意識され、菖蒲で作った冑の代わりに紙や薄い板で兜を作り、その前立てに武者人形を飾るようになりました。また武家で家紋を染めぬいた旗指物や吹流しを外に立てると、町人たちも鯉のぼりを五色の吹流とともに立てるようになりました。鯉は、黄河上流の龍門の急流を登れば龍になる、という中国の故事ちなんで、立身出世のシンボルとされています。
 このように五月五日は、男の子の節句とされていますが、実は、旧暦五月(皐月)は田植えの月で、早苗をとって田植えする早乙女(少女)が、田の神様を迎えるため田植え前に慎み深い一日を過ごしたことから、五月の節句は、女性の節句でもありました。
 現在では、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日とされています。男性と女性それぞれの天分を活かした子供の成長こそが望ましいですね。
 長いゴールデンウイークのお休み、楽しく有意義に過ごして下さいね。

・朗誦

天照大御神の御神勅

百人一首朗読

修身 日本の国

・季節の歌(春の小川 鯉のぼり)


〔子供の学習〕

・書道


・和歌作り

4月22日
すくなかったおやこきょうしつもっといっぱい
きたほうがいいなあ
ふでたててつきとこいとかいた
むつかしかったけどよくかけた
           幼児
書道で宝石と宣言書いたんだ
大きく書いてはくりょくあった
ねていてねねぞう悪くて足が出て
ネコにタッチされ朝起きたんだ
           5年 男子


〔父母の学習〕



古事記(序文)


平成24年4月8日

4月8日 入学・始業式

〔式次第〕

・国歌君が代斉唱

・教育勅語

・校長式辞

 桜の花がきれいに咲いていますね。天気もいいですね。今日から親子教室も新しい場所で、気持ちを新たにしてスタートです。
今日4月8日は、 花祭り(潅仏会)です。


花祭りは、仏教を開いたお釈迦様の誕生日を祝う行事です。お釈迦様が旧歴の四月八日に生まれたという伝承に由来します。各地のお寺では、色とりどりの花を飾った花御堂を作り、その中に潅仏桶を置き、甘茶で満たします。そして、お釈迦様の像を真ん中に置いて、甘茶を柄杓ですくい、像にかけてお祝いをします。
甘茶をかけるのは、お釈迦様が生まれた時、産湯を使わせるために九つの竜が天からきれいな水を注いだという言い伝えによるそうです。
 お釈迦さまは、私達が生きていく上で大切なことをたくさん教えてくださいました。その中で、今日は、八正道についてお話をします。
 八正道とは、八つの正しい道のことです。
一、

正見(正しくものごとを見ること)

正語(正しく語ること)

正思(正しく思うこと)

正行(正しく仕事・学習すること)

正精進(正しく精進・努力すること)

正念(正しく念ずること)

正定(正しい集中力を完成すること)

わがままを通さず、相手の立場を思いやりましょう。神様・仏様ならどう思うか。考えましょう。
二、

言葉は、「言霊」といって力があります。悪い言葉を使うと悪いことが起きます。良い言葉を使うと良いことが起きます。
三、

心で思ったことは、言葉や行いとなって表れ、物事を創り出します。良いことを想うように心がけましょう。
四、

仕事・学習には、感謝の気持ちで臨みましょう。高い目標を目指して毎日を過ごしましよう。
五、

自分の良いところを伸ばす努力、新しいことに チャレンジする努力をしましょう。
六、

私たちの念には、強いエネルギーがあります。強く念じたことは実現していきます。正しい目的ために念を使いましょう。
七、

集中力をつけるには、神様・仏様・ご先祖様にお祈りし、精神統一を心がけましょう。


 入学・進級の新たなスタートの時期です。学校生活や毎日の生活の中で、八正道の教えのひとつでもよいので、活かしてみてください。
 それから今年度の親子教室は、聖徳太子を中心に学び、紙芝居をつくります。聖徳太子は、今からおよそ1400年前の飛鳥時代に、推古天皇の摂政として、天皇中心の国作りをなされた方です。お釈迦様の教えをとても大切にされました。旧暦の4月3日は、聖徳太子が、役人の心構えを説いた憲法十七条が作られた日にも当たります。そのなかの第一条「和をもって尊しとなせ」という言葉は、日本人の大切な考え方を表しています。それは、周りの人のことを気遣う大調和の心(やさしい心)、平和を愛する心を日本人は持っているということです。このことを忘れないでほしいと思います。
 これから1年間仲良く、明るく楽しくいろんなことを学んでいきましょう。


・来賓祝辞

・古事記朗誦



始業式の終了後、車で地元の杉山神社に参拝し、和歌を作り終了しました。

和歌作り

4月8日親子教室 和歌


かみしばいでせんせいがきゃーと
いったのがおもしろかった
くるとちゅうゆびわをなくして
かなしかったけどきょうしつはたのしかった
        幼児


手水しゃの竜から水出るとくべつの
ひみつのじゃぐちにびっくりしたよ
神社でさくらまんかいきれいでね
毎年ここでおまいりしたい
        5年 男子


桜見てきれいと見上げる吾子観つめ
感性豊かに育つを喜ぶ
        保護者


満開の桜が迎えた新学期
一年の実り多きを期待する
吹く風や日射しや花のかおりから
春を感じて心和む
         保護者


黎明の親子とともに神社参拝
桜もすがし子等も輝く
         菊池講師


日の本の明日を担う子供たち
春爛漫の黎明の道
         愛甲講師


始業式神話聞きつつうなずける
頼もしきかな黎明の子ら
縁深き杉山神社参り来て
今年の一年意義深きと念ず
         加納講師


花祭りお釈迦様の生まれし日
気持ち新たに親子教室(きょうしつ)始まる
始業式終わりて杉山神社(じんじゃ)に参拝し
教室の子らの守りに感謝す
           柴田校長


新年度新たな場所で入学式
スタッフら心引締め子らを待つ
新開地騒音響く神庭を
古式神殿聖域保つ
           坪田講師



平成23年12月11日

12月11日の親子教室

[朝礼]

・国歌君が代斉唱

・教育勅語

・古事記朗誦

・校長の話

 12月は、師走。1年の総まとめ。お正月の準備と大掃除の月です。心身とともに清めていく時期でもあります。

12月13日は、煤払い。正月準備の開始です。神棚や仏壇を掃除します。1年分の汚れを落とし、その年の厄を払います。神社やお寺で煤払いの光景がテレビでも見られますね。皆さんも自宅の大掃除を手伝いましょうね。



12月22日は、冬至。1年で一番昼間が短い日。冬至以降はだんだんと日が長くなっていきます。太陽の復活を祈る日です。昔からの風習で、柚子湯に入りますね。「柚子湯に入ると風邪を惹かない」の昔からいわれています。それからカボチャを食べますね。いずれも太陽をイメージしたものでしょう。12月23日は、天皇誕生日、昔は天長節といいました。(あとで天長節の歌を歌います。)天皇陛下は、今年78歳に成られます。今年は、3月11日に東日本大震災を始め、全国各地でいろいろな災害がありました。天皇陛下は、常に国民のために祈られ、そして行動なさつておられます。ご高齢のお体をおして、被災地を始め全国各地の国民を励まれました。その行程は約1万キロ。かなりご無理をなされたことでしょう。天皇陛下は体調を崩されました。皇居参賀の時には、あらためて「天皇陛下ありがとうございます」と感謝の気持ちとみんなの元気を天皇陛下に捧げましょう。

天皇陛下のお勤めは、国事行為といいますが、それ以上に大切なことはお祭りをなさることです。みんなが皇居参賀をする宮殿の奥に、宮中三殿があります。宮中三殿とは、天照大御神を祀る賢所、皇室のご祖先を祀られた皇霊殿、八百万の神々を祀る神殿の三つの神殿の事をいいます。この神殿で、天皇陛下は、神々に感謝を捧げ、「日本の国民が幸せでありますように」「世界が平和でありますように」と日々お祈りをなされています。天皇陛下の大御心に、私達も心を合わせていきたいですね。

実は冬至の次の日に今上陛下が御生まれになられたことはとても意味があると先生は思っています。なぜなら天皇陛下は、日嗣の皇子、天照大御神(太陽神)様と一体でいらっしゃるからです。太陽の復活の象徴でもあります。

 12月24日はクリスマス・イブ。25日はクリスマスですね。イエス・キリストの誕生日です。実はイエスの降誕日は、その降誕日が不明で、かつては1月1日、3月26日などとされたことがありましたが、3世紀後半から12月25日として祝う様になりました。それは当時、ローマ人やゲルマン人に、冬至の日を太陽の誕生日として盛大に祝う習慣があり、キリスト教徒達も、イエスをこの世に光明をもたらす太陽になぞらえて、冬至こそ救世主の誕生日にふさわしいと考えたからだといわれています。ちなみに樅の木のクリスマス・ツリーは、ローマ人やゲルマン人が常緑樹の枝を戸口や部屋に飾って、新しい太陽の生命力を迎えようとした習俗を取り入れたそうです。

昔のヨーロッパの人たちの習俗は、日本の習俗に近いものがあったのですね。この時期は太陽の恵みに感謝する時期でもあります。

12月31日は大晦日、大祓です。大祓は、1年の罪・咎・穢れを、大祓詞を神前で唱え、言葉の力で祓い清める行事です。全国各地の神社で行われます。大祓は、個人や家庭の祓い以上に、地域や国の払いです。今年1年を反省し、来年が良い年であることを願いつつ、神様に感謝の心で大祓詞を唱えてみてください。


朗誦 天壌無窮の御神勅 百人一首


季節の歌 たきび・天長節

[子供の学び] 仁徳天皇紙芝居制作・和歌作り  

[保護者の学び] かきぞめ

[終礼] 作品発表

    歌(やさしいお母さん・はいお母さん)  

・次回は12月23日 天皇誕生日 皇居参賀です。




平成23年11月23日

11月23日の親子教室
本日は、不二歌道会埼玉支部染谷さんの御好意で、黎明教育者連盟親子教室と青葉寺子屋の生徒達と保護者の皆さんで、明治神宮の新嘗祭に参加させて頂きました。
現在、「勤労感謝の日」といわれる十一月二十三日は、本来、その年に収穫された新しい穀物を神様にお供えし、その御恵みに感謝する新嘗祭の日で、宮中をはじめ全国の神社でお祭りが行われています。
日本は古来「瑞穂の国」(瑞穂は「みずみずしい稲穂」の意味)といわれる稲作文化の国で、新嘗祭は豊穣を祈る二月十七日の祈年祭と相対する大切なお祭りとされてきました。
その起源は稲作が始まった弥生時代まで遡るとされており、『日本書記』にもみえます。
宮中では天皇陛下が御親ら神嘉殿でお祭りを執り行います。また、天皇が御即位後に始めて行われる新嘗祭を大嘗祭といい、御一代で一度限りの秘儀とされています。


明治神宮では御神前に穀物やさまざまな野菜が奉納されますが、なかでも明治神宮農林水産物奉納会により南神門や廻廊にお供えされる「宝船」は白菜や大根・人参などの野菜で作られ、その豪快で彩り豊かな盛り付けは圧巻で、晩秋の風物詩ともいえます。
 毎日の「いただきます」「ごちそうさまでした」はもちろんですが、新嘗祭のこの日、あらためて食べ物への感謝の心を御神前に捧げましょう。


祭典式次第
一、
宮司一拝
一、
開扉
一、
献饌
一、
祝詞奏上
一、
神楽「代々木の舞」奉奏
一、
玉串拝礼
一、
宮司一拝
               (『明治神宮 新嘗祭しおり』 より)  


秋のうららかな陽射しに包まれた厳粛な雰囲気のなかで、新嘗祭に参加することができました。子供たちは大太鼓の音に驚きながらも、式典が始まるとお行儀良く見学していました。式典が終わり、社頭参拝、記念撮影のあとは、直会(食事)をし、和歌を詠んで、終わりました。
これからも折にふれ、日本の伝統文化に直にふれる機会を設けていきたいと思います。


和歌



・かみさまに おそなえしてある にんじんがおいしそうで たべたくなった
・たてものの なかにある 大きなたいこに びっくりした おともすごくおおきかった
                               未就学児 女子


・にいなめさいで おやつをたべたよ みんなで たべて おいしかったよ   
                               1年 男子


・にいなめさいにいったよ みんなでおまつりしてから ごはんを食べたよ おいしかった                               3年 男子


・にいなめさい みんなでたべたおべんとう いっぱいしゃべって楽しかった
                               4年 男子 


・澄みきった青空にはえる赤い野菜 農家の方らと恵みに感謝   保護者


・秋の風に代々木の木々の身が震え 日一日と深まる紅葉
・すくすくと成長をする神の子の 楽しき声が天高く響く     保護者


・うららかな 日差しの中の新嘗祭 瑞穂の国の平和よ永久(とわ)に 
・神宮の斎庭(さにわ)に響く大太鼓 大きな音に子供も驚く                                     柴田校長

平成23年10月23日

[朝礼]


・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・古事記朗誦


・校長講話 


吉田松陰10月27日は、吉田松陰先生の御命日(安政6年・1859年10月27日)。吉田松陰先生は天保元年(1830年)、長州藩(山口県)萩の松本村の下級武士の家に生まれました。5歳のとき、叔父の吉田大助の仮養子となり、大助の死後、山鹿流兵学師範の吉田家のあとを継ぎました。幼少期から叔父の玉木文之進先生に厳しく鍛えられました。松陰先生も努力して厳しい勉強を続けられました。なんと11才で藩主毛利敬親公の前で兵学の講義をすることになります。まさに天才ですね。松陰先生の生きた時代は、日本の周辺に欧米の船が次々と押し寄せ、日本の様子を窺っていました。とくにアメリカのペリーがやってきて日米和親条約を結んだとき、欧米の様子を自分の目で見てみようと下田港停泊のペリーの船に乗り込みました。しかし海外渡航はできず、幕府に自首しました。松陰先生は、萩の野山獄に投獄されました。投獄されても、松陰先生は読書・勉学に励みました。また希望を失っていた囚人たちに人間の生きる意味や道の大切さを説きました。囚人たちは希望を見出し、獄の中で学問をするまでになります。松下村塾出獄後、松陰先生は、「松下村塾」で武士や農民を教えます。昼は田畑を塾生といっしょに耕しながら学び、夜は乱れた世の中をどう立て直すか議論します。松陰先生の教えられたことは、「神国日本」「天皇国日本」の国柄の尊さ、人間として生きる道などです。わずか2年位の「松下村塾」の教育から、伊藤博文高杉晋作高杉晋作や伊藤博文など日本の国を動かす大人物が続々と育っていきました。松陰先生は、江戸幕府の政策を堂々と批判し、国を変えるために自ら行動していきました。最後は、幕府によって処刑されます。30才の短き生涯でした。吉田松陰先生の辞世の句を紹介します。(全員で朗読しました)









親思ふこころにまさる親ごころ 今日の音づれ何ときくらむ 


身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂   


松陰神社東京世田谷と山口の萩には松陰神社があり、27日にはお祭りがなされます。機会があれば是非お参りに行ってみてください。 
 10月30日は、教育勅語が発布された日。教育勅語は、明治23年(1890年)10月30日に明治天皇様が御示しになられた、教育に関するお言葉です。教育勅語が復活するとき、日本の教育は再生されます。 
 11月3日は、文化の日。本当は明治天皇のお誕生日。昔は「明治節」と申し上げました。明治時代、明治天皇様と当時の国民が必死になり、近代国家を創り、日清・日露戦争に勝ち、日本を守ってきました。その栄光と苦難に想いをはせる日です。あとで「明治節」の歌を歌いますが、明治天皇様の御業績と御恩徳を讃えていきましょう。

・朗誦 天壌無窮の御神勅


・神話 天孫降臨


・季節の歌 「明治節」

[本日の学び]
保護者は「親の願い子の願い」 子供達は「仁徳天皇紙芝居作り」


和歌の時間


かみしばい みんなで笑って かいたんだ
こんどかく時も みんなでわらいたい
            4年 諒


にんとくてんのうのかみしばいをつくったよ
ふねのえをかくのはむずかしかった
            3年 健太


かみしばいを かいたよいねを ささげるところ
むずかしかったけど じょうずにかけた
            1年 こうき


しょうどうで ふゆとしまを ひとりで
かけました たのしかった
            幼 さおり


南天の 赤き実の色 ながめつつ
子等に語る 感性の教育
お母さんに よろこばれたいと 願う子を
育てたいと 母はねがう
             和美


帰り道 「明るい夜」と 子に言われ
見上げた空に 秋の満月
             ちなみ


青空に はえる柿の実 喜ぶ子
秋のおとすれ 感じる日々
             亜樹


平成23年10月9日




 [朝礼]


・国歌君が代斉唱


・教育勅語奉読


・古事記朗誦

・校長講話 


10月は神無月。神の月。各地の神社では、秋祭りが行われていますね。出雲大社特に出雲大社では旧暦10月(現在では11月)に大祭があり、その時には全国の神様が集まってこられるという謂れがあることから、出雲地方では「神在月」ともよばれます。
 10月7日は福井越前藩出身の橋本左内(景岳)先生の御命日(安政6年・1859年10月7日)。橋本左内先生は、天保五年越前藩の藩医の家に生まれ、医師を目指されますが、中小医で生涯を終えることをよしとせず、天下国家の病根を治す「大医」を志します。学問は、小さいころから儒学を始め蘭学を学び、成人の頃には東洋・西洋の学問に精通していました。「適塾」の緒方洪庵は、左内先生の才能・人物・学問を高く評価されたそうです。正しい学問を身に付ければ、物事の本質を見極めることができます。橋本左内左内先生は、欧米の国々が日本に迫ってくるなか、天皇陛下中心に日本がまとまり、新しい政治の仕組みを作って対応しなければならないこと。世界の動きは、イギリス・ロシアの二大強国のどちらかが台頭するので、そのどちらかの国と同盟を結び日本を守るべきことなどを主張され、その考えを実現するために奔走されました。しかし当時の幕府に左内先生の考え方は受け入れられず、処刑されたのです。26歳の短き生涯でした。左内先生の考えはのちの明治維新、日英同盟から日露戦争という歴史によって証明されることになります。左内先生は、1啓発録5才で「啓発録」をお書きになり、早くから志を立て、学問に精進なさいました。特に「啓発録」では5つの指針を御示しに成られました。(全員で朗読しました)


 1.稚心を去る
 2.気を振る
 3.志を立てる
 4.学に勤める
 5.交友を選ぶ


私たちも橋本左内先生の志をしっかり学んでいきましょう。 
 10月10日は、体育の日。1964年10月10日東京オリンピックの開会式に因んで設けられた日です。スポーツの秋。文武両道、心も体も鍛えていきましょう。


10月17日は、伊勢神宮で神嘗祭が行われます。伊勢神宮の最も大切な御祭です。
天皇陛下は毎年皇居で稲をお育てに成られ、御自ら刈り取られた稲を伊勢神宮に奉納され、天照大御神様に感謝を捧げられます。私たちも豊葦原瑞穂国の秋の恵みに感謝を捧げましょう。
 10月20日は、皇后陛下のお誕生日、美智子皇后様は今年で77歳の喜寿をお迎えに成られます。昔は皇后陛下のお誕生日のことを「地久節」と申し上げました。ちなみに天皇陛下のお誕生日を「天長節」と申し上げます。祝祭日に「天地の法則」を込めた昔の方々の知恵と想いを活かしたいものですね。

・朗誦 百人一首 漢詩「秋風の引」


・ 季節の歌 「金剛石」 「里の秋」


[本日の学び]
保護者は、「古事記に学ぶ」 子供たちは「書道・和歌作り」








平成23年9月25日


抜穂祭


去る9月25日(日)、埼玉の染谷農場で行われた不二歌道会埼玉支部主催・新教育者連盟埼玉支部共催の抜穂祭に、黎明者教育者連盟六本木親子教室の生徒・保護者の方々で、参加しました。当日は秋の日差しの輝く、素晴らしい天気、まさに稲刈りには絶好の気候でした。
10時過ぎ染谷農場に皆さん集合して、お祭りが始まりました。
 祭りの式次第は次の通りです。


1.開式
2.修祓の儀(祓詞奏上・神棚周辺と参集者をお払いする)
3.降神の儀(神官が警蹕を掛け、土地の神様が降臨)
4.献饌(海川山野の食物を神棚に備え、御神酒の蓋を空ける)
5.祝詞奏上(神様に対し豊かな実りに感謝の祝詞を捧げる)
6.抜穂の儀(農場主が田圃から稲を刈り取り、神棚に御供えし、感謝の祈りを捧げる)
7.献詠(神前に和歌を詠み、感謝を捧げる)
8.玉串奉奠(お祭りの参加者がお榊を神前に捧げ、自分の御魂と神様と一体となり、神に感謝を捧げる)
9.念誦奏上 [念誦の言葉] 謹みて念誦し奉る
修理固成
(しゅりこせい 天地のはじめ・国産みをイメージしながら6回発声)
光華明彩
(こうかめいさい 高天原に天照大御神のみ光が光輝いているさまをイメージしながら6回発声)
天業恢弘
(てんぎょうかいこう 高天原を地上に実現する事業を広めることをイメージしながら2回発声)
天下光宅
(てんかこうたく 天照大御神のみ光が地上に満ち、高天原の理想が実現したことをイメージしながら2回発声)
天皇 弥榮 弥榮 弥榮
(すめらみこと いやさか いやさか いやさか天皇国日本の永遠の繁栄と陛下のご健康とご長寿を祈ることば)
10.撤饌(御神酒の蓋を閉じる)
11.昇進の儀(警蹕をかけ、神様を天上界にお送りする)
12.閉式
13.主催者挨拶


 以上、抜穂祭の祭典が、主催者の染谷斎主によって滞りなく厳粛に執り行なわれました。斎主の御挨拶の後に、農場主から稲刈りの要領が説明されたあと、参加者全員で記念撮影をしました。
 そしていよいよ稲刈りです。子供たちも、大人もみんな一生懸命稲刈りに励んでいます。刈った稲は束ねて、コンバインまで運びます。子供たちもしっかりお手伝いできていました。田んぼにはカエルやいろいろな虫もいて、子供たちはとても楽しそうに元気に走り回っていました。
 元気に農作業したり、遊んだりしたらお腹もすきます。最後は直会(なおらい 食事・懇親会)です。日本の祭りは、直会をしてお祭りが完全に終わります。直会で神様にお供えした新米(イセヒカリ)を始め、さまざまな食物をみんなと楽しく頂くことで、神人合一、人と人との連帯意識や食物への感謝が養われます。日本本来の生活共同体のあり方です。直会で出された食事もとても美味しく、みんなよく食べていました。
 都会の暮らしの子供たちには、自然との触れ合いはとても大切なことですし、稲刈りという共同作業を通じて、お互いが助け合うことなどたくさんのことを学ぶことができます。子供たちには、豊葦原瑞穂国の本来の生活リズムを体感して欲しいものです。また機会があれば是非参加したと思います。


和歌の時間


わたしが うえたおこめの あかちゃんが
おおきくなっていておどろいた


おおきくなった おこめをゴリゴリ かりとった
どんなごはんになるのかなあ
            未就学児童 女子


おりがみを 電車の中でおり しゅりけんを
つくったんだよ うまくできなかった
            1年 男子


いねかりで カエルがぴょんと はねてたよ
たかくとんでね すごいと思った


こうきくんと えきで待ってる時 あそんだよ
これからもずーと なかよくあそぼう
            4年 男子


抜き穂祭 何しているの 聞く吾子は
つねとはちがう 雰囲気感じて


読み聞かせ 天の岩屋戸 昨夜読み
稲穂狩りつつ 古代を思う


抜き穂祭 参加し知るは 神話の世を
今に感じて 感慨覚ゆ 
            保護者


豊葦原 瑞穂の国の 抜き穂祭
神代の手振り 永遠に続かむ


稲を刈る 子供らの声 生き生きと
収穫の喜び 共にかみしむ
            柴田校長