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コラム「日本の国柄 」



〝皇室伝統に沿った御代替わりの儀式〟の再興を願って




 
 
一、始めに
 
今回の今上陛下から皇太子徳(なる)仁(ひと)親王殿下への御譲位(ごじょうい)としての皇位継承は、閑院宮(かんいんのみや)の光(こう)格(かく)天皇(てんのう)から仁(にん)孝(こう)天皇(てんのう)への御譲位(ごじょうい)以来凡(およ)そ二百年ぶりの御(ご)慶事(けいじ)になります。日本国憲法(占領憲法)・現行(げんこう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん)(占領(せんりょう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん))並びに明治(めいじ)皇室(こうしつ)典範(てんぱん)(正統(せいとう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん))では、『譲位』規定がないので、今回は現行皇室典範に補足する形で『天皇の退位等に関する皇室(こうしつ)典範(てんぱん)特例法(とくれいほう)(成立:平成二十九年六月九日、公布:平成二十九年六月十六日 以下『退位特例法』)』が国会で制定されました。そして政府内の「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典(しきてん)委員会(いいんかい)(以下『式典(しきてん)委員会(いいんかい)』)」によって御代替(みよが)わり儀式(ぎしき)の準備が執り行われています。
 
そして式典委員会が発表している『天皇陛下御退位に伴う式典の考え方』のなかにある「憲法(けんぽう)の趣旨(しゅし)に沿(そ)い、かつ、皇室(こうしつ)の伝統(でんとう)等(とう)を尊重(そんちょう)したものとする」と基本方針の下で、四月三十日に「退位(たいい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」、五月一日に「剣璽(けんじ)等(とう)承継(しょうけい)の儀(ぎ)・即位(そくい)後朝(ごちょう)見(けん)の儀(ぎ)」、十月二十二日に「即位(そくい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」、十一月十四日・十五日には「大嘗祭(だいじょうさい)」と御代替わりの重要な諸儀式が斎行される予定となっています。
 
さて一世(いっせい)一代(いちだい)の喜ばしい御代替わりの儀式において、現在政府が計画(けいかく)立案(りつあん)して遂行している一連の儀式が果たして皇室伝統に則した歴史ある立憲(りっけん)君(くん)主(しゅ)国(こく)・天(てん)皇国(のうこく)日本(にほん)の儀礼として相応(ふさわ)しいものなのでしょうか。実は現行法制下においては、皇室伝統が破壊され、本来の皇位継承の在り方に齟齬(そご)が生じているのではないかという問題提起と、本来の皇位継承・御代替わりの儀式の再興を願いつつ論じてみたいと思います。
 
二、次善の策〜「退位特例法」から「『譲位』特例法」への改正を〜
 
天皇陛下・皇后陛下は今回の御代替わりにあたっては一貫して『譲位』という皇室伝統に基づいた正しい言葉を使われているにも関わらず、政府・国会、並びにマスコミは日本国憲法の解釈から「生前退位」「退位」いう言葉を用いています。
 
留意しておきたいのは、憲法学者の宮澤(みやざわ)俊(とし)義(よし)氏の影響を受けた戦後憲法学は「退位」という言葉を「天皇制廃止」から「共和制」への移行のために意図的に用いているという事です。宮澤憲法学の下(もと)に「国民主権」や「政教分離」の概念を駆使しながら、現在の内閣法制局や宮内庁などが御代替わりの儀式を、憲法解釈をして「退位」「即位」の分離や諸儀式を「天皇の国事行為・皇室の公的行事・皇室の私的行事」と区分けして遂行しようとしています。
 
今回の天皇陛下の御意思による「譲位」或いは「退位」に関しても、憲法解釈として内閣法制局は、「国事行為には当たらないが、国政に関する機能の行使には当たるのではないか」という主旨の見解を述べて「憲法違反」の疑義があるとしています。もっとも「譲位」は「国事行為に含まれていないので、国政に関しない機能」とも解釈できそうなものです。ところが天皇陛下が皇太子殿下に皇位を御譲りになるのが「国政に関する機能の行使に当たる」と理解しているので、天皇陛下の御意思がより強く含まれる「譲位」ではなく「退位」という言葉を使い、天皇陛下の御意思を排する形で憲法第四条違反にならないように、あくまで政府・国会主導で「退位特例法」を制定して天皇を「退位」させ、時間的連続性のある『譲位・受禅の儀』という皇室伝統に則した皇位継承の在り方を否定して、「退位礼正殿の儀(退位礼)」「剣璽等承継の儀(即位礼)」を分離して挙行を企てているという訳です。
 
しかし占領(せんりょう)典(てん)憲(けん)を前提にするにしても、南出喜久治氏が指摘なさるように、占領典範第四条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」を限定的に「天皇の御叡意による譲位は、この限りではない」として、「譲位の場合は皇統連綿における時間的間隙がありませんので、今上の叡意によって自由になさればよい」(注1)と解釈して『譲位・受禅の儀』による御代替わりの儀式を斎行しても良かったのではないでしょうか。
 
本来ならば、皇室の自治と自律を奪う「占領典憲並びに退位特例法」は無効であって、正統(せいとう)典(てん)憲(けん)を復元して皇室典範を御皇室に奉還して「皇室会議」でなく天皇陛下が中心となった『皇族会議』で皇位継承をお決め頂くのが正道です(注2)。
 
しかし、仮に今はそれが難しいのなら、そもそも法解釈は、その国の歴史・慣習・伝統文化を踏まえて為すべきであって、現行法制下であっても、占領憲法第二条の『世襲』の概念を踏襲すれば、わが国の皇位継承は皇室伝統の上では時間的連続性のある「崩御(ほうぎょ)・践祚(せんそ)(諒闇(りょうあん)
 
践祚(せんそ))」「譲位(じょうい)・受禅(じゅぜん)(受禅(じゅぜん))」しかあり得ません。
 
現行皇室典範には、皇位継承に連続性を持たせる『践祚(せんそ)』の概念はないですが、昭和六十四年一月七日の昭和天皇崩御の際には、皇太子殿下(現在の今上陛下)が『同日』に「直ちに即位」され、実質上は『崩御・(諒闇)践祚』の皇位継承がなされました。であるならば、同じ日本国憲法(占領憲法)体制下の今回の御代替わりの儀式においても時間的間隙をつくらない形での『譲位・受禅践祚』の儀式を斎行しても問題ないはずです。
 
更に「退位特例法」第二条「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする」とあるので、四月三十日「退位礼正殿の儀(退位礼)」・五月一日「剣璽等承継の儀(即位礼)」の分離挙行は「退位特例法」にさえも違反していることにもなります。
 
この四月三十日「退位礼」、五月一日「即位礼」の分離は、平成二九年一二月一日の皇室会議で決められたとされていますが、「皇室会議」とは名ばかりで「皇室」を監視弾圧する機関と化しています。一刻も早く天皇陛下中心の『皇族会議』を回復しなければ皇室の式微(しきび)は留まることを知らないと思います。
 
この様に今回の「退位式」「即位式」の分離は皇室伝統からも日本国憲法からも現行皇室典範ならびに「退位特例法」にさえも違反している状態なのです。このような皇室伝統という『法の支配』に対する〝不法〟や現行法制の『法治主義』に対しても〝違法〟となる状態で、一世一代の御代替わりの儀式を汚して果たして良いものでしょうか。
 
また今回、皇位継承に空白を生じさせる事例を作ることで、次の御代替わりの際に皇位継承で新たな揉め事が起った際に、皇位に長い「空白」が生まれ最悪の場合には「皇統断絶」
 
「天皇制廃止」へと向かわないかと危惧されます。なぜなら今回の「退位特例法」は「天皇の強制退位」「皇嗣の不就位」の法解釈の余地や、女性天皇・女系天皇への道を開く「女性宮家」を規定する皇室典範改定への道を開きかねない内容を持っているからです(注3)。
 
今回の皇位継承の在り方を考えれば、政府・国会は、今上陛下が宮内庁にお示しになられたように(注4)、光格天皇の御事例を踏まえた「譲位・受禅の儀式」を考えていくべきであり、その為には、次善の策として「退位特例法」を廃止して、皇室伝統を最大限に重んじた「皇室典範増補(『譲位』特例法)」に改正して天皇陛下に奉呈すべきだったと思います。
 
 
 
三 譲位・受禅の儀
 
今から凡そ二百年前に御譲位をなさった光格天皇は、朝議の再興・復古にご尽力あそばされた天皇でした。とりわけ大嘗会・新嘗祭の復古、禁裏(きんり)御所の復古的造営、伊勢公(く)卿(ぎょう)勅使の復古、石清水八幡宮・賀茂社の臨時祭の再興、さらに光(こう)孝(こう)天皇(てんのう)以来になる天皇号・諡号(しごう)の再興などが挙げられます。その際には先例の儀式を学ぶために有職(ゆうそく)故実(こじつ)の学問も盛んになりました。
 
 
 
光(こう)格(かく)天皇(てんのう)から皇太子恵(あや)仁(ひと)親王殿下(仁(にん)孝(こう)天皇(てんのう))への「譲位・受禅の儀」も平安時代の先例に学びつつ荘厳かつ盛大に斎行されました。
 
皇室伝統に沿った『譲位・受禅の儀』の内容は概ね以下の四点になります。
 
 
 
1 宣命(せんみょう)の儀
 
内裏(だいり)の紫宸(ししん)殿(でん)にて、天皇と皇太子が相向かわれ、皇太子に向かい宣命大夫(公家)が譲位の宣命文を読み終わると同時に、皇太子が新帝になられる。(今回の御代替わりの儀式には「宣命の儀」がありません。)
 
2 剣璽(けんじ)渡御(とぎょ)の儀(剣璽等承継の儀)
 
  新帝、前帝(上皇)・皇太后(上皇后)の同列にお座りなられ、新帝の御前に剣と璽、国璽と御璽が渡御される。その後剣と璽は御所の「剣璽の間」に遷幸される。
 
3 御笏(おんしゃく)・御袍(ごほう)捧持(ほうじ)の儀
 
  内侍二名が御笏(象牙製の牙笏(げしゃく))と御袍(ごほう)(黄櫨(こうろ)染御袍(ぜんのごほう))を捧持して儀場に入り、前帝の前の案(机)に並べる。前帝の了解を得て、新帝の傍に御笏・御袍の乗る案が捧持される。新帝が拝礼され、前帝が目礼で応答。新帝が儀上から出御される。
 
4 祝賀(しゅくが)御列(おんれつ)(パレード)の儀
 
 
 
平安時代からの『譲位・受禅の儀』はすべて内裏・紫宸殿(ししんでん)で行われています。
 
光格天皇から皇太子恵(あや)仁(ひと)親王殿下(仁孝天皇)への『譲位・受禅の儀』は例外で、文化十四年(西暦一八一七年)三月二十二日の一日で行われ、午前八時から仙洞(せんとう)御所(ごしょ)への光格天皇の行幸パレードで始まり、午前中に仙洞御所にて譲位の儀(節会(せちえ))、午後清涼(せいりょう)殿(でん)で受禅の儀(宣命)・紫宸殿で剣璽渡御の儀が行われ、夜に饗宴(きょうえん)の儀が清涼殿で行われたようです。
 
宮内庁の作成資料『歴史上の実例』では、いくつかの史料誤読、或いは史料改竄がなされています。
 
例えば『光格天皇実録』の紹介で、「光格天皇の譲位の際の例」とタイトルが銘打っていますが、正しくは「光格天皇・皇太子の譲位と受禅の例」、式場も「桜町(さくらまち)殿(でん)(仙洞御所)」のみ記載され、正しくは「儀場 桜町殿、清涼殿及び紫宸殿」とすべきです。
 
また光格天皇の『御譲位パレード』を、「築地の内の公家や所司代の関係者からお見送りを受けたもので,公衆に披露する御列(パレード)ではない。」としており、国立公文書館デジタルアーカイブに所蔵されている『桜町(さくらまち)殿(でん)行幸図(ぎょうこうず)』を見れば、その嘘が一目瞭然でわかります。
 
今上陛下が御譲位をご決意なさるにあたり、光格天皇のご事例を調べるよう宮内庁に御下問があったのであれば、宮内庁は歴史事実を枉げずに上奏するとともに、内閣総理大臣始め国務大臣・国会議員は、光格天皇の先例に則して『譲位・受禅の儀』を斎行しようと尽力するのが『臣下』の務めだと思います。とりわけ宮中に於ける儀式を管轄する宮内庁にあって、「歴史史料」が「公文書」としての特質を持つものであるとすれば、歴史史料を捻じ曲げてまで「退位礼」を挙行しようとするのは「公文書偽造の罪」にはならないのでしょうか。
 
 
 
四、「退位(たいい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」「剣璽(けんじ)等(とう)承継(しょうけい)の儀(ぎ)」 
 
 
 
政府による、第3回 「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」に提出された資料によると、「退位礼正殿の儀」は4月30日午後5時から5時10分までの凡そ10分間、また「剣璽等承継の儀」は、5月1日午前10時30分に始まり、おおむね午前10時40分までの約10分で終わる予定になっています。
 
日本経済新聞の報道(平成三一年一月一八日)によると「政府は一連の儀式が憲法に抵触しないよう配慮した。憲法1条は天皇の地位は国民の総意に基づくと定め、4条は天皇の国政関与を禁じる。天皇が自らの意思で皇位を譲ると表明すれば、憲法に抵触しかねない。このため退位の儀式では陛下自ら天皇の地位を退く趣旨を述べない。首相が陛下の「お言葉」に先立って退位を宣言し、陛下への謝意を示す。歴代天皇に伝わる三種の神器のうち剣と璽(じ=まがたま)、公務で使う天皇の印の御璽(ぎょじ)なども陛下が出席する退位の儀式では引き継がない。用意された机の上に飾るにとどめる。皇太子さまに神器などを目に見える形で引き渡すと、自ら皇位を譲る意思を示したと受け取られる可能性があるからだ」と伝えています(注5)。
 
 この報道の通りだとすると、『皇室伝統』に則った『儀式』による皇位継承でなく、占領典憲・「退位特例法」などの『現行法制』の曲解に基づく継承です。天皇陛下の御叡慮である『譲位』が完全に否定され、首相による「退位宣言」となり、天皇の「退位」を政府・国会が恣意的に決定する事例となってしまいます。
 
また「退位礼正殿の儀」のあとの「剣璽」の所在は何処になるのでしょうか。斎藤(さいとう)吉(よし)久(ひさ)氏が指摘するように、「陛下とともに御所に戻るのか、それとも東宮に遷るのか、それともいったん賢所に遷るのか。いずれにしても、剣璽は皇位とともにあるという皇室の伝統にそぐわない状況が約17時間、発生する」ことにならないでしょうか(注6)。
 
そして今回の「剣璽等承継の儀」に於いて皇太子殿下に剣璽を渡す主体は何処になるのか。杞憂かもしれませんが、もし政府という事になれば、一時的にも天皇から時の政府に剣璽が簒奪(さんだつ)されたことにならないでしょうか。
 
今上陛下から皇太子殿下に剣璽等が直接承継されないとすれば、「受禅」も成り立たず、一時的な「皇統断絶」あった、あるいは神武天皇から続いた125代の皇室伝統が途絶え日本国憲法に基づく新たな皇朝(王朝)が始まると受けとられかねない憲法解釈が成りたつ可能性が出てくることを危惧します。このままいけば、まさに皇室伝統に基づく『世襲』原理から『国民主権』に基づいた『国民の総意』による皇位継承へと力点が移行したことを示す事例になってしまいかねません。
 
本来の皇位継承は臣民(国民)の干渉を断じて許してはならないのです。
 
 
 
五、まとめ
 
今回の一連の御代替わりの儀式には、他にも政府による天皇の改元大権の剥奪・経費削減に伴う大嘗宮の簡素化など数多くの疑問・問題点や課題が見られ、今後の皇位継承に禍根を残すのではないかと危惧されます。
 
今後の皇室の在り方は、早急に皇室の自治と自律の回復の為の施策をなすことが必要だと思います。具体的には少なくとも以下の事に着手していくべきです。
 
①    占領憲法無効宣言を為すとともに、大日本帝国憲法現存確認宣言をすること。
 
②    正統皇室典範を復元して御皇室に奉還すること。
 
③    復元された正統皇室典範を中心とする宮務法体系と復元された大日本帝國憲法を中心とした国務法体系の二元体制の整備をすること。
 
④    皇位継承の安定化のために旧宮家の皇籍復帰を為し、堂上公家の復活を含め皇室の藩屏を厚くすること。
 
⑤    皇室財産を潤沢にしていくこと。
 
⑥    皇位継承学・宮中祭祀・有職故実など天皇・皇室に関する学問を再興すること。
 
 また私たち臣民(国民)の側もこれからの皇室の危機や国難に対して相当な覚悟が迫られると思われます。私たちは、祭祀の再興や皇室の弥栄を永続させるためにも、「家」や「地域」の祭祀を篤く実践していく必要があるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
(注1)南出喜久治「典範奉還」(ときみつる會『心のかけはし』平成29年9‐10月号)参照。
 
(注2)拙稿「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームベージ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日)参照。
 
(注3)「退位特例法」の問題点については、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第一章「秋篠宮殿下を『皇太弟』としない特例法は、何を狙う」(p20〜64)、拙稿「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームページ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日)参照。
 
「天皇の強制退位」に関して退位特例法第一条は国会が「象徴として公的ご活動に精励しなければ、天皇を強制的に退位できる」との解釈が可能になること。「皇嗣の不就位」については、「退位特例法」では、皇太子の御位が空位になっており、秋篠宮殿下は皇太子・皇太孫以外の皇嗣殿下ですので、占領皇室典範第一一条第二項によって、「皇室会議の議」によって「皇族の身分」を離れさせる可能性があること。「女性宮家」については付帯決議に明記されており、菅官房長官は「法案の作成に到るプロセスや、その中で整理された基本的な考え方は、将来の先例になりうる」としており、「皇室典範改定」議論がこの先出て皇位継承で問題が起こりうることが予測されます。
 
(注4)産経新聞「陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前」(2017年1月24日付)
 
(注5)日本経済新聞「退位・即位 儀式は10分 憲法抵触に細心の配慮」」(2019/1/18 2:06日本経済新聞 電子版)
 
(注6)斎藤吉久のブログ「賢所の儀は何時に行われるのか?──いつまでも決まらない最重要儀礼」(2019年1月20日記事)
 
 
 
【参考文献】
 
・倉山満「国民が知らない上皇の歴史」(祥伝社新書)
 
・宗教ジャーナリスト・斎藤吉久のブログ(So-netブログ)
 
・柴田 顕弘「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームページ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日http://reimeikyoren.blog.fc2.com/blog-entry-130.html)
・中川八洋ゼミ講義「譲位禁止『4・30』強行の安倍晋三 」

 
(http://nakagawayatsuhiro.com/?cat=2)
 
・中川八洋「徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇 悠仁親王殿下の践祚・即位は、国民世襲の義務」(ヒカルランド)「悠仁天皇と皇室典範」(清流出版)
 
・藤田覚「光格天皇 自身を後にし天下万民を先とし」(ミネルヴァ書房)
 
・藤田覚「幕末の天皇」(講談社学術文庫)
 
・「平成の退位 五大疑問」(「オノコロこころ定めてyahooブログhttps://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/66216419.html」)
 
・南出喜久治「典範奉還」(ときみつる會『心のかけはし』平成29年9-10月号)
 
・吉重丈夫「歴代天皇で読む 日本の正史」(錦正社)
 
・「縮刷版 みことのり」(錦正社)
 
・「第2回 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会 配布資料」(首相官邸ホームページ)https://www.kantei.go.jp/jp/singi/taii_junbi/dai2/gijisidai.html
 
・「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」(首相官邸ホームページ)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/gishikitou_iinkai/index.html
 
・産経新聞「陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前」(2017年1月24日付)https://www.sankei.com/life/news/170124/lif1701240001-n1.html
 
・日本経済新聞「退位・即位 儀式は10分 憲法抵触に細心の配慮」」(2019/1/18 2:06日本経済新聞 電子版)
 
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40134620X10C19A1EA1000/
 
・国立公文書館デジタルアーカイブ「桜町殿行幸図」
 
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0200000000/0201050000/00?fbclid=IwAR2MCrgoi1UFi7KfxG91D-EHXeCJwyF3vBLo1gXcKGLB_5lP0DXIY2Ln6bo
 
 
 
 
 
 

 

「漠然と存在する宇宙」と、それを感じ取ってきた古代日本人

日本の神話「古事記」の始まりはこうである。
「天地の始めの時、高天原になりませる神の御名は、天の御中主の神」
「生長の家」創始者であられる谷口雅春先生は、この一文をこう解釈しておられる。
「宇宙(現象世界)のはじまる前の創造神・天の御中主の神は、高天原(実相世界:天界)に偏在し、神の意識を天界に鳴り響かせていたである」
さらに、解釈は次のように進む。
「そして、神の響きの中から宇宙が生まれ、現象世界(物質より成る世界)が成立したのである※1」
 この一文を著者が初めて読んだとき、真っ先に思い浮かんだのが、佐藤勝彦先生(東京大学名誉教授)が提唱された宇宙のインフレーション理論であった。
 インフレーション理論では、宇宙の誕生について、真空の揺らぎ(波動の位相・周波数に微妙に生じる差)に触発されて宇宙が生まれ、生まれてから10のマイナス44秒後の急激な膨張(インフレーション)、さらに、10のマイナス34秒後のビッグバンを経て現在の姿に成長した、と、考えられている*2。
 まさに、神の響き(真空の揺らぎ)の中で今の世界(宇宙)が生じたという、神話の世界と最新の物理学の世界の融合をみた思いがし、宇宙の開闢(かいびゃく)を悟っていた古代日本民族の直観力に、筆舌に尽くしがたい衝撃を受けたのを憶えている。
 
 天地創造(宇宙の誕生)を、そのように捉えてきた古代日本人だが、そんな彼らをとりまく神々は、それぞれ役割はあれど、特別に存在意義を問われることはなく、その全てが、天界に遍満する天の御中主の神に帰結している。かの天照大神も、乱暴な言い方をすれば、伊邪那岐の神がただ顔を洗った時に生まれた訳で、特別に創意があって生まれたという訳ではないし、他の神々も、その誕生の経緯は似たり寄ったりである。言うなれば、「何となく」生まれ、「何となく」存在しているのが日本の神々の特徴であり、その代表格が、「何となく」偏在している天の御中主の神であろうか。
 最近、ディスカバリーチャンネルを視聴していたとき、ある宇宙ドキュメンタリー番組で、登場した宇宙物理学者達が口を揃えて唱えている言葉が印象に残った。曰く、「宇宙は漠然と生まれ、漠然と存在している」、と。
 その言葉と相まって、思い出したのが、過去に聴いた著名な物理学者が発した言葉、「宇宙の発現には神を必要としない」である(この言葉を発したのが、誰あろうスティーブン・ホーキング博士)。
 これらの言葉に含まれる科学者たちの思いは、概ね次のようなものであろうか。
「宇宙には誕生から存在に至るまで、神は存在しない」
 中世の教会による弾圧・偏狭な神学者の存在に辟易させられてきた欧米の物理学者たちの、反抗心に似た思いも、これらの言葉の中から感じることが出来る。
 もちろん、このような理論は、創造神を唯一絶対の神と崇める一神教の信徒たちには、到底受け入れられるものではないであろうが...
 ところが、現代物理学者たちが唱える「漠然と存在する宇宙」は、「何となく」存在・偏在している神々を感じ取ってきた日本人には、特に抵抗もなく受け入れることができる。何せ、日本の神々は、言い方を変えれば皆「漠然と存在」するのだから、それこそ宇宙の始まる前から宇宙が出来て後の現在に至るまで、いくらでも神々が存在できる。
 ここでも、「漠然と存在する宇宙」を、「何となく存在する神々」として認識してきた古代日本民族の直観力に驚嘆させられる。
 ちなみに、日本の神道にも似た宇宙観は、古くはインドのヒンドゥー教や仏教にも観られ、かつてカール・セーガン博士がヒンドゥー教の宇宙観についてテレビ番組「コスモス」で解説していたのを憶えている。
 進化論も含め、案外現代科学というものは東洋的な宗教観にマッチするようである。
 
 しかし、日本の神道・神話に観られる宇宙観(宗教観)で特筆すべきは、これが国家・社会のシステムとして現代まで生き続けていることである。
 それを最も顕著に現しているのが、言わずと知れた御皇室と天皇陛下の存在である。
 御皇室もまた、神代の時代から現代に至るまで、日本人の生活の中に「何となく」存在し、そして「何となく」敬われている。そのことが、権力闘争と国家の存亡を繰り返してきた他の国々の権力者と決定的に異なるところであり、かえって尊く、かけがえのない存在となっている所以なのである、と、宗教学者島田裕巴先生が、御皇室と天皇陛下の存在意義ついて述べている※3。
 この「何となく存在する」というのは、日本人の感覚でなければ解釈の難しいところだと思うが、そのような古代より続く日本人の宇宙観があったればこそ、神代に連なる系譜を今に引き継ぐ御皇室・天皇陛下を中心にいただく日本という国がこの世界に現されてきたのではないか、そんなふうに思えるのである。
 
 現在、世界には192の国家があると言われている。しかし、現在に至るまで2000年以上の長きにわたり存続・繁栄してきた国家は、日本を除いて他にない。
 その繁栄を支えてきたのが、古代日本人の悟ってきた宇宙観であると考えたならば、その宇宙観を記し伝えてきた神話とは如何にありがたく尊いものであるか、また、そこに素直に(直感を研ぎ澄まして)学ぶことが如何に大切なことであるか。日本の歴史を学び、また、将来の国の発展を願うほどに、そのことを強く思う次第である。 成瀬
 
※1 谷口雅春著「限りなく日本を愛す」
※2 アットホーム(株)「こだわりアカデミー」,「宇宙創生を解明する”インフレーション理論”」http://www.athomeacademy.jp
※3 別冊宝島「天皇のすべて」

いわゆる天皇の『人間宣言』について

 
 

昭和21年正月元旦、昭和天皇によって出された詔勅は、天皇の「人間宣言」と世間一般には理解されていますが、これは誤りです。正しくは『年頭、国運振興の詔書(新日本建設の詔書)』です。
 
五ヶ条のご誓文昭和天皇は、この詔勅の発表に際し、『五箇条の御誓文』を入れられる事を指示なされ冒頭に掲げられる事となったのですが、その真意は昭和52年の記者会見で以下に述べられている通りです。
 
(記者)ただ、そのご詔勅の一番冒頭に明治天皇の「五箇条の御誓文」というのがございますけれども、これはやはり何か、陛下のご希望もあったと聞いておりますが。
(天皇)そのことについてはですね、それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。
それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである。しかも神に誓われた。そうして「五箇条御誓文」を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います。
それでとくに初めの案では、「五箇条御誓文」は日本人としては誰でも知っていると思っていることですから、あんなに詳しく書く必要はないと思っていたのですが。
幣原(注・当時の首相)がこれをマッカーサー司令官に示したら、こういく立派なことをなさったのは感心すべきものであると、非常に賞讃されて、そういうことなら全文を発表してほしいというマッカーサー司令官の強い希望があったので全文を掲げて、国民及び外国に示すことにしたのであります。
(記者)そうしますと陛下、やはりご自身のご希望があったわけでございますか。(天皇)私もそれを目的として、あの宣言を考えたのです。
(記者)陛下ご自身のお気持ちとしては、何も日本が戦争が終わったあとで、米国から民主主義だということで輸入される、そういうことではないと、もともと明治大帝の頃からそういう民主主義の大本、大綱があったんであるという……。
(天皇)そして、日本の誇りを日本の国民が忘れると非常に具合が悪いと思いましたから。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったということを示すために、あれを発表することを私は希望したのです。(高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』文藝春秋刊)
 
私たち『国民(臣民)』は、民主主義を採用するにあたり、神に誓われた明治大帝の思召しを尊重なされた昭和天皇陛下の大御心こそ、このご詔勅で拝察すべきでありましょう。そして私たちが日本人として、「日本の誇りを忘れない」ように生きていくことが大切なのです。
 
またいわゆる「神格」否定とされる箇所は、次の通りです。
 
「天皇を以て現御神とし、かつ日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものに非ず。」(原文は、正仮名正漢字)
 
ここでは、日本の伝統的な神観念と異なる、他の民族に優越する民族で、世界を支配する運命を有する神という架空なる観念を否定しているのです。更にいえば、現身の天皇に、西洋的な絶対無謬神を重ねる見方を否定したとも言えます。
 
神道思想家の葦津珍彦氏は、『現御神』を次の様に説明されています。
 
「祭りこそは天皇の第一のおつとめである。(中略) この天皇の存在が、日本人の神聖をもとめる心を保って来た。この天皇を、日本人は現御神(現人神)という。現人神というのは人間でないというのではない。人間であらせられるからこそ、皇祖神への祭りを怠らせられないのである。天皇は、神に対して常に祭りをなさっている。そして神に接近し、皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく日常不断の努力をなさっている。天皇は祭りをうけられているのではなく、自ら祭りをなさっている。祭神なのではなくして祭り主なのである。その意味では、人間であらせられる。けれども臣民の側からすれば、天皇は決してただの人間ではない。常に祭りによって皇祖神と相通じで、地上において皇祖神の神意を表現なさる御方であり、まさしくこの世に於ける神であらせられる。目に見ることのできる神である。だからこそ現御神(現人神)と申し上げる。」(葦津珍彦『日本の君主制』)
 
私たちは、日本人としてまず伝統的文化的な「神」観念を取り戻さなければなりません。そのためには、一人一人の人間が「神聖」な存在であることに目を向けて行く必要があると思います。『新日本建設の詔書』は、まさに『神国日本・皇国日本(祭祀の国日本)』の国柄と戦後日本及び日本人の在り方を考えさせるご文章と言えるのではないでしょうか。

教育勅語


○明治天皇と教育勅語○
今年平成22年は「教育勅語」煥発120年の節目の年です。教育勅語は明治天皇の格別の思し召しにより明治23年に煥発されました。明治天皇は680余年にわたって続いていた武門の政治、封建制度を改め、明治維新の大業をなしとげられました。明治維新を成し遂げた日本は急激に欧化主義に陥り、文明開化の名の下に、欧米のものは何でも優れているという風潮に流され、風俗は乱れ、道徳倫理は低下する一方でありました。(現代の日本と似ていると言われる所以はここにあると思います。)
明治天皇はこのような風潮を大変憂慮されておりました。
近代日本の建設に当たっては、特に教育の普及と道徳の実践について御心配になられ、政治に左右される事無く、軍政にとらわれず、哲学的難解をさけ、宗教的に一宗一派に片寄らず、国民の誰もが心がけ実行しなければならない徳目を挙げて、道徳の普及、教育の向上を熱心に望まれて、「教育に関する勅語」をお示しになられました。わたくしたち国民の、永遠不変の道徳教育の基礎ともいわれます、親子兄弟、夫婦、友人間の人倫、謙遜、博愛、知徳の修得、道義的人格の完成、社会的義務等を勅語にお示しになった御心は、いかに時代が変わっても、本質的にはいささかの変わりもないと感じます。私たちが歩まねばならない道しるべとして、その徳目を実践して立派な人となり、平和な家庭を築き道徳的な社会作りに努力したいものです。

教育勅語の 十二の「大切なこと」
 
一、 親に感謝する           七、 知徳を磨く
「お父さん、お母さん、ありがとう」  「進んで勉強し努力します」
 
二、 兄弟仲良くする          八、 公のために働く
「一緒にしっかりやろう」        「喜んでお手伝いします」
 
三、 夫婦で協力する          九、 ルールに従う
「二人で助けあっていこう」       「約束は必ず守ります」
 
四、 友達を信じあう          十、 祖国に尽くす
「お互い、わかっているよね」     「勇気を出してがんばろう」
 
五、 みずから反省する         十一、伝統を守る
「ごめんなさい良く考えてみます」「いいものは大事にしていきます」
 
六、 博愛の輪を広げよう        十二、手本を示す
「みんなにやさしくする」       「まず自分でやってみます」

 

「教育勅語」 口語訳

 

 わたくしは、我々の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現を目指して、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、わが国民が忠孝両全の道を完うして、みんなで心を合わせて努力した結果、今日に至るまで見事な成果をあげてきたことは、もとより日本の優れた国柄の賜物といわねばなりませんが、教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さん、子供は親に孝養を尽くし、兄弟、姉妹は互いに助け合い、夫婦は仲睦まじく和らぎ合い、友達は胸を開いて信じ合い、また自分の言動を慎み、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで社会公共のために貢献し、また法律や秩序を守ることは勿論のこと、非常事態が発生した場合は身命をささげて国の平和と安全のために奉仕しなければなりません。
これらのことは、善良な国民として当然のつとめであるばかりでなく、
我々の祖先が今日まで身をもって示し残された伝統的な美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、われわれ子孫の守ら
なければならないところです。それと共に、この教えは、昔も今も変わらない正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国に示しても、まちがいのない道であります。従って、わたくしも国民の皆さんと共に、父祖の教えを胸に抱いて、立派な徳性を高めるように、心から願い誓うものであります。

明治23年より教育勅語が教育現場で実践されるようになり、日本は道徳人倫の道を歩む、道義国家として、世界からも高く評価される国でありました。
しかし、教育勅語は戦後、アメリカ占領期間中に廃止せられ、教育現場から姿を消しました。すなわち、これは占領軍GHQが日本の国体破壊の三本柱として「神道指令」「天皇人間宣言」そして「教育勅語」の廃止でありました。
(「神道指令」「天皇人間宣言」については次の機会に譲ります。)
 
教育の崩壊、家庭の崩壊、道徳倫理の欠如、利己主義、個人主義、等々の
問題が叫ばれて久しい今日でありますが、この教育勅語の廃止をはじめ、戦後に占領軍の圧政のもと制定された憲法等の法律などの影響であると強く感じます。今こそ「教育勅語」の復活が必要であると考えます。各家庭におかれましては、教育勅語の十二の徳目をぜひ家庭教育として実践して明るい家庭を築いてほしいものです。
 
ドイツやアメリカでさえも、戦後にこの教育勅語の道徳を参考にし、国家再建、教育再生に役立てたと聞きます。ドイツの大統領室には今でも「教育勅語」が掲げられているそうです。
 
昨今、教育勅語と戦争を結びつける言論を耳にする事がありますが、日本人としての道徳を説いたものであり、上記の「大切なこと」や口語訳をお読みになれば分かる通り、戦争と関連づける事には無理があるでしょう。