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黎明教育者連盟3周年記念全国大会

全国大会の報告







 二六年六月八日黎明教育者連盟三周年記念全国大会が明治神宮参集殿で開催されました。
 君が代斉唱・教育勅語奉読の後、安田理事長挨拶 中山恭子来賓挨拶に続き、
 寺子屋の発表をいたしました。三歳から十一才までの児童達の天照大御神の御神勅と
 教育勅語を朗々と暗唱した姿は、参加者の皆様から絶大なる拍手を送られました。
 中山恭子先生・渡辺昇一先生も感嘆され、お喜び頂きました。
 二部の記念講演では渡部昇一先生の御講話に皆様感動され喜ばれました。
 特に最後に「我は海の子」を空で七番まで歌われ会場は拍手喝采でした。
 喜びのうちに終了致しました。






開会の挨拶  安田 賢一理事長

黎明教育者連盟は、三年前の東日本大震災を機に設立されました。日本再生・日本隆昌という思いをこめて、私たちの歩みは大震災後の日本の歩みと期を一にしております。大震災においては多くの方々が亡くなりましたが、その方々への鎮魂の思いをこめて、黎明教育者連盟の運動を推進させていただいております。
 さて、私たちの黎明教育者連盟はどういう趣旨で、何を柱に運動をさせていただいているかを、ちょっとお話しさせていただきます。この私たちの日本。考えてみますと、日本民族をしてこの日本という国を建国せしめ、天皇国日本として三千年の長きにわたり、薫り高い歴史が刻まれてまいりました。その歴史を流れる精神、あるいは命,これをたとえれば非常に美しいメロディ、あるいは香気のある調べとでも言えるかと思います。この調べは、長い歴史の中心として流れ続け、あるときは聖徳太子の十七条憲法、あるときは、宗教、芸術、文化として展開され、近くは明治維新後の教育勅語、大日本帝国憲法として具体化いたしました。この高貴なる日本の中心を流れる調べが、戦後ずっと汚され雑音にかき消され、本来の美しさ、高貴さの存在が忘れ去られようとしてまいりました。
 多くの方々がこの調べを取り戻し、本物のメロディを鳴らそうとご努力くださいました。繰り返し繰り返しその努力は繰り返されてまいりましたけれども、三年前の東日本大震災を機に、さらに日本再生、日本隆昌という機運が高まってまいりまして、私たちも、黎明教育者連盟を立ち上げその流れに触れ、日本再生、日本隆昌という、大きな目標に向かって、教育運動を通して寄与しようと、こういうふうに思っております。
黎明教育者連盟を支える三本柱は何かと申しますと、それは日本民族の太古の昔より、その英知の結晶であるところの古事記神話、それから明治天皇が教育と徳育の根本を示された「教育勅語」さらに私たちが尊敬いたします谷口雅春師が示された「生命の実相」、これを三本柱として教育運動を通して日本と日本人の神性を開顕するために、この黎明教育者連盟を設立いたしました。
そして、この黎明教育者連盟の運動にご賛同いただいた方々が、全国的に広がりまして、北は札幌、旭川、南は沖縄、さらにはアメリカにまで広まりまして、黎明教育者連盟は日本全国、さらにはアメリカ、さらにはブラジルにまで今広がりつつあります。私たちのスタートはわずか三名でありましたけれども、この運動にご賛同くださる方々が徐々に、徐々に増えて、全国的にその広がりを見せております。本当に皆さんのご協力に改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございます。(拍手)
きょうはその幼児教育、寺子屋、あるいは親子教室を通しまして、今申し上げました私たちの教育理念を、見本を、学習の成果を少し皆様に披露させていただきます。まだ歩みは三年、これからいよいよ独り立ち、青年期を迎えるわけですけれども、この三年間のさまざまな活動を皆さんにご覧いただいて、黎明教育者連盟にご賛同いただければありがたいと思います。
さて、先ほど申し上げましたけれども、私たちのこの運動は、東日本大震災において亡くなられた方々への鎮魂の思いも込めて展開させていただいております。私たちのこの日本は四方を海に囲まれまして、古事記神話にもありますように、海は創造の源、根源世界であります。地球が存在する限り、この海はあらゆる生物の創造の根源であります。神様が地球を創造されて以来、海は創造の根源の役割を与えられました。海から一切の生物が誕生し、分化し拡大し、発展してまいりました。この創造の源に囲まれた日本列島は時々、とてつもない津波に襲われます。この津波によって創造の根源たる海は、高貴なる日本人を、強引にその創造世界へと誘い込んでしまいます。地上の生を真剣に生き切っている人々を根源世界へと引き連れていき、その魂を浄化し、新たなる生へと回帰せしめるものと私は考えます。
日本列島に押し寄せる津波、日本語に特有な言葉、津波、この津波によって日本人は太古以来、繰り返し繰り返し、創造の世界へと導かれてまいりました。地上の生が突然呑み込まれ、根源の世界へと帰還せしめられると考えられます。その根源の世界へ帰還し、さらに一層の高い魂の浄化を成就するものだと私は考えます。この大自然の創造の摂理は、日本人という特異なる魂を持つ人々を、定期的不定期的、あるいは不意に浄化の世界へと誘ってしまいます。
こうして、津波という現象を大自然が起こし、日本人を大海原へと誘い込むのは、日本人への更なる魂への向上へのメッセージではないかと思います。闘争、戦争という人智の果ての死ではなく、真摯な生の果ての大海原への回帰を繰り返し、繰り返ししながら、日本人は魂の理想をますます上げ、人類の魂を浄化してまいりました。この大震災の亡くなられた方を持って、犠牲者という表現をされておりますが、違った観点から見ますと、日本は太古からの魂の浄化を繰り返し繰り返し成就しながら、新たな生への回帰を成し遂げ、そしてその中で先ほど申し上げました高貴なる魂の調べ、メロディを奏でながら、この日本列島に三千年の歴史を刻んできたものと思われます。私たちはこういう形で、先輩や同胞たちが、この津波や大自然という災害を受けながら、それは決して単なる死ではなく、魂の再生、魂の向上、新たなる生への回帰という形に捉え、そういう中で鍛え磨かれ、そして進んできた歴史の中での尊い精神を受け継ぎたい、こう考えるわけです。
こうやって歴史の中で、その妙なる調べの中で生まれてきたのが『古事記』その古事記神話を通して天皇国日本建国、その歴史を刻む中で聖徳太子、宗教、芸術、文化、非常に香りの高いものが形成されてまいりました。それが三千年の歴史として受け継がれてきたわけですけれども、残念ながら敗戦を通してその薫り高いメロディ、調べが中断し、きわめて汚された形で六十年、七十年が過ぎてしまいました。その調べを取り戻し、その調べに触れ、新たなる命を蘇らせるための運動として黎明教育者連盟をささやかながら誕生させていただき、三年を経過したわけであります。
その中で、いろいろな試行錯誤を重ねましたけれども、先ほど皆さんにご紹介いたしました子供たちの教育勅語の奉読、あるいは古事記の朗誦、いろいろな形を通し新しい日本人の姿を誕生させているものと自負しております。ようやく三年目を迎えました。これから私たちも、青年期を迎える。皆さんのご支援をいただきながら、新しいステージへと上がりたいと思います。
今日は三周年記念大会に、参議院議員の中山恭子先生をお迎えいたしました。中山先生はかつて拉致問題の担当、それから愛国運動の先頭に立って、いま政治の世界でご活躍いただいております。私的なことでございますけれども、昨年の参議院選挙において、先生との出会いを、ご縁をいただきまして、さらに余計なことですけれども、選挙のときに群馬の大きな達磨を奉納させていただきました。その達磨のおかげというか、強力なパワーを持って先生は最高の参議院選挙で、トップ当選をなさいました。(拍手)
そういうご縁をいただき、今日黎明教育者連盟の全国大会にご挨拶をお願いいたしましたところ、喜んで駆けつけてくださいました。本当に先生には感謝申し上げます。ありがとうございます。
それから、記念講演といたしまして、上智大学名誉教授の渡部昇一先生に来ていただくことになりました。渡部先生には私たちの機関誌「観の教育」の中で、毎月副理事長との対談が掲載されております。そういうご縁をもって今日来ていただきました。これからの日本の歩むべき道、教育、道義国家としての日本を再生させるにはどうしたらよいか、非常に示唆に富んだご講演をいただけると思います。最後まで皆様とともに、是非拝聴したいと思います。今日は本当にありがとうございます。よろしくお願いいたします。(拍手)



中山恭子参議院議員挨拶



皆様こんにちは。ご紹介いただきました中山でございます。今日黎明教育者連盟三周年記念の全国大会が明治神宮でこのように盛大に開催されますことを心からお祝い申し上げます。安田理事長様はじめ、この黎明教育者連盟の皆様には、常日頃からいろいろと教えをいただいておりまして、また、昨年の参議院選挙の折にも、いろいろとお世話になりまして、立派な達磨をいただいて。お蔭様で無事に当選し、もう早いもので一年経ちますけれども、あと五年間任期をいただいておりまして、本当に何とか日本のこれからの世代を、本当に日本らしい国をつくっていくために、力いっぱいがんばっていきたいと思っています。本当に心から感謝しております。黎明教育者連盟の皆様のご活動には、安田理事長初め関係者の皆さんのご活動に心から敬意を表しております。
来年、敗戦から七十年を迎えます。七十年というのは、短いのか長かったのか、評価は多分将来にかかると思いますが、この間、日本が敗戦後過ごしてきた、この七十年のあり方というものは、将来にわたって大きな意味を持つと思います。この後の三十年五十年、日本の今後の百年、どういうふうにあるべきか、あったらよいのかその礎を、まだ間に合うと思っておりまして、この時期に、何とかしっかりした形を作っておかなければならない、そのように考えて今活動を続けております。
この日本の二千六百七十四年、これはすぐ計算できるのは、私は皇紀二千六百年生まれなものですから。二千六百七十四年の年月が奇跡とも言えるような、穏やかで相手のことを思いやることができる人々の住む国が作られてきたのです。この世界でも稀有な、または世界の文明・文化の中でも、非常に貴重な文化があるこの国日本、この日本がずっと長い歴史を通して育んできた文化が消えてしまったら、もちろん日本は新しいものを取り入れて新たなものを作っていくわけですから、このままでよいということではありませんで、新しいものをどんどん取り入れてよいのですけれども、この根本がなくなってしまったら、領土はあっても、日本という国は存在しないということが言えるかと思っておりまして、日本の人々が長い時間をかけて育んできたこの文化を、なんとしてもしっかりと、日本の人々が意識をして、この文化を引き継いで、次に伝えていく、そのことが非常に大事だという思いでおります。
中略
今日は、この文化の交流の話を進めようと思ってまいりましたのですが、先ほどからお子さんたちが、あんな小さいお子様が『教育勅語』を最後の御名御璽まできちんと、そのまま何も見ずに奉読していらっしゃるという様子を見て、文化の話ではなくて別のことを思い出しまして、ちょっとそのことをお話ししたいと思っています。
千九百九十九年から二千二年まで、日本に戻りましたのはちょうど十二年前ですけれども、その三年間中央アジアの国、ウズベキスタンと、タジキスタン、二つの国の特命全権大使を務めました。ある日本の方が,スタンとつく国はみな悪い国だ、みたいなことを言ったのを聞いたことがあるのですが、スタンというのは国という意味です。日本スタン、日本というか日本国というか、その違いがあると考えてください。
このウズベキスタンで勤務し始めて、最初に大統領から言われましたのは、タシケントが首都なのですけれども、首都タシケントのちょうど中央に、ナヴォイ劇場という立派な劇場が建っています。もちろんいまでもオーケストラからバレー、演劇、いろいろなものが上映されて使われています。このタシケントのナヴォイ劇場の、向かって左の壁に、一九四五年から四八年にかけて、極東から連れてこられた日本国民が、この劇場の建設に携わり、完成に貢献したというプレートが、ロシア語、英語、ウズベク語、日本語で書かれてあります。
カリモフ大統領がおっしゃるには、ここに日本人捕虜が、と書いてあったのだけれども、ウズベキスタンはソ連が崩壊して独立した国で、一九九一年に独立しました。独立して自分が最初にしたことは、このプレートを全部外して、「日本人捕虜が」というところを「日本国民が」と書き換えたとおっしゃってくださった。(拍手)大統領として初めてやった外交案件がこれですという話でした。ウズベキスタンの人々は、日本人というだけで非常に親しみを持って接してくれました。  親しみと言うよりは尊敬の念を持って接してくれました。それはこの四五年から四八年にかけて、ウズベキスタン各地で強制的に連れて行かれて重労働に従事させられた日本の方、でも日本の方は「させられた」と言わないですよね。「あそこで働いた」と帰ってきた方がおっしゃっています。ほとんどが若者たちです。
その若者たちが、ウズベクの人々に感銘を与えて,なんと私が行ったときには五十五年から六十年近く経っている、その時期ですら、私は日本人ですと言っただけで信用される。五、六十年彼らが感銘を与えたことが残っている。国と国のつながりの基本は人と人のつながりだと実感できる話でもあります。具体的に、ウズベクには十三か所お墓がありました。ウズベキスタン各地で、日本の若者たちが働いていたということが言えます。ナヴォイ劇場を建設した日本の若者たちは、ナーゼリ(?)収容所というところで生活をし、朝挨拶をして、隊列を組んでナヴォイ劇場の建設現場に向かった。それをタシケントの人たちはずっと見ているわけです。彼らは非常に礼儀正しくて規律正しかった。そしてウズベク女性の人たちと一緒に働いた、女性に対しても非常に親切で、赤ちゃんを連れた女性が働きに来ると、自分たちで木で残っているのを使って、ゆりかごを作ってくれた。そして、これは年配の男性が話していましたが、自分が子供のころ、垣根のやぶれたところから、自分の家で取れた果物と、親が焼いてくれたパン、直径が三十センチくらいの大きなパンを差し入れたと。収容所の中には木が一本もなかったので、きっとおなかをすかせているだろうと思って差し入れたら、何日かしたときに、そこに、手作りの木の玩具が置いてあった。自分たちは親たちから、日本の人々はあのナヴォイ劇場を作ってくれた。物を作ることが非常に上手な人たちで、規律正しく礼儀正しい人たちだ、何か渡すと必ず自分のできることでお返しをしてくれる、そういう律儀な人たちなのだ、あなたたちも日本の人たちを見習って大きくなりなさいと、そういわれて育てられたと、日本の人々は決して嘘をつかない人たちで、それからよく子供たちがその工事現場を見に連れて行かれたそうです。そこでは、当時はロシア兵が監視しているわけですけれども、その監視の人が監視をしていようと姿を消そうと、いなくなろうと、日本の人たちは、ほかの人は、座り込んだりおしゃべりするのだけれども、日本の人たちはよいものを作ろうとして本当に陰日なたなく働いて、よいものを作ってくれた。自分たちは日本の人に感謝しています、そういう話がどこへ行っても聞かれました。
このときの日本の若者たち、大体二十歳代,隊長が三十歳ちょっとくらいですか。運河を掘って貯水湖をつくり、水力発電所を作ったりしている。これは本当に大変で、重労働です。もっこをしょって、腰をかがめて土を運んで行った人たちの姿を覚えているよと言う。そういう年配の方がおりました。
運河のおかげでウズベキスタンの中に、各地に畑はあふれ、作物が取れるようになりました。電力が五十何年間、ずっとこの水力発電所からウズベキスタン全土に供給されましたという話が伝えられます。日本に帰れるかどうか全く予見できない中で、日本の若者たちがウズベクの人々に感銘を与え、日本人として恥ずかしくないものを作ろうとして必死で、命がけで働いていた。そういうところがあるということを、是非皆様にもお知らせしたいと思って、こんなお話をいたしました。
この若者たちが当時それだけ感銘を与えることができた原因、基本に何があったのだろう。当時も考えました。「教育勅語」があったのだというのが、私の実感でございます。(拍手)
「教育勅語」に代わるものといったって、これ以上のものを作れるはずがありません。子供たちが毎日暗誦できるような、そういうものを急いで作らなければならないと考えております。主人中山成彬が中心になって、今その活動を始めておりますので、是非皆様方のご指導、お力をお願い申し上げます。
心から敬意を表して、この大会のご挨拶といたします。皆様のご活躍ご健勝をお祈りし、また日本がすばらしい国として続いていくことを祈念してご挨拶といたします。このような機会をお与えいただきまして、安田理事長はじめ関係者の皆様本当にありがとうございました。皆様どうか、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。



講演「道義国家日本再生への道」 渡部昇一先生




 このような盛大なお集まりにお招きいただきまして、大変光栄に存じております。戦後ある未亡人が作られたという和歌がございます。これは本当に私は本当だなあと、しみじみ思うのです。「この国のかくも卑しくなりたれば ささげし人のただに惜しまる」
 これは自分の夫が出征したときに、励まして送り出したと思うのです。そして戦死された。ところが戦争が終わってみますと、何か戦死した人が無駄死にしたみたいだし、それどころか、悪いことをしたみたいなことを言う人もいます。こんなにおかしな国になってしまうぐらいだったら、本当に国に捧げたつもりであった私の夫「ただに惜しまる」ただただ惜しいという、これはこの方は夫の話ですけれども、それこそ自分の息子や、自分の兄だとか、そういう人に戦死された方も同じ思いだと思うのです。確かに日本の戦後は、今も続いていると思いますが、大変な道徳の混乱期でありました。自分の国をよい国だとなかなか言えない国になってしまったのですね。田母神さんが数年前に首になりました。航空幕僚長。その理由が非常に簡単なのですが、あれはエッセイコンテストで一等になったわけです。そのとき私はたまたま審査委員長だったですが、要するにあのころは現職の空爆長でいらっしゃいましたけれども、別に軍のことを言っているわけでもなんでもないので、公職には一切関係ない。ただ、戦前の日本だって立派な国であったというようなことを言っているのですが、最初のころは内閣の麻生さんなんかも、むしろ喜んでくれたのです。ところが、あるときから何か「そりゃけしからぬ」ということになって、あっという間に首になったのですよ。
 田母神さんは、自分は何も悪いことは書いていない、罰せられるつもりはない。公職に関したこと一切書いてないと。だから懲罰免職にしてくれと。こう言ったのです。そうしたら、懲罰免職できないのですね。懲罰免職にかければ弁解を聞かなければならないし、首にした理由を言わなければいけないのですよ。それが、首にした理由を言えなかったわけです。日本政府は首にしたくっても首にすることはできない。日本の国はよい国だったと言っている人を首にしたら、国家が成り立ちませんから。それで懲戒免職はできなかった。それでどうしたかと言いますと、政府ができるけちなことをしたのです。それは空爆長をやめさせたのです。管理としての位ですからね。そうしますと、普通の自衛隊員になったわけです。そうすると普通の自衛隊員の定年退職は、空爆長なんかよりも短いのですね。そこに引っ掛けちゃって、定年退職させたのですよ。
 なんという情けない国かと思いました。田母神さんの全エッセイは、論文と言いますか、エッセイですよね。昔だったら「文芸春秋」に載せてくれたと思うのですね。そういうことがあると。ところがそうじゃなくて、そっちは「ウィル」と言う雑誌に載りました。それから産経にも載ったのかな。そして、「文芸春秋」には石破さんが、あれは文民統制に反する違反であるというようなことを縷々「文芸春秋」にお書きになったのです。ところが文民統制なんていうのは、戦後流行った言葉でありまして、英語でも決まった言い方があるわけではないのですね。文民統制というのは簡単な話であって、国の一番上の人が戦争をするかやめるか、これを決めるだけの話なのですよ。軍の中でどうするか、どういうふうにするかというのは軍の担当者が決めることです。文民統制自体は戦争を、するかしないか、止めるか止めないかという話なのです。
中略




 私は大学に入ったとき、授業料は一年目は親から送ってもらったのですが、後は全部育英会の奨学金と、それから大学の授業免除もらってやってきたのです。そしてアルバイトはしないで勉強しようと決心して、そのためにはということで、本当に貧乏生活を、むしろ楽しんでやったという感じがしたのですね。お笑いかもしれませんが、私は一足の靴下を四年間使いましたから。それは、普通履かないのです。軍足を履いていまして、そして先生のうちを訪ねるときだけ履きますからね。何年でももつのです。(笑い)それから靴はパクパクしてくる。そんなのは紐で結んでいたんですよ。大学寮ですから、そんなにたくさん歩かなくてもよかった。洋服は最後まで作りませんでしたね。
 と言うようなことで、惨めだったかと言うと全然そんなこと気にしなかったのですよ。というのは子供のときから、偉い学者というのはものすごく貧乏だったものだということが頭に染み付いていますから、俺もその一員になったのかというぐらいの感じです。(拍手)全然気にしなかったですね。それで、そのぐらいでやりますと時間が余りますからね。勉強しますから成績はよくなりますよ。それで、卒業したとき先生たちが、非常勤講師として都内のブルジョア女学校に紹介してくれたのです。さて洋服がない、どうしようかなと。戦争中の学徒動員のときのぺらぺらしたのしかない。それで、学生服を持っていた寮の先輩が卒業するので、学生服を譲ってもらって、それを着ていこうとしたのですよ。
 そうして、教えに行く前に親しくしていた教育学部の先生に、「学生服で行くつもりです」と言ったら、「いやあ、それはやっぱり困るんじゃないか」と言って、先生は自分の散歩用の服があると。いまはそんなこと絶対にしませんけれども、昔は洋服の裏返しというのがあったのですよ。裏返した洋服がある。それを着てみるかと言うので、着てみたら幸いにサイズが合ったもので、先生からその服をもらったのです。だから私は都内の有名なブルジョア女学校に教えに行くとき、裏返しの洋服ですから、ここにポケットの跡があるようなのを着て行きましたけれども、それでも何ということも感じなかった。
 向こうのお嬢さんたちは大金持ちでも、全然何も気にしなかったのですね。貧乏を気にしなかったというのはやはり、考えてみると講談社の本のおかげかなあと。新井白石の勉強の真似しようとでも思ったのかなというような具合で、若いときに読むと、これは成年になったときにも強いのですね。これはたとえば、あのころでも安くても中古の背広でも買おうか思えばアルバイトすれば買えたかもしれませんがね。アルバイトする時間がもったいない。大学に入ったら勉強しなくちゃという思いは、むしろ私にとっては一生のプラスだったと思うのですね。
私は子供のときはいい話を読まされていたし、いい話を聞かせるべきであると信じています。それは忘れられてもかまわないのですね
いざというときの判断というのは、意外に昔聞いたよい話で、すっかり忘れていたことが自然に行動に現われるということがあるのですね。(拍手)日本の戦前の唱歌はよい唱歌が多いのですね。その唱歌を親、特にお母さんと子供が歌うような、そういう関係があればいいなと思っていました。そうしたら今日は、この会で「われは海の子」歌っていた。あれはわれわれも小学校のときに歌いましたよ。ああいう歌を、親と子どもが歌えばいいんですね。そのとき、あえて私は八十四歳ですから、若い人たちにアドバイスしていきたいと思いますけれども、一番ぼけない方法は、記憶力を落とさないことです。簡単なのです。記憶力を落とさない一番よい方法の一つは、歌を歌うことです。
 いろんな方法があるのですけれども、歌を歌うことは非常によい方法だと思うのです。私は、時々昔歌った歌を歌い直すのですよ。たとえば最近、ノモンハン事件の話の講演がありました、そのとき、あの時は私は小学校の三、四年ですけれども、あのとき日本の陸軍の航空隊が強くてね、後でわかったことは、日本では百六十機落ちているのですけれども、ソ連の飛行機は千六百機落ちているのですね。ですから本当に落としまくったのですよ。そのときの歌がありまして「恩賜のタバコをいただいて」という歌で、それは小学校のときの夏の話で、川に泳ぎに行くとき、皆で何番まで覚えたかと競争やったの覚えています。ですから最近ノモンハンの話を聞いたら、その歌ちょっと思い出した。思い出したら歌えるのですよ。昔覚えた歌はね。こんなことをいっても皆さん方はピンと来ないと思いますので、「われは海の子」は七番までソラで歌えます。失礼ですが、歌ってみます。(拍手)途中で引っかかるかもしれませんが。
 ――「われは海の子」渡部先生独唱  会場手拍子―――(大拍手)
全文は「観の教育」に掲載します。



終わりの挨拶         坪田陽子副理事長




皆様本日は黎明教育者連盟3周年記念全国大会にご参加くださいまして誠にありがとうございました。
今年は照憲皇太后様の100年祭が執り行われました。その年に黎明の3周年全国大会が此処参集殿で開催できましたことは誠に嬉しい限りです。
中山恭子先生は柔和でおしとやかなお姿であられながら、毅然として国難に立ち向かわれる、誠に日本女性の鏡です。憧れの中山恭子先生に御言葉を頂き感謝で一杯です。ありがとうございました。
記念講演には日本一見識の高い、人格者であられる渡部昇一先生に御講話を頂き、感慨無量でございます。光栄の極みに存じます。ありがとうございました。
今、日本は村山談話、河野談話で慰安婦像が各国で建てられ、世界各国でお住まいの日本人、日系の皆様の子供たちはいじめにあうなどご苦労なさっておられます。何としても河野談話は検証し破棄し、真実を世界に訴えなければなりません。私たちは一丸となって、世論を盛り上げていきましょう。
其の為に河野洋平さんを国会に招致するための、署名を後ろに用意しています。多くの方が署名して下さっているようですが、まだの方は是非御署名くださいますようにお願いいたします。
また領土問題、拉致問題と苦難の問題が山積しています。安倍総理を始め心ある政治家の皆さん、心ある国民の皆様が本当に頑張っておられます。が事態の解決はなかなかです。
時折情けなくなります。
そんな折典子女王殿下と千家国麿様の御婚約の明るいニュースに勇気を頂きました。
何と千家国麿様は天照大御神と須佐能の尊の誓約で2番目にお生まれになられた天の穂日の命の御子孫で在られる。国譲りの折に最初に大国主命に使わされた神です。天照大御神の最初にお生まれになられた正勝吾勝勝速日天の忍穂耳命の御子孫であられる典子女王殿下と3千年を超えて結ばれる。何てすごいことでしょう。こんな国が他にありましょうや。世界に誇れる素晴らしい国日本、歴史ある国日本です。感動と喜びで一杯です。国を挙げてお祝いしようではありませんか。
さて、今安倍総理が「日本を取り戻す」と言われてから「日本を取り戻す」という言葉が時折聞かれますが、どうしたら取り戻せるでしょうか。一つには石原慎太郎先生が言われているように現憲法は無効であると。総理大臣が宣言すれば、帝国日本憲法が復元する。復元した明治憲法を改正すればよいと思うのです。
今一つは教育です。照賢皇太后様は明治天皇陛下を助けられ、特に福祉と教育に力を注がれられました。御歌に「みがかずば玉も鏡も何かせむ 学びの道もかくこそありけり」とありますように又先ほど皆様と一緒に歌いました金剛石にも伺えますように教育を御奨励なされました。教育が大切です。
安倍総理が教育基本法を改正され、少しずつ変わりつつありますが、現場はなかなか改善されません。今こそ学校教育のみに頼ることなく、日本を担う青少年のみならず、若き親たちにも、日本人の誇りを持ち、気概のある、気骨ある日本人の自覚をよみがえらせなければならないと思います。渡邊先生が御講話の中でお話し下さったように、先人達の功績を讃え伝えることが大切です。
本日ご紹介致しました。渡部先生のご著書「初めての道徳教育」「日本の敵」などを全国の国民が読まれれば好転できると信じます。どうぞ皆様若い方にこれらの本をプレゼントして下さい。渡部先生も話されましたように子供の内に良い話をたくさん読ませなければなりません。
私ども黎明は明治の教育、教育勅語、古事記、偉人伝、伝統文化等を子育て中の親子に伝え導いています。
何卒皆様の温かいご支援ご協力をよろしくお願い申し上げます。資料袋の中に機関紙「観の教育」が入っています。どうぞ黎明教育者連盟の会員になってくださいますようによろしくお願い申し上げます。
最後に今一度渡部昇一先生・中山恭子先生に深く感謝申し上げます。ありがとうございます。
参加くださいました皆様、お世話下さいました役員の皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。







黎明教育者連盟1周年記念全国大会第二部 (後編)

 第2部 記念講演 24/5/20(後編)

     慶応義塾大学講師・作家

              竹田恒泰先生



 (前号に続く)
 世界には一九三の国がありますが、学校の教科書で建国の経緯を書いていないのは、世界で日本だけだと思われます。どんなに小さい国でも存在理由があり、民族の誇りがあって国家が存在しているのです。学校教育ではわが国がどのような成り立ちなのか、わが国はどのような存在理由があるのか、そんな事は叩き込むに決まっていますよ。
 アメリカの学校教育では、どのように独立戦争が起きて、先祖がどのような心持で戦い、その戦いで何を得ようとしたのか。そして樹立したアメリカ合衆国という国はどのようなコンセプトの国で、人々の何を守ろうとする国なのかを教え込み、そしてアメリカの歩んできた道、世界の中でアメリカが存在することで、どれだけの富が世界中に与えられたか、どれほどの人々の苦しみを救済したか、こういうことを懇々と教えます。そうするとアメリカの学生たちは、アメリカ人に生まれてよかったと皆思うわけです。そして将来国のためになるような立派な大人になりたいと思うわけです。それはアメリカに限らず、どんな小さな国でもそうです。国の歴史、成り立ちというのを教えるものなのです。
 ところが日本では学校で国の成り立ちを、一切教えません。誰が建国したかも教えない。建国の精神も教えない。アメリカの建国の精神は「自由」です。かつてカソリックとプロテスタントの対立があり、宗教の圧制に苦しんできたわけです。そこで「自由に拝みたい」「自由な宗教をしたい」という声が高まり、本国のイギリスと戦って、そして見事勝ち、自由の新天地アメリカ合衆国を立ち上げたわけです。フランスの建国の精神は何だと思いますか。これは「平等」ですよ。ルイ王朝の圧制に苦しんだ人々が、封建社会を終わらせて、国民平等の国を立ち上げた。共和国ですね。これがフランスの建国の精神ですよ。中国は労働者の立ち上げた国ということで、それぞれコンセプトがあるわけです。
 ですからどの国の人も、自分の国がどのように出来て、どのような価値観の下で、国が営まれてきたか皆知っている。では、日本ではなぜ知らないかと言うと簡単です。教えていないから。ではなぜ教えていないのか、この答えも簡単であります。GHQがそのように指示をしたからです。当然でしょう、占領中ですからね。占領下において、日本人が誇る歴史など、教えられるわけが無い。日本人が誇りに思える部分には全部墨を入れさせられました。占領期間中GHQが定めた教科書検閲規定があるのですが、わかりやすく言うと、本人が誇りに思うことは全部削除を要求するものです。
 ですから日本人が歴史を学ぶ上で一番誇りに思うことは何ですか。わが国が現存する世界最古の国家であるということ。そして二千年に続く王朝を未だに仰いで守ってきたということ。それは日本史上最大の誇りに思うことですよね。こういうことを教えないわけです。
     ・・・・・中略・・・・・
 大体、磨製石器と土器がそろったときが文明の発祥なのですね。世界で始めて磨製石器と土器がそろったのはどこですか。日本列島ですよ。要するに四大文明と呼ばれる、中国黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明よりも三千年前に日本に磨製石器と土器があったのです。どう説明するのですか。なぜそのような重要なことを教えないのでしょうか。もしかして世界の文明の発祥の地が、日本列島である可能性があるのですよ。(拍手)日本最古の土器は青森県の大平山元Ⅰ遺跡出土の土器で、IMS炭素鑑定で、当初の予測より四千年古いものである事がわかったのですよ。世界の考古学者の思考が停止しているのです。四大文明よりも先に、日本に土器があるということは一体どういうことでしょうか。もしかして、人類の発祥は日本だった可能性もあるわけです。日本人が誇りに思うことは、一切学校で教えないのです。はっきりいえば、世界四大文明などウソです。
 もう一つ、明らかなウソがあります。朝鮮半島から稲作を教わったと、皆さん習ったはずです。未だに教科書にはそう書いてある。しかしこれはウソです。なぜかというと、正確には米作りは中国の揚子江中流域から日本に伝わってきて、日本人が改良した後に、日本人が朝鮮半島に伝えています。なぜそんなことがわかるかというと、日本で一番古い水田と、朝鮮半島で一番古い水田、日本のほうが千年以上古いのです。おかしいですよね。もし朝鮮半島から伝わったのだったら、朝鮮半島に日本より古い水田がなければならない。日本のほうが古いということは日本から伝わったことを示しています。しかし、さらに決定的な証拠が出てきました。これは遺伝子です。稲の遺伝子を分析した結果、元は中国で、日本に伝わって、改良されたものが朝鮮に伝わったという事が、遺伝子レベルで解明されました。もうこれは動かしようのない事実なのです。日本人が朝鮮半島に米作りを教えたのです。何でウソを書くのですか。要するに日本人が朝鮮半島に教えたことがばれると、子どもたちが日本のことを誇りに思ってしまいますね。だから日本のオリジナルは全く無いというのが東京書籍をはじめとするおかしな教科書の前提なんですね。おかしな書き方が多いのです。日本の国土は中国から分かれたもので、人々も皆大陸から移民したものであって、日本のオリジナルなど無く、全て大陸から伝わったのだと説き、その素晴らしい中国様、朝鮮様に対して日本人はとんでもないひどい仕打ちを与えたことは、畏れ多いことであって、もう二度と、西とか北西に足を向けて寝るな。これが結論です。
 そして普通、日本の歴史教科書なら、最初に日本のことを書いてから、中国など他国のことを書きます。ところが東京書籍などのおかしな教科書は全部の章が、まず中国の話から始まるのです。一通り中国大陸の話をしてから、話は朝鮮半島に移り、そのあとで、日本のことを書いているのです。これは「日本の歴史」と書いてありますけれども、題名を「中国の歴史」と書き換えて中国に持っていったらそのまま中国の学校で使えそうなものですよ。そのくらい偏向した教科書が使われているということです。
 そういうことは、実物を手にして全編読み込んでみて初めてわかる事なのですね。ですから皆様方、教科書問題でも取り組むのであれば、まず敵の本丸をじっくりと研究していただきたいなと思います。このようにして日本人は建国の精神を完全に失ってしまいました。それで何より恐ろしいのは、神話を教えなくしたことですね。これは恐ろしいなんてものではありません。
 トインビーという歴史学者がいます。二十世紀を代表する歴史学者と言われますけれども、彼はこのように言い残しています。
「十二歳、十三歳までに、民族の神話を学ばなかった民族は例外なく、滅びている」
 民族の神話を学ばなくなった民族は滅びるんですよ。神話を学ばなくなった民族は滅びるんです!私たち、アメリカに占領されたときに、神話は教えてはいけないといわれて従ってしまいましたが、まさか、民族が滅びるとは思いませんでした。神話など非科学的なもので全部ウソなのだから、もっと科学的な教育をしなければいけないというので、神話を教育から排除したわけですよ。
 ところがアメリカというのは、ダブルスタンダードが得意なので、日本にはそのように言いながら、自分のところでは神話教育を徹底しているのです。アメリカでは旧約聖書・新約聖書、そしてギリシア神話、そういったものを子供たちに叩き込んでいるわけですよ。アメリカでは聖書を知らなければ、アメリカンジョークを理解できません。子供の時分から皆聖書を知っているわけですよね。このようにダブルスタンダードで日本から神話をなくしました。
     ・・・・・中略・・・・・
 神話=ウソ、あれは創作された物語で、学ぶに値しないというふうに言われておりますね。そして、天孫降臨も神話。神武天皇も伝説上の人物ということが定説になっています。多くの子供たちは神武天皇の名を聞いた事が無い。知っていても伝説という理解です。しかしよくよく分析してみると、神武天皇が実在しなかった理由は、一点しか語られていません。「百三十七歳まで生きたなんてウソだ、そんな人がいるわけはない。だから【いなかった】のだ」と言われているのです。
 しかしこれは、科学的に考えたらおかしいことなのです。文献史学の基本ですけれども、もしあり得ない記述が出てきたら、そこだけ読まないのが作法です。あり得ない事が出てきたら全部ウソと言ったらおかしなことになってしまいます。タライの水を流すときに、赤ん坊も一緒に流してしまうことになりますからね。だから、あり得ない記述については、そこの部分だけ信じなければ良いのです。そして全体は読めばよいわけです。大体、百三十七歳、非合理なものを根拠にして導き出した答えは非合理なのですから。だから百三十七歳まで生きたというのがウソだという、それで導きだして神武天皇はいないという結論も非合理なのですね。嘘つきが、私はうそをついているというときのパラドクスと一緒なのです。百三十七歳まで生きたというのを信じたから、神武天皇はいないということにいきつくわけです。
 これは科学的に見たら、百三十七歳と書いてあっても「そこは誇張かもしれない」と見ればよいだけの話で、だからと言っていないなどというのは、科学的には全くおかしなことなのです。たとえば、イエス・キリストは実在した人物ですね。ところがどうやって生まれてきましたか。マリアの処女懐胎で生まれてきたわけです。神武天皇を否定する考え方によれば、イエス・キリストも実在しなかったことになります。しかし、イエスキリストは歴史的に実在した人物ですよ。
 そもそも人間の女性が相手の男もいないのに妊娠しますか。科学的に考えれば男がいたに決まっているのです。でも、欧米人はうすうす気づいていますよ。「もしかしたらマリア様には男がいたのではないか」と思うことあるかもしれない。ところが「いやいや、そんな事は無い」と、みんな頭の中で打ち消しているんです。ヨーロッパでは、マリアに旦那がいたなんてことを言ったら殺されるんですよ。これまで何人聖書を否定して殺されたと思いますか。民間人が酔った勢いで言ったぐらいでは殺されないかもしれませんけれども、閣僚とか大企業の経営者がそんなこと言ったら、本当に殺されますよ。
 だってコーランを否定した人がこの十年に何十人殺されていると思いますか。神話を否定すると言うのは、命をかけないとやっちゃいけないことなのです。しかも、もしマリアに夫がいたらどうなるか考えてみてください。欧米の社会秩序は根こそぎひっくり返ります。なぜかというと、マリアの処女懐胎は三つの大切な事を担保しています。
 一つは、神のおめがねに適ったマリアの純真さです。そしてもう一つは、人間の女性を懐胎させてしまう神の神通力、そして三つ目、これが一番重要です。生まれてきた子供が神の子であるということ。もしマリアに夫があったら、イエスキリストは神の子ではなくなります。唯の子です。神の子と唯の子大分違いますね。皆世界十一億人のキリスト教徒たちは、イエスキリストが神の子だと思っているから拝んでいる。唯の子だったら、詐欺と一緒です。だからマリアに夫がいてはいけないのです。口に出してはいけない。うすうす気づいているけれども、考えてはいけないのです。はっきり言ってマリアに本当に夫がいたかどうか、そんな事はどうでもよいのです。マリアは処女にて懐胎をした、これが真実なのですね。事実はどうでもよいのです。「真実である事は、事実である事よりも尊い。」(拍手)これを言い出したらお釈迦様だっていないことになってしまう。

黎明教育者連盟1周年記念全国大会第二部 (前編)

第2部 記念講演 (前編)24/5/20

    慶応義塾大学講師・作家

              竹田恒泰先生


(一時間四十分にわたり講演して頂きました。本文はその一部を竹田先生監修の下、抜粋させて頂きました。)



 今年は「古事記」千三百年という記念すべき年回りであります。日本の教育現場から「古事記」が完全に駆逐されてしまって、神話を子供たちに教える事ができない状態が未だに続いているわけです。そして学校教育の現場から駆逐されたのは神話だけではありません。学校では、わが国の建国をまるっきり教えないという異常な状態が未だに続いています。

 私は日本の教育を変えなければ、日本を将来守ることができないと思っております。まっとうな教科書を使って、まっとうな教育が行われるようになるまで、戦争は終わっていないと私は考えております。そんな中、今日ここにおいでの皆様方は、国の成り立ちや皇室の意義は勿論のこと、日本の本当に大切な事をよくご存知の方ばかりだと思います。しかしながら、この明治神宮の敷地を一歩外に出たら、その辺にはとんでもない格好をした若者がたむろしているわけで、一体どうしたらよいかと私もいろいろ考えておりました。今年は「古事記」千三百年ですので、この年はしっかりと有意義な年にしていかなければならないと思っております。

 私の専門は憲法です。現在慶應義塾大学で憲法の授業を担当しております。昨今は憲法改正に向けて色々な議論があります。自民党も憲法改正案を見直してきました。大阪維新の会も、憲法改正を伴うさまざまな提案をしてきています。それから産経新聞も社運をかけて産経新聞案を取りまとめるとの発表がありました。次の選挙もおそらく憲法改正に向けてどういう形になるのか、重要な選挙になるのではないかと思います。

 憲法といえば第九条がよく議論されるところでありますが、私の専門は第一条であります。『天皇が日本国の象徴である』ということが記されている、とても尊い条文であります。私は一年間かけて、第一条を教えるという珍しい授業を担当しています。日本中に様々な法学の教室はありますが、一年かけて憲法一条を講義しているのは私だけなのです。(拍手)

 大体憲法学者というのはまあ左翼ですね。千人の憲法学者がいたら、九九九人は左翼と考えてよい。ですから皆様方街中で憲法学者を見つけたら、とりあえず石投げておいてください。そのぐらいひどいのです。まっとうな憲法学者はいますけれども、ごくごく少数に過ぎません。

 大体保守の憲法学者は恐縮してしまって、天皇とか、あまり語らないのですね。ずけずけと土足で入ってきて、天皇を論じるのは、大抵は左翼の連中であります。そんなことで憲法の世界が捻じ曲げられていますが、まあ好き勝手させてはいけないと思い、私は慶應義塾大学法学研究科で将来憲法学者になる若者たちを、しっかり一年間かけて洗脳、というと言葉は悪いですが、正しい考えを教えようと、もう七年になりますけれども、私の授業を一年間受けた学生たちは、天皇の統治権に関しては、最先端の知識と見識を備えることになります。そういう若者を次々と、慶應義塾の法学研究科から出して行くのが、私の主たる仕事であります。(拍手)憲法には第九条をはじめ、様々な問題があります。「自由に書き換えてよい」と言われたら、書き加えたいことは山ほどあります。ただし、第九条も大切なのですけれども、もっと大切な条文があります。それが第一条なのですね。

 憲法の第一条にはわが国の国体が書かれています。帝国憲法から現憲法への改正は、人の家に土足で上がり込んだGHQの連中が、よくもここまで踏みにじってくれたと思います。しかしながら不幸中の幸いと言いますか、何とか国体は守られたのですね。第一条は天皇が日本国の象徴であると書かれている。この趣旨は帝国憲法第一条のいわんとしていることと、ほぼ同じことであります。国体が守られたのは、マッカーサー元帥が昭和天皇の前に進んで重要なことに気づいたのですね。そもそもマッカーサー元帥は、天皇を処刑せよという命令を本国から受けて日本にやってきました。それで、東京裁判で天皇の有罪を立証するために、マッカーサー元帥はその指令に従って資料を集めるのです。そして活動をしていると、ハタと気づきました。

 連合国は、先の大戦でイタリアを占領してイタリア国民がイタリア国王を怨んでいるという事実をつきとめます。そして、国民投票をして圧倒的賛成を得てイタリア王室を打倒しています。それと同じ事を日本でやろうとしたのです。ところが予備調査をしてみたら、原爆と空襲をくらって日本中の都市という都市が焼け野原になっているにもかかわらず、人々は皇室を守ろうとしていた。九割以上の国民が引き続き皇室を守っていきたいと答えたのです。そのアンケート調査を見たマッカーサー元帥は、当初その意味が分からなかったそうですよ。何故国民はこんなに苦しい思いをしているのに、天皇を恨んでいないのか、理解に苦しんだでしょう。また、この時期、全国から皇室の存続を願うおびただしい数の投書がGHQに送られました。

 投書はさまざまな分野にわたったそうですが、マッカーサー元帥は、皇室に関する投書はすべて翻訳させて目を通しています。そうしたら圧倒的多数の投書が「皇室を存続させてほしい」「私たちにとっての皇室の価値」など、山のような投書が集められました。あるご婦人は毎日毎日、同じ文面でGHQに投書して、毎回文末に血判を押し続けたそうです。そういうようなものを見て、マッカーサー元帥は天皇の意味を少し理解することができたのです。

 そんなときに昭和天皇とのご会見があり、陛下が燕尾服をお召しになってGHQにお出かけになりました。マッカーサー元帥は、昭和天皇は命乞いをしに来ると思い、最初はなめてかかりました。これは有名な話ですけれども、昭和天皇が開口一

番おっしゃったのは、『この戦争のすべての責任は自分にある。自分の命はどうなってもかまわないから、一億の民を餓えさせないでほしい』ということです。それどころか『自分の将兵たち、従臣たちは、私の命令に従って動いただけであるから、彼らは悪くない。私一人を処刑してほしい』と。このようなことまでおっしゃったそうです。その言葉を聴いて、マッカーサーは感動して「この人のためなら死ねるかもしれない」と思ってしまった。それで日記に「自分は初めて、神のような帝王の姿を見た」とこのように書きました。そして終戦からわずか五ヵ月後の昭和二十一年の一月、マッカーサー元帥はアメリカ本国に対して次のように打電しました。この内容は最近ようやくわかったことであります。

「もし、天皇を訴追するようなことをしたら、あと数百万の兵隊を投入しても、日本を治めることはできないだろう。それどころか向こう数世紀にわたって、復讐の戦争が繰り広げられることになる」

マッカーサー元帥は、天皇には指一本触れてはならず、皇室は残さなければならないと考えていました。

 当初「天皇を処刑せよ」と言っていたのが、日本国民が皇室を守ろうとしている気持ちを理解し、自ら皇室の大ファンになったわけです。天皇陛下はわが命を投げ出して国民を守ろうとなさった。このような天皇と国民との絆を見てしまったら、それを抹殺したらどうなってしまうのか、想像がついたわけであります。そしてマッカーサー元帥は、憲法の改正を要求します。色々な点で理不尽で納得の出来ない点はありますが、元帥は、もし天皇を残すのであれば「天皇は国家元首でなくてはならない」とし、「その地位は世襲でなくてはならない」と、このようにメモを書き残して、基本事項として、日本側に伝達されています。これがいわゆる『マッカーサー・ノート』です。

 そういうことがあって、いろいろと悔しいですけれども、憲法が変えられ、ことさら「象徴天皇」と表現されるようになり「もはや象徴に過ぎない」などと、間違った教育が横行することになりました。教科書にもおかしなことが書いてありますが、私は「天皇は象徴に過ぎない」などとは考えていません。学校では、天皇は何の権能も無く、かつての大元帥や統治権の総覧者とはまるきり異質のものであって、本来皇室はなくしてもよかったのだけれども、かわいそうだから、『ただの飾り』として、残してあげたんだ」というように、子供たちに伝わっているのですね。これは恐ろしい事でして、国の成り立ち、そして日本神話、こういったものがないがしろにされた中で、完全に誤った教育が行われているわけであります。

 震災より前、人々の心はほとんど荒廃し切ったような状態にあったと思います。その日本人の姿に憂えていた方がたくさんいらっしゃったと思うのですね。ところが震災が起きて「やっぱり日本はこうでなくては」と気づいた。書店の店頭は、その時代その時代の世相をよく表現しているといわれます。人々がお金を払ってまで読みたい本というのはどういう本なのか、プロがそれを察知して並べるわけです。震災より前は日本を罵倒する本ばかりが売られていました。「日本はもうだめだ」「日はまた沈む」「日本は世界に嫌われている」などといった趣旨の本ばかりが山積みになっていた。ところが震災後はそのような本はとっとと片付けられ、「日本の底力」「日本の可能性」「日本の正しい歴史」などなど、日本のことをしっかりともう一回見直そうという本が、今度は山積みになったのです。昨年は震災がありました。そして今年は「古事記」千三百年ですね。私は何か意味があるのではないかと思うのです。もし震災がなければ「古事記」千三百年を迎えても、興味を持たれず流されていた可能性があるのですね。「古事記」は建国の書であります。そして日本人の精神の書でもあります。こういった尊い「古事記」が編算千三百年の節目を迎えた、そして既に今年は多くの新聞雑誌で、「古事記」の特集が組まれています。ある程度の大きさの書店には必ず「古事記」コーナーが設置されています。多くの国民は、震災後の日本人は、特別な気持ちを持って、手に取っているのではないかと思います。

       (この続きは次回へ)お楽しみに !


黎明教育者連盟1周年記念全国大会第一部 24/5/20



平成24年5月20日に開催された一周年全国大会で発表された活動体験記録です。





全国大会活動体験(1)           
 乳幼児愛国親子教室  木村 亜樹 


 黎明教育者連盟の親子教室に通わせていただいて満一年となります。まだまだ勉強不足ですがこれからも素晴らしい先生達のご指導を受けながら少しでも日本の心を身につけ、本当の日本人になりたいと思います。
 私は純粋な日本人にも関わらず、全く日本の素晴らしさを知らず、誇りを持てないで育ちました。 私は北海道で生まれ25歳まで過ごしました。小学校に上がってから大学を卒業するまで、本来習うべきはずの国歌「君が代」を一度も習ったことがありません。
 あれは忘れもしない小学校4年生の新学期。初めての音楽の授業の時です。「一番最後のページを開きなさい、このページに今から渡す白い紙を貼りなさい」と言われ、「君が代」の掲載されているページに貼らされました。「こんなことをしなければならない程この曲は何かよくない曲なんだろうか」という疑問を抱きながら、何も質問もせずに皆そろって糊付けをしていたのを鮮明に覚えています。
 他にもおかしなことはたくさんありました。
 歴史を習うと必ず日本が悪い国だと教わりました。今日では事実無根なことを日本の蛮行と呼んで、従軍慰安婦や南京大虐殺のことを、何度も何度も繰り返し習いました。
 「日本の歴史は全て中国から来ていて、中国には日清戦争以外は全部負けている」と習いました。
 土地柄でしょうか、北方領土のことはよく勉強しましたが「北方領土が帰ってこないのは日本が戦争を仕掛けたからだ」とか「戦時中、天皇は神を気取っていたが戦争に負けてやっと人間であることを認めた」など、習えば習うほど「自分は悪い国の人間なんだ」と刷り込まれ、歴史や文化というものを学ぶのが大嫌いになりました。
 道徳の授業というものがありましたがほとんどが学級会になったり、有名な反戦映画をたくさん見せられたりしました。
 日本人としての教育は何一つ習わずに私は音楽の道へ進みピアノを選考し、大学では中学校の教師の免許を取りました。そこで習った教育学などはすべて外国のものばかり。一つとして日本の教科書はありませんでした。どんなにピアノが弾けても、たくさんの曲を知っていても、日本の童謡、わらべうたなどはほんの一部しか知りません。
 卒業後ある音楽教室に就職することが出来ました。そこで下は4歳から上は高校生までのピアノを指導することになりました。私の時代は「超氷河期」と呼ばれ、就職することが非常に困難でそこに入れただけでも感謝しなければならないのに「あの生徒が悪い」とか「私には向いてない」とか常に考えていたような気がします。
 運よく出会いがあり、結婚することになり東京に来ました。夫との生活は楽しいものでしたが長い間子供ができず「何故だろう」と思っていましたが「いないならそれもいい」と深く考えることはありませんでした。
 ある日テレビを見ていると、私と同じような悩みを抱える主婦が出演していました。するとその人の悩みを解決する為に先生はこう言いました。「ご先祖様に認められない人が何をしても無駄です。まずはお墓参りに行って今までの行動を反省しなさい」と。私はその発言に驚いてしまいましたが、でも心のどこかでは納得していました。
 夫に頼んでお墓参りに連れて行ってもらい、今までの行動を反省し謝罪して子宝をお願いするとすぐ、娘をもうけることができました。私が初めて目に見えない存在を信じた瞬間でもあります。
 やっとできた子供を両家の両親ともども喜んでくださり、大切に大切に育てています。それからというもの苦手だった料理も進んでやるようになり、主婦らしきことを自ら率先してやろうとすればするほど毎日が楽しくなりました。「子供というのはここまで思考を変えるすごい存在だ」と改めて感謝する毎日でした。
 「娘の為なら良いことをどんなことでもやろう」とインターネットで色々調べていた時です。ちょうど政権交代が行われ、テレビではセンセーショナルに取り上げられていたのに、インターネットの世論は全く逆に「日本の終わりだ」と否定的に書かれていたので「何故だろう」と疑問を持ちました。良く調べると民主党の後ろにいる日教組が 嘘の教育をして来たことに気付きました。
 私が受けてきたひどい教育を娘が受けることになることを想像するといてもたってもいられなくなり、民主党への抗議活動に参加し始めました。「外国人参政権」や「夫婦別姓」など、調べれば調べるほど出てくる悪法案に毎日が不安で、近所で街宣活動をやっている人達に「自分も手伝わせてほしい」と飛び込みで参加し、そのうち私もマイクを持って道行く人に力の限り訴えるようになりました。
 毎週土日には家族との時間を削っても抗議活動や街宣活動に参加しました。少しでもこの流れを変えたくて頑張りましたが通行人の無関心や理不尽な罵倒を受けることもあり「これでいいのか」と自問自答する日々がずっと続いていました。
 そんな時仲間が「悪いこともあるけれどもっと日本の良さを広めようよ」と言ってくれたのを今でも覚えています。その言葉にどれだけ救われたかわかりません。
 日本の良さ、それは私が一番わからないものでした。インターネットによって調べることはできましたが、出来ればちゃんと指導を受けたいと思っていた矢先に黎明教育者連盟の親子教室を紹介してもらい、そこで日本の良さや子育ての大切さを学ぶことになりました。特に日本の良さは膨大でまだまだ把握できないことが今でも山ほどあります。 最初「神」や「天皇」という言葉はマイナスなイメージを叩き込まれていたせいもありなかなかなじめないことが多々ありましたが学べば学ぶほど心が洗われ、自分の中の軸というものをはっきり感じることが出来るようになりました。
 古事記や和歌を習う度に今までは気にもかけなかった自然に感動する心や美しいと素直に感じる心を意識することが出来るようになりました。
 初めて一般参賀に参加して天皇陛下のお姿を拝見した時感動して涙し「どんな教育を受けてきても私は日本人、本当に良かった」と心から感謝できました。
 何事にも感謝の気持ちをもって接することにより、本当の自分を引きだす事が出来、一時期の自分と比べて本当に変わったと思え、感謝の気持ちで一杯です。
 去年の初夏に息子も誕生し、娘も大きくなり毎日が感謝の連続です。いろんな回り道をしたけれど「家族が一番大事なんだ」と改めて確信しています。「日教組からどんな教育を受けようとも家庭教育さえしっかりしていれば大丈夫だ」と。
 また気持ちを新たにこの親子教室に通わせていただくと共に、私と同じように日本が悪い国だと教わった人に「そうじゃない」と本当のことを皆さんに伝えたいと思い、この度乳幼児愛国教室を開催し、お手伝いさせていただくことになりました。乳幼児のお母さま、奮ってご参加ください。

全国大会活動体験(2)
  神奈川支部 親子教室校長 柴田 顕弘


 黎明親子教室の教育目標は、親子共々、日本の歴史・伝統文化に誇りを持ち、自己の生命が、天照大御神様から分け頂いた尊い神の命の現れ(「神の子」)であるという自覚を深める教育を行い、日本と世界に貢献する有為な人材を育成することです。今回は、親子教室の一日の流れをご紹介させて頂きます。
〔朝礼〕
 朝礼が始まる前に、まず挨拶をし、簡単な礼法を行います。教育勅語を拝聴する際の「揖」の姿勢やお辞儀の仕方を練習し、心を整えて朝礼が始まります。
 朝礼は、国歌斉唱から始まり、教育勅語奉読・古事記朗誦・校長講話・朗読・神話の紙芝居・季節の歌で終わります。
 校長講話では、年中行事・祝祭日の意義、偉人伝などを話すようにしています。いずれも学校では詳しく教わることはありません。親子教室では、特に一月一日の元日・二月十一日の紀元節(建国記念の日)・十一月三日の明治節(文化の日)・十二月二十三日の天長節(天皇誕生日)の「四大節」は、説明だけでなく「季節の歌」の中で「四大節」の歌を必ず歌うようにしています。また十一月二十三日の新嘗祭(勤労感謝の日)には、毎年明治神宮の新嘗祭に参加させて頂いていますし、十二月二十三日の天皇誕生日には、皇居参賀をさせて頂いています。これらの事を通じて、真の日本人として豊葦原瑞穂国・天皇国日本の意義を親子共々実感できるようにしています。
 毎回教育勅語を奉読させて頂き、朗読の時間では最初に「天壌無窮の御神勅」を必ず拝読しますが、子供達の潜在意識に自然とそれらの言葉が入っていきます。「天壌無窮の御神勅」は、幼稚園児もすっかり覚えてしまいました。また親御さんが家で喧嘩をすると、「『夫婦相和シ』でしょ」と子供が注意をするという微笑ましいエピソードもあったそうです。子供たちの無限の可能性と言葉の教育の大切さを痛感させられます。
〔子供の学び〕
 子供たちは、書道や和歌の実習を通じて生命を引きだし、集中力・観察力・感性を養っていきます。工作では、父の日・母の日・敬老の日が近くなると、ご両親や祖父母へのプレゼントを作り、感謝の気持ちを育んでいます。また毎年年間でテーマを決めて学習しています。昨年は、仁徳天皇の御事績を学び、子供達は紙芝居を作成し、終了式で発表しました。去年は東日本大震災があり、天皇陛下は被災地を率先して見舞われ、電力不足に際しても自主停電をなされ、国民の安寧を優先されました。このような「君民一体」の国柄は、神武天皇以来の歴代天皇の大御心、とりわけ「民の竈」の故事に由来する仁徳天皇の御事績とも重なるものであることを子供達は学びました。
〔親の学び〕
親御さんは、「親が変われば子が変わる」をモットーに、子供の無限の可能性を信じて引き出す「観の教育」の実践方法を学びます。また日本の国柄や自然観、日本人として生きる知恵を「古事記」に学んでいます。改めて古事記神話の意義を感じられる方も多いです。
〔終礼〕
終礼では、子供たちの書道・和歌などの作品を紹介し、良い点を大いに讚嘆していきます。最後に親子の絆を深める歌を歌い、終わります。


 黎明親子教室は、毎月第二、第四日曜日、午前十時から正午まで、横浜市港北区にある都筑地区センターの一室をお借りして開催しています。
 御入学心からお待ちしています。

教育講演会 23/11/27

去る平成23年11月27日横浜市都筑区の都筑地区センターに於いて、教育講演会が開催されました。

加納講師合掌 ありがとうございます。………東日本大震災において、アメリカ軍は、なんと、日本に駐留している20万人が救援活動に従事してくださったんですって。そんな大規模ということは知らなかった。つまりそれは日本の自衛隊と、同数なのです。そんな数の方が救援に当たってくださったということは気がつかなかったのですけれども、そんなに日本を助けてくださって、またそのためにそれはアメリカにとっても日米安保が健在だということ、日本にも示し、世界にも示したのですね。そのために世界は、「あ、大変だ、日本を攻めたらアメリカが本気になって来るじゃないか」という一つの示威行動になって、非常に日本のためにもアメリカのためにもなったのですね。そして、日本の自衛隊の方たちは、人の前では食べない、飲まない、座らないとして活動してくださるのですって。そして、朝からお赤飯の缶詰を一つ、夜お赤飯を一つ、それも寒くて暖房のないような、雪が降ったり雨が降ったり、全身ずぶぬれになっても冷たい缶詰しかないから、それを自分の肌でちょっとだけ温めて、それを冷たいままで食べて、そして被災者には、あったかいご飯、あったかいお味噌汁を作ってはもてなす。自分たちは一切食べない。自分たちはその冷たい缶詰を食べて、それだって人前では食べないように。だから全部食べ物が行き渡っているわけではないですから、それを人前で食べないで、そうしたら夜引き上げて、テントの中で皆食べていたら,他の隊員が出入りするとき、ちょっと幕が切れて、男の子と隊員の一人が目が合ってしまったのですって。そうしたらいたたまれずに、自分の唯一の食料のお赤飯をあげてしまったんですって。そしたら隊長が後から、「お前が倒れたら救援活動ができないじゃないか、ちゃんとそれだけの最低のものは食べなきゃ」と言ったら、「あの子を助けたかったんだ」と、その隊員の方が。
 朝晩一つずつのお赤飯の缶詰なのですけれども、何か、事務所の机の上にそのお赤飯が山積みになってきちゃったんですって。「これは一体どうしたんだ」といったら、自衛隊員が、朝晩一つずつの缶詰を、周りの方に同情して食べきれずに、返納したのがこんなに山になったんですって。まあ本当に、ものすごい働きをしてくださっているのに、その上、唯一の食べ物さえ返納するぐらい。皆さんもう寝不足だし、栄養失調で口内炎が出来たり大変だったそうですけれども、それでも、活動してくださって、そして朝の三時から炊飯の人たちは号令で起きて、雨が降っても雪が降っても、とにかく火をおこしてご飯を炊いて、おつゆを作って、それを避難所へ持っていくと、皆さんが「ありがとう、ありがとう」と喜んで食べてくださって、それで自衛隊の人たちがどんなに尽くしてくださるかという事を皆さんが知ることが出来たんですね。阪神淡路のときには、辻本清美が、「自衛隊は違憲ですから」と言って避難所の前にずっと列を作っていて、自衛隊の方が同じように炊飯して提供したらしいのです。そうしたら入り口のところに待っていて、貴方たちは憲法違反なんだから入っていけません。私達がしますからはい、渡してくださいって、渡してもらったのを皆さんに、「ピースボートの辻本です」と。そうしたら渡した人に感謝しますよね。自衛隊がそんな働きをしているという事を知りませんよね。けれども今回は余りにも規模が大きいし、それだから向こうも手がまわらなかったのでしょう。自衛隊の方たちも夕方活動が終わって、それじゃあ今日の仕事は終わろうというとき、お母さんが見えて、「ここに家があって、ここに子供が埋まっているんです。自衛隊さん助けてください」といわれたら、時間で活動終わりとか言っていられない。「よし、たすけようじゃないか」と言って日が暮れてから掘り起こしたら、子供の足が出てきたんですって。それを掘り起こして、泥をきれいに洗ってあげたら、そのお母さんが、その子の頭をなでながら「ぼうや、良かったね。今度生まれ変わったら自衛隊に入れてもらいなさいね。」そうしたら、隊員たちは報われました。今回の事では。そうするとまたがんばろうということで、本当にがんばってくださったようなんですよね。
 そして小さい女の子が折り紙に書いた手紙を持ってきたんですって。そしてそれをその隊員は自分に当てた手紙じゃないだろうからと、隊長のところへ預けておいたんですって。仕事が終わって「あれは、どんな事が書いてありましたか」と。「お前見てみろ」そうしたら「自衛隊さんありがとう。私はお父さんもお母さんも、友達も全部津波に流されて一人になってしまいました。だけど、自衛隊さんがこんなにがんばっているんだから、自分もがんばろうと思います。自衛隊さん、日本を助けてください」小学校一年の女の子が自衛隊に、日本を助けてくださいと訴えたというのです。そして、各新聞社も放送局も、すごい事故ですから若い社員をどんどん現場に送って、そっちで張り付いて取材してこいと。だからそこに寝起きして、本当に自衛隊の活動を全部見たのです。そうしたら、自衛隊ってこんなに無我で、欲得抜きに命がけで働いてくれているじゃないかという事を、自分の目で見て自分の肌で感じちゃったのです。だからその後、放送も新聞も論調が変わってきています。そして井上さんがおっしゃるのに、TBSで自衛隊特集というのをやったんですよ。一時間半の放送を、この方が「これ本当に民放かよと思った」というのです。まるまる本当の真実を伝えたというのです。「いや、こんな放送を日本の民放がしてくれるようになったんだと思った」というのです。
 それぐらい、今回の事は逆に規模が大きくて長期間だから、真実が見えて、自衛隊の活動そのものが見えて、本当に自衛隊が日本を救ってくれるのじゃないか。本当に日本の絆を強めてくれるのじゃないかという、実感を得られたと思うのですね。ではここまで……。(拍手)




講演  坪田 陽子
ありがとうございます。
皆さん、とにかく本物を伝えていかなければいけないと思います。皆さんも今日の話しを聞いて、いろいろのことを知っていただいて、皆さんもご存知のことが多いかもしれませんけれども、私の話で参考になるところがあったら、それを近所の方に伝えていただいて、宣伝していただければありがたいなと思います。来年の四月にここで親子教室を開こうと思っていますので、お楽しみ会などもしようと思っていますので。
いま皆さん、今の若いお母さん方というのは、自分が勉強して子供をよくしようという感じでもないんですね。自分は自分のしたいことをする。子供は誰かが育ててくれればいい。何とかなるという感じなんですよ。
それで学校教育というのは、本当に昔のような教育をしていませんので、人権主義、個人が一番大事というような教育をして、日本のことも教えません。ですから今の教育はこんなに成ったんだと思うのですよ。でも、お母さん方を、昔は、今来てくださっている皆さん、私が母親教室をやったときに初めてきた方たちも多いのですけれども、要するに百枚撒いたら五、六人は来てくれたんですね。そんな時代だったんですよ。
 というのは昔はそうやって、子供をよくしたい。よい子に育てたいというお母さん方の気持ちがあったのですけれども、今は自分でしたいことをする。仕事をしてお金を儲け、豊かに過ごしたいという気持ちのほうが強いので。そうしたら、子供を教育するしかないと思ったのですね。だから今親子教室、寺子屋に私は力を入れていまして、本当に子供たちは素直で、寺子屋は一切こちらのほうの関係のない方たちが、チラシで来るのですよ。子供はやはり宣伝で。その子たちが本当に変わっていくんですよ。それこそ喘息で年中病院へ行っていた子が、その子は元気でいまお父さんの転勤で関西のほうへ引越してしまったのですけれども、ひ弱な子で、本当に静かな子だったのが、喘息はよくなって、元気でお母さん一番心配したんですって。内気な子だから皆と慣れないんじゃないかって。そうしたら、元気一杯に学校に行ってお友達もすぐできたそうです。だからいまは、何としても小学生、子供の小さいうちにこの教育をしなければいけないと思って、親子教室や寺子屋に私はいま命を捧げているのね。日本を将来支える子供たちが少しでも日本のことを知って、国際的に働いたときにも、日本のことがしゃべれるように。国柄などもきちんとしゃべれるようにという思いでやっているのですね。今日のテーマにちょっと外れてしまいますけれども、教育勅語も、ずっと毎回校長、それから寺子屋のほうは実吉講師が、読み上げると子供たちが本当に粛々とこうして首を垂れて聞いているんですね。そして、面白いのに、お父さん、お母さんが喧嘩していると「父母に孝に兄弟に優に、夫婦相和して」と覚えているところを言うそうです。そうすると夫婦がぴたっと喧嘩が収まるという。毎回毎回教育勅語を読むことによって、頭の中に入って自然とそれが出てくる。それが人格を作るという事になると思うのですね。
あるときなどは、校長が「今日は何の日」と十月三十日に言うんですよね。そうすると子供たちが黙っている。すると校長が「明治二十三年十月三十日」と言ったら「御名御璽」と子供たちが言うのです。そのくらい、子供を育てるのは楽しみです。そうやって今は子供たちを育てていかないと、本当に日本の国はおかしくなると思うのですね。そんな事で一生懸命にやって、まずはお母さん方に知っていただいて、大丈夫そうだなと、そこへ送ろうという気持ちになっていただかないといけないと思って、今日の講演、皆さんが関心を持ってくださるか名と思うので、「世界に誇るべき日本人の心の絆」というテーマで講演をすることになったのですね。
いま、皆さんも心配していらっしゃると思うのですけれども、政治が弱い、経済が弱い、教育が弱い。皆弱い国になってしまったんですね。とくに教育は、この間ボーイスカウトの奥島タカヨシさん、日本の高校の野球連盟の会長でもあられた奥島タカヨシさんも書いていらしたのですが、「日本の高度経済成長を支えたのは勤勉な日本人でしたが、残念ながら子育てには失敗しましたね」今の子供たちから何から、問題を抱えた私達が心配になるのも、私たちの時代の責任も大きいかと思うのですけれども、はっきり言うと団塊の世代の親たちの子供が今問題児が多いわけですね。
「日々仕事に忙しくて、子供と向き合う時間が少なかったのはわからないでもないですが、その代わりにお金や物を与え、甘やかしてしまいました。だから子供たちは心身ともに痛い目を知らない。そこが問題だと思うのです。自分が痛い目にあった事がないので、他人の気持ちや心の痛みがわからない。社会性、公共性がだんだんと希薄になっていく。自分のためではなく、世の為,みんなのために汗を流す、涙を流す、これによってまた血を流すことによって、若者が育っていく」と書かれているのですが、そういういまの状態の中で、今回の大震災が起こったわけですよ。
それも千年に一度というものすごい惨状に、日本中の人たちが恐怖と驚きとで震えたわけですよ。そして皆が立ち上がって何とかしなければならないということになって、それを見ていた子供たちが、先ほども加納講師が話されたようにボランティアに行くわけですね。そしてなんと、宮城県だけでボランティアが延べ五十万人行ったそうですよ。そしてそこで自衛隊の人たちの活躍を見て、目覚めるわけですね。この国を守らなければならないという観念になった。だから大震災は本当に辛いことではあるし、震災にあわれた方たちには本当に申し訳ないと思うけれども、日本人の心を目覚めさせる震災だったと、私は思うのですね。
それで、大体かわいい子には旅をさせろといいますけれども、苦難に出会ったときに、どう私たちは生きるかということですよ。苦難によって私たちは、ものすごい体験を通して精神力や、いろいろな生きる力とかいうものが育つ。自分で自分の力を見極めて育てられていくということになったと思うのです。
それにしても、世界中の人がどの国の人も皆、日本人の被災地の人たちの行動を褒めてくださる。思いやり深く皆で助け合って、整然と冷静を守って、その姿に世界中の人がびっくりしたのね。ところが日本人は当たり前なのね。それがどこから、どうして日本人はそういうことができるかというと、やはり古来からのDNAによるわけです。だから私はまだまだ日本は大丈夫だと思うのですけれども、やはりDNAというのは、何千年も培われたものが、ぽっとここに出てきたわけではないですから、長年日本人として培われたものを持ってこの世に生まれてきているから、苦難のときに日本人の心が呼び起こされて出てくるんだなというふうに思うのですよ。
日本人は本当に人を愛し、自然を大切にして、聖徳太子が言われたように、「和をもって尊しとする」という言葉のとおり、いつも和を大切にする。それが国際的に,交易になるとその点がまた弱くて、歯がゆい思いはしたりしますけれども、そういう日本の心というものが世界の人にアッピールになったかなというふうに思うのです。 最も大切なのは、日本の心の中に、中心に帰一するという言葉があるのですけれども、それは宇宙というのは全部、中心に帰一しているのですね。中心が駄目になったら全部ばらばらになるわけですよ。太陽系は太陽を中心荷して回って、太陽が駄目になったら宇宙がだめになってしまうように、国も中心者が駄目になったらすぐにばらばらになってしまう。家庭も中心である夫を駄目にしてしまうと、家族もばらばらになってしまう。
ところが今は夫婦別姓とか何とか、戦後家族制度がなくなって、その上に夫婦別姓まででばらばらにしようとしている。そういうこともいま、この震災によって私たちは考え直されていくかなと思うのですが、国の中心者たる天皇陛下が日本の国は、世界中探してもこんな国はないのですね。神武天皇から始まって今年は二六七一年ですけれども、その間万世一系でずっと続いてきた、その天皇陛下は、国民を「おおみたから」と呼んでくださって、宝物として考えて国民を大切にしてこられた。常に何かあれば国民と一体になって、国民の気持ちが喜べば一緒に喜ばれる。悲しい思いをすれば、ともに悲しまれる。そして何とかして国民を力づけたいというお心がいつの場合にも、現天皇も震災報道を見られて、いままでになく録画でビデオを通して、なんとしても甚大な災害にあわれた方たちを励ましたいという、そういうお気持ちから陛下の強いご意思によってビデオが流された。あの時私なんか、もう一度みたいと思っても、全然……、ああいうときこそ、何で天皇陛下のお言葉を毎日毎日、何回も何回も放映されたらどんなにか……、見ていない人もたくさんおられると思うのですけれども、残念に思いながら私も見ていたのですけれども、今日はですから、皆さんも新聞で読まれたり、見られたかもしれませんけれども、いま一度、陛下のお言葉を読ませていただきますので、心していただいて、天皇陛下に対する感謝の気持ち、そして日本の国に陛下がいらっしゃるということをありがたく思う気持ちで聞いていただければと思います。
「この度の東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0という、例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人あるかもわかりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く感じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。現在国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が食料、飲料水、燃料などの不足により、きわめて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済の為に全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていく事を、心から願わずにはいられません。そして何にもまして、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄雄しさに深く胸を打たれています。自衛隊、警察、消防、海上保安庁を初めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援の為に来日した人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている努力に感謝師、その労を深くねぎらいたく思います。
 今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者とともにあるとのお言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示した事に触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわりあって、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。被災者のこれからの苦難の日々を、私達皆がさまざまな形で少しでも多く、分かち合っていく事が大切だろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また国民一人一人が、被災した各地域の上に、これからもん長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の道のりを見守り続けていく事をこころより願っています。」
 最初に、自衛隊、警察、消防と、どれだけ自衛隊の人たちもどれだけ陛下のお言葉に勇気を得られたかわからないと思うのですね。日本人というのは思いやり深い民族だと思うのですね。それがだんだんと忘れられて、感謝を忘れてきているように思われて、陛下のこういったお言葉を胸にして、私達もこれからも、日本の国のためにがんばって生きたいと思うわけなんですね。
 このような国に生まれたことを幸せに思うと同時に、これを子供たちに伝えていかないといけないと、日本人として日本の国に生まれたことの幸せというのを考えたいと思うのですね。
 次に今日、絆という事で、何かあったときに一番苦難を乗り越えられるのは、家族の絆なんですね。夫婦の絆、親子の絆、家族の絆がしっかりと結ばれていれば、どんな苦難も乗り越えルことができると思うのですよ。よく、自殺したお父さんたちが今年も三万人を越えたとかいっていましたけれども、自殺擦るでしょう。あれはやはり私は絆が薄いのではないかと思うのですね。家族のために、どんな辛いことがあっても妻や子供のために生きなければと思ったら死ねないと思うのですけれども、簡単に死んでいくというのは、やはり夫婦の絆、親子の絆が薄いのじゃないかと思うのですけれどもね。それにはやはり、女性の責任も大きいかなと思うのですが、お父さんをいつも尊んで、お父さんを家庭の中で中心荷して、お父さんを大事にしていけば、お父さんも元気が出ると思うのですが、それがあまり感謝されないで、いつもどなられて、ずっとお父さんも「母ちゃん強い、父さん死んでも大丈夫」という歌にもありましたように、やはり価値は女性も男性も同じなのですけれども、お父さんが中心になって、強くて偉いすばらしいお父さんが中心にいて、それをお母さんが尊んで、お父さんを立てるということ荷していけば、家族の絆も深まり、子供たちもすくすく成長していくのではないかと思うのです。
 「教育講演にいったときに、終わってから男の子がいつもこうやって斜頚になるんだそうです。お母さんがマッスグにすると、そのときはまっすぐになるんだけれども、いつもこうやって歩いている。病院へ行って検査したら、原因がわからない。それで教育講演に来たときに私に質問されたから。それで大体肉体は心の影です、お子さんの問題は全部親の問題です。だから斜頚して子供が傾くという事は、一家の中心であるお父さんを立てていないからですよという話をしたんですね。
 一家の柱であるお父さんが中心に立っておられないということになります。あなたはご主人の言われることをよく聞いて、ご主人の言われる通りにしていますか、と言ったら、「主人は何か聞いても、あんたの好きにしろといいますので、私の思うとおりにしています。主人は優柔不断なのです。これが優柔不断というけれども、大体優柔不断荷しているのは奥さんなの。奥さんがそういうふうにしているんですね。それで私は優柔不断にしたのは奥さんですよ。ご主人はご自分のお考えを持っていても、どうせ自分の意見など女房は聞かないと射るのです。だから好きにしろとしか言わないのです。ちょっと考えていたら。「ああ、そういわれれば私は日ごろ、ほとんど自分の思いどおりにしています。たまにどうしてよいかわからないときに主人に相談するのですが、どうせ何を言っても君の思い通りにするんだろといわれたことがありました。みんな、知らないうちに自分流荷して、自分流に家庭を切り盛りして、それが正しいと思っているんですね。それが正しくないときには、子供が姿で表してくれる。子供の姿を見たり、家族の姿を見手、やはりどこが間違っているかなと気づく事が大切かと思うのですね。わからないときは教育相談を受けるとか。それで反省しているようだったので、今日ご主人がお帰りになったら、今まで貴方を踏みつけ荷してきてごめんなさいと、教育講演で先生に私の事を相談したら、私が貴方を立てていないからだと叱られました。今日から心を入れ替えて、すべて貴方の言うとおりにするから、我慢しないで何でも言ってくださいと、手を突いて謝り、お願いするのですと。
 こういうふうに、言われたことを守ってチャンと遣ると必ずよくなるんですね。二三日前、私は高知に行っていました。もう私は忘れていました。三年位前にやはり教育講演にいって相談されたんですよ。そのときお子さんの問題ではなくて借金が山のようにあって、それで私の生でしょうかというわけです。ご主人は事業を始めるんだけれども、必ず失敗するんですって。それで借金がたまってしまったというわけですね。ご主人はすごく厳しい人で、とにかく笑ったことがなくて、いきなり帰って着たら怒鳴るんだそうです。だから私はびくびくして、もう声もかけられない、ただいまとも言わないで帰ってきて、お前は今日はなにしてた、とか、それから靴がゆがんでるぞとか、とにかく悪いところを見つけて大きな声で怒鳴られるから、小さくなっていつも心の中で、自分のことは棚に上げて、借金ばかり作っていながら私にどなってばかりと、そうやっていつも不満に思っていたんだそうです。
 で私がご主人はね、奥さんに認めてもらいたいわけよ。ところが貴方は借金ばかり作ってと思うでしょう、だからこの人は優秀な事業家なんだ、今に成功すると思うのですよと。「へーっ」と、そんなふうに思えないというから、思えな九手も思うのです。本当はご主人は、一番認められたいのは奥さんだから、奥さんが認めたらご主人は力を出すんですよ。と言って、まず帰ってきたら走り出て、そして「あらお帰んなさい、今日もご苦労様でした」と、叱られる前にまずいいなさいと。そして貴方と結婚して幸せだわといいなさいと、馬鹿だ何だといわれたらとにかく翻訳して「愛してるよ」と言っているんだと思いなさいと。一切全部いやな事を言われたら、その都度自分で納得擦るように、お前はいい妻だ、お前のような人と結婚して僕は幸せだと言っているように取りなさいと言って、「ええーっと言っておっしゃっていました。思うことはただだから、そういうふうに遣ったら、ご主人キッと変わりますから、あとはあなたがやるだけよと言って帰ったんです。
 そうしたら、二三日前に高知でお会いして、先生、本当に不思議なんですよ。いまは、ニコニコしながら玄関で「おーい帰ったぞ」言うんですって。本当にご主人が三百六十度変わったんで、「気をつけて行けよ」と今日も来るときに言われたというんです。あらー、よかったですね、貴方やったのねと言ったら、「はい、やりました」と。だから、結果は出るわけなんですね。そして「借金は」と言ったら「まだ少し残っています」と。そっちのほうはだんだん減って、ご主人が働きますものね。莫大な借金がそうやって減っていくと、皆奥さんの対応次第なのね。お金もかからない、何もかからないのですから、皆さんしなきゃ損よね。褒めて褒めて褒めまくって、尊敬して尊敬しまくってね。そしてたまに腹立てても,「あの人の心の中は私を大事に思ってくれる」と思えばいいんですから。
 この人も遣ったのよ。でも最初はなかなかうまくいかなかった。出、言われたように今日こそ言おう、今日こそ言おうというのがなかなか言われなかった。やっと三日目に、決意して待っていたら、その日は珍しく子供の相手をしてゲームで、バトルしているのを見ていたら、お父さんの存在がすごく大切に思えてきたので……、もう言わなきゃいけない、言わなきゃいけないというときは、義務感なのね。言われたから、よくしたいから、言わなきゃいけないと思っていた。ところがゲームを見ていたらお父さんの存在がすごく大切に思えてきた。そうしたら自然と言えるようにもなってくるんですね。今までいつも夫は気が小さくて、決断力のない人だと心の中で責めていたことに気づき、申し訳ない気持ちにさせられたのです。子供を寝かせて居間に戻ると、ご主人が新聞を読んでいました。このときとばかり、足元に座りまず手をついて謝りました。ご主人は新聞から目を離さないまま聞いていたそうです。そしてご主人信じられないの、「本気かどうか、」と一言言って風呂に入られたそうです。その後もすぐ元に戻るのね、戻りそうになるわけ、その都度自分を励まして、やはり自分で自分を褒めちぎって励まして実践するしかないですね。
 そして行きつ戻りつしながら、ご主人の言う通り、ご主人にハイと、自分に言い聞かせながら、ご主人の言うことを聞いたら、本当にある日気がついたら、斜頚が治っていた。そのように、家庭の中では、イヤでもですよ、皆さん。夫を立てて、お父さんを中心荷して家族が一つにまとまると言う事が大切だと思うのですね。
 皆さん、何かあったときにやはり家族とか、自分のこともそうですけれども、国としても真心のある行動かどうかわかりますよね。今回はまた世界中から援助を戴きました。でもその中で、真心のあるものと、それから義務というか、思惑で遣ってくださっている国もあるわけですね。先ほども加納講師が話されたように、アメリカは友達作戦で、本当に世界中の人が、アメリカが出てくるから日本は襲ってはいけないなと言うくらいの行動をとってくださったわけです。
 その次に私は感動下のが台湾です。あの小さな台湾、二千万人の国が世界で一番、アメリカの何倍も、百五十億円も義捐金を送ってくださった。これは並大抵ではない、日本を愛する、日本が大好きと言う国民の皆さんが台湾人が思えたと思うのです。その台湾の、今回少し政治家もマスコミも変わってきたようですけれども、いつも中国人として台湾を袖にしていたんですけれども、今でもそういう政治家もいるわけですけれども、そういう親日国を大切にして私たちはいかなければいけないのに、中国とロシアと、韓国ばかりに気を使って、何ですか中国なんか、軍艦をたくさん作って、アメリカよりも軍艦が多くなって、その中国にまだ今年も43億円ですよ。馬鹿じゃないかと思って、私は本当に政治家が何やっていると思いたくなるのですけれども。
 まだまだ日本の国を愛する人たちに、ODA渡さなければいけないところがあるのに、中国なんかやめてほしいと思っているのですけれども。大半の日本人はそう思っているのではないでしょうか。最近日本にいらっしゃったブータンの国王ですよ。あれには泣かされましたね。テレビで地震の災害を見たとたんに、国王は本当にすぐ、国を挙げて慰霊祭をしてくださった。日本の被災者の為に慰霊祭をしてくださった。そして、日本人は一人もしなかったですけれども、ブータンの国王は一ヶ月間喪に服された。日本のためにですよ。そんな国がどこにありますか。それで日本に一番に国王が来て、真心こもる訪問をしてくださって、被災地にお坊さんをお連れになって、正式にして、その後国王夫妻が本当に真摯なお祈りを捧げてくださった。その国は東京の大田区ぐらいだそうですね。規模が。人口も面積も。そのブータンが八千万の義捐金を送ってくださった。今日はその辺にいる一般の人に聞かせてあげたい。知らない人一杯いると思うのですよ。私たちは情報が入ってくるけれども、普通にテレビ見ていたらそういう情報は伝わらないじゃないですか。だからこの地域の人に、私はこの話はぜひ今日はしなければいけないと思って来たんですけれどもね。それで、素敵な若いお二人の姿を見ていると本当に胸が熱くなって、感謝の気持ちが湧いてきますよね。
 でも皆さん、日本をそれだけ愛してくださる方、ほんの小さな援助ですけれども、日本はやっているんですね。それは、昭和三十年の初めころに、あの国に行ったそうですよ。産経新聞に出ていたのですけれども。そうしたら中世じゃないですよ。古代に来たかと思ったんですって。火をおこして、こうやって。そのくらい、昭和三十年ごろまだ古代だったそうです。それからつい二、三年前にブータンに行ったそうです。そうしたら、なんといきなり近代ですって。携帯電話はあるわ、電気はつくわ。前はローソクもない古代だったのが、いきなり近代になっていたそうです。五十年たっていたら。
 日本なんか順を追って、電話だってそうですよね。だんだんとプッシュになって、今は携帯って。順番でなっている。いきなりだそうです。あのブータンと言う国は。
 それはなぜそういうふうになったかと言うと、やはり日本から行った人がそういう状態を聞くと、何とかしてあげようと言う、日本人って優しいのね。そして農業、二十年ぐらい前に西岡さん逃避とがブータンに行って、農業を指導したんですって。だから居間は、近代的な農業になっているそうです。そして電気はやはり日本人の技師が、あそこは水が豊富な国だそうですので、水力発電の技術を教えたそうです。それで、小さな行為ですけれども、それでブータンの人たちは本当に日本に対する感謝の気持ちがあふれ出て、今回の行動になったのかなと、私は思ったのですけれども。
 それにしても何兆円もお金を上げたわけではなく、技術を教えただけと言う感じで、そうやって小さな国が八千万も下さると言うのは、本当に並大抵の感謝の心ではないと思うのですよ。そこへ行くと、中国は何兆円ですよ、未だに送り続けながら、これ幸いと尖閣諸島をうろうろして、隙があったら日本を捕ろうとする。ロシアもそうですよ。日本の上空もぐるぐるぐるぐる回って、隙あらばと思って狙っている。そういう国と仲良くすることない。叱られるかもしれないけれども。
 もっともっと喜んでくださる。感謝してくださる。小さな行動でもそうやって感謝してくださる。そういうところと深いつながりになって親交を温めてもらいたい名と思うわけなのです。そんなわけで、震災にあって私たちはいろいろなことを勉強したように思いますね。
 時々、新聞によい子とが出ていまして、すごいなと思ったのですけれども、宮城県の村井よしひろ知事の奥さんは、これも美しいと思うのですけれども、ボランティアに参加して、それに誰も気がつかなかったんですって。知事婦人だということを。それで終わってから、最近になって「うちの奥さんもボランティアしてます」という一言で、エーッという感じで調べて、そうしたら最初から腰痛バンドをつけてまで、本当に心を込めて毎日毎日作業をなさったそうですよ。若い子と一緒になって。そんなで、日本にはやはり美しい話がいっぱいあるなあと思うのです。
 そして、もう一つ義理人情でお話が。日本は義理人情、恩と言うのが日本の特許じゃないですか。それが最近はトルコも宋ですし、外国から日本に逆輸入の形で教えられていると思うのですけれども、これは、宮城県で海の牡蠣の養殖をしている人が、この人は畠山さんという方なのですけれども、津波が収まって大体一ヶ月くらいすると海がある程度きれいになったそうですね。でもやはり考え込むじゃないですか。何も全部流されてなくなってしまって、ゼロからまたやるのに、これしかないと言うので大体五十個くらいの会社が牡蠣の養殖をなさっていたそうですけれども、ほとんどもう遣っていないときだったそうですけれども。海を見ては、はじめたいのだけれども、と思いながら考えていたそうです。そして震災から約一ヶ月ぐらいたったときに、自分で始めようと思ったら資金が要るじゃないですか。海を眺めて牡蠣の養殖したいなと思いながらも、遣りようがない、考え込んで海ばかり眺めているときに、義捐金の申し込みがあったというのね。それはなんと、フランスの高級ブランドのルイ・ヴィトンというところがあるそうですよ。そこから義捐金を申し出手くれた。それは一瞬、なぜ?と思ったというのです。不思議だから。そうしたらルイ・ヴィトンの社員らは、東北の惨状を知り、四十数年前のエピソードを思い出していた。フランス名産のブルターニュの牡蠣がウィルス性の病気で壊滅状態に陥ったとき、窮地を救ったのが宮城県の北上川河口で生産された種牡蠣、昭和四十六年にフランスに三千三百六十トンの、金額で言って約七億五千万円の宮城牡蠣が輸出された。情けは人のためならずというけれども、困っているのを聞いて宮城の人たちがそうやってたくさんの種を送ったというんですね。それでいまのルイ・ヴィトン。四十六年のことだから、今から四十年ぐらい前ですね。ルイ・ヴィトン家の五代目当主のパトリック・ルイ・ヴィトンさんは、その経緯を当然知っていた、「我が家は皆牡蠣が大好きでね、」とうなずく。七月の末に来日した際、畠山さんに「ルイ・ヴィトンと日本の絆は強い、再起のお手伝いが出来て光栄です」と語りかけた。
 そうやってご恩を返してくれるわけよね。よその国は皆さん、日本の国に感謝してくださって、そうやって恩を返してくれるってね。恩を返さないのは中国とロシアだけ。(笑い)
 豊かな生態系を守るためには、森は海の恋人と言うので、木も植えなければならない。皆木も流されていますからね。だから、莫大なお金がかかるわけですよね。莫大なお金を、義捐金を送ってくださって、いまはせっせと森に木を植える運動と、養殖の運動としていて、六月には例年どおりの養殖が始まったというのですよ。政府を待っていたら今頃まだ何もできていないところです。そして畠山さんは感謝の気持ちを込めて、パトリックさんに提案をした。「再来年の春我が家に招待しますよ。震災前と同じようにおいしい牡蠣を用意して」もちろん申し出は快諾された。「愛用のナイフ持参で伺いますよ」と。
 そんな美しい交流、それも日本が真心一杯、親切をしていた事が今またこういう形で返されてきていると言う事なんですね。日本の本来の教えと言うのは、義理人情、恩という、私は祖母に言われました。恩を忘れたら人の道に外れると。何かと言うと「人の道に外れない」と言って。その教育がいまなかなかない。今本当に昔の人の言葉を思い出しては、人の道の運動をしていかなければいけないかなと思うのですけれどもね。
 それどころではありませんよね。いま、政治家もちに落ちたと言うのか、情けなったらないと思うのですけれども、産経抄に書かれていて恥ずかしいなあと思って。世界がそうやって日本の復興を見るために、日本の今の政府の上から下まで全部世界中の人が見つめているのがこれだって、世界中に発信されたと思うのですけれどもね。いまから百五十年前の安政四年、米大統領の国書を携えた初代中日米公使のハリスは江戸城に参内し、十三代将軍徳川家定に初めて謁見下。そのときの日本側のもてなしぶりを、通訳のヒュースケンは、驚きとともにこう書き添えている。「気品と威厳を備えて、廷臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光を添える洗練された作法、そういったものは、インド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかにまぶしい光を放っていた。
 明治の初めの、幕末から明治にかけての、その幕臣たちと言うのは、ダイヤモンドよりも輝いたといっているのですよ。そのくらい日本人の行動と言うものは、感動を与えたのね。そしてそのヒュースケンは質素で飾り気がなく子供たちの無邪気な笑い声に満ちた、幕末の日本を愛した彼は、同時にこの国の将来に大いなる危惧を抱いた。なぜか。「おお神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしている。西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない。」と。残念ながら彼の予感は当たってしまった。
 明治が開けて、西洋文化が入りだした。だんだんと悪くなっていく。それを憂いたのが明治天皇ですよね。天皇陛下が何とかしてこの日本の国の文化を守っていかなければいけない。そのために「教育勅語」ができたんですよ。

その教育勅語によって日本は救われた。日本がそれからの教育が立派になされたから、日露戦争で勝ちですよ。それで日本の国が植民地にもならずに済んで、今日の日本になっていったのですが、なっていたのですけれども敗戦直後、敗戦後から、全部アメリカの。これはアメリカが悪いんですよね。アメリカが全部昔の日本の国を全部廃止してしまったから今日になった。それをまた日本人は馬鹿だから、二十七年の四月の二十八日に、主権が復興したときに全部元に戻せばよかったんだけれども、戻さないものだから、今日のようになったんですね。
 谷口先生も、本当に私達にいつもいつも、このような日本の教育をしていたら、日本の国はおかしくなる。どうぞ新教連の皆さん、(当時は新教連でしたからね)生命の教育で日本の伝統文化を教えて、日本の子供を育ててくださいと切実におっしゃっていましたよね。それで私は教育に命をかけていまもやっているわけなのですけれどもね。でもなかなか大きな力に、こちらの思いというものはなかなか伝わりませんけれども、微々たる物ですけれども、でも日本の国の将来を背負う子供たちを何とかしなければいけないと思ってがんばっているところなのですね。
 平成の廷臣は洗練された作法どころか、携帯電話を宮中晩餐会の行事中に使っても、控えの間で使っただけと恥じる気配すらない。これでは授業中にメールをして叱られても誰にも迷惑をかけていないと開き直る中高生となんら変わらない。連舫さんはそうしたらしいのですね。気品と威厳ではなく、下品と無知を兼ね備えた廷臣も多い、晩餐会をすっぽかし、民主党議員の金集めパーティに出て、こちらのほうが大事だと嘯いた、一川保夫防衛省もその一人だ。恥を知らないのですかね。宮中晩餐会は海外の賓客を公私ともに心からもてなし、末長い友好関係を結ぶ真剣勝負の場だ。心優しいブータン国王はお許しになるだろうが、恥と言う言葉を知っているなら、即辞めて頂きたい。公務より金集めが大事だと言う御仁に、大事な国防を任せるわけにはいかない。
 本当にそれはそのとおりです。そしてまた恥に輪をかけたのね。この人はいろいろと言われて、そしてブータンさんにお詫びの手紙を出すって。まったくなさけない。これが皆さん、今の日本の政治家なんですよ。それを本来の日本の姿に帰すには、私達一人一人の自覚が大切だと思うのですね。国民を目覚めさせる、聞いたら、「はあそうか」と思うだけではなくて、「誰かに伝えましょう」という、そういう気持ちで広げていただきたいと思うわけなのですね。
 本当に今回の震災によって、いくらか皆さんが目覚めて、このままではいけないという機運になっている。だから今こそ私たちは、いろいろなことをして目覚めて、社会にアッピールしていかなければいけないなと思うのですね。
今日は政治家の人もいないし、ご家庭の子育ても終わった人たちが。でも思うのですよ。だからもう私はいいわというのではなくて、やはり、皆さんの力をいただいて、ここへ行きなさい、あそこへ行きなさいというふうに言っていただいて、子供たちを育てる私たちのやっている行事のところに、あそこへ行ってごらんなさいと声をかけていただいて、もううちは子供もいないし孫もいないからなんていわないで、誘っていただいて、日本の子供を私達本当に真剣に育てていますから、ぜひそういうところに送り届けていただきたいと思うのですね。
もう一つ、家族の絆について、今被災地のほうでは本当に、親子二人だけに残ったとか、おばあちゃんと二人残ったとか、兄弟だけ残ったとか、いろいろな人がいると思うのですよ。それを救えるのは、温かい心のつながりだと思うのです。
いい話があるので皆さんに紹介したいと思うのですけれども、人生いろいろなことがあります。トオル君という子の話なのですが、トオル君もある日突然にお父さんが、雨の日に交通事故にあって、そして病院に言ったらもう亡くなっていたんですね。それがひき逃げだった。ひき逃げだからもしそれがひき逃げでなければ、たくさん補償が取れるんですね。だけどひき逃げだから、犯人が捕まらないからもう途端に貧乏のどん底ですよね。それで大きな家を借りていたのが小さな家を借りて、便所も共同、炊事場も共同という、一番安いアパートに移ったんですね。そして今まではお父さんと一緒、家族と一緒に夏休みに旅行していた。ところが旅行も行かれない、ところが夏休みが終わったら、学校で夏休みの思い出話発表会というのがあって、そして一等、二等、三等賞をつけるんです。今学校でこんな事をしているのは珍しいんだけれども、それは二十九歳の先生で、すばらしいなと思うのですけれども、今は学校教育がどうなっているかと言うと、「あめあめ降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎えうれしいな」と言う歌があるでしょう。あれを音楽の先生がやっていたら、隣の先生が駆け込んでくる。「あんたなにやってるの」ってね。どうしてですかと言ったら、いまはお母さんのいない子いっぱいいるでしょうって。父子家庭の生徒でね、そうするとお母さんが蛇の目でお迎えうれしいなって、そんなかわいそうなことをするんじゃないと言って怒られるんですって。それもそうかなと思って、音楽の先生が。それは教師の会にその先生が発表したのですけれども、そういわれると、そうかなあと思って止めると言うんです。私はそのとき、先生が発表した後で言ったの。「先生、何も遠慮も要りません。ぜひその歌を歌って、お母さんっていいものだなという、お母さんの本来はこうなんだなあというものを、子供たちに伝えてください。」と。今寺子屋では、親子教室では必ず「やさしいお母さん」って歌うのね。あの歌もほとんど知らないの今のおかあさんは。テーマソングで歌っているのですけれども。なぜかというと、お母さんのいない人はいないのよ。必ず思い出はあるはず。そのお母さんを思い起こして、遠くに離れていたとしても、お母さん元気でいてくださいって。親に感謝の心を起こすように、お母さん、いなくてもどこかで必ず貴方の事を祈っていてくれてるよ、心配してくれているよ。元気でいてほしいと、願っていてくれているのよと。元気でがんばろうねと、励ましたらいいじゃないですか。お母さんのいない子に。そういう指導をしてください」とその音楽の先生に話しました。
そしたらその先生は、「あ、そうですね。わかりました」とすぐにわかって、そうしますとおっしゃっていましたけれどもね。いまは何でもかんでもすぐ平等でなければいけない。かわいそうということで、みんな平等になりっこないのよ。皆それぞれ、お金持ちの子もいれば、貧乏な子もいるし、お父さんの有名な人もいれば、お父さんがよっぱらってばかりいて、そういう人もいるし、その中にあって、いかに子供にお父さんのすばらしさ、お父さんの大事さ、伝えていく。その境遇の中で心を通わせていくのが教育じゃないですか。この先生私はすばらしいと思ったのですよ。
そうすると、「私はハワイに行きました。」「グアムに行きました。」と子供たちが発表するわけ。こうやって楽しかったですって。田舎のおじいちゃん、おばあちゃんのところに行って、こういうふうにしましたと。そういう話をして、みな楽しい思い出話をした。
その中でトオル君が立って、「エー、ボクは夏休み中、どこにも行ってませんねん。」それで話が始まった。皆知っているわけ。お父さんがいないということを。それで夏休みになったときにお母さんが言ったのね、お母さんはお父さんが亡くなってから、漬物屋に勤めているわけ。それでも雨の日は、漬物は開けないのだそうですよ。やはり腐りやすくなるのですね。だから雨の日は漬物の樽を開けないのだそうです。だから仕事がない。そうすると雨の日はお母さんは仕立物をする。
雨の日はお父さんがなくなって悲しい思いをしたから、雨の日はいやなんだけれども、お母さんがうちにいると思うと、お母さん今日は雨が降っているとうちにいると思うとうれしいんだそうですよ。それで勇んで帰ってきて、お母さんとふれあいをしているのですけれども、夏休みに入ったときにお母さんが言ったってね。「今年はあなたに、どこも連れて行って上げられなくてごめんね」と。そうしたら「いいんだよ、お母さん、ボクは友達とプールに行くさかいに」って。ところがプールに行こうったって友達はいない。皆あちこちに旅行に行っているから。誘う友達もいない。でもお母さんに安心させようと思って、「いいんだよ。ボクはプールに行くから、お母さん心配しなくてもいいよ」と言ってね。
夏休みの終わり近くに、雨が降って丁度お母さんもお勤めが休みで、お母さんは縫い物をしている、でトオル君は鳥かごをつくっていた。お母さんが仕立物の手を休めて、「ああ、トオルはなかなか器用やな、死なはったお父ちゃんに似ているのかもわからへんね。ほんまに上手やね」と言って褒めてくれた。でもなおさら一生懸命にトオル君は鳥かごを作っていた。そうしたら雨が上がり、大阪湾は西のほうから晴れあがってきた。トオルはかご作りに神経を集中していて、雨の上がったのを知らなかった。
この鳥というのは、お父さんと亡くなる前の年に、夏休みに旅行に行って買ってきた思い出の鳥がいるんですね。ふとかごも指先も真っ赤に染まっているのに気づいた。夕焼けである。大きな真っ赤な太陽が水平線に沈んでいく。トオルは窓から伸び上がるよう荷して水平線のあたりが真っ赤に染まり、コンビナートの赤白だんだら模様の高炉も真っ赤に染め上がっているのを見た。部屋の中はと言えば、赤いじゅうたんを敷き詰めたように真紅であり、籠の中のセキセイインコも赤く染まっているのだった。母も赤く染まっている。
「おかあちゃん、何もかも真っ赤っかやなあ。百万ワットの赤色電球みたいなもんやなあ、おかあちゃん。」トオルは思わず叫んでいた。そうすると「あ、ほんと。」仕事に熱中していた母も、トオルの言葉で初めて気づいたのだ。「きれいやなあ、おかあちゃん。」「ほんまやねえ」母は仕事の手を休めて、トオルの横にきちんと正座して、夕日が水平線のかなたに沈むまで、無言で見てくれたのだ。
トオルはこのとき、母の大きな温かな心に、じかに触れた気がしたのだった。美しいものを美しいと言ってくれた母がうれしかったのだ。もしも、母ガトオルの言葉に、「ああ、夕焼けやな、」と無関心に答えて仕事の手を休めなかったなら、彼は母の大きな心に触れることはなかっただろう。だが、仮に母が無関心であっても彼は、おかあちゃんは仕事をしてはるのやさかいに、と言う気持ちで許した事だろう。それがトオルの全く予期しなかった母の態度が現出したのだった。この母の気持ちにトオルは深い感動を覚えたのだ。「そやから、ボクはこの夏休み中にはどこにも行きませんでしたけれども、おかあちゃんと並んで三十分ほど大きな夕焼けを見て、おかあちゃんが前よりもずっと好きになりました。」と。(拍手)
クラス中が拍手喝采で、なかなかやまないから先生が、「もういい。止めんか!」と言ったぐらい、教室中が拍手喝采だったそうです。そしてみんながいっせいに、「一等はトオルや」と言ってね。もしあの時、お母さんが「ああきれいやな」と言っただけだったら、ここまでみんなも感動することもないし、トオル君の心もそれほどなつかれ(?)なかったと思うのですけれども、このように、悲しい事、辛い事があったときほど、心の絆を結んで、しっかりと温かい心、愛情を出して、そして絆が結ばれる事によって、どんな困難も乗り越えられると思うのですね。トオル君も、お父さんはいないけれども、すばらしい子供にきっと成長していると思うのですね。
このように常に私たちは、温かい心、そして思いやりの心、同調する心、心を合わせるように、何か質問されたり、同調を求められたときは、心を寄せる、その子に添ってあげる、その人に添ってあげるという心を忘れないで行きたいと思うのですね。
いろいろたくさん話がありますけれども、話はこのくらいにして、皆さんの質問に答えたいと思います。ありがとうございます。